インテリアデザイン10万年史

洞窟の炉からスマートホームまで人類とインテリアの10万年の物語

第25章|ベークライトからFRPまで

合成樹脂がインテリアの「色」を変えた


1907年のある日。ニューヨーク州ヨンカーズ。

ハドソン川を見下ろす丘の上に、**「スナッグ・ロック」**と呼ばれる邸宅があった。庭の奥に建てられた小さな実験室で、44歳のベルギー人化学者が、フェノールとホルムアルデヒドを混ぜた液体を蒸気圧力釜に入れて加熱していた。

化学者の名はレオ・ヘンドリック・ベークランド

この邸宅は、彼が写真用印画紙「ヴェロックス」の特許をコダック社のジョージ・イーストマンに売却して得た約75万ドルで購入したものだった。売却契約には20年間の写真分野での競業避止条項がついていたため、ベークランドは研究対象を合成樹脂に変えていた。

圧力釜のなかで起きていたのは、フェノール(石炭酸)とホルムアルデヒドの縮合反応だ。19世紀末から多くの化学者がこの反応を研究していたが、制御が難しく、実用的な素材は得られていなかった。ベークランドは温度と圧力と触媒の量を精密に調整することで、ついに安定した固体樹脂を得ることに成功した。

彼が特許を出願したのは1907年7月13日

じつは、そのわずか1日後──7月14日──に、イギリスの技術者ジェイムズ・スウィンバーンがほぼ同じ内容の特許を出願している。1日の差が、歴史を分けた。

ベークランドの米国特許は1909年12月7日に登録された。そして1909年2月8日、ニューヨークのアメリカ化学会で、彼はこの新素材を公式に発表した。

その名は、発明者の姓にちなんで──ベークライト(Bakelite)

世界初の完全合成プラスチックが、ここに誕生した。


「千の用途を持つ素材」

ベークランドが実験に使った蒸気圧力釜──通称**「ベークライザー(Bakelizer)」**、あだ名は「オールド・フェイスフル(忠実なる老兵)」──は幅89センチ、奥行き102センチ、高さ約183センチの鉄の箱だ。現在はスミソニアン国立アメリカ歴史博物館に収蔵されている(1993年11月9日、アメリカ化学会により「国家歴史的化学ランドマーク」に指定)。

ベークライト社の広報担当アラン・ブラウンは、この素材に**「千の用途を持つ素材(Material of a Thousand Uses)」というキャッチフレーズをつけた。実際、ベークランドの死去時点で、ベークライトを使った製品は15,000種類以上に達し、世界の年間生産量は約17万5,000トン**にのぼっていた。

では、この「千の用途」とは何だったのか。室内空間に関係するものだけでも、その広がりは驚くべきものだ。

電気スイッチ。 ベークライトは電気を通さず、熱にも強い。1920年代から1960年代まで、家庭の壁についたスイッチのほとんどはベークライト製だった。毎日何度も指で押す、あの小さなスイッチ。それが合成樹脂との最初の「触れ合い」だった人は多いだろう。

ラジオの筐体。 1920年代から1930年代、ラジオは家庭の「情報センター」であると同時にリビングの主役級のインテリアだった。フィルコ・モデル444、エコAD36──流線型のベークライト製ラジオキャビネットは、アール・デコ・デザインの象徴になった。

電話機。 ウエスタン・エレクトリック社のベークライト製電話機(1934年頃のType 232)は、ステータスシンボルでもあった。黒光りする受話器を耳に当てる姿は、映画や雑誌のなかで「モダンな暮らし」の記号として機能した。

台所用品、カメラ、自動車部品。 さらには1936年に就航した豪華客船クイーン・メリー号の壁面パネルにまで、ベークライトは使われた。


暗い色の呪縛──なぜベークライトは黒かったのか

しかし、ベークライトには致命的な弱点があった。

色が暗い。

純粋なベークライト樹脂は、じつは美しい琥珀色をしている。だが、樹脂だけでは脆すぎて実用に耐えない。強度を出すためには、木粉やおがくず、場合によってはアスベスト繊維などの**充填材(フィラー)**を混ぜる必要があった。

充填材は不透明で、色がまちまちだ。この雑多な充填材の色を隠すために、暗い色の顔料で覆い隠す必要があった。その結果、初期のベークライト製品のカラーパレットは黒、茶、赤、黄、緑、灰、青と、そのブレンドに限られた。

鮮やかなピンクや淡いパステルブルーは、ベークライトでは不可能だったのだ。

1927年、ベークライトの基本特許が失効すると、アメリカン・カタリン社がドイツの化学者が開発した新しい製法を導入した。充填材を使わない透明な樹脂が可能になり、15色以上の新しいカラーバリエーションが実現した。半透明の宝石のような質感を持つカタリン樹脂は、ジュエリーやポーカーチップ、装飾品に使われた。

しかし、ベークライトとカタリンの色彩は、まだ「室内の色」を根本的に変えるほどの自由度は持っていなかった。石・木・金属の時代から大きく踏み出すには、さらに多くのプラスチックの登場を待たねばならない。


ポリマーの系譜──室内に「色」が来た

ベークライト以前から以後にかけて、合成樹脂は次々と発明されていった。それぞれの新素材が、室内に使える色の範囲を一段ずつ広げていった。その系譜をたどろう。


セルロイド(1855年〜1870年)──最初の半合成プラスチック。

1855年、バーミンガムのアレクサンダー・パークスが植物繊維(セルロース)を硝酸で処理して可塑性のある素材をつくり、1862年のロンドン万博で銅メダルを獲得した。「パーケシン」と名づけられたこの素材は、のちにアメリカのジョン・ウェズリー・ハイアットが改良した。ハイアットの動機は、象牙のビリヤードボールの代替品に1万ドルの懸賞金がかけられていたことだった。弟のアイザイアが1872年に「セルロイド」と命名。

セルロイドは象牙やべっ甲の模造品として普及した──つまり、最初のプラスチックは「本物のふり」をする素材だった。「フレンチ・アイボリー」「パリジャン・アイボリー」といった商品名が、その出自を物語っている。


ポリスチレン(1839年/1930年代)──透明と発泡の二刀流。

1839年、ドイツの薬剤師エドゥアルト・ジーモンが石油からスチレンを発見。IG・ファルベン社がルートヴィヒスハーフェンの工場で1931年頃に商業生産を開始し、ダウ・ケミカルが1937年にアメリカに導入した。1944年にはレイ・マッキンタイアが偶然「スタイロフォーム」を発見──断熱材として建築の世界に革命を起こすことになる。


アクリル/プレキシガラス(1928年〜1933年)──ガラスのように透明な樹脂。

オットー・レームの1901年の博士論文に端を発するアクリル樹脂は、レーム&ハース社によって1933年8月9日に**「プレキシガラス」**の商標登録を受けた。イギリスのICIは「パースペックス」、デュポンは「ルーサイト」のブランドで展開。完全な透明性を持つこの素材は、デザインの可能性を一変させた。第二次世界大戦中は航空機のキャノピーや銃座の防護窓として重要な軍事物資となった。


ポリエチレン(1933年/1939年)──偶然の発見がもたらした万能素材。

1933年3月27日、イギリスICIの化学者エリック・フォーセットとレジナルド・ギブソンが、実験中に偶然わずか0.2グラムの白い蝋状物質を得た。これがポリエチレンだった。マイケル・ペリンが1935年に再現可能な合成法を確立し、1938年12月に最初の1トンが製造された。戦時中のイギリスはポリエチレンを軍事機密に指定した──レーダーの絶縁材として不可欠だったからだ。


ナイロン(1935年)──「鉱物王国からの最初の人造有機繊維」。

デュポン社の化学者ウォレス・カロザース1935年2月28日に最初のナイロンを合成した。デュポンは1938年10月27日に公式発表し、「鋼鉄のように強く、クモの糸のように細い」と形容した。しかしカロザースは発表の16か月前──1937年4月29日──に、41歳で自ら命を絶っている。ナイロンはストッキングから始まり、やがてカーペットや家具の張地として室内にも浸透していく。


メラミン(1938年)──キッチンに色を届けた樹脂。

アメリカン・シアナミド社のメラミン熱硬化樹脂は、フォーマイカ社の手でカラフルで耐久性のあるラミネートに加工された。戦後のアメリカのキッチンを彩ったカウンタートップは、メラミン・ラミネートなしには存在しなかった。鮮やかな色のキッチンカウンター──それは1950年代アメリカの「明るい暮らし」の象徴だった。


ポリプロピレン(1954年)──最後のピースがはまる。

イタリアの化学者ジュリオ・ナッタがアイソタクチック・ポリプロピレンの合成に成功し、ドイツのカール・ツィーグラーとともに1963年のノーベル化学賞を受賞した。このナッタの教え子のひとりが、のちに家具メーカーカルテルを創業するジュリオ・カステッリだった。

ポリプロピレンは射出成形に適し、色の自由度が高く、耐久性に優れ、コストが安い。イームズのFRPシェルチェアの後継素材となったのも、このポリプロピレンだ。


「模造品」から「プラスチックそのもの」へ

ここで立ち止まって、合成樹脂の歴史に流れるひとつの大きな転換に注目しよう。

初期のプラスチックは、すべて**「何かの代わり」**だった。

セルロイドは象牙の代わり。ベークライトは漆器やウォールナットの木目を模して成形された。「フレンチ・アイボリー」「パリジャン・アイボリー」という商品名が示すように、プラスチックとは「本物に見せかける安い素材」だった。

フランスの思想家ロラン・バルトは1957年のエッセイ「プラスチック」(『神話作用』所収)で、この素材の両義性を鋭く観察した。バルトにとって、プラスチックは「ゴムの過剰さと金属の冷たい硬さのあいだで迷子になった、格を落とされた素材」だった。しかし同時に、彼はこうも予言した。「素材のヒエラルキーが消滅した。ひとつの素材がすべてに取って代わる。世界全体がプラスチック化されうるのだ。」

この予言が現実になるのが、1960年代だ。

デザイン史家のペニー・スパークは、1960年代のプラスチックが「ほかの何よりもポップ・カルチャーの思想を象徴する素材としての根本的重要性を獲得した」と指摘する。プラスチックは「本物のふり」をやめ、プラスチックであること自体を誇る素材に変わった。


カルテル、コロンボ、パントン──プラスチックの美学を確立した3つの名前

カルテル。

1949年、ミラノ近郊ノヴィーリオで、化学エンジニアのジュリオ・カステッリと建築家のアンナ・カステッリ・フェリエーリが創業した。自動車部品からスタートし、1964年にマルコ・ザヌーゾとリチャード・サッパーがデザインしたK4999/K1340子ども用椅子を発売。世界初のプラスチック製椅子だった。1967年にはアンナ・カステッリ・フェリエーリの**「コンポニビリ」**──円筒形のモジュラー収納──が発売された。この製品は半世紀以上経った今も生産され続けている。

ジョー・コロンボ。

1930年ミラノ生まれ、1971年に41歳で夭折した天才。1965年にデザインしたユニヴァーサル・チェア(モデル4867)は、カルテルが1967年に製造を開始したABS樹脂の射出成形による世界初の成人用一体成形プラスチック椅子だ。MoMAの記録では寸法は約73.7×41.9×47.0センチ、座面高約43センチ。モジュラー構造でスタッキングも可能。プラスチックが持つ「民主的なポテンシャル」を体現した一脚だった。

ヴェルナー・パントン。

1926年デンマーク生まれ。パントンの夢は、「床から生えてくるような」家具──4本の脚を持たず、ひとつの素材で一体成形された椅子をつくることだった。

1956年から1959年にかけてスケッチを描き、1960年に石膏の原型を完成。スイスのヴィトラ社(創業者ヴィリ・フェールバウムと技術者マンフレート・ディーボルト)との長年にわたる開発の末、1967年8月、ケルン家具見本市で最初のパイロットシリーズ150脚が発表された。コールドプレスのガラス繊維強化ポリエステル製で、手作業で仕上げ・塗装された。1968年には硬質ポリウレタンフォームによる量産が、1971年には熱可塑性ポリスチレンの射出成形が始まった。

初期の小売価格は約75ドル。現在、MoMA、メトロポリタン美術館、ヴィトラ・デザイン・ミュージアムの永久コレクションに収蔵されている。

パントンはこう語った。「ほとんどの人は退屈なベージュ色の画一性のなかで暮らしていて、色を使うことを恐れている。私の仕事の主な目的は、人々を挑発して想像力を使わせ、周囲の環境をもっと刺激的にすることだ。」

「床から生えてくるような家具」──この言葉は、プラスチックの本質を突いている。木には木目がある。金属には接合の痕跡がある。しかしプラスチックは、継ぎ目のない一体の「面」を自由につくれる。パントンチェアのS字カーブは、座面と脚がひとつの連続した面で構成されている。組み立てが不要。接合部がない。──プラスチックという素材でしか実現できない形だ。


「第四の素材群」が室内を変えた

この章で追ってきた合成樹脂の歴史を、インテリアの視点から整理しよう。

人類が室内に使ってきた素材は、大きく3つだった。石、木、金属。

石は重く、色は限られ、加工が難しい。木は温かいが、自然の色と木目に縛られる。金属は強いが冷たく、色はメッキや塗装に依存する。

合成樹脂は、この3つすべての制約を超えた。

形の自由。 射出成形やプレス成形で、どんな曲面でもつくれる。パントンチェアのS字カーブも、コロンボのユニヴァーサルチェアのモジュラー構造も、木や金属では実現できなかった。

色の自由。 顔料を樹脂に混ぜるだけで、どんな色でも出せる。表面の塗装ではなく、素材そのものが色を持つ。剥げない、褪せにくい、均一な色。ベークライトの「黒と茶」から始まった合成樹脂のパレットは、1960年代にはほぼ無限に広がった。

コストの自由。 金型さえあれば、1脚目も1万脚目も同じ品質で量産できる。イームズのFRPシェルが「安くて美しい」を実現できたのは、この経済原理があったからだ。

石・木・金属に続く**「第四の素材群」**が室内に加わったことで、20世紀のインテリアは根底から変わった。家具の色、家電の色、壁面パネルの色、床材の色。──合成樹脂が持ち込んだ「色の自由」は、室内空間の表情を一変させた。


第3幕を閉じる──素材が変われば、空間が変わる

第3幕では、戦争が加速した素材革命を追いかけてきた。

イームズ夫妻は、寝室の手づくり装置「カザム!」から出発して、15万本の軍用副木をつくり、成形合板で「クッションなしの快適性」を発明し、FRPシェルで「安くて美しい」家具を世界に届けた。ベークライトに始まる合成樹脂の歴史は、室内に使える「色」のパレットを劇的に拡大した。

しかし、素材の革命はそれだけでは終わらない。

新しい素材は、新しい「形」を可能にする。新しい形は、新しい「空間の思想」を生み出す。そして空間の思想は、しばしば一脚の椅子に凝縮される。

第4幕では、20世紀が生んだ「名作チェア」たちを一堂に集め、なぜ20世紀がこれほど「椅子の世紀」になったのかを読み解く。バルセロナ・チェア、スツール60、セブンチェア、パントンチェア──それぞれの椅子が、室内空間にどんな「メッセージ」を持ち込んだのか。

椅子の黄金時代。──第4幕で、その物語に入ろう。