コラム①|20世紀の室内を変えた「10の椅子」年表
鋼管から合板、プラスチック、そしてメッシュへ ── 60年間の椅子の進化を一気に読む
20世紀は「椅子の世紀」だった。
なぜ建築家やデザイナーは、あれほど椅子にこだわったのか。それは椅子が、空間の思想をもっとも小さなスケールで実現できる装置だったからだ。建築は巨額の予算と長い工期を必要とするが、椅子なら比較的短期間で「自分の考える空間のあり方」を一脚に凝縮できる。
ここでは、本編に登場した10脚の名作椅子を時系列に並べてみる。素材が変わり、形が変わり、思想が変わっていく60年間のドラマを、年表として一望してほしい。
1|ワシリーチェア(1925年)
マルセル・ブロイヤー ── 鋼管+布
バウハウスの家具工房を率いていたブロイヤーは、当時23歳だった。ある日、愛用の自転車のハンドルバーを眺めて閃いた。この鋼管を曲げれば、椅子になるのではないか。
完成した椅子は、それまでの家具の常識を覆した。木の塊を彫り出す代わりに、クロムメッキの鋼管を空中に線のように走らせ、布を張っただけ。重厚なヴィクトリア朝の応接椅子を、骨格だけの透明な構造に変えてしまった。
ブロイヤー自身の言葉がある。「私は形態の透明性にこだわった」。
ちなみに「ワシリーチェア」という名前は、抽象画家カンディンスキーがこの椅子を気に入り、自宅用に一脚もらったことに由来する──ただし、カンディンスキーのために設計されたわけではない。イタリアのメーカー、ガヴィーナが何十年も後にマーケティングのためにつけた名前だ。
この椅子が室内に持ち込んだもの: 工業素材の「軽さ」と「透明性」。部屋が、一脚の椅子で広く見えるようになった。
2|バルセロナ・チェア(1929年)
ミース・ファン・デル・ローエ&リリー・ライヒ ── フラットバー鋼+革
1929年のバルセロナ万博。ドイツ館の開会式に出席するスペイン国王アルフォンソ13世と王妃のために、たった2脚だけ制作された。
X字型の脚部は、古代ローマの高官が使った折りたたみ椅子「セラ・クルリス」を意識したものだ。モダニズムの最先端と古代の威厳を、一脚のなかで結婚させた。座面のクッションは40枚の革パネルを手縫いで仕立てている。
興味深いことに、国王夫妻は結局この椅子に座らなかったとも言われている。
近年の研究では、家具のデザインは共同制作者リリー・ライヒの貢献が大きかったことがわかっている。ミースのもとでテキスタイルと家具の展示デザインを担当していたライヒは、ミースとの共同制作期以外には目立った家具作品がミースにないことからも、その重要性が推察される。
この椅子が室内に持ち込んだもの: 素材の選択と接合の明晰さだけで成立する「装飾なしの豪華さ」。
3|スツール60(1933年)
アルヴァ・アアルト ── 曲げ木(白樺)
バウハウスの鋼管椅子は革命的だったが、冷たかった。フィンランドの建築家アアルトは、鉄の代わりに白樺を選んだ。木は「人間的で、形を刺激する素材」だと言った。
技術的な鍵は「L字脚」だ。白樺の無垢材の端に薄い切り込みを入れ、接着剤を浸した薄板を挟んで加熱し、90度に曲げる。25の工程を経て完成するこの技術を、アアルトは家具職人オットー・コルホネンとともに開発した。
試作品をテストする方法はシンプルだった。工場の床に投げつける。壊れなければ合格だ。アアルトは言った。「いつかこれを何千脚もつくることになるぞ!」。90年以上たった今、予言は的中して何百万脚が販売されている。
3本のL字脚を円形の座面にそのまま取りつけるだけ。フレームは不要。分解すれば平らに梱包でき、積み重ねも自在。図書館にもカフェにも家庭にも溶け込む、静かな万能選手だ。
この椅子が室内に持ち込んだもの: 鋼管のモダニズムに対する「木の温もり」という選択肢。
4|DCW(1946年)
チャールズ&レイ・イームズ ── 成形合板
第二次世界大戦中、イームズ夫妻は米海軍のために成形合板の医療用副木を約15万本製造した。戦後、この技術を家具に転用して生まれたのがDCW(ダイニング・チェア・ウッド)だ。
革新の核心は「複合曲面」にある。それまでの合板は一方向にしか曲げられなかったが、イームズ夫妻はロサンゼルスの自宅寝室で「カザム!」と名づけた手づくりプレス機を使い、合板を二方向に同時に曲げる技術を確立した。
座面と背もたれを一枚の合板で成形しようとすると木が裂ける。その解決策が、分割だった。座面と背もたれを別々の成形合板にし、ゴムの「ショックマウント」で接続する。硬い素材なのに身体の動きに追従する、不思議な座り心地が生まれた。
1999年、TIME誌はこの椅子のラウンジ版LCWを「20世紀最高のデザイン」に選んだ。
この椅子が室内に持ち込んだもの: クッションなしで快適な「構造そのものが身体を包む」という発想。
5|FRPシェルチェア(1950年)
チャールズ&レイ・イームズ ── ガラス繊維強化プラスチック
史上初の量産プラスチック椅子。もともとはMoMAの「ローコスト家具」コンペに出品された金属プレス案だったが、コストが合わず、軍のレーダードームに使われていたFRP(ガラス繊維強化プラスチック)に素材を切り替えた。
この椅子の真の革命は、「ひとつの座面に、脚を取り替えるだけ」という発想にある。ワイヤー脚をつければダイニングチェア、木脚にすればリビングチェア、ロッカーにすれば揺り椅子、台座にすれば回転椅子。ひとつの型から、無限のバリエーションが生まれる。
チャールズは色にもこだわった。「何十夜も」顔料の調合実験を重ね、「グレージュ」「エレファントハイドグレー」「シーフォームグリーン」といった独自のカラーパレットを開発した。エレファントハイドグレーについて、チャールズは「本当に欲しいのは、感情のある黒なんだ」と語っている。
この椅子が室内に持ち込んだもの: 「安くて・軽くて・美しい」の三拍子。デザインの民主化。
6|アントチェア(1952年)
アーネ・ヤコブセン ── 成形合板(一枚板)
ヤコブセンは彫刻家のように粘土の模型を手で捏ねてから図面に落とし込んだ。その結果生まれたのが、座面と背もたれをたった一枚の合板で成形した、史上初の椅子だ。
製品化のきっかけは巧みな営業だった。製造元のフリッツ・ハンセン社は当初、量産に消極的だった。ところが製薬大手ノボ・ノルディスクの社長がヤコブセンのスタジオを訪れたとき、ヤコブセンはすかさず「御社の社員食堂のために設計した椅子です」と言い切った。300脚の注文が入り、フリッツ・ハンセンは製造を決断する。
蟻に似た形から「アントチェア」と名づけられたこの椅子は、9層のベニヤを圧縮成形し、もっともくびれた部分に最大の構造強度を持たせている。
この椅子が室内に持ち込んだもの: 「一枚の板が身体を受け止める」というミニマリズムの極致。
7|セブンチェア(1955年)
アーネ・ヤコブセン ── 成形合板(改良版)
アントチェアの進化形。座面が広くなり、脚が4本に増え、オプションで肘掛けもつく。フリッツ・ハンセン社の歴史上、もっとも売れた製品だ。
9層のベニヤと2層のコットン・テキスタイルを積層し、中央のくびれ部分で3方向の曲げを同時に実現している。座面の前端は「ウォーターフォール」と呼ばれるなめらかなカーブで終わり、太ももの裏を圧迫しない。背もたれはしなるように設計されていて、体重を預けると自然に後傾する。
1脚を重ねて6脚から12脚までスタッキングできるため、講堂や食堂で大量に使える。ヤコブセンはこの椅子を「反復のために設計した」と語っている。ずらりと並んだセブンチェアが、建築空間のなかに有機的なパターンを生み出す。
70年以上にわたって生産が続き、ヴェルナー・パントン、ザハ・ハディド、ビャルケ・インゲルスといったデザイナーや建築家とのコラボレーション版も生まれている。
この椅子が室内に持ち込んだもの: 大量に並べたときに美しい「匿名性の美学」。
8|パントンチェア(1967年)
ヴェルナー・パントン ── プラスチック一体成形
世界初の一体成形プラスチック・カンチレバーチェア。構想から製品化まで10年かかった。
パントンがスケッチを描いたのは1956年。しかしどのメーカーも「不可能」か「高すぎる」と断った。1963年にヴィトラ社のヴィリ・フェールバウムと出会い、4年間の開発を経て1967年にようやく製品化された。
S字のカーブが脚と座面と背もたれを兼ねる。脚がない。それまでの椅子の構造的な前提──座面を4本の脚で支える──を完全に無視した、プラスチックだからこそ可能な形だ。
パントンは言った。「快適に座れる椅子をひとつの素材でつくり、どこでも使えるようにしたかった」。そしてこうも言っている。「人は、好きな色の上にいちばん快適に座る」。
1967年のデンマークの雑誌『モビリア』の表紙を飾り、1970年にはイギリスの雑誌に掲載されたパントンチェアの写真がセンセーションを巻き起こした。累計販売数は100万脚を超えている。
この椅子が室内に持ち込んだもの: 色彩そのものが家具になるという発想。室内をポップアートの舞台に変えた。
9|Carlton(1981年)
エットレ・ソットサス/メンフィスグループ ── MDF+プラスチックラミネート
1981年9月18日、ミラノで開かれたメンフィスグループの第1回展覧会。ソットサスは自分の展覧会に遅刻しそうになった。会場周辺の交通渋滞がひどすぎて、テロの爆弾が爆発したのかと思ったという。実際には、展覧会に殺到した来場者の車だった。
Carltonの高さは約196センチ。本棚にも間仕切りにもチェストにもなる多義的な家具だ。素材はMDF(中密度繊維板)に安価なプラスチックラミネートを貼ったもの。ソットサスの代名詞である「バクテリオ」柄(紙吹雪のようなパターン)が台座を覆う。
一見でたらめに見える傾斜した棚板の配置は、実は正三角形の組み合わせによる厳密な幾何学に基づいている。斜めの棚は、まっすぐな棚では倒れてしまう本を安定させる──機能的にも理にかなっている。
「安い」素材を「高級」市場に投入し、「手仕事」で「工業素材」を精巧に仕上げる。あらゆる二項対立をひっくり返すことで、「良いデザインとは何か」の定義そのものを粉砕した。
カール・ラガーフェルドはモンテカルロの自宅をメンフィスの家具で埋め尽くし、デヴィッド・ボウイのコレクションは2016年にサザビーズでオークションにかけられた。
この椅子(家具)が室内に持ち込んだもの: 「意味」と「引用」と「ユーモア」。室内を「語る」空間に変えた。
10|How High the Moon(1986年)
倉俣史朗 ── ニッケルメッキ・スチールメッシュ
デューク・エリントンのジャズの名曲から名前をとったこのアームチェアは、西洋の伝統的なクラブチェアの形をしている。しかし座面もアームも背もたれも、すべてニッケルメッキのスチールメッシュでできている。中にクッションもフレームもない。
存在しているのに、向こう側が透けて見える。椅子の幽霊。あるいは椅子の記憶。
倉俣は言っている。「まずデザインのイメージが来る。そのイメージをつかんだら、素材は文字通り道ばたで見つける」。メッシュという工業素材を使って、日本の伝統的な美意識──「見立て」と「省略」──を立体化した。
メンフィスグループのメンバーでもあった倉俣は、西洋の椅子文化と日本のミニマリズムを対話させることで、20世紀の椅子の歴史に最後の──そしてもっとも詩的な──一撃を加えた。
MoMA、メトロポリタン美術館、V&A博物館など世界の主要美術館に収蔵されている。
この椅子が室内に持ち込んだもの: 物質の「不在」。家具を透明にすることで、空間そのものを主役にした。
60年の旅を振り返る
10脚の椅子を並べてみると、60年間の流れが見えてくる。
素材の変遷: 鋼管 → 曲げ木 → 成形合板 → FRP → プラスチック一体成形 → ラミネート → スチールメッシュ。素材が変わるたびに、椅子の形が変わり、椅子が置かれる空間の意味が変わった。
思想の変遷: 「透明性」(ワシリー)→「素材の美」(バルセロナ)→「温もり」(スツール60)→「身体への追従」(DCW)→「民主化」(FRPシェル)→「ミニマリズム」(アント)→「匿名性」(セブン)→「色彩」(パントン)→「記号」(Carlton)→「不在」(How High the Moon)。
最初の椅子は「重い家具を軽くする」ことを目指した。最後の椅子は「家具そのものを消す」ことを試みた。この60年間のベクトルは、一貫して「物質から解放されること」に向かっている。
そして21世紀の私たちは、こう問うことになる。
物質を消し去ったあと、椅子には何が残るのか。