インテリアデザイン10万年史

洞窟の炉からスマートホームまで人類とインテリアの10万年の物語

第5章|来世のためのインテリア

エジプトの家具工芸


1922年、考古学者ハワード・カーターがツタンカーメンの墓の封印を破ったとき、墓室のなかには3300年前の「室内」がほぼそのまま残されていた。

黄金の玉座。黒檀と象牙で飾られた折りたたみ椅子。獅子の脚に支えられた寝台。精緻な象嵌が施された箱。──合計5000点以上の副葬品が、4つの部屋に隙間なく詰め込まれていた。

カーターが最初にのぞき穴から墓室を覗いたとき、「何か見えるか?」と問われて「ええ、素晴らしいものが」と答えた有名な逸話がある。その「素晴らしいもの」の多くは、家具だった。

エジプトの古代文明は、家具に対して尋常ではない情熱を注いだ。しかもその多くは、生きている人が使うためではなく、死んだ人が来世で使うためにつくられた。

なぜ死者に家具が必要なのか。エジプト人はどんな素材と技術で家具をつくったのか。そして、3300年前の家具からインテリアの歴史について何がわかるのか。──この章では、ナイル川の文明が生んだ驚異的な家具工芸の世界を見ていく。


ファラオの折りたたみ椅子──黒檀と象牙の超絶技巧

ツタンカーメンの墓から出土した家具のなかでも、とくに注目すべきもののひとつが折りたたみ椅子だ。

X字型に交差する2組の脚が、中央のピボット(軸)で連結されている。脚を開けば座面が張り、脚を閉じればコンパクトに畳める。この構造は、現代のアウトドア用折りたたみチェアとまったく同じだ。

しかし素材が違う。

脚は黒檀(エボニー)──アフリカ産の極めて硬い黒い木材──でつくられている。座面と脚の接合部には象牙が嵌め込まれ、脚の先端はカモの頭の形に彫刻されている。座面は動物の皮を張ったものだったと推測されている。

黒檀は加工が非常に難しい木材だ。硬すぎて、普通の道具ではうまく削れない。しかもエジプト国内では産出しない。ヌビア(現在のスーダン)やプント(おそらく東アフリカのどこか)から、はるばる輸入しなければならなかった。象牙も同様に遠方からの貴重な輸入品だ。

つまりこの折りたたみ椅子は、「希少な材料を、高度な技術で、精緻に加工した」超高級品だったのだ。しかもそれが「折りたためる」という実用的な機能まで備えている。実用と工芸美の両立──これは3300年前にしては驚異的な達成だ。

序章の7つのレイヤーで言えば、この椅子は「家具」のレイヤーと「象徴」のレイヤーが一体になっている。座る道具であると同時に、王の富と権力と文化的洗練を体現するオブジェでもある。

ちなみに、折りたたみ椅子という形式自体は、エジプトが「発明」したものではないかもしれない。メソポタミアにも同様の構造のものがあった可能性がある。しかし、現存する最古の「完全な形の折りたたみ椅子」として、ツタンカーメンの墓のものは圧倒的な存在感を持っている。


獅子の脚が支えるベッド──家具に込められた守護の祈り

エジプトの家具で、もうひとつ特徴的なのが**寝台(ベッド)**だ。

ツタンカーメンの墓からは、複数の寝台が出土している。その多くに共通するのが、脚が動物の形をしていることだ。

最もよく使われたのはライオン(獅子)の脚だ。力強い前脚と後脚がベッドの四隅を支え、寝台全体がまるでライオンの背中に載っているように見える。ほかにも、雌牛の女神ハトホルの姿や、怪物「アメミット」の姿をした脚をもつ寝台もあった。

なぜ動物の脚なのか。

答えは、エジプト人の宗教観にある。眠りは死に似ている。夜に眠り、朝に目覚めること──それは、死んで来世で復活することの日々の予行演習だった。眠っているあいだ、人間は無防備になる。そのとき、獅子や女神の力が守護してくれる──そう信じられていたのだ。

つまり、ベッドの脚は単なるデザインではなく、**宗教的な護符(お守り)**でもあった。

これは「家具」と「象徴」のレイヤーが融合しているもうひとつの例だ。物理的に身体を支える「家具」としての機能と、精神的に安全を保証する「象徴」としての機能が、ひとつの物に同居している。

現代の私たちは、ベッドの脚に守護の祈りを込めることはしない。でも、寝室に「安らぐ雰囲気」を求めることはする。間接照明を選んだり、落ち着いた色の寝具を敷いたりする行為は、「眠る空間を安心できる場所にしたい」という欲求の表れだ。エジプト人がライオンの脚に託した願いと、根っこはつながっている。


副葬品としての家具──来世の「部屋」を整える

エジプトの家具工芸を語るうえで避けて通れないのが、なぜこれほど精巧な家具がお墓のなかに入れられていたのか、という問いだ。

古代エジプト人は、死後の世界を強烈にリアルなものとして信じていた。

人は死ぬと、魂は冥界の旅を経て、来世で復活する。復活したとき、この世で使っていたのと同じ道具や家具が必要になる──だからこそ、墓に家具を入れた。

これは「気持ちの問題」とか「象徴的な行為」ではない。エジプト人にとっては、来世の生活のための実際の準備だった。家具だけではない。食べ物、衣服、化粧品、ゲーム盤、楽器──生前の暮らしに必要なものは何でも墓に入れた。

ツタンカーメンの墓には4つの部屋があったが、そのうちのひとつ「副葬品の間」は、文字通り家具と道具で天井まで埋まっていた。ベッド、椅子、戦車、箱、つえ、ランプ、布。──これはもはや「墓」というよりも、引っ越しの荷物に近い。

「来世の室内を整える」──この発想は、インテリアの歴史においてきわめてユニークだ。

チャタル・ヒュユクの人々は死者を床の下に葬り、その上で暮らした(第2章)。あれは「死者が家のなかに留まる」という思想だった。エジプトはその逆で、「死者が新しい家に引っ越す」という思想だ。いずれにしても、生と死の境界に「室内空間」が深く関わっているという点では共通している。


3300年前の「カタログ」──家具の種類と機能

ツタンカーメンの墓に限らず、エジプトの墓や神殿から出土した家具、および壁画に描かれた家具から、古代エジプトの室内にどんな家具があったかをかなり詳しく知ることができる。

椅子。 背もたれがあり、4本の脚で支えられた構造は、現代の椅子と基本的に変わらない。王や高位の人物が座るものは華麗に装飾されたが、庶民が使うシンプルな木製スツールも出土している。ちなみに、古代エジプトは世界でもっとも早くから「椅子に座る文化」を発達させた地域のひとつだ。

ベッド。 先ほど述べた動物脚のベッドのほかに、比較的質素な木製のフレームだけのベッドもあった。マットレスの代わりに、リネンの布や草を巻いた詰め物が使われた。面白いのは、エジプトのベッドには枕がなく、代わりにヘッドレスト(頭を載せる台)が使われていたことだ。木や象牙でできた三日月型の台に首の後ろを載せて眠る。現代の感覚では寝にくそうに思えるが、暑い気候では頭を冷やす効果があったとも言われている。

箱・チェスト。 衣服、宝飾品、化粧品、文書などを収納する箱。エジプトの住居にはクローゼットや引き出し付きの棚はまだなく、収納はもっぱら箱に頼っていた。箱の外面は象嵌や彩色で美しく飾られることが多い。

テーブル。 食事用のテーブルは、脚が低く、食べ物を載せる台に近い形だった。椅子に座って食べることもあったが、床に近い低いテーブルを囲むスタイルも一般的だったようだ。

これらの家具を見て驚くのは、基本的なカテゴリーが現代とほとんど変わらないということだ。椅子、ベッド、テーブル、収納。家具のタイプは3300年前にすでに確立されていた。変わったのは素材と技術と装飾であって、「何のための道具か」という機能の分類は、ほぼ固まっていたのだ。


エジプトの木工技術──砂漠の国がなぜ木工大国に

エジプトは乾燥した砂漠の国だ。大きな木はナイルの河畔に限られ、良質な木材は慢性的に不足していた。

にもかかわらず、エジプトは古代世界屈指の木工技術を誇っていた。これは一見矛盾しているようだが、じつは「木材が少ないからこそ、技術が発達した」と考えることもできる。

入手できる木材が限られているなら、一片たりとも無駄にはできない。小さな木片を精密に組み合わせて大きな面をつくる技法──今日でいう接ぎ木(はぎ)──は、エジプトで高度に発展した。

ほぞ組み(木と木を凹凸で組み合わせる技法)も、古代エジプトの家具にすでに使われている。釘を使わずに部材を結合するこの技法は、のちの木工技術の基礎になった。

象嵌(ぞうがん)──木の表面に異なる素材(象牙、骨、貴石、ファイアンス、金属など)をはめ込む装飾技法──も、エジプトの職人たちが早くから磨いた技だ。黒檀の椅子に象牙の文様を嵌め込んだり、箱の表面に色とりどりのファイアンス(釉薬をかけた焼き物)のパーツで幾何学模様をつくったりしている。

さらに注目すべきは、金箔と金張りの技術だ。ツタンカーメンの黄金の玉座は、木製のフレームの上に金の薄板を張り、さらに色ガラスやカーネリアンなどの半貴石を嵌め込んでいる。構造体は木であり、金はあくまで表面の装飾だが、その仕上がりは「金でつくった椅子」としか見えない精密さだ。

これらの技術が示しているのは、3300年前のエジプトにすでに高度な分業体制と専門職人のネットワークが存在していたということだ。木を扱う職人、象牙を扱う職人、金を扱う職人、ファイアンスを焼く職人──それぞれの専門技術を統合して、ひとつの家具を仕上げる。この分業体制は、はるか後の時代、17〜18世紀パリの家具ギルドに見られるものと構造的に似ている(第14章で詳しく見る)。


庶民の室内──パピルスと泥煉瓦の住居に見る日常のインテリア

ツタンカーメンの墓の黄金の家具ばかりに目を奪われがちだが、古代エジプトにはもちろん庶民もいた。庶民のインテリアは、王のそれとはまるで違っていた。

ナイル川沿いの集落跡や、王墓の建設に従事した職人村の遺跡──とくにデイル・エル・メディーナ(ルクソール近郊の職人村)──からは、一般的な住居の構造がわかっている。

壁は日干し煉瓦。屋根はパピルスの茎や椰子の葉で葺かれていた。床は踏み固めた土。部屋は2〜4室の構成で、入口を入ると最初に「応接の間」があり、その奥に家族が暮らす居室、さらに奥にキッチンという配置が多かった。

注目すべきは、この「手前が公、奥が私」という配置だ。これは、第4章で見たアッシリアの宮殿の「謁見の間→私的区画」という構成と同じ原理であり、のちの中国の四合院の「いちばん奥が最も格が高い」という空間ヒエラルキーとも通じる。古代から、「玄関に近い場所が公的、奥まった場所が私的」という空間の使い分けが、文化を超えて共有されていたことがわかる。

庶民の家具は質素だった。木製のスツール、低いテーブル、ヘッドレスト、そして収納用の土器や籠。王族の家具に見られる象嵌や金箔とは無縁の、素朴な道具たち。しかし「椅子に座り、テーブルで食べ、ベッドで眠る」という生活スタイルは、富裕層とそう大きくは違わなかったようだ。

デイル・エル・メディーナの住居には、壁にニッチ(壁の小さなくぼみ)を設けて、そこに小さな祭壇をしつらえたものもある。日々の祈りを捧げる場所が、住居の壁のなかに組み込まれている。序章のレイヤーで言えば「壁」と「象徴」の融合であり、これもメソポタミアの宮殿レリーフと同じ構図だ──ただし、こちらは権力の誇示ではなく、個人の信仰のためのものだった。


家具が「永遠」を志向した文明

エジプトの家具工芸から読み取れる最大の特徴は、家具が「永遠」を志向していたことだ。

ふつう、家具は使っているうちに壊れ、捨てられ、忘れられる。現代の私たちだって、祖父母の代の家具をそのまま使い続けている人はそう多くないだろう。

しかしエジプト人は、家具を来世に持っていくためにつくった。つまり、永遠に使い続けることを前提にしたのだ。だからこそ最高の素材を使い、最高の技術を注ぎ、最高の装飾を施した。

この「永遠のための家具」という発想は、20世紀の「使い捨ての家具」(第29章で見るポップ・デザイン)とは、完全に正反対の価値観だ。歴史を通して見ると、人類は「家具を長く大切に使うか、消耗品として使い捨てるか」という問いに、時代ごとにまったく違う答えを出してきたことがわかる。

エジプトの答えは明確だった。家具は、生と死を超えて人とともにあるもの。だから最高のものをつくる。──その信念が、3300年の時を超えて、いまもカイロのエジプト博物館に輝いている。


壁画が語る「理想の室内」

最後にもうひとつ、エジプトのインテリアを知る手がかりがある。壁画だ。

エジプトの貴族の墓には、墓主の生前の生活を描いた壁画がしばしば描かれている。宴会の場面、狩りの場面、農作業の場面──そのなかに、室内の家具やしつらえが描かれていることがある。

たとえば、宴会の場面。椅子に座った主人の前に低いテーブルが置かれ、食べ物や花が積まれている。床にはロータス(蓮)の花が散らされ、香油のコーンが頭の上に載せられた客人たちがくつろいでいる。壁には花輪が飾られ、音楽を奏でる人々がいる。

これは「実際の宴会の記録」であると同時に、「来世でもこういう宴会をしたい」という願望の表現でもあった。壁画に描かれた室内は、現実の室内であると同時に、理想の室内でもある。

ここにも、エジプト人の独特の室内観が現れている。室内空間は、いま・ここの現実にとどまらない。それは来世にも延長され、壁画のなかにも投影される。室内という概念が、時間と空間の枠を超えて広がっている。


次の章では、エジプトと同じ時代に、はるか東のインダス川流域で、まったく異なる室内哲学を持った都市が栄えていた話をする。

エジプトが「永遠のための家具」に情熱を注いだのに対し、インダス文明は「全戸に排水設備」という、きわめて現実的な──しかし驚くべき──インフラに情熱を注いだ。

「美」と「衛生」。古代文明がインテリアに求めたものは、じつにさまざまだった。