第26章|なぜ20世紀は「椅子の世紀」になったのか
空間の思想を一脚に凝縮する
1929年5月、バルセロナ万国博覧会の開会式。
ドイツ館の設計を任されたミース・ファン・デル・ローエは、ひとつの問題に直面していた。開会式にスペイン国王アルフォンソ13世と王妃ビクトリア・エウヘニアが臨席する。王族が座る椅子が必要だ。
しかし、ありあわせの椅子では済まない。大理石とガラスと鉄だけで構成された、あの革命的な空間(第18章で見たバルセロナ・パビリオン)にふさわしい椅子でなければならない。ミースはこう考えた。「記念碑的でなければならない。台所の椅子を使うわけにはいかないのだ。」
こうして生まれたのが、バルセロナ・チェア──20世紀で最も有名な椅子のひとつだ。
ところが、開会式で国王夫妻が実際にこの椅子に座ったかどうかには異説がある。「座ることはなかった」とする説が有力だ。王のために設計された椅子に、王は座らなかった。しかしこの椅子は、その後100年近くにわたって世界中のロビーやオフィスに置かれ続けている。
この逆説が、20世紀の椅子の本質を物語っている。椅子は「座るための道具」であることを超えて、「空間を定義する装置」になった。
建築家はなぜ椅子をデザインするのか
20世紀の名だたる建築家──ミース、ル・コルビュジエ、アアルト、ヤコブセン、サーリネン──は、なぜ揃いも揃って椅子をデザインしたのだろうか。
理由は大きく3つある。
ひとつ目は、椅子が建築の縮図であること。建物を設計するのと同じ原理──構造、素材、人間の身体との関係、美的判断──が、椅子の設計にもすべて求められる。ある建築史家はこう指摘している。「建築家にとって椅子は、自分のデザイナーとしての資質を、建築よりもずっと多くの人に見せられる方法なのです。」
ふたつ目は、椅子が最も親密なスケールの建築であること。建築は何百人もの人間を収容するが、椅子はたったひとりの身体と向き合う。座面の角度1度、背もたれの曲率1ミリが、座る人の快適さを左右する。
みっつ目は、**ゲザムトクンストヴェルク(総合芸術作品)**の伝統だ。建築の外観から室内の家具、食器、ドアハンドルまで、すべてをひとつの思想で統一する。この発想は19世紀のアーツ&クラフツ運動に遡るが、20世紀にはヤコブセンのSASロイヤルホテルのような極端な例に到達した。
では、20世紀を代表する10脚の名作椅子を、年代順に見ていこう。それぞれの椅子が、室内空間にどんな「メッセージ」を持ち込んだのかを読み解いていく。
① レッド&ブルー・チェア(1918年)── 絵画が立ち上がった
設計者: ヘリット・リートフェルト 寸法: 高さ88センチ、幅65.5センチ、奥行き83センチ、座面高33センチ 素材: ブナ材の角棒13本+矩形の肘掛け2本、合板の座面(青)と背もたれ(赤)
オランダの家具職人リートフェルトが1917年から1918年にかけてデザインしたこの椅子は、もともとは無塗装だった。1923年頃、デ・ステイル運動の仲間であるバート・ファン・デル・レックの提案で、あの鮮烈な色彩が加わった。黒いフレームに、赤い背もたれ、青い座面、そして角棒の先端だけが黄色に塗られる。
ピエト・モンドリアンの抽象絵画が、そのまま三次元の空間に立ち上がったような椅子だ。
伝統的なクラブチェアを極限まで分解し、2枚の合板+15本の連結棒にまで還元した。金属のネジは一本も使わず、すべて木の接合で組み上げられている。座面と背もたれはフレームの上に浮いているように見える。構造体を隠すのではなく、むき出しにすることで空間を可視化する──この発想は、バウハウスのブロイヤーやミースに直接影響を与えた。
リートフェルトは椅子の裏面にこう書き残した。「座っているとき、私は(休んでいるの)ではない……」。この椅子は身体の安楽よりも、精神の覚醒を求めている。
室内へのメッセージ: 家具は「空間を構成する要素」であり、部屋の中に置かれた抽象芸術である。
② ワシリーチェア(1925年)── 空気のなかに線を引く
設計者: マルセル・ブロイヤー 寸法: 高さ73センチ、幅78.7センチ、奥行き68.6センチ、座面高42センチ 素材: 継ぎ目なしクロムメッキ鋼管、革またはキャンバス
第22章で詳しく見たこの椅子は、自転車のハンドルバーから着想を得た世界初の鋼管家具だった。ブロイヤー自身がこう語っている。「これは私の最も極端な作品だ。外観においても素材の使い方においても。最も芸術的でなく、最も論理的で、最も『居心地のよくない』、最も機械的な作品だ。」
「ワシリー」という名前はのちにイタリアのメーカー、ガヴィーナが復刻する際につけたもので、バウハウスの同僚だったカンディンスキーにちなんでいる。カンディンスキー本人のために設計されたわけではない。
室内へのメッセージ: 工業素材は室内に侵入できる。そして、椅子は「面」ではなく「線」でもつくれる。
③ LC2 グラン・コンフォール(1928年)── 籠のなかのクッション
設計者: ル・コルビュジエ、ピエール・ジャンヌレ、シャルロット・ペリアン 寸法: 高さ67センチ、幅76センチ、奥行き70センチ、座面高48センチ 素材: クロムメッキ鋼管のフレーム、革クッション
ル・コルビュジエのアトリエに入ろうとした若きシャルロット・ペリアンは、最初こう断られた。「うちではクッションに刺繍はしませんよ。」 しかしペリアンがデザインしたクロム家具の展示を見たコルビュジエは、すぐに彼女を雇い入れた。
LC2の革新は、伝統的なソファの構造をひっくり返したことにある。従来のソファは、木のフレームをクッションの「内側」に隠していた。LC2は鋼管のフレームをクッションの「外側」に出した。フレームがクッションを籠のように抱え込んでいる。設計者たちはこれを**「クッションの籠」**と呼んだ。
ル・コルビュジエは家を「住むための機械」と呼んだが、家具は「住まいの設備」だと考えた。LC2は「快適な椅子」であると同時に、機械時代の美学を体現する「設備」でもあった。
室内へのメッセージ: 構造を隠すのではなく見せること。それが近代の誠実さだ。
④ バルセロナ・チェア(1929年)── 古代の玉座を鋼で再発明する
設計者: ミース・ファン・デル・ローエ、リリー・ライヒ 寸法: 高さ76.8センチ、幅75センチ、奥行き76.2センチ、座面高43.2センチ 素材: クロムメッキ鋼管フレーム、40枚の革パネルを手作業で裁断・縫製、17本の革ストラップ
このパビリオンの話をするとき、もうひとりの設計者の名を忘れてはいけない。第18章で触れたリリー・ライヒだ。彼女はバルセロナ万博のドイツセクション全体の芸術監督として、ミースと同等の立場で参加していた。
バルセロナ・チェアのデザインの源泉は古い。古代ローマの執政官椅子(セラ・クルリス)──X字に交差する脚を持つ折りたたみ式の権威の象徴──を、20世紀の工業素材で再解釈している。一見シンプルに見えるが、製造には高度な手仕事が必要だ。40枚の革パネルを手で裁断し、縫製する。「工業的に見える手仕事」──モダニズムの逆説がここにもある。
1929年のオリジナルはボルト接合のクロムメッキ鋼フレームに象牙色の豚革を張ったものだった。1950年の再設計で、フレームはシームレス溶接のステンレス鋼に変更され、革も牛革に変わった。製造権は1953年にノール社に付与され、1990年代半ばからはコピー品対策として右後脚にミースのサインが刻印されている。
室内へのメッセージ: モダンな素材で古典の権威を再構成する。装飾なしでも、椅子は空間の中で「彫刻」として存在できる。
⑤ スツール60(1933年)── 柱の妹
設計者: アルヴァ・アアルト 寸法: 高さ44センチ、座面直径38センチ、重さ6.8キロ 素材: 白樺の曲げ木、L字脚
アアルトはこの脚を**「建築の柱の妹」と呼んだ。フィンランドの白樺に平行な複数の切れ込みを入れ、そこに薄い突板を差し込んで接着し、熱と圧力で90度に曲げる。この「L字脚」の特許は1933年11月8日**にイギリスで最初に出願された。
この技術だけで50種類以上の製品が生まれた。スツール60はそのなかでも最もシンプルで、最も多く売れた。1933年の発売以来、数百万脚が世界中で販売されている。フィンランドのトゥルクにある工場で、現在も42の工程を経て製造されている。
1935年、アアルトは妻アイノ、マイレ・グリクセン、ニルス=グスタフ・ハールとともにアルテックを設立した。社名は「art(芸術)」と「technology(技術)」の合成語だ。
スツール60が特別なのは、その「無名性」にある。椅子としてもテーブルとしても踏み台としても使える。積み重ねて収納できる。色を塗り替えれば別の表情になる。個人の表現ではなく、使う人の生活に溶け込む道具。──ウィリアム・モリスが夢見た「すべての人のための美」に、アアルトは白樺の木で最も近づいた。
室内へのメッセージ: 木の温もりとモダニズムは矛盾しない。シンプルであることは、豊かであることだ。
⑥ チューリップチェア(1956年)── 脚のスラムを一掃する
設計者: エーロ・サーリネン 寸法: 高さ81センチ、幅66センチ(アームチェア)、奥行き59センチ、座面高45.7センチ 素材: FRP成形シェル、アルミダイカスト脚
サーリネンの有名な一言がある。「一般的な室内の椅子やテーブルの脚まわりは、醜くて混乱した、落ち着きのない世界をつくっている。私はこの脚のスラムを一掃したかった。椅子をもう一度、ひとつのものにしたかった。」
彫刻を学んだサーリネンは、開発に5年をかけた。何百枚ものスケッチ、4分の1スケールの模型、ドールハウスサイズの模型部屋、そして実寸の粘土模型。最終的に「選択は彫刻家の選択になる」と語っている。
技術的な妥協もあった。本当はFRPの一体成形で椅子全体をつくりたかったが、脚の部分の強度が足りず、試作品が折れてしまった。アルミの脚は妥協の産物だ。しかしこの妥協が、あの優雅なペデスタル(台座)脚を生んだ。
室内へのメッセージ: 椅子から「4本の脚」という前提を取り除くと、空間の足元がすっきりする。家具のシルエットが空間の印象を決める。
⑦ スーパーレッジェーラ(1957年)── 究極の軽さ
設計者: ジオ・ポンティ 寸法: 高さ83センチ、幅41センチ、奥行き45センチ、座面高46センチ 重さ: わずか1.7キロ 素材: トネリコ材、三角形断面の脚(各辺わずか18ミリ)、手編みインド藤の座面
ポンティはこう語っている。「スーパーレッジェーラの創作にあたって、私は永遠の技術の法則に従った。重いものから軽いものへ向かうこと。不活性な物質と重量を取り除くこと。形を構造と極限まで一致させること。」
リグーリア海岸のキアヴァリ地方に伝わる伝統的な軽量椅子にインスピレーションを得て、1951年にまず「レッジェーラ(軽い)」を制作。カッシーナとの提携を経て、1957年に究極版「スーパーレッジェーラ(超軽い)」が完成した。
広告では、モデルが指一本で椅子を持ち上げている写真が使われた。ポンティ自身は、耐久性を証明するためにアパートの4階の窓から椅子を投げ落としたという。椅子は壊れずに跳ね返った。
室内へのメッセージ: 椅子は軽ければ軽いほどいい。形を構造と一致させれば、必要なものだけが残る。
⑧ エッグチェア(1958年)── ホテルのロビーに置かれた彫刻
設計者: アルネ・ヤコブセン 寸法: 高さ107センチ、幅86センチ、奥行き79〜95センチ、座面高37センチ 素材: 硬質ポリウレタンフォーム+ガラス繊維のシェル、サテン仕上げアルミ脚、手縫いの布張り
ヤコブセンがSASロイヤルホテルのためにデザインしたこの椅子は、広いロビーのなかに「自分だけの居場所」をつくる装置だった。卵の殻のような包み込む形は、座った人のまわりに親密な空間を生み出す。
完璧主義者だったヤコブセンは、自宅で絵画の位置を決めるために家族に何時間もフレームを持たせ続けたという。ある時、彼はこう漏らした。「私は美学に窒息しそうだ。」
SASロイヤルホテルの606号室は、今もオリジナルの内装のまま保存されている。建築、家具、カーテン、灰皿、カトラリーまで、ヤコブセンの「すべてをデザインする」思想を体感できるタイムカプセルだ。
室内へのメッセージ: 椅子は空間のなかに「もうひとつの空間」をつくれる。
⑨ イームズ・ラウンジチェア(1956年)── 使い込んだグローブの温もり
設計者: チャールズ&レイ・イームズ 寸法: 高さ80センチ、幅85センチ、奥行き89センチ、座面高40.6センチ 素材: 7層の成形合板シェル、プレミアムレザー、ダイカストアルミの脚、天然ゴムのショックマウント
チャールズ・イームズはこの椅子の目標をこう語った。「使い込まれた一塁手のミットのような、温かく、受け止めてくれる雰囲気。」 革のクッションには最初からシワが入っているが、それは「これからの快適さを予告する手がかり」だという。
完成した椅子を見たレイ・イームズは、**「快適で、デザインっぽくない」**と言った。これは最高の褒め言葉だ。
最初の一脚は、映画監督ビリー・ワイルダーへの誕生日プレゼントだった。1956年にハーマンミラーから発売されて以来、一度も生産が中断されていない。ミシガン州ジーランドの工場で、今も手作業で組み立てられている。
室内へのメッセージ: モダンであることと温かいことは両立する。最高のデザインは「デザインっぽくない」。
⑩ パントンチェア(1967年)── 床から生えてくる椅子
設計者: ヴェルナー・パントン 寸法: 高さ83〜86センチ、幅50センチ、奥行き60センチ、座面高41.5〜43.5センチ 素材: 初期はガラス繊維強化ポリエステル → 硬質ポリウレタン → ポリスチレン → 現行はポリプロピレン
パントンはこう語った。「ほとんどの人は退屈なベージュ色の画一性のなかで暮らしていて、色を使うことを恐れている。私の仕事の主な目的は、人々を挑発して想像力を使わせ、周囲の環境をもっと刺激的にすることだ。」
そしてもうひとつ、こうも言っている。「家具を床から生えてくるようなものにしたい。家具を有機的なものに変え、4本の脚など決して持たないものにしたい。」
第25章で触れたように、この椅子は世界初の一体成形プラスチック椅子だ。座面と脚が途切れることなくひとつのS字カーブを描く。組み立て不要。接合部なし。プラスチックという素材でなければ実現できない形だった。
1959年から構想を始め、スイスのヴィトラ社と長年にわたる開発を経て、1967年8月のケルン家具見本市で初公開された。量産に耐える素材を見つけるまでに8年かかった。
室内へのメッセージ: 椅子は4本の脚という前提から完全に自由になれる。そして色こそが、室内を変える最大の武器だ。
10脚が教えてくれること
10脚の椅子を並べてみると、20世紀の室内空間の歴史がそのまま見えてくる。
最初の3脚──レッド&ブルー(1918年)、ワシリー(1925年)、LC2(1928年)──は、**「構造を見せる」**という革命だった。それまで家具のフレームは布やクッションの下に隠されていた。モダニズムはそれをむき出しにし、構造そのものを美にした。
次の3脚──バルセロナ(1929年)、スツール60(1933年)、チューリップ(1956年)──は、**「形を極限まで削ぎ落とす」**競争だった。X字の脚、L字の曲げ木、一本脚の台座。要素を減らすほど、残ったものの緊張感が増す。
そして最後の4脚──スーパーレッジェーラ(1957年)、エッグ(1958年)、イームズ・ラウンジ(1956年)、パントン(1967年)──は、**「人間の身体に寄り添う」**方向への回帰だ。軽さ、包み込む形、温もり、色。モダニズムの「冷たさ」への反省が、椅子のかたちを変えていった。
構造の露出 → 形の純化 → 身体への回帰。
この流れは、20世紀の室内空間全体の歴史とぴたりと重なる。椅子は室内の「縮図」だった。だからこそ、建築家たちは椅子に賭けたのだ。
北欧という「もうひとつの道」
しかし、ここまで見てきた10脚のなかに、ひとつの偏りがあることに気づくだろう。
アアルトを除けば、ほとんどが「バウハウスの系譜」に連なるデザインだ。鋼管、コンクリート、FRP、プラスチック──工業素材を使い、工業生産で量産する。
ところが20世紀には、これとはまったく違う流れがあった。
木と手仕事で、モダニズムを実現する。 冷たい鋼管ではなく、温かい白樺やオーク。機械の精度ではなく、職人の手の感覚。工業生産と手仕事を対立させるのではなく、幸福に結婚させる。
その道を切り拓いたのが、北欧のデザイナーたちだった。
次の章で、その物語に入ろう。