第36章|リノベーションの世紀
新築しない時代のインテリア
2000年5月、ロンドンのテムズ川南岸に、巨大な美術館がオープンした。
テート・モダン。20世紀から現代までのアートを収蔵・展示する、世界最大級の近現代美術館だ。
開館初年度の来場者は500万人以上──計画の2倍を超えた。以後、世界で最も来場者の多い近現代美術館の座を維持しつづけている。
しかしこの建物は、美術館として設計されたものではない。
もとはバンクサイド火力発電所だった。建築家サー・ジャイルズ・ギルバート・スコットが設計し、1947年から1963年にかけて建設され、1981年に閉鎖された煤煙と機械油にまみれた工場だ。
それを美術館に変えたのが、スイスの建築家ユニットヘルツォーク&ド・ムーロンだった。1995年1月にコンペティションに勝利し、1億3400万ポンド(当時の為替で約250億円)の工費で改装を完了。2000年5月、エリザベス女王の臨席のもとに開館した。
タービン・ホールという「空虚」
ヘルツォーク&ド・ムーロンの設計で最も大胆だったのは、発電所の心臓部だった巨大空間──タービン・ホール──を、「何も入れない」と決めたことだ。
長さ152メートル、高さ35メートル。かつてタービンが回り、石炭が燃え、ロンドンに電力を送っていた空間を、来場者が歩くためだけの入口ホールにした。天井まで吹き抜けた途方もないスケールの空間に入ると、自分の身体がいかに小さいかを思い知らされる。
この「空虚」こそが、テート・モダンの室内体験の核だ。タービン・ホールはルイーズ・ブルジョワの巨大蜘蛛「ママン」、オラファー・エリアソンの人工太陽「ウェザー・プロジェクト」、アイ・ウェイウェイの1億粒のひまわりの種といった、モニュメンタルなインスタレーションのために使われてきた。元の工場の空間がなければ、これらの作品は存在しえなかった。
2016年6月17日にオープンした増築棟「スイッチ・ハウス」は、高さ65メートルの10階建て。その中には、世界初のライブ・パフォーマンス専用ギャラリー「ザ・タンクス」が設けられた。もともと発電所の燃料貯蔵タンクだった地下空間を転用したものだ。
テート・モダンが示したのは、既存の建物を壊さずに中身を変えることで、新築では絶対に生まれない空間が手に入るという事実だった。タービン・ホールの35メートルの天井高は、新築の美術館が計画段階で採用する数字ではない。それは発電所という「前の人生」が残した偶然の遺産だ。
リノベーションの力は、この「偶然」にある。
廃線を歩く──ハイラインの奇跡
もうひとつ、21世紀のリノベーションを象徴する空間がある。
ニューヨークのハイラインだ。
もとは1934年に建設された高架貨物鉄道で、マンハッタン西部の精肉工場や倉庫に肉や乳製品を運んでいた。1980年に最後の列車が走り、以後20年以上にわたって放置された。雑草が線路を覆い、野生の花が咲き、住民のほとんどが忘れた空中の廃墟になっていた。
1999年、ロバート・ハモンドとジョシュア・デイヴィッドという2人の住民が「フレンズ・オブ・ザ・ハイライン」を設立し、解体ではなく保存を訴えた。インスピレーションの源になったのは、パリのプロムナード・プランテ(1993年完成)──世界初の高架鉄道跡の空中公園だった。
設計チームは、ランドスケープ・デザインのジェームズ・コーナー・フィールド・オペレーションズ、建築のディラー・スコフィディオ+レンフロ、植栽デザインのピート・ウドルフ。2009年6月9日に第1区間がオープンし、以後2011年、2014年、2019年、そして2023年6月22日のモイニハン・コネクターまで、段階的に延伸された。
全長約2.3kmの空中公園には500種以上、15万本の植物が植えられ、年間来場者は700万〜800万人。周辺地域には30年間で推定40億ドルの民間投資が誘発された。
ハイラインの室内──正確には「室外」だが──がインテリアデザインの文脈で重要なのは、既存のインフラストラクチャーに「新しい表面」を与えることで、まったく異なる体験を生み出した点だ。線路の構造体はそのまま残し、新しい舗装と植栽と照明と家具を「挿入」した。元の線路のレールさえ、デザインの一部として残されている。
壊さずに、中身を変える。テート・モダンが建物の内部でそれを実現したとすれば、ハイラインは都市のインフラでそれを実現した。
「80%はすでに建っている」
テート・モダンとハイラインは、華やかな成功例だ。しかし21世紀にリノベーションが重要になる理由は、華やかさとは無関係のところにある。
数字だ。
マッキンゼー・アンド・カンパニーが2021年に発表した報告書には、こう書かれている。
「2050年時点で存在する建物のおよそ**80%**は、今日すでに建っている。」
世界経済フォーラムも同じ数字を引用している。EU委員会のデータでは、2010年以前に建てられた建物の**97%**が、長期的な気候目標を達成するにはリノベーションが必要だとされている。ヨーロッパだけで、2億4500万戸の住宅のうち1億3500万戸が断熱性能の低い建物だ。
つまり、未来のインテリアデザインの主戦場は新築ではない。
すでに建っている建物の内側を変えることだ。
EU委員会は2020年10月14日、「リノベーション・ウェーブ」戦略を発表した。欧州グリーンディールの一環として、建物のリノベーション率を現在の年間約1%から2〜3%に倍増させ、2030年までに3500万棟を改修する目標を掲げている。必要な追加投資額は年間2750億ユーロ。建設分野で最大16万人の新規雇用を創出する見込みだ。
2024年5月8日には改正「建築物エネルギー性能指令(EPBD)」が官報に掲載された。さらに「新・欧州バウハウス」──2020年10月に発足した、気候に優しい建築のための分野横断的フォーラム──も、リノベーションを文化的・美学的な観点から推進している。
「リノベーション・ウェーブ」という名前が象徴するように、これは個別の建物の改修ではなく、社会全体の「波」として構想されている。
京町家を壊さない──日本のリノベーション
日本にも、独自のリノベーションの物語がある。
日本の住宅リノベーション市場は2023年に約7.4兆円に達した。2030年には7.5兆円のピークが予測されている。背景には、築24年以上の住宅が全体の50%を超える高齢化した住宅ストック、全国で850万戸に及ぶ空き家、新築住宅価格の高騰、そしてコロナ禍で高まった住環境改善の意識がある。
とくに注目されているのが、京都の**町家(まちや)**のリノベーションだ。
町家とは、江戸から大正期にかけて建てられた京都の伝統的な木造商家のこと。間口が狭く奥行きが深い「鰻の寝床」と呼ばれる独特の平面形状を持ち、通り庭、坪庭、格子窓といった特徴的なインテリア要素を備えている。
しかし現代の生活には合わない面も多い。断熱性が低く、水まわりが旧式で、耐震性にも不安がある。所有者の高齢化と維持費の問題から、取り壊されるケースが後を絶たなかった。
この流れに抵抗したのが、アメリカ人のカーティス・ホーズだ。2003年、ホーズは「オールド・キョウト」というブランドで、町家を宿泊施設にリノベーションする事業を先駆的にスタートした。構造体の木組みや土壁はできるだけ残し、現代的な水まわりや断熱を「挿入」する手法をとった。
ハチセ株式会社の西村孝平社長は、町家を現代の住宅としてリノベーションする事業を展開。スティーヴ・バイメル(ジャパンクラフト21)はNPO法人として大工育成の学校を設立し、京都で約100年ぶりの新築町家の建設にも取り組んでいる。
京都市は町家の取り壊しに1年前の届出を義務づける条例を施行し、保存のための補助金制度も整備した。
町家のリノベーションが面白いのは、「インテリアを変える」ことと「文化を守る」ことが同時に起きる点だ。通り庭の土間はそのまま残しながら、その奥にシステムキッチンを入れる。格子窓の向こうに障子を残しながら、内側にペアガラスを追加する。古い構造体の中に現代の快適さを「差し込む」──日本版のスケルトン・インフィルがここにある。
災害からの再生──室内が「心」を癒す
リノベーションのもうひとつの顔は、災害からの復興だ。
2011年3月11日、東日本大震災。マグニチュード9.1、死者・行方不明者約2万人、被災建物100万棟以上。復興庁は約32兆円の予算を投じて約14万5000戸の住宅を高台に再建した。
プリツカー賞建築家の伊東豊雄は「みんなの家」プロジェクトを主導した。仮設住宅が並ぶ被災地に、住民が集まれる小さなコミュニティスペースをつくる。デザイナーの岡野道子は、地元の杉丸太(津波を生き延びた森の木)を使い、伝統的な和小屋の軸組みで陽光が差し込む空間をつくった。
ここで重要だったのは、高さ何メートルの防波堤をつくるかではなく、人がもう一度「ここに居たい」と思える室内をつくることだった。地元の素材を使い、地元の技法で、地元の人が集まれる場所をつくる。インテリアデザインが「心の復興」に果たす役割は、数値化しにくいが確かに存在する。
そしてもうひとつ、世界が見守った復興がある。
ノートルダム大聖堂。2019年4月15日の火災で木造の尖塔と屋根の大部分が焼失し、2024年12月7日に修復を終えて再オープンした。修復費は推定約7億3900万ドル、寄付金は8億4000万ユーロ以上に達した。
主任建築家のフィリップ・ヴィルヌーヴが指揮した修復では、19世紀以来初めて内部の全面洗浄が行われ、何世紀もの煤の下から石の本来の色が鮮やかに現れた。デザイナーのギヨーム・バルデは、新しいブロンズ製の内装什器──祭壇、説教壇、洗礼盤──を、ミニマルな形状で「時代を超えるもの」としてデザインした。グランド・オルガンは2021年12月に撤去され、修復を経て2024年4月に再設置された。
ノートルダムの修復は、「壊れたものを元に戻す」以上の行為だった。煤を落として初めて見えた石の白さが、800年間見えなかった聖堂の「本来の室内」を私たちに見せてくれたのだ。
「いちばん環境にやさしい建物は、すでに建っている建物だ」
この一文は、リノベーションの哲学を完璧に言い表している。
新しく建てるたびに、セメントと鉄鋼のエンボディドカーボンが排出される。古い建物を壊すたびに、廃材が埋め立て地に送られる。しかし既存の建物の内側を変えれば、構造体に蓄積されたエンボディドカーボンはそのまま「貯蓄」として残る。壊すことで失われるはずだった炭素が、保存される。
カナダ・カルガリーでは2021年から、パンデミック後に空室率が急上昇したオフィスタワーを住宅に転用するプログラムが始動し、2025年までに2450戸のアパートメントが生まれた。工場を住居に、教会をオフィスに、倉庫をギャラリーに──「アダプティブ・リユース(適応的再利用)」と呼ばれるこの手法は、建物の「前の人生」を活かしながら「次の人生」を与える。
テクノロジーもこれを支えている。3Dレーザースキャンで既存建物の現況を正確に把握し、BIMで仮想空間上にリノベーション案を検討し、モジュラー式の内装システムで柔軟に空間を組み替える。前の章で見たデジタル技術は、新築だけでなく、むしろリノベーションにこそ大きな力を発揮する。