第23章|木を「曲げる」
イームズの成形合板と身体と椅子の関係
1940年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が「有機的デザインの家庭用家具(Organic Design in Home Furnishings)」と題したコンペティションを開催した。
応募したのは、ミシガン州クランブルック美術アカデミーで出会った2人の若い建築家。チャールズ・イームズとエーロ・サーリネンだった。2人は合板を身体の形に合わせて三次元に曲げた椅子を提案し、リビングルーム用の座具と、その他のリビング家具の2部門で最優秀賞を獲得した。
ところが、受賞作を量産しようとしたとき、壁にぶつかった。
合板を複雑な曲面に成形しようとすると、圧力に耐えきれず木が裂けてしまう。コンペの出品作は手作業で仕上げたため何とか形にできたが、工場で大量生産する精度には達しなかった。結局、裂け目や粗い仕上げを布のクッションで覆い隠すしかなかった。
チャールズ・イームズは、図面の上のアイデアだけでは工業製品にならないこと、製造の技術そのものを自分たちの手で開発しなければならないことを思い知った。
この挫折が、すべての始まりだった。
「カザム!」──寝室の実験工場
コンペのあと、結婚した1941年に、チャールズとレイ・イームズは、ロサンゼルスの自宅アパートの寝室に自作の合板成形装置を据えた。
装置の仕組みはこうだ。角材で組んだ枠に石膏型を仕込み、型のなかに埋め込んだ電熱線で加熱する。
その上に、薄い木の板(ベニヤ)を何枚も重ねて載せる。1枚1枚に接着剤を塗り、木目の方向を交互に変えて強度を出す。ベニヤを型の上に置いたら、ゴムの膜をかぶせ、自転車の空気入れでゴム膜を膨らませて、木の板を型に押しつける。接着剤が固まるまで、何時間も待たなければならなかった。
この手づくり装置から、のちに世界を変える椅子が生まれることになる。
15万本の副木──戦争が技術を完成させた
転機は1942年に訪れた。
友人で米海軍の軍医だったウェンデル・スコットが、イームズの合板実験の噂を聞きつけてやってきた。スコットが抱えていた問題は切実だった。当時の軍用脚部副木は金属製で、重く、血流を妨げ、搬送中の振動が負傷兵に激しい痛みを与えていた。
チャールズはスコットの依頼を受け、自分の脚を型取りして石膏の原型をつくった。薄い合板の積層でふくらはぎの形に沿う曲面をつくり、軽く、通気性がよく、左右どちらの脚にも使える副木を完成させた。

合板の副木は、X線撮影の際にも外す必要がなかった。
イームズ夫妻は「プライフォームド・ウッド・カンパニー」を設立し、量産体制を整えた。のちに事業はエヴァンズ・プロダクツ社の成形合板部門に引き継がれ、生産された副木は15万本を超えた。
この15万本の副木が、合板の三次元成形技術を完成の域に引き上げた。寝室の「カザム!」で始まった実験が、軍の量産ラインで工業技術になった。
副木から椅子へ──ゴムの「ショックマウント」
戦争が終わると、イームズ夫妻は副木の技術を家具に転用し始めた。
しかし、ここでひとつの問題が立ちはだかった。
合板を三次元に曲げる技術は完成した。だが、椅子は副木よりもはるかに複雑な形をしている。座面と背もたれと脚部を、ひとつの合板シェルで一体成形しようとすると──1940年のコンペと同じ問題が再び起きた。複雑な曲面が重なる部分で、合板が裂ける。
イームズ夫妻の解決策は、逆転の発想だった。
一体成形をあきらめた。
座面は座面、背もたれは背もたれ、脚は脚。それぞれを別々に成形し、あとからつなぐ。──では、何でつなぐか?
答えはゴムだった。
工業製品の振動吸収に使われていた「ショックマウント」と呼ばれるゴム部品を、家具に転用した。ゴムのなかにネジ付きの金属インサートが埋め込まれていて、熱硬化性の接着剤で合板に固定する。

チャールズ・イームズは、この取り付け方法について米国で特許を取得している。
この小さなゴム部品は、見た目は地味だが、画期的だった。
座面と背もたれが、脚部から独立して動く。人が背中をもたせかけると、背もたれだけがしなやかにたわむ。座面に体重をかけると、座面だけがわずかに沈む。椅子の各パーツが身体の動きに個別に反応する。
ゴムのショックマウントのおかげで、クッションは不要になった。合板の曲面そのものが、身体を受け止め、身体に追従する。硬い素材なのにやさしい──この逆説が、イームズ・チェアの核心だ。
DCWとLCW──「20世紀最高のデザイン」
1945年末、イームズの成形合板家具がニューヨークで初めて公開された。翌1946年には、MoMAで「チャールズ・イームズがデザインした新しい家具」展が開かれた。
シリーズの中核をなすのが、**DCW(Dining Chair Wood=木脚のダイニングチェア)とLCW(Lounge Chair Wood=木脚のラウンジチェア)**だ。
LCWは座面が低く、ゆったりと腰を落とすラウンジ用。DCWは食卓の高さに合わせたダイニング用だ。表面にはウォールナットなどの突板が使われ、初期には表面を染色した仕様もあった。

最初の製造元はエヴァンズ・プロダクツ社。1946年からはハーマンミラー社が販売を担い、1949年には製造もハーマンミラーに移った。
LCWはのちにいったん生産中止になったが、1990年代に復刻された。
そして1999年、TIME誌はイームズの成形合板椅子を**「20世紀最高のデザイン」**に選出した。
「クッションなしの快適性」という逆説
イームズの成形合板椅子が画期的だった理由を、もう少し掘り下げよう。
それまでの「快適な椅子」は、クッションで身体を包み込むものだった。第22章で見たブロイヤーのワシリーチェアが「最も居心地が悪い」と設計者自身に言わしめたのは、鋼管と布だけで身体を支え、クッションを排除したからだ。
イームズの椅子も、クッションがない。
しかし、座ってみると驚くほど快適だ。
秘密は「三次元の曲面」にある。座面はわずかに湾曲して臀部を受け止め、背もたれは背骨のS字カーブに沿って緩やかにたわむ。ゴムのショックマウントが微妙な弾性を加え、座った人が動くたびに椅子が応答する。
快適さは、身体の形をそっくり写し取ることよりも、骨格をどこでどう支えるかで決まる──イームズ夫妻は実験を重ねるなかで、そう考えるようになった。
これは椅子の設計思想の根本的な転換だった。
それまでの椅子は「柔らかい素材で身体を包む」ことで快適さを実現していた。イームズは「硬い素材の形を身体に合わせる」ことで、同じ快適さを達成した。構造体そのものが快適性を生み出す。──この原理は、その後のあらゆる家具デザインの基盤になった。
成形の技術──薄い板が椅子になるまで
成形合板椅子は、熱硬化性の接着剤を塗った数枚のベニヤを重ね、加熱したプレス型のあいだで成形してつくる。ベニヤの木目方向を1枚ずつ交互に変えることで、どの方向にも強い構造を実現する。
この製法のポイントは、合板が「複合曲面(compound curve)」をつくれることだ。
トーネットのNo.14は木を一方向に曲げた。ブロイヤーの鋼管椅子も一方向の曲げだ。しかしイームズの成形合板は、前後にも左右にも同時に曲がる。鞍のような、あるいは貝殻のような、三次元の曲面。この自由度が、椅子を「身体に沿う面」にした。
ただし、1940年のコンペで思い知ったように、複合曲面には限界がある。急激な曲率の変化や、複雑な三次元形状を一体成形しようとすると合板は裂ける。イームズが一体成形をあきらめ、パーツ分割+ショックマウントという解に至ったのは、この物理的制約と正面から向き合った結果だった。
制約を受け入れることが、最高のデザインを生んだ。──これはイームズ夫妻の仕事に通底する哲学だ。
「線」から「面」へ──室内空間への影響
イームズの成形合板椅子を、インテリアの歴史のなかに位置づけよう。
第22章で見たブロイヤーのワシリーチェアは、鋼管の「線」で構成されていた。空間のなかに線を引き、その線で人を支える。透明感があり、軽やかだが、身体を包む感覚はない。
イームズの成形合板は、「面」で構成されている。薄い合板の「面」が身体を包み込み、その面が空間のなかで有機的な曲線を描く。
この転換は、室内の「温度」を変えた。
鋼管の室内はクールで知的だった。成形合板の室内は温かく、やわらかい。木の温もりと、身体に沿う曲面が、モダニズムの「冷たさ」を溶かした。第19章で触れた「モダニズムは本当に住みやすいのか」という問いに対する、ひとつの回答がここにある。
工業的に量産でき、木の温もりを持ち、身体にやさしく、値段も手が届く。──イームズの成形合板椅子は、バウハウスが夢見た「美しくて、安くて、大量に作れるもの」の、最も幸福な実現だった。