インテリアデザイン10万年史

洞窟の炉からスマートホームまで人類とインテリアの10万年の物語

第23章|木を「曲げる」

成形合板が変えた身体と椅子の関係


1940年9月、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が「有機的デザインの家庭用家具(Organic Design in Home Furnishings)」と題したコンペティションを開催した。

応募したのは、ミシガン州クランブルック美術アカデミーで出会ったばかりの2人の若い建築家。チャールズ・イームズとエーロ・サーリネンだった。2人は合板を身体の形に合わせて三次元に曲げた椅子を提案し、リビングルーム部門とその他の家具部門で最優秀賞を獲得した。

ところが、受賞作を量産しようとしたとき、壁にぶつかった。

合板を複雑な曲面に成形しようとすると、圧力に耐えきれず木が裂けてしまうのだ。コンペの出品作は手作業で仕上げたため何とか形にできたが、工場で大量生産する精度には達しなかった。結局、裂け目や粗い仕上げを布のクッションで覆い隠すしかなかった。

チャールズ・イームズは悟った。「工業デザインの本当の媒体は工業そのものであって、紙の上の図面ではない。」

この挫折が、すべての始まりだった。


「カザム!」──寝室の実験工場

コンペの失敗から1年後の1941年、チャールズとレイ・イームズは、ロサンゼルスの自宅アパートの寝室に自作の合板成形装置を据えた。

装置の仕組みはこうだ。ツーバイフォーの角材で三角形の箱を組み、内部に石膏型を仕込む。石膏のなかには電熱コイルが埋め込まれていて、ちょうどコンクリートの床暖房と同じ原理で型を加熱する。

その上に、薄い木の板(ベニヤ)を5枚から11枚重ねて載せる。1枚1枚に接着剤を塗り、木目の方向を交互に変えて強度を出す。ベニヤを型の上に置いたら、ゴムの膜をかぶせ、自転車の空気入れでゴム膜を膨らませて、木の板を型に押しつける。

1回のプレスに4時間から6時間

電力の消費量が凄まじく、アパートの配電では足りなかった。チャールズは近くの電柱に登り、絶縁ケーブルで送電線から直接電気を引いた。周囲の証言によれば「命がけの行為」だったという。戦時中の灯火管制のもと、材料は暗闇のなかを65段の階段を担いで上げなければならなかった。

この手づくり装置から、のちに世界を変える椅子が生まれることになる。


15万本の副木──戦争が技術を完成させた

転機は1942年に訪れた。

米海軍の軍医、ウェンデル・G・スコット中佐が、イームズの合板実験の噂を聞きつけてやってきた。スコットが抱えていた問題は切実だった。当時の軍用脚部副木は金属製で、重く、血流を妨げ、搬送中の振動が負傷兵に激しい痛みを与えていた。

チャールズはスコットの依頼を受け、自分の脚を型取りして石膏の原型をつくった。薄い合板の積層でふくらはぎの形に沿う曲面をつくり、軽く、通気性がよく、左右どちらの脚にも使える副木を完成させた。

スミソニアン博物館の記録によれば、副木の寸法は約106.0×20.0×10.2センチメートル。X線撮影時に副木を外す必要がなく、製造コストは金属副木の10分の1だった。

イームズ夫妻は「プライフォームド・ウッド・カンパニー」を設立し、量産体制を整えた。のちに生産はエヴァンズ・プロダクツ社に移管され、終戦までに製造された副木の数は約15万本にのぼった。

この15万本の副木が、合板の三次元成形技術を完成の域に引き上げた。寝室の「カザム!」で始まった実験が、軍の量産ラインで工業技術になったのだ。


副木から椅子へ──ゴムの「ショックマウント」

戦争が終わると、イームズ夫妻は副木の技術を家具に転用し始めた。

しかし、ここでひとつの問題が立ちはだかった。

合板を三次元に曲げる技術は完成した。だが、椅子は副木よりもはるかに複雑な形をしている。座面と背もたれと脚部を、ひとつの合板シェルで一体成形しようとすると──1940年のコンペと同じ問題が再び起きた。複雑な曲面が重なる部分で、合板が裂ける。

イームズ夫妻の解決策は、逆転の発想だった。

一体成形をあきらめたのだ。

座面は座面、背もたれは背もたれ、脚は脚。それぞれを別々に成形し、あとからつなぐ。──では、何でつなぐか?

答えはゴムだった。

工業製品の振動吸収に使われていた「ショックマウント」と呼ばれるゴム部品を、家具に転用した。ゴムのなかにネジ付きの金属インサートが埋め込まれていて、熱硬化性の接着剤で合板に固定する。

チャールズ・イームズはこの技術で米国特許第2,649,136号(「家具用ショックマウント構造」)を取得した。1947年3月1日出願、1953年8月18日登録。特許明細書のなかで、イームズはこう書いている。「これまで合板や薄い金属板を高品質な家具に使う試みは多々あったが、いずれも失敗に終わった。芸術的に成形された合板の座面を弾力的に取り付ける、満足のいく構造が知られていなかったからだ。」

この小さなゴム部品は、見た目は地味だが、革命的だった。

座面と背もたれが、脚部から独立して動く。人が背中をもたせかけると、背もたれだけがしなやかにたわむ。座面に体重をかけると、座面だけがわずかに沈む。椅子の各パーツが身体の動きに個別に反応するのだ。

これは**椅子の歴史上、初めての「レスポンシブな背もたれ」**だった。

ゴムのショックマウントのおかげで、クッションは不要になった。合板の曲面そのものが、身体を受け止め、身体に追従する。硬い素材なのにやさしい──この逆説が、イームズ・チェアの核心だ。


DCWとLCW──「20世紀最高のデザイン」

1945年12月、ニューヨークのバークレイ・ホテルでの展示会で、イームズの成形合板椅子シリーズが初めて公開された。翌1946年、MoMAで「チャールズ・イームズがデザインした新しい家具」展が開かれた。

シリーズの中核をなすのが、**DCW(Dining Chair Wood=木脚のダイニングチェア)LCW(Lounge Chair Wood=木脚のラウンジチェア)**だ。

ハーマンミラー社の公式スペックを見てみよう。

LCW:高さ67.3センチ、幅55.2センチ、奥行き64.1センチ、座面高39.1センチ。重さ約9.1キロ。耐荷重136キロ

DCW:高さ73.0センチ、幅49.5センチ、奥行き55.2センチ、座面高45.7センチ

座面と背もたれには5層の合板が、脚部と背面の支柱には8層の合板が使われている。素材はウォールナット、ホワイトアッシュ、サントスパリサンダーなどの突板。初期にはローズウッドの希少な仕様もあった。

最初の製造元はエヴァンズ・プロダクツ社。1949年、ハーマンミラー社がエヴァンズから製造権とカタログ全体を買い取り、以後ハーマンミラーが生産を引き継いだ。デザインディレクターのジョージ・ネルソンが1946年に金型を購入し、1947年から流通を開始していた。

LCWは1957年にいったん生産中止になったが、1994年に「ホーム・クラシックス」シリーズとして復刻された。

そして1999年、TIME誌はLCWを**「20世紀最高のデザイン(Best Design of the 20th Century)」**に選出した。


「クッションなしの快適性」という逆説

イームズの成形合板椅子が革命的だった理由を、もう少し掘り下げよう。

それまでの「快適な椅子」は、クッションで身体を包み込むものだった。第22章で見たブロイヤーのワシリーチェアが「最も居心地が悪い」と設計者自身に言わしめたのは、鋼管と布だけで身体を支え、クッションを排除したからだ。

イームズの椅子も、クッションがない。

しかし、座ってみると驚くほど快適だ。

秘密は「三次元の曲面」にある。座面はわずかに湾曲して臀部を受け止め、背もたれは背骨のS字カーブに沿って緩やかにたわむ。ゴムのショックマウントが微妙な弾性を加え、座った人が動くたびに椅子が応答する。

チャールズ・イームズは1953年のテレビ出演でこう語っている。「快適さは、身体の形に完璧にフィットすることよりも、骨格をどう支えるかにかかっていることがわかりました。」

これは椅子の設計思想の根本的な転換だった。

それまでの椅子は「柔らかい素材で身体を包む」ことで快適さを実現していた。イームズは「硬い素材の形を身体に合わせる」ことで、同じ快適さを達成した。構造体そのものが快適性を生み出す。──この原理は、その後のあらゆる家具デザインの基盤になった。


成形の技術──5枚のベニヤが椅子になるまで

イームズ自身が1954年に説明した成形プロセスを見てみよう。

「成形合板椅子は、熱硬化性の樹脂で接着された複数のベニヤシートを、加熱したプレス型の間で成形する。座面と背もたれは5枚のシートから、脚部と支柱は9枚のシートからできている。」

現代の生産工程では、温度は約120~150℃、圧力は約70~100psi(5~7バール)。ベニヤの木目方向を1枚ずつ交互に変えることで、どの方向にも強い構造を実現する。

この製法のポイントは、合板が「複合曲面(compound curve)」をつくれることだ。

トーネットのNo.14は木を一方向に曲げた。ブロイヤーの鋼管椅子も一方向の曲げだ。しかしイームズの成形合板は、前後にも左右にも同時に曲がる。鞍のような、あるいは貝殻のような、三次元の曲面。この自由度が、椅子を「身体に沿う面」にした。

ただし、1940年のコンペで思い知ったように、複合曲面には限界がある。急激な曲率の変化や、複雑な三次元形状を一体成形しようとすると合板は裂ける。イームズが一体成形をあきらめ、パーツ分割+ショックマウントという解に至ったのは、この物理的制約と正面から向き合った結果だった。

制約を受け入れることが、最高のデザインを生んだ。──これはイームズ夫妻の仕事に通底する哲学だ。


「線」から「面」へ──室内空間への影響

イームズの成形合板椅子を、インテリアの歴史のなかに位置づけよう。

第22章で見たブロイヤーのワシリーチェアは、鋼管の「線」で構成されていた。空間のなかに線を引き、その線で人を支える。透明感があり、軽やかだが、身体を包む感覚はない。

イームズの成形合板は、「面」で構成されている。薄い合板の「面」が身体を包み込み、その面が空間のなかで有機的な曲線を描く。

この転換は、室内の「温度」を変えた。

鋼管の室内はクールで知的だった。成形合板の室内は温かく、やわらかい。木の温もりと、身体に沿う曲面が、モダニズムの「冷たさ」を溶かした。第19章で触れた「モダニズムは本当に住みやすいのか」という問いに対する、ひとつの回答がここにある。

工業的に量産でき、木の温もりを持ち、身体にやさしく、値段も手が届く。──イームズの成形合板椅子は、バウハウスが夢見た「美しくて、安くて、大量に作れるもの」の、最も幸福な実現だった。


合板からプラスチックへ

しかし、成形合板にも限界があった。

合板はどこまで曲げても「木」だ。色は木の色。表面は木目。大量生産しても、一脚の値段にはそれなりのコストがかかる。

イームズ夫妻は次のステップを考え始めていた。もっと安く、もっと自由な形に、もっと多くの色で椅子をつくれないだろうか。

答えは、ふたたび戦争の遺産のなかにあった。

第二次世界大戦中、航空機のレーダードームに使われていた素材──FRP(繊維強化プラスチック)。ガラス繊維をポリエステル樹脂で固めたこの素材は、電波を透過するために金属が使えないレーダードームの外殻として開発されたものだ。軽く、強く、成形の自由度が高い。

戦争が終わり、レーダードームの需要が消えた。しかし技術は残った。

その技術を、椅子に使えないだろうか。

次の章では、イームズ夫妻がこの軍事素材を「安くて、軽くて、美しい」椅子に変え、世界中の家庭とオフィスと学校に届けた物語を追う。