コラム②|設計思想×素材のマトリクス
ひと目でわかる20世紀インテリアの地図
第Ⅴ部は、20世紀の100年間に起きたインテリア革命を5つの幕で語ってきた。読みながら「あれ、いま何の時代の話だっけ?」と迷子になった方もいるかもしれない。
このコラムでは、第Ⅴ部の全体像を「空間の構成原理」と「素材」の2軸で整理してみる。いわば、20世紀インテリアの地図だ。
2つの軸
横軸=空間の構成原理を3つに分ける。
「自由平面」は、壁を構造から解放して間仕切りを自由に動かせるようにする原理だ。ル・コルビュジエの五原則とミースの「ユニヴァーサル・スペース」がこれにあたる。
「シェル構造」は、薄い曲面で空間を包み込む原理だ。建築ではサーリネンのTWAターミナル、家具ではイームズのシェルチェアやヤコブセンのエッグチェアが代表的だ。
「記号」は、空間に意味や引用を持ち込む原理だ。ポストモダンのヴェンチューリやメンフィスグループが代表で、ギリシャの柱をピンク色に塗ったり、安いラミネートをわざと高級家具に使ったりする。
縦軸=素材は、20世紀に登場した順にRC(鉄筋コンクリート)、鋼管、合板、FRP(ガラス繊維強化プラスチック)、プラスチック一体成形、ラミネートと並べる。
時代ごとの「室内の主役」
1920年代─30年代前半:自由平面 × RC・鋼管
室内の主役=「機械としての家具」
ル・コルビュジエの「ドミノ・システム」が壁を構造体から解放し、室内の間仕切りが自由になった。1927年のサヴォア邸に実装された「近代建築の五原則」──ピロティ、屋上庭園、自由平面、水平連続窓、自由な立面──は、数千年にわたる「壁で囲まれた箱」としての部屋を根底から覆した。
この時代の家具の主役は鋼管だ。ブロイヤーのワシリーチェア(1925年)、シュタムのカンチレバーチェア(1926年)、ミースのバルセロナ・チェア(1929年)、ル・コルビュジエ&シャルロット・ペリアン&ピエール・ジャンヌレのLCシリーズ(1928年)。
コルビュジエは家具を「手足の延長」と呼び、「住むための道具」だと位置づけた。鋼管の透明性は自由平面の開放感と完璧に調和する。カンチレバー構造は重力に逆らうように見え、ピロティで浮いた建築と同じ精神を体現していた。
1930年代─40年代:自由平面 × 曲げ木・合板
室内の主役=「癒す家具」
バウハウスが鋼管の美学を突き詰める一方で、北欧では別の道が開かれた。
アアルトは「木は人間的で、形を刺激する素材」だと宣言し、白樺の無垢材を90度に曲げるL字脚を開発した。パイミオのサナトリウム(結核療養所、1929─33年)で設計されたパイミオ・チェアは、座面の角度を結核患者の呼吸が楽になるように計算し、木の表面は金属と違って触れても冷たくない。掃除と消毒がしやすいことも、療養施設では重要だった。
この時代の「室内の主役」は、合理性だけでなく触覚的な温かさを持つ家具だ。バウハウスの鋼管が「頭で理解するモダニズム」なら、アアルトの曲げ木は「身体で感じるモダニズム」だった。
1940年代─50年代:シェル構造 × 成形合板・FRP
室内の主役=「民主的な家具」
第二次世界大戦が素材革命を加速させた。
イームズ夫妻は軍用副木の量産で成形合板の三次元曲面技術を完成させ、DCW(1946年)を生み出した。続いてFRP(ガラス繊維強化プラスチック)に素材を転換し、史上初の量産プラスチック椅子であるシェルチェア(1950年)を世に送り出した。
この時代の構成原理は「シェル構造」だ。薄い曲面が構造と表面を兼ねる。建築ではサーリネンのTWAターミナル(1962年)やニーマイヤーのブラジリア(1960年)の有機的な曲線として現れ、家具ではイームズのシェルチェアやヤコブセンのアントチェア(1952年)、セブンチェア(1955年)として結実した。
鋼管の時代の家具が「線」で空間を描いたとすれば、この時代の家具は「面」で身体を包んだ。クッションに頼らず、構造体そのものの形で快適性を実現する──椅子の歴史における質的な転換だ。
イームズ夫妻はこの転換を「もっとも多くの人に、もっとも良いものを、もっとも安く届ける」という理念で推進した。一脚の椅子が「デザインの民主化」を体現した時代である。
1950年代─60年代:シェル構造 × 一体成形・フォーム
室内の主役=「環境としての家具」
建築と家具の境界が溶け始めた時代だ。
ヤコブセンはコペンハーゲンのSASロイヤルホテル(1960年)を設計した際、建物だけでなく、エッグチェア、スワンチェア、カトラリー、グラス、ドアハンドル、灰皿、サインまで──文字通りすべてをデザインした。客室606号は当時のまま保存されている。
サーリネンのチューリップチェア(1956年)は、テーブルの下の「脚のスラム街を一掃したい」という動機から生まれた。一本の台座で座面を支えるペデスタル構造は、本来はワンピースのファイバーグラスで実現したかったが、当時の技術では不可能で、FRP座面とアルミ台座の組み合わせになった。
冷間発泡ポリウレタンフォームという新素材が、ヤコブセンのエッグチェアやスワンチェアに直線のまったくない有機的な形を可能にした。椅子が彫刻になり、室内が「環境」になった時代だ。
1950年代─70年代:表面の時代 × プラスチックラミネート
室内の主役=「色と模様の表面」
1950年代初頭、アメリカの新築住宅の約3分の1にプラスチックラミネートが使われていた。
ブルックス・スティーヴンスが1950年にデザインした「スカイラーク」柄、レイモンド・ローウィの「サンライズ・コレクション」(1954年)。アトミック模様やブーメラン模様が、アメリカ郊外のキッチンやダイナーを覆った。
石・木・金属の時代には不可能だった鮮やかな色彩と自由なパターンが、ラミネートによって家庭に持ち込まれた。ヘアピンレッグのクロム縁ダイネットテーブルは、ミッドセンチュリー・アメリカの室内を象徴するアイコンだ。
素材のパレットが変わることは、空間の表情が変わることと同義だった。
1970年代─80年代:記号 × ラミネート・ミックス素材
室内の主役=「メッセージを発する家具」
ヴェンチューリがミースの「Less is More」に「Less is Bore(少ないのは退屈)」と切り返し、モダニズムの禁欲主義に異議を唱えた。
1980年12月、ソットサスの自宅に集まったデザイナーたちが、ボブ・ディランの曲を聴きながら新しいデザイン集団の名前を決めた。「メンフィス」。安いプラスチックラミネートを精巧な手仕事で高級家具に仕上げ、テラゾ、色ガラス、原色とパステルを衝突させる。ある批評家はこの美学を「バウハウスとフィッシャープライス(玩具メーカー)の無理やりな結婚」と形容した。
この時代の「室内の主役」は、機能ではなくメッセージだ。家具は「座るもの」から「語るもの」に変わった。Carltonは本棚なのか間仕切りなのか彫刻なのか──答えはすべてだ。
メンフィスの美学はカール・ラガーフェルドやデヴィッド・ボウイのような文化人に熱狂的に支持され、テレビドラマ『マイアミ・バイス』を通じて大衆文化にも浸透した。
マトリクスを眺めて見えること
こうして並べてみると、20世紀のインテリアには3つの大きな転換点があったことがわかる。
第1の転換:壁が自由になった(1920年代)。 鉄筋コンクリートが壁を構造体から解放し、室内の間取りが自由になった。それに呼応するように、鋼管の家具が「透明な軽さ」を室内に持ち込んだ。
第2の転換:椅子が面になった(1940年代─50年代)。 戦争が加速させた素材革命──成形合板とFRP──が、家具を「線」から「面」に変えた。薄い曲面が身体を包み込み、一脚の椅子が「安くて美しい」という民主主義の理想を体現した。
第3の転換:家具が意味を持った(1970年代─80年代)。 ポストモダンは家具に「引用」と「記号」と「ユーモア」を持ち込んだ。白い壁と機能的な椅子だけの空間は人間の物語を満たさない、という気づきが、室内を「語る場所」に変えた。
構成原理が「自由平面→シェル構造→記号」と移り変わるにつれ、素材は「RC→鋼管→合板→FRP→ラミネート」と変わり、室内の主役は「機械→身体→意味」へとシフトした。
そして20世紀の最後に登場した倉俣史朗のメッシュの椅子は、この3つの転換のすべてを透かして見せる──構造も、面も、意味も、すべて透明にした先に、何が残るのか、という問いとして。