インテリアデザイン10万年史

洞窟の炉からスマートホームまで人類とインテリアの10万年の物語

第1幕:空間の解放 ── モダニズムが室内を変えた原理

ル・コルビュジエの「自由な平面」、ミースの素材美学、そして「Less is More」の光と影


1927年7月23日。シュトゥットガルトの丘の上で、ある展覧会が開幕した。

ヴァイセンホーフ・ジードルング──「住居」展と名づけられたこの催しは、ヨーロッパ中から集められた17人の建築家が、実際に住める住宅を丘の上に建てて見せるという、前代未聞の展覧会だった。来場者数、50万人以上

その丘の一角に、白い箱のような住宅が建っていた。設計者はル・コルビュジエ。壁にはファサードを白・青・オレンジ・緑に塗り分けた鮮烈な色彩。内部に入ると、間仕切りが自由に動く。──壁が、柱ではなくなっていた。

この「壁が柱ではなくなる」という、ただそれだけのことが、数千年にわたる室内空間の歴史を根底から覆した。


3つの革命、3つの章

第1幕では、20世紀前半に起きた室内空間の革命を3つの視点から追いかける。

第17章は「構造の革命」だ。 ル・コルビュジエが1927年に発表した「近代建築の五原則」は、壁を構造体から解放した。壁が建物を支えなくてよくなれば、間仕切りは好きな場所に置ける。窓は水平に連続させられる。部屋の奥まで光が届く。サヴォア邸に実装されたこの原則は、「部屋は壁で区切られた箱」という人類最古の前提を打ち砕いた。

第18章は「素材の革命」だ。 1929年、ミース・ファン・デル・ローエがバルセロナ万博で建てたパビリオンは、装飾を一切加えなかった。代わりに、ローマ産トラバーチン、モロッコ産オニキス、ギリシャ産緑大理石、クロムメッキの鉄柱、そしてガラス──素材そのものの美しさだけで空間をつくった。たった半年で解体されたこの建物は、「装飾なしの豊かさ」という逆説を証明した。

第19章は「矛盾の発見」だ。 モダニズムの室内は革命的だったが、完璧ではなかった。サヴォア邸は雨漏りし、ファンズワース邸はプライバシーがなく、「装飾は犯罪である」という思想は人間の「飾りたい」本能を無視していた。この矛盾への気づきが、のちのポストモダンを準備する。


前の時代との断絶

第Ⅳ部で見てきた19世紀末のインテリアは、「量産 vs 手仕事」の対立に揺れていた。トーネットは蒸気で曲げた木と10本のネジで世界一売れた椅子をつくり、モリスは「役に立つとわかっていないもの、美しいと信じていないものを、家に置いてはならない」と叫んだ。

20世紀のモダニズムは、この対立を乗り越えようとした。

鍵は鉄筋コンクリートだ。この新しい素材が、壁を「支える構造体」から「自由に動かせる仕切り」に変えた。それは室内空間にとって、車輪の発明に匹敵する革命だった。

壁が自由になった瞬間、部屋の概念そのものが変わった。寝室と居間を壁で仕切る必要がなくなり、窓は壁の「穴」ではなく水平に連続する「帯」になり、家具は壁に沿って並べるものではなく空間を「ゾーニング」する道具になった。

──現代のオープンプラン・リビング、ロフト・スタイル、可動式パーティション。私たちが当たり前だと思っている室内空間のほとんどは、この革命なしには存在しなかった。


1927年の丘へ

さあ、シュトゥットガルトの丘に戻ろう。

1927年の夏。50万人の来場者が見上げた白い住宅群は、2016年にユネスコ世界遺産に登録された。

あの丘の上で、ル・コルビュジエは何を見せようとしたのか。

次の章で、その答えを解き明かす。