第4幕|椅子の黄金時代 ── 名作チェアが生まれた背景
建築家はなぜ「椅子」にすべてを賭けたのか
1958年、コペンハーゲン。
建築家アルネ・ヤコブセンは、自宅のガレージにこもっていた。手にしているのは針金と石膏。それを捏ね、曲げ、削りながら、ひとつの椅子の形を探っている。
ヤコブセンが設計を任されたのは、コペンハーゲン初の高層ホテル──SASロイヤルホテル。地上22階建て、高さ約70メートル、客室275室。しかし彼はビルの図面だけでは満足しなかった。建物の外壁から、ロビーの椅子、レストランのカトラリー、客室のドアハンドル、灰皿、カーテンの生地、サインの書体まで──すべてを自分でデザインすると宣言したのだ。
そのガレージの石膏から生まれたのが、のちに世界で最も有名な椅子のひとつになるエッグチェアだった。
なぜ、建物を設計する建築家が、わざわざ椅子にまでこだわるのか。
答えはシンプルだ。椅子は、空間の思想をもっとも小さなスケールで実現できる装置だからだ。建築は何千人ものための空間をつくる。しかし椅子は、たったひとりの身体に向き合う。素材の選択、構造の原理、快適さへの哲学──建築家が空間全体に込めたメッセージを、一脚の椅子に凝縮できる。
20世紀は、まさに「椅子の世紀」だった。
3つの物語、3つの章
第4幕では、20世紀が生んだ名作チェアの世界を3つの視点から読み解く。
第26章は「10脚の名作椅子」の物語だ。 バルセロナ・チェア、スツール60、エッグチェア、パントンチェア──なぜ20世紀の建築家やデザイナーはあれほど椅子に情熱を注いだのか。代表的な10脚を取り上げ、それぞれが室内空間にどんな「メッセージ」を持ち込んだかを読み解く。
第27章は「北欧デザイン」の物語だ。 バウハウスが鋼管とガラスのモダニズムを推し進めたのに対し、北欧は「木と手仕事」という独自の道を歩んだ。アアルトの白樺の曲げ木、ウェグナーの500脚の椅子、ヤコブセンの有機的なフォルム。工業生産と手仕事を対立させず、幸福に結婚させることに成功した「もうひとつのモダン」の秘密に迫る。
第28章は「日本のモダニズム」の物語だ。 障子と屏風の「透ける間仕切り」はライトやタウトを魅了し、戦後の公団住宅が生み出した「nLDK」は日本人の室内感覚を決定づけた。剣持勇、柳宗理、倉俣史朗──日本のデザイナーたちは「畳の上の近代化」という難題にどう向き合ったのか。
前の時代からの跳躍
第3幕では、戦争が加速した素材の転換を追いかけた。イームズ夫妻の成形合板とFRPシェルチェアは、「安くて、軽くて、美しい」家具の可能性を世界に示した。
第4幕では、視点を変える。
素材や技術の話から、「思想」の話へ。
椅子は単に「座るもの」ではなくなった。建築家にとって、椅子は空間の思想を宣言する「マニフェスト」になった。ミースは古代ローマの権威を鋼のフレームで再解釈し、アアルトはフィンランドの白樺の森を室内に持ち込み、ヤコブセンはホテルのロビーに彫刻を置いた。
そしてこの流れは、日本と北欧という「バウハウスの外側」にまで広がっていく。鋼管とコンクリートだけがモダニズムではない。木の温もりと手仕事の繊細さを活かした「もうひとつのモダン」が、20世紀の後半に花開く。
名作椅子を生んだ3つの仕組み
20世紀半ばに名作椅子が集中して生まれたのは、デザイナーの才能だけによるものではない。デザインを製品に変える仕組みが、地域ごとに整っていた。
デンマーク──家具職人と組む展示会。 コペンハーゲンでは1927年から1966年まで、家具職人組合の展示会が毎年開かれた。建築家やデザイナーが工房の親方と組んで新作を発表する場で、デザインと手仕事が一対一で出会う機会になった。ウェグナーのように職人出身のデザイナーが育ったのも、この土壌があったからだ。
アメリカ──メーカーがデザイナーを抱える。 ハーマンミラー社は1945年にジョージ・ネルソンをデザインディレクターに迎え、イームズ夫妻らの家具を量産した。1938年創業のノル社は、ミースやサーリネン、ベルトイアらの椅子を製品化し、オフィスや公共施設に広めた。デザイナーの図面を工場の量産ラインに乗せる役割を、メーカーが担った。
日本──研究機関と工房。 1928年に仙台に設けられた商工省の工芸指導所は、ブルーノ・タウトを招き、剣持勇らが椅子の研究に取り組んだ。戦後は天童木工などが成形合板の技術を磨き、柳宗理のバタフライスツールのような製品を生んだ。
3つの仕組みは違っても、いずれも「一脚の椅子を、つくり続けられる製品にする」ための回路だった。名作椅子の多くが今も生産されているのは、この回路が残っているからでもある。
椅子が室内の何を変えたのか
第4幕の椅子は、室内の7つのレイヤーのうち、とくに次の3つを動かした。
家具──壁から離れて部屋の中央に置かれる椅子が増えた。背面まで美しく仕上げた椅子は、部屋のどこに置かれてもよい「独立した存在」になった。
床──椅子やソファが部屋の中央に島のように置かれると、その下に敷く敷物が「居場所の範囲」を示すようになる。壁のかわりに、床の上の家具と敷物が空間を区切った。
象徴──一脚の椅子が、その家や会社の価値観を示す記号になった。ロビーに置かれたエッグチェアや、食堂に並ぶセブンチェアは、座るための道具であると同時に、その空間が何を大切にしているかを語っている。