デザイナーズ家具・インテリア カタログ Stories of Design Interior Catalog

インテリアデザイン10万年史

洞窟の炉からスマートホームまで人類とインテリアの10万年の物語

第31章|安いラミネートをわざと高級家具に使う

メンフィスグループの挑戦


1980年12月のある夜。ミラノ、エットーレ・ソットサスのアパートメント。

集まった若いデザイナーたちの背後で、レコードプレーヤーからボブ・ディランの曲がリピート再生されていた。

「Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again」

ソットサスのパートナーで批評家のバルバラ・ラディーチェによれば、その夜ソットサスが「メンフィスと呼ぼう」と言い、みんながその名前に賛成したという。ブルースとテネシーとロックンロール、そして古代エジプトの都──いくつもの連想を呼ぶ名前だった。

ブルースの聖地。エルヴィスの街。そして古代エジプトの首都。──ひとつの名前に、ポピュラーカルチャーと古代文明が同居する。その混沌が、このグループの持ち味だった。


ソットサス──反逆児は63歳だった

メンフィスの創設者エットーレ・ソットサスは、結成時すでに63歳だった。

反逆は、若者の専売特許ではない。

1917年、オーストリアのインスブルックに生まれた。父はイタリア人建築家。トリノ工科大学を1939年に卒業し、第二次世界大戦ではユーゴスラヴィアで収容所生活を送った。戦後ミラノで設計事務所を開き、1958年からオリヴェッティ社のエレクトロニクス部門のデザインコンサルタントに就任した。

ソットサスのオリヴェッティでの仕事は、それだけで一冊の本になるほど豊かだ。1959年のメインフレーム・コンピュータエレア9003は、イタリアの工業デザイン賞コンパッソ・ドーロを受賞した。1969年のタイプライターヴァレンタイン(ペリー・キングとの共同デザイン)は、赤いプラスチック筐体の可搬型タイプライターで、「タイプライターのビック・ボールペン」──安くて、軽くて、どこにでも持っていけるもの──を目指した。

1961年のインド旅行が、ソットサスの思想を決定的に変えた。西洋の合理主義とは異なる世界観に触れた経験は、のちのメンフィスの原色と模様に直結する。ソットサスは、機能主義だけではデザインは足りず、官能的で刺激的でもあるべきだと繰り返し語っている。


1981年9月──55点の作品が世界を驚かせた

メンフィスの最初の展覧会は、1981年9月18日と19日、ミラノのアルク'74ギャラリーで開かれた。

展示されたのは、家具、照明、時計、陶器など55点。照明メーカー、アルテミデのボス、エルネスト・ジスモンディが製造資金を提供した。

反響は即座に、しかも大きかった。

世界中のメディアがメンフィスを報じた。称賛する声がある一方で、悪趣味な冗談にすぎないと切り捨てる批評家もいた。

賛否は真っ二つに割れた。しかし、無視できる人は誰もいなかった。


「Carlton」──メンフィスの記念碑

メンフィスの代表作を一点だけ選ぶとすれば、ソットサスの**Carlton(カールトン)**だろう。

1981年のデビュー展で発表されたこの作品は、本棚であり、間仕切りであり、飾り棚であり、チェストでもある。──いや、そのどれとも言い切れない。美術館の登録名は**「ルーム・ディバイダー(部屋の仕切り)」**だ。

高さも幅も約2メートル、奥行き約40センチ。

素材はMDFなどの木質ボードにプラスチックラミネートを貼ったもの。色は緑、黄、青、赤、ピンク。土台にはバクテリオ・パターン。

色とりどりのラミネートを貼った板を斜めに組み合わせた、人の形にも見える棚
ソットサス「カールトン」(1981年、ミルウォーキー美術館)Sailko / CC BY 3.0 — Wikimedia Commons

MDFとプラスチックラミネート。これは、家具の世界では「安物の素材」だ。IKEAのカラーボックスと同じ素材と言ってもいい。キッチンカウンターの表面材だ。普通のデザイナーなら、高級家具にこの素材を選ぶことは絶対にない。

ソットサスは、わざとそれを選んだ。

しかもCarltonは、安物の素材で雑につくられているわけではない。MDFの各パーツは精密にカットされ、ラミネートは丁寧に貼られ、接合部は正確に仕上げられている。安い素材を、高い技術で組み上げている。

「高い素材=高級家具、安い素材=安物家具」という常識を、Carltonはひっくり返した。素材の「格」ではなく、デザインの「意志」が家具の価値を決める。──これがメンフィスの核心的な主張だった。

斜めに傾いた棚板も、意図的だ。普通の本棚は棚が水平で、本が垂直に立つ。Carltonの棚はさまざまな角度で傾いていて、本を立てると倒れてしまう。──しかし、それでいい。本棚は本を「収納する」ためだけにあるのではない。本棚は部屋の中に「形」を持ち込む彫刻でもある。

Carltonはメトロポリタン美術館(収蔵番号1997.460.1a–d)やニューヨーク近代美術館(収蔵番号1290.2018)が所蔵している。


メンフィスの星たち──55点を支えたデザイナーたち

メンフィスはソットサスの「ワンマンショー」ではなかった。国際的なデザイナー集団だった。

ミケーレ・デ・ルッキ(1951年生まれ)。イタリア人建築家。代表作**ファースト・チェア(1983年)**は、メンフィスのなかでも商業的に成功した作品のひとつだ。円環の背もたれと球体の肘掛けがついた、おもちゃのような椅子。しかし座り心地は意外にいい。

ナタリー・デュ・パスキエ(1957年生まれ)。フランス人アーティスト。メンフィスのテキスタイルとパターンを手がけ、あの独特の「メンフィス柄」──幾何学模様とポップな色彩の洪水──をつくり上げた。メンフィスの視覚的アイデンティティは、彼女なしには存在しなかった。

ジョージ・ソーデン。イギリス人デザイナーで、ナタリー・デュ・パスキエとともにメンフィスのパターンや家具を手がけた。

マッテオ・トゥーン(1952年生まれ)。オーストリア人建築家・デザイナー。のちにソットサス・アソチアーティを共同設立する。

そして、倉俣史朗(1934-1991)。


倉俣史朗──メンフィスの「日本の顔」

東京出身のインテリアデザイナー倉俣史朗は、メンフィスの結成当初からのメンバーだった。

倉俣のメンフィス作品には、日本の美意識が静かに流れている。

京都テーブル(1983年)。コンクリートにガラス片を埋め込み、テラゾのように研ぎ出した天板のテーブル。メンフィスの原色の洪水のなかで、倉俣の作品は静かな異彩を放った。

しかし、倉俣の真の代名詞はメンフィスの「外」にある。

第28章で見た**How High the Moon(1986年)**は金属の網だけで安楽椅子の形をつくり、**ミス・ブランシュ(1988年)**は透明なアクリル樹脂のなかに造花の薔薇を閉じ込めた。どちらも、家具の「実体感」を消して空間に溶かし込もうとする試みだった。

倉俣は1991年に56歳で亡くなった。メンフィスに日本の繊細さを持ち込み、メンフィスの後にはメンフィスとはまったく異なる方法で「意味のある家具」をつくり続けた。


デヴィッド・ボウイのメンフィス

メンフィスの影響力を測るうえで、ひとつのエピソードを紹介しよう。

ロック・ミュージシャンのデヴィッド・ボウイは、メンフィスの家具を熱心に収集していた。

2016年にボウイが亡くなると、同じ年の秋、ロンドンのサザビーズで彼の美術・デザインのコレクションが競売にかけられ、メンフィスの家具もまとめて出品された。

かつて「冗談のガラクタ」と笑われた家具が、ロックスターのコレクションとして大きな注目を集める。──初期の酷評は、歴史によって覆された。


なぜメンフィスは衝撃だったのか

メンフィスが破壊した二項対立は、少なくとも4つある。

① 高い素材 vs 安い素材。 Carltonの素材はMDFとプラスチックラミネート──キッチンカウンターの素材だ。それを「美術館に収蔵される家具」に使った。素材のヒエラルキーが消滅した。

② 手仕事 vs 工業製品。 メンフィスの家具は、安い工業素材を職人の手仕事で精密に組み上げている。「手仕事は伝統工芸、工業素材は量産品」という区分が意味を失った。

③ 機能 vs 装飾。 Carltonの棚は傾いていて本が倒れる。デ・ルッキのタヒチ・ランプの、鳥の頭のような形は照明器具としては不合理だ。しかしそれでいい。家具は「使うもの」であると同時に「見るもの」「感じるもの」でもある。

④ 良い趣味 vs 悪い趣味。 メンフィスの色彩は、従来のデザインの「良い趣味」の基準から見れば、悪趣味そのものだ。原色と蛍光色の衝突、幾何学模様とバクテリオの混在。しかしメンフィスは「良い趣味とは誰が決めるのか?」と問いかけた。

──「良いデザインとは何か」の定義そのものを問い直すこと。それがメンフィスの仕事だった。


数年で解散──しかし影響は長く残った

ソットサスは1985年にメンフィスを離れ、建築事務所ソットサス・アソチアーティに専念した。

メンフィスは1987年から1988年にかけて解散した(資料により年が異なる)。結成からわずか6年。

しかし、メンフィスが開いた扉は閉じなかった。

「デザインは機能と美の調和でなければならない」──この前提を、メンフィスは完全に解体した。デザインは遊びでもいい。皮肉でもいい。意味不明でもいい。不快でさえいい。──大事なのは、「何かを感じさせる」ことだ。

この遺産は、1990年代以降のデザインに広く浸透している。色の自由、素材の混合、装飾の復権、ユーモアの導入。──メンフィス以前と以後では、「許されるデザインの範囲」がまったく違う。

現在、「メンフィス・ミラノ」のブランド名で製品は再生産されている。Carltonは今では高価なコレクターズアイテムだ。

かつて「安い素材の冗談の家具」と笑われたものが、高級コレクターズアイテムになっている。──この皮肉そのものが、メンフィス的だと言えるかもしれない。