インテリアデザイン10万年史

洞窟の炉からスマートホームまで人類とインテリアの10万年の物語

第32章|ポストモダンのインテリア

引用・記号・色彩で室内を「語らせる」


1978年、ウィーンの繁華街にオーストリア旅行代理店がオープンした。

設計したのはオーストリアの建築家ハンス・ホライン(1934-2014)。のちにオーストリア唯一のプリツカー賞受賞者(1985年)となる人物だ。

店内に入ると、天井まで届く真鍮のヤシの木が立っている。旅行の象徴だ。壁際には、古典的な円柱のクローム製の断片。インド・ムガル帝国の建築を思わせるパヴィリオン。カウンターの上には廃墟のミニチュア。

旅行代理店。──ただの旅行代理店に、古代ギリシャとインドと熱帯の密林とクロームの円柱が同居している。

美術雑誌『アートフォーラム』はこう評した。この空間は「驚異の未知の領域、想像力の地理へと開かれている」。

ホラインは宣言していた。「我々は建築を建物から解放しなければならない」。そして**「すべては建築である(Alles ist Architektur)」**。

この旅行代理店は、ポストモダンのインテリアが何をしようとしていたかを、最もわかりやすく示している。室内を「意味の劇場」に変えること。歴史の断片を引用し、文化の記号を混ぜ合わせ、空間に「物語」を語らせること。


プルーストの椅子──既存のものを「塗り替える」

ポストモダンのインテリアを象徴するもうひとつの作品を見てみよう。

アレッサンドロ・メンディーニ(1931-2019)が1978年にフェラーラのディアマンティ宮で発表したプルースト・チェア

MoMAの記録によれば、寸法は高さ約109センチ、幅約104センチ、奥行き約86センチ。素材は塗装した木と綿布張り。

メンディーニの手法はこうだ。まず、どこにでもある既製品のバロック・リバイバル風の肘掛け椅子を入手する。大量生産された、特に価値のない復刻家具だ。次に、ポール・シニャックの点描画を椅子に投影し、布地の上にも木のフレームの上にも、何千もの色の点を手で描き込んでいく

結果として生まれるのは、バロック様式の形態(17-18世紀)+印象派の絵画技法(19世紀後半)+マルセル・プルーストの文学的記憶(20世紀初頭)──3つの時代が1脚の椅子に重なり合う、時間の多重露光のような家具だ。

メンディーニはこの手法を**「リデザイン」**と呼んだ。新しいものをゼロからつくるのではなく、既存のものを「塗り替える」。「小説家が登場人物を変容させるように」、デザイナーは既存の家具を変容させる。

この発想は、ポストモダンの本質に触れている。ポストモダンは「創造」よりも「引用」に重きを置く。歴史は素材として使われる。過去の様式は解体され、再構成され、新しい文脈に置き直される。

メンディーニは雑誌の編集者でもあった。『カザベッラ』(1970-76年)、『モード』(1977年)、『ドムス』(1979-85年、2010年)──イタリアのデザイン誌を次々と編集し、メンフィス以前から「ラディカル・デザイン」と「ポストモダン」の理論的地盤を整えていた人物だ。


マイケル・グレイヴス──高級建築から量販品まで

ポストモダンを「一般の人々の暮らし」に届けたデザイナーとして、マイケル・グレイヴス(1934-2015)の名前は外せない。

1982年に完成したオレゴン州ポートランドのポートランド・ビルディングは、ポストモダン建築の記念碑だ。15階建ての市庁舎で、建設費2,890万ドル。左右対称のファサードに、古典建築のキーストーン(要石)やピラスター(付柱)やペディメント(三角破風)が、巨大なスケールで再解釈されている。

フィリップ・ジョンソンがコンペの審査委員長を務め、ミッチェル・ジュルゴラやアーサー・エリクソンを退けてグレイヴスの案を選んだ。批判も凄まじかったが、グレイヴスはこう反論した。「モダニズムは人々に、垂直か水平か、白かグレーか黒かという選択肢しか与えなかった。いい加減にしてくれ。」

しかし、グレイヴスの真のインパクトは建築よりもプロダクト・デザインにある。

1985年、イタリアのキッチン用品メーカー、アレッシィのためにケトル9093をデザインした。ステンレスの円錐形のケトルで、注ぎ口に小さな鳥の形の笛がついている。お湯が沸くと鳥がピーピー鳴く。──機能的にはただの笛だが、「鳥の形」にしたことで、キッチンに物語が生まれた。

このケトルは200万個以上を売り上げ、アレッシィ最大のベストセラーとなった。30年以上経った今も現役だ。

そして1999年から2012年にかけて、グレイヴスはアメリカの量販店**ターゲット(Target)**と提携し、2,000点以上の日用品をデザインした。トースター、目覚まし時計、まな板、トイレブラシ。──ポストモダンの色彩とユーモアが、数ドルの日用品に搭載されて、アメリカの数百万の家庭に届いた。

「Design for All(すべての人のためのデザイン)」。──ウィリアム・モリスが19世紀に夢見て果たせなかった「美しいものを庶民の手に」を、グレイヴスはポストモダンの文法で実現した。


フィリップ・ジョンソンの「チッペンデール」

ポストモダン建築でもっとも有名な──そしてもっとも議論を呼んだ──ビルのことを語らなければならない。

フィリップ・ジョンソン(1906-2005)。MoMAの初代建築部門ディレクターであり、ミース・ファン・デル・ローエとの共同設計でシーグラム・ビルディング(1958年)をつくった人物。モダニズムのアメリカにおける最大の推進者が、モダニズムを裏切った。

1984年にニューヨークに完成したAT&Tビルディング(現550マディソン・アベニュー)。37階建て、高さ197メートル。ピンク色の花崗岩で覆われたファサードの頂部に、大きく割れた三角形のペディメントが載っている。

建築批評家ポール・ゴールドバーガーが最初に公の場で「チッペンデール」と呼んだ。──18世紀イギリスの家具職人トマス・チッペンデールがつくったハイボーイ(脚の長い箪笥)の天板飾りに似ていたからだ。

巨大な「箪笥の天板」がマンハッタンのスカイラインに出現した。──ミースのシーグラム・ビルのすぐ近くに。

『タイム』誌は完成の5年前、1979年にジョンソンを表紙に載せた。建物の模型を手に持つジョンソンの写真。──ポストモダンが、もはや反逆ではなく主流になりつつあることの証だった。

このビルは2018年7月31日にニューヨーク市のランドマーク指定を受けた。かつて「建築の冗談」と批判されたビルが、保存すべき文化遺産として認められた。


ポストモダンの室内──5つの特徴

ここで、ポストモダンが室内空間にもたらした変化を整理しよう。

① 歴史の引用

ポストモダンは過去の様式を自由に「引用」する。ギリシャの柱、ゴシックのアーチ、バロックの渦巻き、エジプトのピラミッド。ただし、そのまま復元するのではない。スケールを変え、色を変え、文脈を変えて使う。ホラインの旅行代理店の真鍮のヤシの木は「引用」であると同時に「変換」だ。

② アイロニー(皮肉)

ポストモダンは、つねに「半分本気、半分冗談」だ。グレイヴスのケトルの鳥は、機能的にはただの笛。しかし「鳥」にすることで、製品に物語とユーモアが宿る。真面目すぎず、ふざけすぎず、その中間の微妙な温度。──モダニズムの「常に100%本気」とは対照的だ。

③ 装飾の復権

「装飾は犯罪である」(ロース)。「少ないことは豊かだ」(ミース)。──モダニズムが半世紀かけて追放した装飾を、ポストモダンは堂々と復活させた。ただし、18世紀の装飾をそのまま再現するのではなく、現代の素材(プラスチック、ネオン、工業製品)で「新しい装飾」をつくる。

④ 原色の爆発

モダニズムの室内は、白、グレー、ベージュ、黒が基調だった。ポストモダンは原色を復活させた。ピンクの柱。黄色い天井。青い手すり。──メンフィスが開いた「色の門」を、ポストモダンの建築家たちがさらに広げた。

⑤ 多声性(ポリフォニー)

モダニズムの室内は「ひとつの声」で語っていた。機能。合理性。純粋さ。ポストモダンの室内は「複数の声」で同時に語る。古典の引用、ポップ・カルチャーの記号、地域の伝統、個人の記憶。──ジェンクスの言う「ダブル・コーディング」は、実際には「マルチプル・コーディング」だった。


記号としての家具──記号論とインテリア

ポストモダンの知的バックボーンには、**記号論(セミオティクス)**がある。

フランスの思想家ロラン・バルトやイタリアの記号学者ウンベルト・エーコの影響を受けて、ポストモダンのデザイナーたちは家具や空間を**「記号のシステム」**として捉えた。

椅子は「座るための道具」であると同時に、「意味を伝える記号」でもある。

真鍮は「高級感」を記号として発信する。プラスチックラミネートは「皮肉」を記号として発信する。古典的な柱の形は「伝統」「権威」を呼び起こす。それをピンク色に塗れば「伝統の相対化」「ユーモア」が記号として発信される。

素材の選択、色の選択、形の選択──すべてが「意味」を持つ。デザイナーは、これらの記号を組み合わせることで、室内に「物語」を編み上げる。

モダニズムが「意味」を剥ぎ取ろうとしたのに対し、ポストモダンは「意味」を積極的に重ねていった。──人間は「意味のない空間」では生きられない、という確信に基づいて。


ポストモダンは「ふざけている」のか「本気」なのか

ポストモダンに対する最もよくある批判は、「結局ふざけているだけではないか」というものだ。

ギリシャの柱をピンクに塗って、何になるのか。ゴシックのアーチをネオンで光らせて、何の意味があるのか。歴史的な形態をパロディにするのは、歴史への冒涜ではないか。

この批判には、ポストモダンの側からこう答えることができる。

ふざけていると同時に、本気だ。

「半分冗談、半分本気」こそがポストモダンの本質だからだ。100%本気だったモダニズムは、人間の生活の多面性を捉えきれなかった。100%冗談なら、それは単なるパロディだ。しかし「半分冗談、半分本気」の姿勢は、人間の生活がつねに「矛盾」を含んでいるという事実に、正直に向き合っている。

私たちは合理的に暮らしたいと思いながら、非合理な飾りを愛する。機能的な空間を求めながら、無駄な装飾に心を惹かれる。新しいものが好きだが、古いものにもノスタルジーを感じる。──この矛盾を排除せず、そのまま受け入れることが、ポストモダンの誠実さだ。

メンディーニのプルースト・チェアを思い出してほしい。バロックの形に印象派の色を塗り、文学者の名を冠する。ふざけているように見えて、そこには「時間の層」を一脚の椅子に凝縮するという、きわめて真剣な試みがある。


ポストモダンの遺産──そして限界

ポストモダンが室内空間に残した遺産は大きい。

装飾の復権。 「飾る」ことへの罪悪感が消えた。モダニズムの時代には、室内にものを飾ることは「趣味が悪い」と思われがちだった。ポストモダン以後、装飾は再び「空間を豊かにする手段」として認められた。

色の解放。 白い壁だけが「正しい」のではないことが証明された。パステルカラーも原色も、室内の正当な構成要素になった。

歴史との和解。 過去の様式は「古臭い」のではなく、「引用」の素材として活用できることが示された。アンティーク家具と現代的な空間の共存は、ポストモダンの遺産だ。

「意味」の復活。 空間は「機能するだけ」では不十分であり、住む人に何かを「語りかける」ことが必要だ、という認識が定着した。

しかし、ポストモダンにも限界があった。

「何でもあり」の姿勢は、しばしば表面的な「趣味の折衷」に堕した。ショッピングモールの偽ギリシャ柱、テーマパークの偽中世城、ファスト・フードチェーンの偽アール・デコ。──歴史の引用が安売りされ、記号の洪水が意味の空洞化を招いた。

また、ポストモダンは「楽しさ」と「意味」を重視するあまり、「環境」と「持続可能性」の問題をほぼ完全に見落としていた。カラフルなプラスチックラミネートの背後にあるCO₂排出や廃棄物問題は、ポストモダンの時代にはほとんど議論されなかった。

この問いは、最終部──第Ⅵ部「これからの室内」──で正面から取り上げる。


第5幕を閉じる──色と遊びの反乱が残したもの

第5幕では、1960年代のポップ・デザインからポストモダンまで、モダニズムに対する「反乱」の歴史を追いかけてきた。

パントンはプラスチックの原色でモダニズムの「良い趣味」に反逆した。ヴェンチューリは「Less is a Bore」でモダニズムの美学を知的に解体した。ソットサスはメンフィスで「良いデザインとは何か」の定義そのものを粉砕した。グレイヴスはポストモダンの色とユーモアを日用品に載せて、一般の家庭に届けた。

この反乱は、室内空間に何をもたらしたか。

**「自由」**だ。

色を使う自由。装飾する自由。歴史を引用する自由。矛盾を受け入れる自由。──モダニズムが「正しいデザイン」の名のもとに禁じてきた多くのことが、解禁された。

しかし21世紀に入ると、室内空間はまったく新しい問いに直面する。「自由に、楽しく、美しく」だけでは足りない。**「地球に負荷をかけずに」**という条件が加わるのだ。

第Ⅵ部──「これからの室内」。CO₂、健康認証、センサーとAI、そしてリノベーション。21世紀のインテリアが問われていることを、最終部で見ていこう。