第29章|プラスチックと原色が炸裂した1960年代
ポップ・デザインの室内
1961年4月12日、ソ連の宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンが地球を一周した。「地球は青かった」──この一言が、世界中の想像力に火をつけた。
1969年7月20日、アポロ11号が月面に着陸する。
この8年間に、インテリアの世界でも革命が起きていた。
白い壁、木と鋼管の家具、抑制された色彩。──モダニズムが半世紀かけて築いた「良いデザイン」の定義が、原色のプラスチックと空気で膨らむビニールと、使い捨ての軽やかさによって、粉々に打ち砕かれたのだ。
パントンチェア──12年越しの夢
第25章の最後に登場したヴェルナー・パントン(1926-1998)。デンマーク生まれの彼は、アルネ・ヤコブセンの事務所で修業したのち独立し、ひとつの夢に取り憑かれていた。
「床から生えてくるような椅子」──4本の脚を持たず、ひとつの素材で一体成形された椅子をつくること。
最初のスケッチは1950年代半ば。ポリスチレンで非機能的な原型をつくったのが1958年。しかし、椅子として実際に座れるものを量産する技術が、どこにもなかった。
転機は1963年。スイスの家具メーカー、ヴィトラの創業者ロルフ・フェールバウムがパントンのアトリエを訪れた。原型を見て、「これを実現しよう」と決意する。ここから、家具史上もっとも長い開発プロジェクトのひとつが始まった。
問題は素材だった。プラスチック一体成形で、人の体重を支え、何万回も座り直しても壊れず、しかも美しい曲線を維持する。──この3つの条件を同時に満たす素材と製法が、なかなか見つからなかった。
パントンチェアは4つの素材世代を経ている。
**第1世代(1967-68年)**はコールドプレスのガラス繊維強化ポリエステル(FRP)。手作業で仕上げ・塗装され、1脚ずつ職人の手が入った。1967年8月、ケルン家具見本市で150脚のパイロットシリーズが発表された。
**第2世代(1968-71年)**はバイエル社のバイドゥール──硬質ポリウレタンフォームだ。量産が可能になったが、重く、紫外線に弱かった。
**第3世代(1971-79年)**はBASF社のルランS──熱可塑性ポリスチレンの射出成形。ようやく本格的な大量生産が実現した。しかし素材の強度を補うために座面裏にリブ(補強のための突起)が必要で、パントンが理想とした滑らかな曲面が損なわれた。さらに耐久性の問題が浮上し、1979年に生産中止。
第4世代(1999年〜)はポリプロピレンの射出成形。パントンの死(1998年)の翌年、ヴィトラが新素材で復活させた。現在の寸法は、幅50センチ、奥行き61センチ、高さ86センチ、座面高44センチ。重さ約6.6キロ。
最初のスケッチから量産まで、ざっと12年。さらに「理想の素材」にたどり着くまでに、40年以上。パントンチェアの歴史は、「プラスチックで椅子をつくる」ことがいかに困難だったかを物語っている。
現在、MoMA、メトロポリタン美術館、ヴィトラ・デザイン・ミュージアムの永久コレクションに収蔵されている。
「宇宙の中に座る」──アアルニオのボールチェア
パントンが「床から生えてくる椅子」を夢見ていたちょうどそのころ、フィンランドでは別のアプローチで「未来の椅子」が生まれていた。
フィンランド人デザイナー、エーロ・アアルニオ(1932年生まれ)が**ボールチェア(Ball Chair)**のスケッチを描いたのは、1963年1月11日のことだった。
巨大な球体の上部を切り取り、内側にクッションを敷いた形状。外は硬いFRPのシェル、内側はやわらかい布張り。座ると、球体の内壁が周囲の音を遮断し、自分だけの小宇宙に包まれる感覚になる。
寸法は、幅約102〜110センチ、奥行き約87〜97センチ、高さ約120〜124センチ、座面高40センチ。重さは42キロ。かなり大きく、重い。
試作品はサロ市の学校工房でつくられた。FRP(ガラス繊維強化プラスチック)を用いた手積み成形で、金型を使わない手作業だった。
興味深いのは、アアルニオ自身の言葉だ。「私には『ポップ』や『スペースエイジ』のデザインをつくる意図はまったくなかった。純粋に機能的な動機──この新しい素材にとって最も実用的な形を追求した結果だ。」
しかし世間はそう受け取らなかった。白い球体に座る写真は、宇宙カプセルのイメージと重なり、たちまち「スペースエイジ・デザイン」の象徴になった。1960年代のSF映画やテレビ番組のセットに繰り返し登場し、ポップ・カルチャーのアイコンとなっていく。
1968年にはアアルニオがバブルチェア(Bubble Chair)を発表する。「ボールチェアの中に光を入れたかった」──その一念から生まれた透明アクリルの球体は、天井から鎖で吊り下げられる。加熱したアクリル板を「シャボン玉のように」吹いて成形する製法だ。寸法は幅103センチ、奥行き90センチ、高さ105センチ。中に座ると、外の世界が透明な壁越しに見える。宙に浮いた透明な繭のなかから世界を眺める──これほど「1960年代」を体現した家具はほかにない。
空気で膨らむ家具──「家具とは何か」を問い直す
1960年代の家具デザインで、最もラディカルだったのは「インフレータブル家具」──空気で膨らませる家具──かもしれない。
1967年、イタリアの4人の若い建築家──ジョナタン・デ・パス、ドナト・ドゥルビーノ、パオロ・ロマッツィ、カルロ・スコラーリ──が、ミラノの家具メーカー、ザノッタのために**ブロー・チェア(Blow Chair)**をデザインした。
世界初の量産型インフレータブル椅子だ。
素材はPVCフィルム。高周波溶着で接合され、足踏みポンプで空気を入れる。膨らませた状態の寸法は、幅約84センチ、奥行き約120センチ、高さ約103センチ。製品には足踏みポンプ、スーツケース、そして修理キットが同梱されていた。──修理キットがついている時点で、「長持ちする家具」という概念からの離脱は明らかだ。
1968年のミラノ・サローネ・デル・モービレで発表されたブロー・チェアは、即座にセンセーションを巻き起こした。透明なPVCの椅子は軽く、安く、カラフルで、穴が開いたら捨てればいい。「永く使う良いもの」というモダニズムの倫理への、これ以上ない挑発だった。
同じころ、パリではベトナム系フランス人デザイナーのクァザール・カーン(グエン・マン・カーン、1934-2016)が、さらに徹底したインフレータブル家具のシリーズ「エアロスペース・コレクション」を発表していた(1967-68年)。アポロ、サターン、ヴィーナス、ネプチューン──宇宙と神話の名を冠した椅子やソファは、透明や着色のPVCで膨らませる。カーンはパリのビーチ用品工場でこれらの家具を製造した。「オートクチュールのように」つくった、と本人は語っている。
インフレータブル家具は、問いかけだった。
家具は重くなければならないのか? 何十年も持つ必要があるのか? 「良い家具」とは「高い家具」のことなのか?
──答えはもちろん「ノー」だ。しかし、この「ノー」を実際にモノとして示したことに、1960年代のデザイナーたちの過激さがあった。
ジョー・コロンボ──「家具」を「設備」に変えた男
1960年代のイタリアン・デザインで、最も先鋭的な未来像を描いたデザイナーがいる。
ジョー・コロンボ(1930-1971)。本名チェーザレ・コロンボ。ミラノ生まれ。1971年に41歳で夭折するまでの、わずか10年に満たないキャリアのなかで、驚異的な密度の仕事を残した。
コロンボの代名詞は「統合」だ。個別の家具を並べるのではなく、生活のすべての機能をひとつのユニットに統合する。
その集大成が、**トータル・ファニシング・ユニット(Total Furnishing Unit)**だった。1971-72年に制作され、MoMAの「イタリア:新しい家庭の風景」展で発表されたこの作品は、キッチン、収納、ベッド、バスルームという4つのモジュラーブロックに、住居のすべての機能を圧縮した。
コロンボは「家具(furnishing)」という言葉そのものを拒否した。「住宅に必要なすべてのモノは、使用可能な空間と統合されるべきだ。したがって、もはやそれらは「家具」ではなく**「設備(equipment)」**と呼ばれるべきなのだ。」
この発想は、今日のスマートホームやマイクロ・アパートメントの設計思想に直結する。限られた空間にすべての機能を統合し、壁面や天井も含めて「住む機械」として最適化する。──ル・コルビュジエの「住むための機械」を、コロンボはプラスチックとモジュラー設計で文字通り実現しようとしたのだ。
コロンボの死は突然だった。1971年、心臓発作で倒れ、41歳の生涯を閉じた。もしあと20年生きていたら、コンピュータとデジタル技術を取り込んだ、さらに先鋭的な「統合された住空間」を見せてくれたかもしれない。
ピエール・ポーランと「布で包む」椅子
1960年代のポップ・デザインには、もうひとつの重要な系譜がある。フランス人デザイナー、ピエール・ポーラン(1927-2009)の「布で包む椅子」だ。
ポーランの発明は、技法として見ると意外にシンプルだ。鋼管のフレームの上にポリウレタンフォームを載せ、その上からストレッチ・ジャージー(伸縮する編地)をぴったりと被せる。内部の構造は完全に隠れ、外から見えるのは布の曲面だけ。
リボンチェア F582(1966年)は、幅約100〜102センチ、奥行き約73〜76センチ、高さ約73〜76センチ。1本の帯(リボン)が空間のなかでくるりと回転し、座面と背もたれを同時に形成しているように見える。1969年、アメリカ室内デザイナー協会のデザイン賞を受賞。
**タン(舌)チェア F577(1967年)**は、その名のとおり、舌のような形をした座面が床から立ち上がる。パントンチェアと同じ時期に、まったく別のアプローチで「脚のない椅子」を実現した。
ポーランの仕事が面白いのは、最終的に「体制側」からも評価されたことだ。1971年にはポンピドゥー大統領の依頼でエリゼ宮殿の私室をデザインし、1981年にはミッテラン大統領のためにも同様の仕事をしている。ポップ・デザインが大統領官邸に入った──それは、反抗が主流になる瞬間だった。
「使い捨て」の思想──消費社会とインテリア
ここで少し立ち止まって、1960年代のポップ・デザインが室内空間にもたらした変化を、大きな視点から整理しよう。
第4幕までのモダニズムには、ひとつの暗黙のルールがあった。「良いデザインは長持ちする」。
バウハウスの鋼管家具は何十年も使えるように設計された。イームズの成形合板椅子は、1946年の発売から80年近く経った今も生産されている。北欧のウェグナーやヤコブセンの椅子は、親から子へと受け継がれることが美徳とされた。
1960年代のポップ・デザインは、この前提を正面から否定した。
家具は使い捨てでいい。 ブロー・チェアに修理キットがついていたのは、「いずれ壊れる」ことが前提だったからだ。壊れたら捨てて、新しいのを買う。そのほうが、今の気分に合ったデザインを常に選べる。
家具は安くていい。 パントンチェアの初期価格は約75ドル。ブロー・チェアはさらに安かった。「良い家具は高い」というモダニズムの常識(バルセロナ・チェアの現在価格は数千ドルだ)を、プラスチックが打ち砕いた。
家具は楽しくていい。 鋼管のクロムメッキは美しいが、「楽しい」とは言いにくい。原色のプラスチック、透明なビニール、空気で膨らむクッション──1960年代の室内は、「楽しさ」を正面から肯定した。
この変化の背景には、1960年代の社会変動があった。ベビーブーマー世代の成長、反戦運動、カウンターカルチャー、ウーマンリブ、宇宙開発。若い世代が求めたのは、親世代の「重厚な応接間」ではなく、自分たちの気分を映す軽やかな空間だった。
ポップ・デザインの功罪
しかし、ポップ・デザインには影の側面もあった。
「使い捨て」の思想は、21世紀の視点から見れば、環境負荷の問題に直結する。プラスチック家具は壊れても自然に還らない。安価な家具の大量消費は、のちに深刻な廃棄物問題を引き起こすことになる(第33章で詳しく取り上げる)。
また、ポップ・デザインの「楽しさ」は、しばしば表面的だった。原色のプラスチック椅子は目を引くが、そこに深い「意味」はない。色が鮮やかであればあるほど、数年後には「古く」見える。流行の回転が速い分、飽きるのも速い。
──人間は「楽しい空間」だけでは満足しないのではないか。「意味のある空間」──歴史や物語や記憶を感じさせる空間を、人は求めているのではないか。
その問いが、次の章のテーマだ。
1960年代が残したもの
第3幕の最後に見たように、プラスチックは「第四の素材群」として室内に色の自由をもたらした。
1960年代のポップ・デザイナーたちは、その自由を最大限に使い倒した。パントンチェアのS字カーブ、アアルニオの球体、ザノッタのインフレータブル、コロンボのモジュラー設計、ポーランの布の曲面。──それぞれが、モダニズムの「正しいデザイン」に対する、鮮やかな反論だった。
しかし、反論だけでは新しい「正しさ」はつくれない。
壊すのは簡単だ。では、壊したあとに何を建てるのか。
1960年代後半から1970年代にかけて、建築家や思想家たちがこの問いと格闘し始める。「機能だけでいいのか?」「白い壁だけの空間で、人間は本当に幸せなのか?」
次の章で、その格闘を見ていこう。