第Ⅱ部|権力と水と神々 ── 古代文明の室内秩序
メソポタミア・エジプト・インダス・中国・ギリシャ・ローマ
第Ⅰ部では、人類が「室内」をゼロからつくり出す物語を見てきた。
焚き火のまわりの仮設空間から、漆喰で仕上げた定住の部屋へ。石で造り付けたベッドと棚、そして日本列島の竪穴住居と弥生のベッド状遺構。すべては「火」と「床」を中心に展開した、いわば「暮らしのための室内」だった。
しかし、ここから先は話が変わる。
都市が生まれ、王が立ち、国家が形成されると、室内空間は「暮らす」だけの場所ではなくなった。見せつける場所、祈る場所、支配する場所になった。
壁は、もう風雨を防ぐだけの壁ではない。アッシリアの宮殿では、壁面いっぱいに王の武勇を彫り込んだ巨大なレリーフが訪問者を圧倒した。字が読めない者にも「この王はこんなに強い」と一瞬でわかる。壁そのものがプロパガンダになった。
家具は、もう座ったり寝たりするだけの道具ではない。エジプトでは、黒檀と象牙で精巧につくられた椅子やベッドが、王とともに墓に納められた。死んだ後の世界でも快適に暮らすために──そう考えた人々がいた。家具は生と死の両方に必要なものだったのだ。
床は、もう踏むだけの面ではない。インダス文明のモヘンジョダロでは、住居の床に排水口が設けられ、家庭排水が煉瓦造りの下水道へと流れ込んだ。4000年以上前に「全戸にバスルーム付き」という驚くべき都市が存在していた。衛生インフラが室内のかたちを決めた、最古にして最も徹底した事例だ。
そして「室内をどうつくるべきか」が、文字で書き残されるようになった。中国の『営造法式』は建築のあらゆる規格を36巻に記録し、ギリシャ・ローマでは宴会の部屋が寝椅子の台数で設計され、ウィトルウィウスが世界初の「室内環境論」を著した。
──「美しさ」「衛生」「権威」「規格」。
私たちが今日の室内に求めるものの原型が、すべてこの時代に出揃う。
5つの文明、5つの室内哲学
この第Ⅱ部では、5つの古代文明を訪ね歩く。
それぞれが、室内に対してまったく異なるアプローチをとっていた。比べてみると、そこには驚くほど鮮やかなコントラストがある。
メソポタミア(第4章)は「壁」の文明だ。 アッシリアの王たちは、宮殿の廊下を巨大なレリーフで埋め尽くした。訪問者は王座の間にたどり着くまでに、何十メートルもの壁画を「歩きながら見せられる」。壁が、権力を可視化する装置として機能した。
エジプト(第5章)は「家具」の文明だ。 ツタンカーメンの墓から出土した3300年前の家具群は、来世で王が使うためにつくられた。黒檀と象牙の折りたたみ椅子、獅子の脚に支えられたベッド、金箔に覆われた玉座。家具そのものに、超絶的な工芸技術と宗教的信念が詰まっていた。
インダス文明(第6章)は「水」の文明だ。 モヘンジョダロの都市計画は、排水設備を中心に設計されていた。すべての住戸にバスルームと排水口があり、規格化された煉瓦が都市全体の建設効率を支えた。「衛生」が室内の最上位の設計原理だった文明は、じつは歴史上そう多くない。
中国(第7章)は「規格」の文明だ。 1103年に刊行された『営造法式』は、建築の設計から施工、塗装の配合から人件費まで36巻に記録した世界最古級の建築マニュアルだ。このマニュアルの存在が、中国の室内に秩序と再現性をもたらした。四合院の空間ヒエラルキーには「いちばん奥が偉い」という明快な論理がある。
ギリシャ・ローマ(第8章)は「もてなし」の文明だ。 古代ギリシャの饗宴では、客は寝椅子に横たわってワインを飲み、哲学を論じた。部屋の設計は寝椅子の台数で決まった。ローマはそこに精緻な壁画・モザイク・床暖房を加え、「室内装飾が社会的ステータスを表現する」文化を完成させた。
この5つの文明の室内を、序章で紹介した7つのレイヤーで見比べていこう。
「暮らし」から「権力」へ──室内の意味が変わる
第Ⅰ部の室内は、基本的に「暮らすための空間」だった。
旧石器時代の焚き火のまわりも、チャタル・ヒュユクの漆喰の部屋も、スカラ・ブレイの石のベッドも、三内丸山の竪穴住居も──その設計の核心にあったのは、「いかに快適に暮らすか」という問いだった。暖かくしたい。明るくしたい。ぐっすり眠りたい。きれいな床で暮らしたい。
古代文明の室内にも、もちろんその要素はある。でも、それだけでは足りない。
宮殿の壁面を石のレリーフで埋め尽くすのは、暮らしを快適にするためではない。来世のために黄金の家具を墓に入れるのは、この世の快適さとは別の動機だ。都市全体の排水設備を設計するのは、一軒の家の話ではなく、文明の思想の問題だ。
ここに、室内空間の歴史における大きな転換がある。
「室内」が個人や家族の暮らしの器であることを超えて、社会の権力構造、宗教的信念、都市の設計思想を体現する装置になった。
壁の彫刻が「この王は強い」と語りかけ、家具が「死後の世界にも秩序がある」と主張し、下水道が「この都市は清潔を最重要視する」と宣言する。──室内が「語り始めた」のだ。
この転換を、これから5つの章で見ていく。
7つのレイヤーが「出揃う」時代
序章で提示した7つのレイヤー──床・壁・天井・家具・照明・暖房・象徴。
先史時代の室内には、これら7つのすべてが完全にそろっていたわけではなかった。旧石器時代の野営地に「壁」はなく、「天井」もなかった。縄文の竪穴住居に「壁を飾る」発想はまだ乏しかった。
ところが古代文明の室内を見ると、7つのレイヤーがすべて──しかもかなり高い水準で──出揃っているのがわかる。
メソポタミアの宮殿には、石膏の「床」、レリーフの「壁」、彩色された「天井」、王座という「家具」、窓の少ない室内を照らす「照明」の工夫、そして権力を誇示する「象徴」がすべてある。
ローマの邸宅には、モザイクタイルの「床」、フレスコ画の「壁」、格天井の「天井」、寝椅子と食卓の「家具」、油灯の「照明」、ハイポコースト(床下暖房)の「暖房」、そして家主の富を示す「象徴」がすべて揃っている。
この時代、人類は「室内空間をつくるために必要な要素とは何か」をほぼ完全に理解していた。そしてその理解を、文字で記録し、マニュアルにまとめ、次の世代に体系的に伝えることができるようになった。
第Ⅰ部が「室内の誕生」の物語だとすれば、第Ⅱ部は「室内の完成形」が最初に姿を現す物語だ。
遠く離れた場所で、同時に起きていたこと
もうひとつ、第Ⅱ部を読むときに意識してほしいことがある。
メソポタミア、エジプト、インダス、中国──これらの文明は、ほぼ同じ時代に、互いにそれほど密接な交流があったわけでもないのに、それぞれ独自に高度な室内空間をつくり出していた。
壁に権力を刻み込んだメソポタミアと、来世のために家具をつくったエジプト。全戸に排水設備を備えたインダスと、建築の規格書を編纂した中国。アプローチはまるで違うのに、「室内空間を人間の知恵と技術で最善のものにしたい」という衝動は、驚くほど共通している。
この「遠い場所で同じ問いに違う答えを出した」という構図は、室内の歴史を通じて何度も繰り返される。第Ⅲ部ではヨーロッパのタペストリーと日本の障子が「壁をどう使うか」に異なる答えを出し、第Ⅴ部ではバウハウスの鋼管椅子と北欧の白樺の曲げ木が「モダニズムとは何か」に異なる答えを出す。
でもその最初の大きな「分岐」は、ここ──古代文明の室内──にある。
さあ、最初の目的地へ向かおう。ティグリス川とユーフラテス川に挟まれた肥沃な平原。そこに建てられた宮殿の廊下には、巨大な翼を持つ人面牛身の守護像が、3000年近い年月を経た今もなお、訪問者を睨みつけている。