デザイナーズ家具・インテリア カタログ Stories of Design Interior Catalog

インテリアデザイン10万年史

洞窟の炉からスマートホームまで人類とインテリアの10万年の物語

第Ⅴ部|壁を自由にした世紀 ── 20世紀インテリアの100年

モダニズム・バウハウス・新素材・名作チェア・ポップ&ポストモダン


1925年、ドイツの小さな都市デッサウに、ある学校が引っ越してきた。

翌年完成した、ガラスのカーテンウォールで包まれた校舎は、それ自体が「新しい室内」の宣言だった。照明器具や家具、壁の色彩計画まで、校舎の室内の多くが校内の工房から生まれた。壁は白く塗られ、鋼管のパイプで組まれた椅子が、それまで「木の塊を彫るもの」だった家具の概念をひっくり返していた。

バウハウス。この学校が存在したのは、わずか14年間だ。

しかしこの14年が、室内空間の歴史を不可逆的に変えた。10万年のインテリア史のなかで、20世紀ほど激しく、濃密に、そして矛盾に満ちた変革が凝縮された時代はない。

壁が構造から解放された。鋼管が椅子になった。合板が人間の身体を包み込んだ。プラスチックが家庭に原色を持ち込んだ。そして安っぽいラミネートが「美とは何か」を問い直した。

この第Ⅴ部は、その100年間を5つの幕に分けて追いかける。本企画全体のメインパートだ。


なぜ20世紀なのか

ここまで読んでくださった方は、こう思うかもしれない。「旧石器時代から始まって、古代文明、中世、ルネサンス、ヴェルサイユ、産業革命と来たのに、なぜ20世紀だけ16章も費やすのか?」

答えは単純だ。この100年間に起きた変化の「密度」が、桁違いだからだ。

第Ⅰ部では数万年を3章で駆け抜けた。第Ⅱ部は数千年を5章でカバーした。第Ⅲ部は1000年を4章、第Ⅳ部は300年を4章で語った。

ところが第Ⅴ部は、たった100年に16章+コラム4本を注ぎ込む。

それは、この100年のあいだに室内空間の「前提」がすべて書き換えられたからだ。壁は建物を支える義務から解放され、自由に動かせるようになった。数千年間、石か木か金属しかなかった素材パレットに、鋼管・合板・FRP・プラスチックが一気に加わった。「美しさ」の定義そのものが、何度も覆された。

私たちが今暮らしている部屋は、ほぼすべてがこの100年間の変化の産物だ。


5つの幕──20世紀を読む地図

この第Ⅴ部は、20世紀の室内の変化を5つの「幕」で語る。演劇のように、それぞれの幕にはクライマックスがあり、次の幕への転換点がある。

第1幕は「空間の解放」だ(第17〜19章)。 1927年、ル・コルビュジエは前年にまとめた「近代建築の五原則」を世に問うた。鉄筋コンクリートで建物を支えれば、壁はもう構造を担わなくていい。壁を自由に置ける。窓を横に長く取れる。──この原理は「部屋=壁で囲まれた箱」という数千年来の前提を覆した。ミース・ファン・デル・ローエは1929年のバルセロナ・パビリオンで、付加的な装飾を使わずに、大理石とガラスと鉄の「素材の選択」だけで空間を成立させてみせた。しかしこの変化には影もあった。理想を優先した住宅は、雨漏りやプライバシーの欠如に悩まされ、住む人の暮らしと衝突した。

第2幕は「デザインを教える学校」(第20〜22章)。 バウハウスは、ただの美術学校ではなかった。「すべての芸術を建築に統合する」という宣言のもと、絵画も彫刻も工芸も、最終的には「人が住む空間」のためにあると位置づけた。この学校は、近代的な「デザイン教育」の原型をつくった。デッサウの校舎では照明や家具、壁の色彩計画を学内の工房が手がけ、マルセル・ブロイヤーは自転車のハンドルバーからヒントを得て鋼管の椅子をつくった。木の塊を彫るものだった椅子が、空気のなかに線を引くものに変わった瞬間だ。

第3幕は「戦争が加速した素材の転換」(第23〜25章)。 戦争は悲惨だ。しかし皮肉なことに、第二次世界大戦は室内の素材を劇的に進化させた。イームズ夫妻の成形合板椅子DCWは、夫妻が戦時中に米海軍向けに開発した合板の添え木(副木)の技術を家具に転用したものだ。FRP(ガラス繊維強化プラスチック)も、戦時の軍需技術のなかで実用化が進んだ。1907年に発明されたベークライトに始まる合成樹脂の系譜は、石・木・金属しかなかった室内の素材パレットに「色の自由」をもたらした。

第4幕は「椅子の黄金時代」(第26〜28章)。 20世紀の建築家やデザイナーがなぜあれほど椅子にこだわったのか。それは椅子が「空間の思想を、もっとも小さなスケールで実現できる装置」だったからだ。ミースのバルセロナ・チェア、イームズのシェルチェア、ヤコブセンのセブンチェア。一方、北欧は「鋼管とガラス」のモダニズムとはまったく異なる「木と手仕事」の道を歩み、日本は「畳の上の近代化」という独自の問いに直面した。障子や屏風がライトやタウトを魅了し、戦後の公団住宅が生み出した「nLDK」が日本人の室内感覚を決定づけていく。

第5幕は「色と遊びの反乱」(第29〜32章)。 1960年代、宇宙開発の興奮と消費文化の広がりがインテリアに波及した。パントンはプラスチック一体成形で脚のない椅子をつくり、イタリアのデザイナーたちはビニールを膨らませて家具にした。やがて「Less is More」に対して「Less is a bore(少ないのは退屈だ)」という反論が現れる。1981年にソットサスが最初の展覧会を開いたメンフィスグループは、安いラミネートをわざと高級家具に使うことで、「高い/安い」「機能/装飾」のあらゆる二項対立をひっくり返した。ポストモダンは歴史を「引用」し、ギリシャの柱をピンク色に塗り、ゴシックのアーチをネオンで光らせた。ふざけているように見えて、じつは「人間は意味のない空間では生きられない」という深い洞察に根ざしていた。


第Ⅳ部から第Ⅴ部へ──モリスの問いを引き継ぐ

第Ⅳ部の最後で、ウィリアム・モリスは「工業化が美を殺した」と叫んだ。手仕事の復権を唱え、美しい壁紙と家具をつくった。しかし皮肉なことに、モリスの製品は裕福な階級にしか買えなかった。「人民のための美」を掲げながら、その美を人民に届けられない──この矛盾は、モリスの生前には解決されなかった。

バウハウスが引き受けたのは、まさにこの問いだった。

「工業生産と美は両立できるのか?」

グロピウスの答えはイエスだった。機械を敵視するのではなく、機械の力を味方につけて、美しいものを大量に、安く届ける。職人の手仕事と工場の量産を対立させるのではなく、デザインという知的作業で橋渡しする。──ここで「デザイン」という言葉は、現代的な意味に近づいた。

モリスが投げかけた問いを、バウハウスは別の方法で引き受けた。


壁・素材・意味──3つの変化が同時に進行する

第Ⅴ部を読むときに、ひとつ意識してほしいことがある。

20世紀のインテリアの変化は、ひとつの物語ではない。少なくとも3つの流れが、同時並行で進んでいた。

ひとつめは「壁の解放」だ。 ル・コルビュジエの「自由な平面」とミースの「流れる空間」は、壁を構造的な義務から解放した。壁が自由に動かせるようになったことで、間取りという概念が根底から変わった。──面白いのは、この「壁を自由にする」という発想が、日本の障子や屏風がずっと以前から実践していたことと重なる点だ(第11章)。西洋がコンクリートと鉄で実現したことを、日本は紙と木でとっくにやっていた。

ふたつめは「素材の拡大」だ。 鋼管、成形合板、FRP、ABS、ポリプロピレン──20世紀には、数千年のあいだ石と木と金属と布が中心だった室内に、まったく新しい素材が次々と流れ込んだ。素材が変われば、形が変わる。形が変われば、身体との関係が変わる。身体との関係が変われば、空間の意味が変わる。

みっつめは「意味の問い直し」だ。 モダニズムはアドルフ・ロースの「装飾と犯罪」を旗印に、室内から装飾と象徴を剥ぎ取ろうとした。ポストモダンは「意味のない空間では人は生きられない」と反論して、歴史の引用や記号を室内に持ち戻した。「室内に意味は必要か?」──この問いは、いまだに答えが出ていない。

この3つの流れは互いに絡み合いながら、100年間を駆け抜ける。


世界が「ひとつの部屋」を共有し始めた世紀

もうひとつ、第Ⅴ部を通じて注目してほしい変化がある。

第Ⅱ部のメソポタミアとエジプトは、互いにそれほど交流がないのに、それぞれ独自の室内文化を築いた。第Ⅲ部のヨーロッパと日本は、互いの存在をほぼ知らないまま、タペストリーと障子というまるで違う「壁の使い方」を編み出した。

20世紀は違う。

バウハウスの教師がアメリカに亡命し、イームズ夫妻の椅子がヨーロッパに逆輸入され、北欧デザインがアメリカで広く売れ、イタリアのメンフィスが東京のデザイナーを刺激した。──20世紀は、室内デザインが初めて「国際的な対話」になった時代だ。

しかし同時に、それぞれの土地に固有の室内文化も消えたわけではない。北欧は「鋼管」ではなく「白樺」でモダニズムを語り、日本は「畳の上の近代化」という独自の道を歩んだ。グローバルな対話と、ローカルな独自性。その両方が共存しているところが、20世紀のインテリア史の面白さだ。


序章の7つのレイヤーで見る20世紀

序章で提示した7つのレイヤーを、20世紀の室内に当てはめてみよう。

床。 コンクリートのスラブがすべてを変えた。ピロティで建物を持ち上げれば、1階の床は地面から浮き上がる。床暖房の技術は、古代ローマのハイポコーストに通じる発想を、温水や電気で実現した。

壁。 「自由な平面」が壁を構造から解放した。壁は「支えるもの」から「置くもの」に変わった。ガラスのカーテンウォールは壁と窓の区別すら消してしまった。

天井。 鉄筋コンクリートのフラットスラブが、天井を薄く、平らにした。ゴシック大聖堂の劇的な高さとは正反対の「低く均質な天井」が、モダニズムの標準になった。

家具。 ここが20世紀最大の革新だ。鋼管椅子、成形合板椅子、プラスチック椅子、インフレータブル家具──家具のかたちと素材が、100年間で数千年分の変化を遂げた。

照明。 白熱電球は蛍光灯に、蛍光灯はLEDに置き換わった。照明器具そのものが空間を彫刻するオブジェとなり、イサム・ノグチのAkariランプのように光と素材が芸術的に融合した。

暖房。 セントラルヒーティングが普及し、暖炉は室内の主人公の座を完全に降りた。エアコンの登場は「暖房」の概念を「空調」に拡張し、温度と湿度を通年でコントロールできるようになった。

象徴。 ここが最も複雑だ。モダニズムは室内から象徴を剥ぎ取ろうとした。白い壁、機能的な家具、装飾の排除。しかしポストモダンは象徴を復活させ、歴史の引用や鮮やかな色彩で室内を「語る空間」に変えた。20世紀の室内は、「象徴を消す」と「象徴を取り戻す」のあいだを激しく揺れ動いた。

7つのレイヤーのすべてが、100年間で根本的に書き換えられた。それが20世紀のインテリアに起きたことだ。


10万年が凝縮された100年

古代エジプトが「来世のために」つくった家具(第5章)を、バウハウスは「万人のために」つくり直そうとした。日本の障子が何百年もかけて育んだ「動く壁」とよく似た可変の間取り(第11章)を、ル・コルビュジエはコンクリートの構造によって実現した。モリスが「機械は美を殺す」と嘆いた矛盾(第16章)を、グロピウスは「機械を美の味方にする」ことで解いてみせた。

10万年の室内の歴史が、この100年間に凝縮されている。