第6章|下水道がインテリアを決めた
インダス文明の衛生都市
これまでの2つの章では、壁を巨大なメディアに変えたメソポタミアと、来世のために最高の家具をつくったエジプトを見てきた。
この章では、さらに東へ目を向ける。インダス川流域。現在のパキスタンとインド北西部にまたがる地域に、紀元前2600年頃から紀元前1900年頃にかけて繁栄した文明──インダス文明だ。
インダス文明の室内を語るキーワードは、壁でも家具でもない。水だ。
モヘンジョダロ(「死者の丘」を意味する名で呼ばれるこの都市の本当の名前は、まだわかっていない)の遺跡を発掘すると、驚くべきものが出てくる。すべての住居に排水口が設けられ、家庭排水は壁の中を通って外の下水道に流れ込む。その下水道は煉瓦で丁寧に組まれ、石板の蓋で覆われ、定期的に清掃できるように点検用の穴まで備えていた。
4000年以上前に、これだ。
比較してみよう。ヨーロッパの都市がこのレベルの下水道を整備したのは、19世紀になってからだ。中世のパリやロンドンでは、汚水を窓から路上に投げ捨てるのが普通だった。それに比べて、モヘンジョダロは4000年も先を行っていた。
「衛生インフラが室内のかたちを決めた」──このフレーズの意味を、これから解き明かしていく。
全戸にバスルームと排水口──「水回り」が標準装備だった住居
モヘンジョダロの住宅地区を発掘すると、中規模から大規模な住居が碁盤目状に並んでいるのが見つかる。
個々の住居を見ていこう。
典型的な住居は、中庭を囲んで部屋が配置される構造だった。これはメソポタミアの住居とも共通する形式で、のちの中国の四合院やイスラーム世界の住居にも受け継がれていく。中庭は光と風を室内に取り込む装置であると同時に、家族のプライベートな屋外空間でもあった。
驚くべきは、住居の一角に設けられたバスルーム(沐浴室)だ。
床が煉瓦で丁寧に舗装され、隅に排水口が設けられている。床はわずかに傾斜をつけてあり、水が自然に排水口へ流れるようになっている。排水口は壁のなかに設けられた排水管に接続し、家の外の下水道へとつながる。
現代の浴室と原理はまったく同じだ。床に傾斜をつけて排水口に水を導く──この設計上の知恵が、4000年以上前にすでに実践されていた。
しかも、このバスルームは一部の富裕層の住居だけのものではない。ほぼすべての住居に排水設備が備わっていたのだ。小規模な住居にも、何らかの形で排水口が設けられている。
さらに多くの住居には井戸もあった。モヘンジョダロ全体で700基以上の井戸が確認されており、これは住居数に対してきわめて高い密度だ。共同の井戸だけでなく、自宅に専用の井戸を持つ家も少なくなかった。
水を汲み、体を洗い、排水する──この「水の循環」が、モヘンジョダロの住居設計の根幹にあった。
序章の7つのレイヤーで見れば、ここでは「床」のレイヤーが衛生インフラと直結している。床の傾斜と排水口は、「踏む面」であると同時に「水を流す面」でもある。床が「衛生装置」として機能していた──この発想は、インダス文明に独特のものだ。
煉瓦の規格化──インテリアの「均質性」を支えた発明
モヘンジョダロの都市計画を支えたもうひとつの鍵が、煉瓦の規格化だ。
インダス文明で使われた煉瓦のサイズには、驚くべき統一性がある。標準的な煉瓦の比率は厚さ:幅:長さ=1:2:4。たとえば厚さ7cm×幅14cm×長さ28cmのように、常にこの比率が守られている。
この比率は、都市ごとに異なるサイズの煉瓦が使われていても維持されていた。つまり、1:2:4という「規格」が文明全体で共有されていたのだ。
なぜこの比率が重要なのか。
答えは「積みやすさ」にある。1:2:4の比率の煉瓦は、縦に積んでも横に積んでも、交互に組み合わせてもぴったり噛み合う。壁をまっすぐに、しかも頑丈に積むことができる。しかも異なるサイズの煉瓦でも比率が同じなら互換性がある。
この規格化は、室内空間にも大きな影響を与えた。
煉瓦のサイズが揃っていれば、壁の厚みが均一になる。壁が均一なら、部屋のサイズも予測しやすくなる。排水管の口径も規格に合わせてつくれる。──つまり、建材の規格化が、都市全体の建設効率と室内空間の均質性を同時に保証していたのだ。
これは、はるか後の時代に中国の『営造法式』が目指したもの(次の第7章で見る)や、20世紀のモダニズム建築が追求した「規格化による合理性」と、根底では同じ思想だ。
ただし、インダス文明の場合、これが「デザインの統一」だったのか「行政による管理」だったのか、あるいは「実用的な慣行が自然に広まった」だけなのかは、はっきりしていない。インダス文明の文字(インダス文字)はまだ解読されていないため、彼ら自身がこの規格化をどう認識していたかは、謎のままだ。
「大浴場」の謎──公共施設か、儀礼空間か
モヘンジョダロの遺跡でもっとも有名な構造物のひとつが、**「大浴場」**と呼ばれる施設だ。
長さ約12メートル、幅約7メートル、深さ約2.4メートルのプールが、精巧な煉瓦の構造体のなかに設けられている。プールの底と側面にはビチューメン(天然アスファルト)で防水処理が施され、水漏れを防いでいた。プールの周囲には回廊状の通路があり、その奥に小部屋が並んでいた。
この「大浴場」が何のための施設だったかについては、いまだに確定的な答えがない。
宗教的な沐浴の場だったという説が最も有力だ。ヒンドゥー教では川や池での沐浴が宗教的な浄化の行為として重要視されるが、その起源がインダス文明にまで遡るのではないか、という推測がある。大浴場は、儀礼的な清めの場だったかもしれない。
公衆浴場だったという説もある。のちのローマの公衆浴場(テルマエ)の先駆けとして、市民が集まって入浴する社交の場だった、というものだ。
穀物の浸水施設だったという、まったく別の解釈もある。
いずれにせよ、これだけの規模の水利施設を都市の中心部に築いたこと自体が、モヘンジョダロという都市が「水の管理」をいかに重要視していたかを物語っている。
個人の住居にバスルームと排水設備、そして都市の中心部に大規模な水利施設。──モヘンジョダロは、ミクロ(住居)からマクロ(都市)まで、一貫して「水」を中心に設計された都市だった。
衛生が室内を設計するとき
ここまで見てきたモヘンジョダロの室内を、ほかの古代文明と比べてみよう。
メソポタミアは「壁」で室内を語った。 壁面のレリーフが権力のメッセージを発信し、空間の体験を演出した。
エジプトは「家具」で室内を語った。 精巧な家具に宗教的信念と美意識を凝縮し、来世にまで持って行こうとした。
インダス文明は「インフラ」で室内を語った。 排水設備と規格化された煉瓦が、住居の設計を根底から規定した。
この違いは興味深い。メソポタミアやエジプトの室内は、「目に見えるもの」──壁の装飾や家具の美しさ──で記憶される。しかしモヘンジョダロの室内を特徴づけているのは、「目に見えにくいもの」──床の下の排水管、壁のなかの配管、地下の下水道──だ。
現代の住宅設計でも同じことが言える。おしゃれなキッチンや美しいリビングに目が行きがちだが、住み心地を本当に左右するのは、配管、換気、断熱、電気配線といった「見えないインフラ」だ。見た目は地味だけれど、これがダメだと暮らしは成り立たない。
インダス文明は、4000年以上前に「見えないインフラがインテリアの質を決める」という真理を、都市規模で実証していた。
「装飾」を重視しなかった文明
モヘンジョダロの室内には、もうひとつ顕著な特徴がある。装飾が少ないことだ。
アッシリアの宮殿のように壁面をレリーフで埋め尽くすこともなく、エジプトの墓のように壁画で部屋を飾ることもない。モヘンジョダロの住居の壁は、おおむね質素な煉瓦と漆喰だ。
これは「文化的に劣っていた」ということではない。インダス文明には精巧な印章、美しい彩色土器、見事な青銅器があり、工芸技術は決して低くなかった。にもかかわらず、住居の室内にその技術をあまり投入しなかったのだ。
なぜか。ひとつの仮説は、インダス文明が「個人の顕示」よりも「共同体の秩序」を重んじる社会だった可能性だ。
メソポタミアの宮殿は「この王がいかに偉いか」を見せつける空間だった。エジプトの副葬家具は「このファラオの来世がいかに豊かか」を保証する装置だった。どちらも「特定の個人の卓越性」を空間で表現している。
一方、モヘンジョダロの都市計画は、個人の突出よりも全体の均質性を志向しているように見える。碁盤目状の街路、規格化された煉瓦、全戸に行き渡った排水設備。──ここには「ひとりの王が支配する空間」ではなく、「全員にとって機能する空間」をつくろうとする意思が感じられる。
じつはモヘンジョダロからは、明確な「宮殿」や「王の墓」が見つかっていない。巨大な神殿も確認されていない。他の古代文明にはほぼ必ずある「圧倒的な権力者の空間」が、ここにはない──あるいは、まだ見つかっていない。これはインダス文明の大きな謎のひとつだ。
この「装飾ではなくインフラで室内の質を保証する」というアプローチは、ある意味では20世紀のモダニズム──装飾を排し、機能と合理性で空間を設計する思想──に通じるものがある。4000年前のインダス文明と100年前のモダニズム。時代も場所もまるで違うが、「装飾より機能」という設計哲学には、不思議な共鳴がある。
インダスの下水道が教えてくれること
モヘンジョダロの都市は、紀元前1900年頃から衰退し、やがて放棄された。原因はインダス川の流路変更、気候変動、あるいは洪水とも言われるが、確かなことはわかっていない。
都市が滅んだあと、このレベルの都市衛生インフラが再び実現されるまでには、数千年の時間が必要だった。
19世紀のロンドンで大規模な下水道が建設されたのは、1858年の「大悪臭(グレート・スティンク)」──テムズ川の汚染が議会の審議を中断させるほどの悪臭を放った事件──がきっかけだった。衛生が都市設計の最優先課題として認識されるまでに、ヨーロッパはそこまで待たなければならなかった。
モヘンジョダロは、それよりも4000年近く前に、答えを出していた。
「部屋の中を快適にするために必要なもの」のリストに、インダス文明は「衛生」を最上位に置いた。壁の装飾よりも、家具の美しさよりも、まず水が流れること。排水が詰まらないこと。床が清潔であること。──その優先順位は、現代の住宅設計に携わるすべての人にとって、今でも傾聴に値するものだ。
次の章では、インダス文明と同じ頃からさらに発展し続けた東アジアの大文明──中国──の室内を見る。中国の室内を特徴づけるのは、「マニュアル」と「ヒエラルキー」だ。建築のあらゆる規格を36巻に記録した『営造法式』、そして「いちばん奥の部屋がいちばん偉い」という空間の序列を明確に設計した四合院。
インダスが「インフラの均質性」で室内をつくったのに対し、中国は「文書化された規格」と「社会的序列の空間化」で室内をつくった。同じ「秩序」を志向しながらも、その実現方法がまったく異なる。
古代文明の室内の多様さは、まだまだ続く。