序章-2|「設計者」がいなかった時代のインテリアをどう読むか
「インテリアデザイナー」という肩書きで仕事をする人が現れたのは、ほんの100年ちょっと前のことだ。19世紀の終わりから20世紀の初めにかけて、ようやくそういう「職業」が成立した。
では、それ以前の数万年にわたる室内空間は、「デザインされていなかった」のだろうか?
もちろん、そんなことはない。
図面はなくても「設計」はあった
考古学の発掘現場には、設計図もパースも残っていない。当然だ。紙もなかった時代なのだから。
でも、炉がどこに置かれていたか、床がどう仕上げられていたか、柱がどんなパターンで並んでいたか、亡くなった人がどこに埋葬されていたか──こうした物質的な痕跡には、そこに住んだ人々の「こうしよう」という設計意図が、はっきりと刻まれている。
たとえば、トルコにあるチャタル・ヒュユクという約9000年前の遺跡。ここで発掘された住居は、どれもびっくりするほど似た構成になっている。
出入り口は、屋根にあいた穴から梯子で上り下りする。炉は南側の壁のそば。座ったり寝たりするベンチは東側の壁沿い。壁には白い漆喰が塗られ、年に何度も塗り直されている。亡くなった人は床の下に埋め葬られ、その上にまた漆喰を塗って、生活が続く。
これが「偶然そうなった」と考えるのは無理がある。何百もの住居が同じ構成をとっているのだから、そこには明確なルール──つまり「設計」──があったのだ。
日本の三内丸山遺跡(青森県)でも同じことが言える。550棟以上の竪穴住居跡を見ると、炉の位置や柱の並び方に一定のパターンがある。しかも個々の住居だけでなく、集落全体の配置にも計画性が認められる。図面は一枚もなかったはずだけれど、「設計」は確かに存在していた。
3つの手がかりを組み合わせる
では、設計者の名前どころか文字すら残っていない時代の室内を、どうやって理解すればいいのだろうか。
この企画では、3種類の手がかりを組み合わせて読み解いていく。
手がかり①:考古学の物質的証拠
地面を掘ると出てくるもの。床面の焼け跡、柱穴の位置、道具や食べ物の残りかすが出てきた場所。これらは「何がそこにあったか」を物理的に示してくれる、もっとも確実な証拠だ。
スカラ・ブレイ(スコットランド)の石造住居が特に貴重なのは、石でできていたからこそ5000年もの時を生き延び、ベッドや棚の形がそのまま残ったからだ。ふつうは木や草でつくった部分は腐ってなくなってしまうので、こういうケースはきわめてまれである。
手がかり②:民族誌の比較資料
人類学者たちが、世界各地の伝統的な暮らしを観察して書き残した記録。定住以前の生活様式や、文字を持たない社会の住まい方について、貴重なヒントを与えてくれる。
もちろん、現代の事例をそのまま数千年前に当てはめることはできない。けれど、「床に座る文化圏では室内の使い方がこう違う」「炉を中心にした生活には、こういう共通パターンがある」といった構造的な比較は、過去を推測するうえで大いに役立つ。
手がかり③:残っている建築そのもの
まれに、建物が現在まで残っていることがある。先ほどのスカラ・ブレイのように石造であったために生き延びた住居、あるいは日本の法隆寺のように木造でありながら修復を重ねて現存する建築。こうした「生き証人」からは、図面がなくても設計の意図を直接読み取ることができる。
この3つの手がかりを重ね合わせることで、名前も顔もわからない人々が「部屋の中」にどんな思いを込めていたのか──完全にとは言えなくても──浮かび上がらせることができるのだ。
口伝・慣習・儀礼が空間を決めた
現代のインテリアデザインは、図面から始まる。平面図を引き、展開図で壁を描き、パースで完成イメージを共有する。
でも、「設計」の手段は図面だけではない。
図面がなかった時代、空間の秩序を支えていたのは口伝(くちづて)、慣習、そして儀礼だった。
「炉はこの場所に据えるものだ」「お客さんは入口の正面に座らせるものだ」「亡くなった人は東の壁の下に葬るものだ」──こうした暗黙のルールが親から子へ、世代から世代へと受け継がれ、空間に秩序を与えていた。
中国の風水は、方角や「気」の流れにもとづいて家具の置き場所を決めるルールを提供した。日本の床の間は、「ここが上座、ここが下座」という格の序列を、部屋のなかに物理的に埋め込む仕掛けだった。
こうした口伝と慣習による「設計」は、図面が登場するよりもずっとずっと長い歴史をもっている。そしてそれなしには、図面による設計も生まれなかっただろう。
「インテリアデザイナー」の誕生
では、「インテリアの専門家」はいつ、どうやって生まれたのだろうか。
はっきりとした誕生日を特定するのは難しいが、ひとつの大きな画期は19世紀後半のイギリスとアメリカにある。
イギリスでは、ウィリアム・モリスが壁紙、布地、家具を「ひとつの空間としてトータルにデザインする」という考え方を打ち出した。モリスは画家でも建築家でもなく、「室内を丸ごと美しくする人」という新しい職能を体現した人物だ。
アメリカでは、エルシー・ド・ウルフ(Elsie de Wolfe)という女性が、1905年頃からニューヨークで「プロのインテリアデコレーター」として活動を始めた。「お金持ちの友人に頼まれて部屋を素敵にする」ことが、やがて「報酬をもらってインテリアを設計する職業」へと発展していったのだ。
しかし──そしてここが大切なところだが──この企画はその「職業の成立」よりずっと前の時代から話を始める。
インテリアデザイナーという職業がなかった時代にも、インテリアデザインは存在した。名前が残っていない人々が「部屋の中」に込めた意思を、モノの痕跡と文化の文脈から丹念に読み解くこと。それが、この企画の方法論の核心だ。