インテリアデザイン10万年史

洞窟の炉からスマートホームまで人類とインテリアの10万年の物語

第24章|プラスチックの椅子が世界を席巻した

FRPシェルチェアと「安くて美しい」の革命


1947年10月23日、ニューヨークのレインボー・ルーム。

ネルソン・A・ロックフェラーが主催する晩餐会の席上で、ニューヨーク近代美術館(MoMA)がひとつのコンペティションを発表した。

「ローコスト家具デザインのための国際コンペティション(International Competition for Low-Cost Furniture Design)」。

応募受付は1948年1月5日から。締め切りは1948年10月31日深夜。審査員には、あのミース・ファン・デル・ローエ(イリノイ工科大学建築学科長)、MoMA館長ルネ・ダルノンクール、英国産業デザイン審議会会長ゴードン・ラッセルら、錚々たる顔ぶれが並んだ。

テーマは明快だった。「安くて、大量生産できて、美しい家具をデザインせよ。」

イームズ夫妻のチーム──チャールズ、レイ、ドン・アルビンソン、UCLA工学部の教授陣──は、このコンペに新しい素材のアイデアを持ち込んだ。


金属の失敗──8万ドルの壁

イームズチームが最初に試みたのは、**スタンプド・メタル(プレス成形した金属板)**だった。

薄い鋼板をプレスして椅子の座面を一体成形する。表面にネオプレンゴムをコーティングして冷たさを防ぐ。成形合板の「面」の思想を、金属で実現しようという発想だ。

コンペでは座席ユニット部門の第2位を獲得した。賞金5,000ドルのうち2,500ドルがイームズチームに授与された(残り2,500ドルはデイヴィス・J・プラットの空気注入式チューブチェアに。第1位はドン・R・ノーとゲオルク・レオワルド教授が共同受賞)。

ところが、量産の段階で壁にぶつかった。

金属のプレス成形には巨大な金型が必要で、ハーマンミラー社は金型への投資額──8万ドル──に難色を示した。まだ市場で実績のない新型椅子のために、当時としては莫大な設備投資をするリスクは負えない。

8万ドル。この金額が、家具デザインの歴史を変えた。

なぜなら、金属がダメだったからこそ、イームズ夫妻はもうひとつの素材に目を向けることになったからだ。


レーダードームの素材が椅子になる

FRP──Fiberglass Reinforced Plastic(繊維強化プラスチック)。

ガラス繊維の布をポリエステル樹脂に浸し、型に押し当てて硬化させる。金属のように腐食しない。木のように反りもしない。温度変化にも強い。そしてなにより、金型のコストが金属の何十分の一で済む。

この素材は、戦時中にレーダードームの外殻として開発されていた。レーダーの電波を遮断してしまう金属は使えないため、電波を透過するガラス繊維とプラスチックの複合素材が生まれた。1946年、ウォルター・バードが最初の空気膜支持型レーダードームを建造している。

イームズ夫妻は、FRP加工業者のジョン・ウィルズに依頼して、2脚の試作品をつくった。アームシェル(肘掛けつき)の椅子だ。そのうちの1脚は、現在もヘンリー・フォード博物館に収蔵されている。

試作品は成功だった。軽い。強い。そして──金型が安い。


ゼニス・プラスチックス──5,000ドルの賭け

量産パートナーとなったのは、カリフォルニア州ガーデナのゼニス・プラスチックス社だった。

ゼニスは、それまで航空機のレーダードームしか製造したことがない会社だ。経営者のアーヴ・グリーンとソル・フィンガーハットは、家具用の金型コストとして5,000ドルを提案した。ゼニスとハーマンミラーが2,500ドルずつ折半する。

5,000ドル。 金属プレスの8万ドルと比べれば、16分の1だ。

この価格差が、すべてを決めた。

ゼニスはFRPの椅子シェルを独自素材**「ゼナロイ(Zenaloy)」**──ポリエステル樹脂にガラス繊維を加えたもの──で製造した。第1世代のシェル(1950年〜1953年)には、成形時にロープを使った跡が縁に残る「ロープエッジ」と呼ばれる特徴的な仕上げがあった。初期の大型ショックマウントにはチェッカーボード柄のラベルが貼られていた。──今ではコレクター垂涎のディテールだ。

発売時のカラーはわずか3色。グレージュ(灰色がかったベージュ)、エレファント・ハイド・グレー、パーチメント。のちに26~30色まで拡大される。

1955年、ゼニスは3M社に買収された(第3世代のシェルには「3つの点」のマーキングがつく)。1959年、ハーマンミラーが製造を自社に統合した。


「ユニバーサル・シート」──ひとつの座面、無限の用途

FRPシェルチェアの最大の革新は、素材よりもむしろシステムにあった。

イームズ夫妻が設計したのは、2種類の座面シェル──アームシェル(肘掛けつき)とサイドシェル(肘掛けなし)──に、さまざまな脚部を組み合わせる**「ユニバーサル・シート」**の仕組みだった。

同じ座面に、脚を取り替えるだけで、まったく違う用途の椅子になる。

ダイニングチェアにしたければ、鉄線の「エッフェルタワー」脚(ロッドベース)をつける。ロッキングチェアにしたければ、弓形のロッカーベースを取り付ける。オフィスチェアにしたければ、回転するスイベルベースを。学校の椅子にしたければ、積み重ねできるスタッキングベースを。空港のベンチにしたければ、長い鉄骨フレームに複数のシェルを並べて固定する。

ひとつの金型で座面を一体成形し、あとは脚のバリエーションで無限の用途に対応する。──これは家具の「プラットフォーム化」だった。現代のIT業界でいう「モジュラー・アーキテクチャ」そのものだ。

1950年のMoMAカタログはこう宣言した。「家具にはこれまで使われたことのない航空機用プラスチックで、事実上、壊れず、汚れにも傷にも耐える。」


アルファベットの暗号──型番の読み方

イームズのFRPシェルチェアには、アルファベット3文字の型番がつく。この暗号を解読すると、椅子の仕様がすべてわかる。

1文字目は高さ。D=ダイニング高、L=ロー(ラウンジ高)、R=ロッキング。

2文字目は座面の種類。A=アーム(肘掛けつき)、S=サイド(肘掛けなし)。

3文字目は脚部の種類。R=ロッドベース(鉄線脚)、W=ウッドベース(木脚)、X=クロス脚、S=スタッキング脚、L=ラ・フォンダ脚。

つまり、DAR=ダイニング高・アームシェル・ロッドベース。DSW=ダイニング高・サイドシェル・ウッドベース。RAR=ロッキング・アームシェル・ロッドベース。

この命名法の明快さそのものが、「ユニバーサル・シート」というシステム思考を体現している。椅子を1脚ずつ「作品」として名づけるのではなく、組み合わせの座標で位置づける。──イームズ夫妻のデザインが、個人の表現よりもシステムの合理性を重視していたことが、ここからも読み取れる。


「安くて、軽くて、美しい」──デザインの民主化

FRPシェルチェアが達成したことを、数字で確認しよう。

従来の木製の上質な椅子は、手作業の工程が多く、1脚あたりのコストが高かった。鋼管の椅子──ブロイヤーのワシリーチェアやミースのバルセロナ・チェア──は、素材としては安価だが、仕上げの精度が要求されるため量産品としてもそれなりの価格になった。

FRPシェルは、1つの型で大量にプレスできる。座面は一体成形だから、組み立て工程が最小限で済む。脚部は別の標準部品。──工程の単純さが、コストを劇的に下げた。

1950年代初頭の小売価格は、ベースの種類によって異なるが、おおむね1脚あたり25~40ドル程度。当時のアメリカの平均的な勤労者の週給が50~60ドルだったことを考えれば、「手が届く」家具だった。

しかし安さだけではない。FRPシェルチェアが椅子の歴史上に刻んだ最大の功績は、「安いこと」と「美しいこと」を両立させたことだ。

それまで、「安い家具」は「つまらない家具」とほぼ同義だった。安くするために仕上げを省き、素材をケチり、デザインに手間をかけない。その結果、安い家具は安っぽく見えた。

FRPシェルチェアは違った。有機的な曲面は美しく、カラーバリエーションは豊かで、どんな空間に置いても「デザインされた椅子」として存在感を放った。MoMAの永久コレクションに収蔵される椅子が、一般家庭のダイニングにも、学校の教室にも、空港の待合室にもある。──これはそれまでの家具の歴史では、ありえないことだった。

チャールズ・イームズが語った有名な言葉がある。

「最良のものを、最も多くの人に、最も安く届ける(the best for the most for the least)。」

FRPシェルチェアは、この理想のもっとも忠実な体現だった。


ガラス繊維の影──環境問題と素材の転換

しかし、FRPには暗い影があった。

ガラス繊維とポリエステル樹脂の複合素材は、いったん硬化するとリサイクルが極めて困難だ。製造工程でも有害な揮発性物質が発生する。役目を終えた椅子は埋立地に送られ、そこで半永久的に分解されずに残る。

1988年にレイ・イームズが亡くなる前、彼女はすでに「ガラス繊維が埋立地に与える環境負荷」を深く憂慮していたという。

1989年、ハーマンミラーはFRPシェルの製造を中止した。「製造過程においても、椅子が役目を終えた後の処分においても、環境に害を与える」ことが理由だった。ヴィトラも1993年に続いた。

1998年、イームズ家族との協力のもと、FRPに代わるポリプロピレンのシェルが開発された。リサイクル可能で、製造時の環境負荷も格段に小さい。ただし、コレクターたちはポリプロピレンの質感がFRPと異なることに不満を漏らした。

2013年夏、ハーマンミラーは新技術でガラス繊維シェルを復活させた。従来の液体接着剤に代えて、熱で活性化する「ドライバインダー」方式を採用し、製造時の揮発性物質を排除。リサイクルも可能になった。9色のヴィンテージカラーが新しい顔料で再現された。

2024年には、ヴィトラがポストコンシューマー再生プラスチックによるシェルを発売。ハーマンミラーのシェルも100%ポストインダストリアル再生プラスチックに切り替わり、年間約122トンのプラスチック削減(ヨーグルトカップ約1,600万個分に相当)と15%の炭素排出削減を実現している。

1950年に「壊れない」ことが最大の売り文句だった椅子は、70年以上の時を経て「壊しやすい(=リサイクルできる)」ことを新たな美徳とするようになった。素材の革命は、一度では終わらない。


第3幕の転換点──「面」が開いた扉

成形合板のDCW/LCWで「面」による椅子を発明し、FRPシェルで「安くて美しい」を実現したイームズ夫妻。

しかし、彼らの仕事をインテリアの歴史のなかに正確に位置づけるためには、もうひとつの視点が必要だ。

FRPシェルチェアが世界を席巻できた背景には、20世紀の前半を通じて進行していた合成樹脂の革命がある。1907年に発明されたベークライトから始まり、セルロイド、ポリスチレン、アクリル、ポリエチレン、ナイロン、メラミン、ポリプロピレン──新しいプラスチックが次々と登場するたびに、室内に使える素材の選択肢が広がり、とりわけ「色」の自由度が劇的に拡大していった。

石と木と金属しかなかった室内の素材パレットに、「合成樹脂」という第四の選択肢が加わったこと。──それは、イームズの椅子以上に根底的な変化だった。

次の章では、その物語を最初の一滴──1907年、ニューヨーク近郊の自宅実験室で琥珀色の樹脂を煮詰めていたベルギー人化学者──から追いかける。