デザイナーズ家具・インテリア カタログ Stories of Design Interior Catalog

インテリアデザイン10万年史

洞窟の炉からスマートホームまで人類とインテリアの10万年の物語

第12章|婚礼家具と書斎

ルネサンスが生んだ「個人の部屋」


第Ⅲ部の最後に訪れるのは、15世紀から16世紀のイタリアだ。

ルネサンス──「再生」を意味するこの言葉の時代に、室内空間の歴史を決定的に変えるふたつの発明があった。

ひとつは、結婚が室内を一新するという文化の確立。もうひとつは、「自分だけの部屋」を持つという発想の誕生だ。

前者を象徴するのが**カッソーネ(婚礼箱)。後者を象徴するのがストゥディオーロ(書斎)**。

このふたつの家具──あるいは空間──には、「室内が個人のアイデンティティを表現する場になった」という転換が表れている。中世の大広間は「みんなの場所」だった。アルハンブラ宮殿はスルタンの権力と信仰を映す場だった。日本の座敷は用途に応じて姿を変える柔軟な場だった。

しかしルネサンスのイタリアで、室内は初めて**「この私が、どんな人間であるか」を語る場**になった。


カッソーネ──結婚が室内を変える

**カッソーネ(cassone)**とは、ルネサンス期のイタリアで婚礼のために注文された大型の収納箱だ。

結婚が決まると、まず婚約の宣誓(ジュラメント)が行われる。その後、花婿側の家族がカッソーネを注文した。箱は対になって2つつくられ、花嫁の家に届けられる。花嫁はそのなかに持参金と嫁入り道具を詰め、箱ごと花婿の家へと運ばれた。

この移送は街頭行列として公に行われた。フィレンツェの市民が見守るなか、美しく彩色されたカッソーネを載せた荷車が通りを練り歩く。婚礼行列は、二つの家門の同盟を街全体に知らしめるための公式イベントだった。ただし15世紀後半になると、こうした派手な婚礼の風習は次第に下火になっていく。

メトロポリタン美術館に収蔵されている、ストロッツィ家の婚礼のためとされるカッソーネ(収蔵番号14.39、「トレビゾンド征服」の場面を描く)の寸法は、高さ約100センチメートル、幅約196センチメートル、奥行き約84センチメートル。現代のシングルベッドの長さに近い。前面のパネルには、物語の場面がびっしりと描き込まれている。

金色を多用して城や騎馬の軍勢を描いた横長の板絵
「トレビゾンド征服」を描いたカッソーネの正面パネル(アポッロニオ・ディ・ジョヴァンニとマルコ・デル・ブオーノの工房、メトロポリタン美術館)Apollonio di Giovanni / Marco del Buono / CC0(パブリックドメイン) — Wikimedia Commons

描かれる主題は多岐にわたる。オウィディウスの『変身物語』からダイアナとアクタイオン、プロセルピナの略奪、エウロパの略奪。古代ローマ史からスキピオの寛容、エステルの物語。ペトラルカの『凱旋』やボッカッチョの『デカメロン』から。なかでもとくに好まれたのが**「グリゼルダの物語」**──『デカメロン』第10日第10話──だった。農民の娘グリゼルダが、夫から次々と課される過酷な試練に忍耐強く耐え抜く物語で、「理想的な妻の美徳」として新婦への教訓になった。


カッソーネの画家たち

カッソーネは「家具」であると同時に「絵画」でもあった。しかも、当時最高水準の画家たちが制作に携わっていた。

フィレンツェで最も名声の高いカッソーネ工房を率いたのは、**アポッロニオ・ディ・ジョヴァンニ(1416年ごろ~1465年)とマルコ・デル・ブオーノ・ジャンベルティ(1402~1489年)**の共同工房だ。1446年から活動を開始し、少なくとも170件の婚礼箱の注文を受けた。1670年に筆写された工房の注文帳が、この数を裏づけている。

もうひとりの重要な画家が、**ロ・スケッジャ(ジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ・グイディ、1406~1486年)**だ。あのマサッチオの弟で、「木っ端(スケッジャ)」というあだ名で呼ばれた。代表作「アディマーリのカッソーネ」(実際にはスパッリエーラ、壁掛けパネル)は、フィレンツェの洗礼堂が背景に描かれた婚礼行列の場面で知られる(アカデミア美術館蔵)。ロレンツォ・デ・メディチの誕生を記念してつくられた「名声の勝利」の出産盆(1449年ごろ)は、メトロポリタン美術館に収蔵されている(収蔵番号1995.7)。

カッソーネの上部に掛けられた**スパッリエーラ(壁掛けパネル)**は、カッソーネよりも高い位置で観者の視線に合うため、遠近法がより効果的に機能した。ボッティチェリの「ヴィーナスとマルス」(1485年ごろ、ナショナル・ギャラリー蔵)もスパッリエーラだったと推定されている。しかし、カッソーネとスパッリエーラが揃って残っている例はごくわずかだ。19世紀に入って絵画パネルだけが切り離され、単独で売買されたためだ。ロンドンのコートールド・ギャラリーにあるモレッリ家とネルリ家の婚礼のための一対は、その貴重な例である。


出産盆と婚礼の室内──「人生の通過儀礼」としてのインテリア

カッソーネとともにルネサンス・イタリアの室内を彩った道具に、**デスコ・ダ・パルト(出産盆)**がある。

直径50~60センチメートルほどの円形または多角形の彩色された盆で、無事に出産した母親への最初の食事がこの盆に載せて運ばれた。1370年ごろ──黒死病の後、人口回復が切実な関心事になった時代──から制作が始まっている。

盆の表面には神話や寓話的な場面(「愛の勝利」「名声の勝利」など)が描かれ、裏面にはしばしば裸の男児が描かれた。将来の男子出産を願うためだ。ロレンツォ・デ・メディチは、自分の誕生時につくられた出産盆を死ぬまで手元に置いていた。

円形の盆の表面に、中央の像の下に騎馬の人々が集まる場面が描かれている
ロ・スケッジャ「名声の勝利」の出産盆(1449年ごろ。裏面にメディチ家とトルナブオーニ家の紋章。メトロポリタン美術館)Giovanni di ser Giovanni Guidi / CC0(パブリックドメイン) — Wikimedia Commons

カッソーネ、スパッリエーラ、出産盆。──これらをまとめて見ると、ルネサンスの室内では人生の通過儀礼(結婚・出産)が、室内を刷新する最大の契機だったことがわかる。

婚約から結婚式までの3~6か月のあいだに、新しいカッソーネ、スパッリエーラ、ベッド(レッティエーラ)、寝椅子(レットゥッチョ)、そして両家の紋章を織り込んだ織物が一式そろえられた。新婦が入る部屋──カメラ(寝室兼接客の間)──は、半ば公的な場でもあった。

フィレンツェ市民は**リコルダンツェ(家計備忘録)**に家計のあらゆる記録を残した。税務申告書、持参金の交渉記録、家具の注文書。──これらの文書が、ルネサンスの室内をきわめて詳細に復元することを可能にしている。出産盆やカッソーネが何世代にもわたって家宝として受け継がれていたことも、この記録からわかっている。家具が「家族の記憶」を刻む装置であったことの証拠だ。


ストゥディオーロ──「自分だけの部屋」の発明

カッソーネが「家族の空間」を象徴するとすれば、**ストゥディオーロ(studiolo)**は「個人の空間」を象徴する。

ストゥディオーロとは「小さな書斎」を意味する。15世紀のイタリアで、知識人たちが読書、瞑想、そして自分の教養を示すために持ち始めた小部屋だ。

こうした部屋を持つこと自体が、ルネサンスという時代の精神を映していた。「自分はギリシャ・ローマの教養を受け継ぐ人文主義者(ユマニスト)である」と宣言すること──それがストゥディオーロを持つ意味だった。

そして、現存するストゥディオーロのなかで最高峰と目されるのが、ウルビーノのフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ公の書斎だ。


フェデリーコ公の書斎──だまし絵の小宇宙

ウルビーノ公宮殿のフェデリーコ公の書斎は、わずか3.60メートル×3.35メートルのほぼ正方形の小部屋だ。畳にして7畳ほどの広さしかない。

制作は1473年から1476年(1476年の銘文で確認)。この時期はフェデリーコの絶頂期にあたり、教皇シクストゥス4世によってウルビーノ公爵に叙され、ガーター勲章とアーミン騎士団への入団を受けている。

この小さな部屋の壁は全面が木象嵌(インタルシア、タルシア)で覆われている。ウォールナット、ブナ、オーク、果樹材など多種類の木材──色調や木目で使い分けられ、ときに染色や燻蒸まで活用された──を、数千個の木片に切り出して組み合わせた、気の遠くなるような精密作業だ。

描かれているのは、格子戸のついたキャビネット──扉が開いたもの、半開きのもの、閉じたもの──のだまし絵だ。そのキャビネットのなかに見えるのは、書物と楽譜(音楽を象徴)、天球儀と渾天儀(天文学を象徴)、オルガンとリュート(音楽の実践)、甲冑と剣(武の教養)、そしてフェデリーコ自身の紋章、ガーター勲章、アーミン勲章。壁の「窓」からは風景が見える。ろうそく、インク壺、ロザリオ、果物籠。象嵌の遠近法はブルネレスキとアルベルティが定式化したばかりの線遠近法に基づいており、影の方向は実際の窓からの光と一致するよう計算されている。

壁の上部にはかつて28人の偉人の肖像画が掛けられていた。フランドル出身のユストゥス・ファン・ヘントとスペイン出身のペドロ・ベルゲーテが描いたこれらの肖像は、モーセ、ソロモン、アリストテレス、プラトン、ユークリッド、キケロ、セネカ、ダンテ、ペトラルカ、そしてフェデリーコ自身を含む。現在、14点がウルビーノに残り、残る14点はルーヴル美術館にある(1863年、カンパーナ・コレクションの一部としてフランスが取得)。

「イタリアの光」と呼ばれたフェデリーコは、教皇に次ぐ蔵書を誇ったとされる。人文主義者ヴィットリーノ・ダ・フェルトレに教育を受け、画家ピエロ・デッラ・フランチェスカ、建築家ルチアーノ・ラウラーナとフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ、数学者ルカ・パチョーリ、書籍商ヴェスパシアーノ・ダ・ビスティッチに囲まれた知の宮廷を築いた。

──わずか7畳ほどの部屋に、この人物のすべてが詰め込まれている。学問、音楽、武芸、信仰、権力。だまし絵のキャビネットは決して開かないけれど、そこに「ある」ように見えるものの総体が、フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロという人間そのものを語っている。

この書斎の姉妹版として、グッビオ宮殿用に制作されたグッビオのストゥディオーロ(1478~1482年ごろ、寸法485×518×384センチメートル)がある。1939年にランチェッロッティ家から購入され、現在はメトロポリタン美術館に収蔵されている(収蔵番号39.153)。

壁一面を木象嵌で覆った小部屋。開いた戸棚や楽器がだまし絵で表されている
グッビオ公宮殿のストゥディオーロ(メトロポリタン美術館)Giuliano da Maiano / Francesco di Giorgio / Benedetto da Maiano / CC0(パブリックドメイン) — Wikimedia Commons

イザベッラ・デステの書斎──女性がつくった知の空間

ストゥディオーロは男性の領域だけではなかった。

イザベッラ・デステ(1474~1539年)、マントヴァ侯爵夫人。「第十のミューズ」と呼ばれ、音楽、詩、美術に深い造詣を持った女性だ。ヨーロッパで初めて、女性が自ら設計・実現した展示空間を持った人物とされる。

1490年2月にマントヴァに嫁入りして間もなく、サン・ジョルジョ城のサン・ニッコロの塔に最初のストゥディオーロをつくった。上階に書斎、下階に「グロッタ」と呼ばれるバレルヴォールト(半円筒天井)の部屋を設け、古美術品のコレクションを収めた。

彼女は画家たちに直接手紙を書き、主題と構図を指定し、イタリア各地にエージェントを派遣して制作の進捗を監視した。依頼されて完成した絵画はすべて現在ルーヴル美術館にある。

マンテーニャの「パルナッソス」(1497年)と「美徳の勝利」(1499~1502年)。ペルジーノの「愛と貞節の戦い」(1503年制作、1505年納品)。ロレンツォ・コスタの2点。そして晩年にコレッジョの「美徳の寓意」と「悪徳の寓意」(1530年ごろ)。──テーマはすべて「美徳が悪徳に勝利する」「精神的な愛が肉体的な愛に勝つ」という一貫した寓意プログラムで、文学顧問パリデ・ダ・チェレザーラ(1466~1532年)と練り上げたものだ。

イザベッラはペルジーノに細かな指示を与え、ジョヴァンニ・ベッリーニやレオナルドにも依頼を試みたが、実現しなかった。

彼女の死後につくられた財産目録には、グロッタとストゥディオーロに収められた数百点の古美術品や絵画、書物が記録されている。──ひとりの女性の知的野心が、室内空間のかたちをとった記録だ。


「個人の部屋」が開いた扉

カッソーネとストゥディオーロ。

この2つを並べて見ると、ルネサンスが室内空間にもたらした変化の本質が見えてくる。

カッソーネは「家門と家門の結びつき」を室内に可視化するものだった。家具の表面に描かれた神話画は、新しい家族の文化的教養を来客に示す装置であり、両家の紋章を織り込んだ織物は同盟関係を宣言する装置だった。室内は依然として「社会的」な空間だ。

ストゥディオーロは、それとはまったく異なる。

フェデリーコ公のストゥディオーロに入れたのは、ごく限られた最高位の来客だけだった。イザベッラ・デステのグロッタは、彼女自身のコレクションとの対話のための空間だった。──どちらも、「他者に見せる」よりも「自分自身のために存在する」空間だ。

「自分だけの部屋」を持つ。 現代の私たちにとっては当たり前のこの概念が、人類の室内空間の歴史のなかでは、じつはきわめて新しい発明だった。

旧石器時代の野営地に個室はなかった(第1章)。チャタル・ヒュユクの密集住居も、メソポタミアの宮殿の私的区画も、中世の大広間のソーラーも──どれも「個人の精神的な空間」という性格は薄かった。日本の茶室は「個の空間」に近いかもしれないが、そこに「自分のコレクション」を常設するという発想はない。

ルネサンスのストゥディオーロは、「室内空間が個人のアイデンティティを表現する場になった」早い時期の明確な例だ。

そしてこの「個人の部屋」の系譜は、その後の室内空間の歴史を貫いていく。ヴェルサイユの寝室(第13章)、ヴィクトリア朝の書斎(第15章)、20世紀の「一人一部屋」の住宅、そして21世紀の「在宅ワーク用の個室」まで──すべてはルネサンスの小さな書斎から始まった。