デザイナーズ家具・インテリア カタログ Stories of Design Interior Catalog

インテリアデザイン10万年史

洞窟の炉からスマートホームまで人類とインテリアの10万年の物語

第7章|マニュアルが室内を標準化した

『営造法式』と中国の中庭住居


ここまで見てきた古代文明の室内には、ひとつの共通点がある。

チャタル・ヒュユクの住居も、アッシリアの宮殿も、モヘンジョダロの排水設備つき住居も──どれだけ洗練されていても、その設計の「ルール」は口伝と慣習で伝えられていた。文字で書き残された設計マニュアルは存在しなかった。

中国は、そこが違う。建物のつくり方を文字に残す伝統が、紀元前の『周礼』考工記にまで遡る。

その集大成として、1103年、北宋の時代に刊行された一冊の書物がある。『営造法式』(えいぞうほうしき)。

建築の設計から施工、木材の加工法から塗装の配合、彩色の文様から人件費の算定まで──建物をつくるために必要なほぼすべてを、本文34巻に総論と目録を加えた全36巻にまとめた書物だ。世界最古級の総合的な建築マニュアルと言っていい。

柱と梁、その上に重ねた組み物を描いた線画
『営造法式』の挿図。殿堂の断面に組まれた斗栱PericlesofAthens / パブリックドメイン — Wikimedia Commons

このマニュアルの存在が、中国の室内空間に他の文明にはない特質をもたらした。秩序と再現性だ。

マニュアルに従えば、異なる職人が、異なる場所で、ほぼ同じ品質の建物をつくることができる。一人の天才的な棟梁に頼らなくても、一定の水準が保証される。──これは、のちの20世紀に「工業化」と「標準化」がもたらすものと、根底では同じ原理である。

この章では、中国の室内を2つの角度から見ていく。「マニュアルによる標準化」と「空間のヒエラルキー」だ。


世界最古級の建築規格書──塗装の配合から人件費まで全36巻に記録

『営造法式』を編纂したのは、北宋の官僚・李誡(りかい)だ。

この書物が生まれた背景には、宮廷建築のコスト管理という実際的な問題があった。当時の宮廷は大規模な建設事業を頻繁に行っていたが、職人への発注や材料費の見積もりに統一された基準がなく、コストが膨らみがちだった。そこで、すべての工程を文書化し、標準的なコストを算出できるようにすることが求められた。

つまり『営造法式』は、美学的な理想を語った「デザインの理論書」というよりも、**実務的な「仕様書兼積算書」**として書かれたものだ。だからこそ、その記述はきわめて具体的で詳細だ。

36巻の内容を大きく分けると──

構造──柱・梁・斗栱(ときょう:屋根を支える組み物)の寸法体系。 木工──大工仕事の工法と加工手順。 石工──石材の選び方、加工法、組み方。 彩色──塗装の配合比、文様のパターン、使用する顔料。 仕上げ──壁の漆喰塗り、床の仕上げ、窓格子のデザイン。 積算──各工程に必要な人日数と材料量の算定基準。

注目すべきは、「彩色」のパートだ。壁や天井に施す装飾塗装の文様が、等級別に分類されている。もっとも格の高い建物にはこの文様、次の格にはこの文様──という具合に、建物の「格」と装飾のグレードが対応づけられている。

これは、室内装飾がもはや「つくり手の好み」ではなく、社会的な規範として制度化されたことを意味する。誰がどんな装飾を使えるかは、マニュアルで決まっている。個人の創意工夫よりも、体系的な秩序が優先される世界だ。


「間」と「架」──室内を規定するモジュールシステム

『営造法式』が中国建築にもたらした最も重要な仕組みのひとつが、モジュールシステムだ。

中国の伝統建築では、建物の基本単位を**「間」(けん)と呼ぶ。柱と柱のあいだの空間がひとつの「間」であり、建物の幅は「何間」で表される。奥行きは「架」(か)**で数える。

たとえば「三間四架」の建物なら、幅が柱3スパン分、奥行きが4スパン分。この「間」のサイズが、そのまま室内空間のサイズを決める。

『営造法式』では、この「間」を構成する木材の寸法が、建物の格(等級)に応じて8段階に細かく規定されている。最上級の宮殿と、一般的な寺院と、官庁の建物では、使う材の太さが違う。材の太さが変われば間のサイズも変わり、室内の広さも天井の高さも自動的に変わる。

つまり、建物の「格」を決めれば、材のサイズが決まり、間のサイズが決まり、室内の寸法が決まる。すべてが連動するシステムだ。

寸法の体系で建物全体を律するという点では、20世紀にル・コルビュジエが提唱した「モデュロール」(人体の寸法に基づく設計体系)より800年以上早い。

ただし、コルビュジエのモデュロールが「人間の身体」を基準にしたのに対し、中国のシステムは「社会的な格」を基準にしていた。室内の寸法を決めるのは人間の身体ではなく、その建物に要求される社会的な位置づけだった。──この違いは、中国の室内空間がもつ独特の「ヒエラルキー意識」を象徴している。


「いちばん奥が偉い」──四合院の空間ヒエラルキー

『営造法式』の話は、いわば「つくり方の標準化」だった。しかし中国の室内にはもうひとつ、「使い方の秩序」がある。

それを最もわかりやすく示しているのが、四合院(しごういん)──中国の伝統的な中庭型住居──だ。今日よく知られる北京の四合院は明・清代に完成した形だが、中庭を建物で囲む配置は、西周時代(紀元前1000年ごろ)の遺構にまで遡る。

四方を建物と塀で囲み、中央に中庭を設けた住居の焼き物の模型
中庭を建物で囲んだ住居の陶製模型(三国時代・呉、湖北省出土、中国国家博物館)Prof. Gary Lee Todd / CC BY-SA 3.0 — Wikimedia Commons

四合院の基本構成は、文字通り「四方を建物で囲んだ中庭」だ。

南側に入口(大門)があり、門を入ると最初に小さな中庭がある。その奥に二番目の建物、さらに奥に主要な中庭、そしていちばん奥に最も格の高い建物──正房(せいぼう)──がある。

この配置のルールは明快だ。入口から遠いほど、格が高い。

正房には一家の長老や家長が住む。いちばん格の高い人が、いちばん奥にいる。東西の脇にある建物(廂房)には息子夫婦や家族が住み、南側の入口に近い建物(倒座房)は使用人の部屋や客間にあてられることが多い。

この「奥=上位」の原則は、住居の内部にも貫かれていた。部屋のなかでも、入口から最も遠い奥の席が上座であり、主人が座る場所だ。来客は入口に近い側に座る。

前の章でエジプトの庶民の住居にも「手前が公、奥が私」という配置があったことを見た。モヘンジョダロの中庭型住居にも同じ傾向がある。しかし中国の四合院ほど、この原則を明確に、しかも社会制度として体系化した文明はほかにない。

四合院は「住む人の社会的関係を、空間のなかに翻訳する装置」だった。誰がどの部屋に住むかは、家族内の序列で決まる。部屋のなかのどこに座るかも、社会的な立場で決まる。──空間のあらゆる場所に「意味」が割り当てられていた。

序章の7つのレイヤーで言えば、これは「象徴」のレイヤーが空間設計そのものに深く組み込まれている状態だ。壁に絵を描いたり彫刻を飾ったりするのではなく、空間の配置そのものが社会的メッセージを伝えている。


風水と室内配置──方角と「気」が家具の置き場所を決めた

中国の室内に秩序を与えたもうひとつの体系が、**風水(ふうすい)**だ。

風水は、土地の地形や水の流れ、方角などから「気」の流れを読み解き、建物や墓の最適な配置を決めるための知識体系だ。

建物の向きは南向きが最善とされた。風水は迷信とだけ片づけられない面をもつ。中国北部の気候では、南向きの建物が冬に最も多くの日照を得られ、冬の冷たい北風を背中で防ぐことができる。経験的な知恵が、風水の理論に取り込まれていた。

室内に目を向けると、風水は家具の配置にも影響を与えた。

ベッドの向き。 頭をどの方角に向けて寝るか、寝台を部屋のどこに置くかも、吉凶の判断の対象になった。

入口と家具の関係。 入口から直接ベッドが見えないように配置する。入口の正面に鏡を置かない。──こうしたルールは、「気」の流れを妨げないための工夫とされた。

水回りの位置。 トイレや台所の位置が「気」の流れを乱さないよう配慮された。

現代の私たちから見ると、風水は「科学」と「信仰」の中間にある曖昧な領域だ。しかしインテリアの歴史という観点から見れば、風水は**「室内の配置に体系的なルールを与えた」最初の試みのひとつ**だと評価できる。

チャタル・ヒュユクの「炉は南側の壁のそば」というルールも、縄文の「炉は部屋の中央」というルールも、口伝で伝えられた暗黙の規範だった。風水は、それを理論として言語化し、方角・地形・気の流れという概念で体系化した。「なぜこの場所にこの家具を置くのか」に理由を与えた。


斗栱(ときょう)が室内に与える「天井の表情」

中国建築の室内を語るうえで見逃せないもうひとつの要素が、**斗栱(ときょう)**だ。

斗栱とは、柱の上に載る組み物で、梁や桁を支えながら屋根の荷重を柱に伝える構造部材のこと。木の「斗」(ます:四角いブロック)と「栱」(きょう:腕木)を互い違いに積み重ねて組む。この組み物が何段にも重なると、屋根の軒先を大きく張り出させることができる。

斗栱は本来は構造的な役割を持つ部材だが、室内から天井を見上げたとき、この精巧な組み物が頭上に複雑な幾何学模様を展開する。しかも『営造法式』では斗栱にも等級が定められており、格の高い建物ほど段数が多く、複雑な組み物が用いられた。

つまり斗栱は、序章のレイヤーで言えば「天井」のレイヤーを支配する要素だ。天井を見上げたときの「格」──荘厳さや精巧さの印象──は、斗栱の複雑さで決まった。

木の組み物が放射状に重なって八角形の天井をつくっている
台湾・鹿港龍山寺の門の天井。斗栱を幾重にも組み上げているDavid Stanley from Nanaimo, Canada / CC BY 2.0 — Wikimedia Commons

第Ⅰ部で見た竪穴住居では、天井は茅葺きの屋根裏がそのまま見えるだけで、装飾的な要素はほとんどなかった。メソポタミアの宮殿やエジプトの神殿には彩色された天井があったが、「天井の構造そのものが装飾である」という発想は、中国建築に独特のものだ。

この斗栱の伝統は、日本にも伝わった。7世紀の法隆寺に見られる雲形の組み物は、『営造法式』より何百年も古い大陸の技法を伝えている。一方、12世紀末に再建された東大寺南大門の「大仏様」は、宋代の建築様式を取り入れたものだ。日本の組み物の美しさは、大陸の斗栱との長いやりとりのなかで育った。


中庭という「外にある内」

四合院にはもうひとつ、インテリアの観点から見て非常に重要な要素がある。中庭だ。

中庭は建物に囲まれた屋外空間だが、外の世界からは完全に遮断されている。塀の外からは見えないし、入れない。つまり、物理的には「外」だが機能的には「内」──**「外にある内側」**だ。

中庭は光と風を室内に取り入れる通風・採光の装置であると同時に、家族のプライベートな活動の場でもあった。洗濯物を干し、子どもが遊び、植物を育て、お茶を飲む。壁に囲まれた安全な「外」だ。

この「中庭型住居」は、中国だけの発明ではない。メソポタミアにも、インダスにも、のちのイスラーム世界にも、中庭を囲む住居はある。しかし四合院は、中庭の配置を「社会的ヒエラルキーの表現」と結びつけた点で独特だ。中庭は、正房に至るまでの段階的な空間体験を構成する要素として設計されていた。

第4章で見たアッシリアの宮殿が「廊下を歩かせながら見せつける」空間体験を設計していたのを思い出してほしい。四合院にも似た構造がある。門をくぐり、最初の中庭を通り、次の門をくぐり、主要な中庭を横切って、ようやく正房にたどり着く。──この「段階的な接近」が、正房の格を高める演出になっている。

権力を見せつけるアッシリアの直線的な動線と、社会的秩序を空間に翻訳する四合院の同心円的な構造。やり方は異なるが、「空間の配列で人の心理に影響を与える」という原理は共通している。


マニュアルとヒエラルキー──中国が室内に与えた秩序

第Ⅱ部で見てきたメソポタミア、エジプト、インダス、中国は、それぞれ異なるレイヤーを重視していた。メソポタミアは「壁」と「象徴」、エジプトは「家具」と「象徴」、インダスは「床」(排水)と規格化、中国は「天井」(斗栱)と「象徴」(ヒエラルキー)だ。

7つのレイヤーは、いつの時代にも存在する。しかし、どのレイヤーに最も力を注ぐかは、文明によって異なる。その力点の違いが、室内文化の多様性を生んでいる。