第35章|センサーとAIが室内を運用する
デジタル化の最前線
アムステルダムの南部ビジネス地区ザイダスに、奇妙なオフィスビルがある。
The Edge(ジ・エッジ)。デロイトのオランダ本社として2014年第4四半期にオープンしたこのビルは、ロンドンのPLPアーキテクチャが設計した延べ4万平方メートルのオフィスだ。
何が奇妙かというと、このビルには約3万個のセンサーが埋め込まれている。
天井に設置された6000枚のLEDパネルのうち半数にセンサーが組み込まれ、人の動き、照明レベル、湿度、温度、空気質、在席状況をリアルタイムで計測している。フィリップスが開発した「ライト・オーバー・イーサネット」システムは、従来型照明と比べて電力消費を50%削減。スマートフォンの専用アプリは、個人の好みに合わせて照明と室温を調整し、空いているデスクを探し、同僚の居場所を表示し、コーヒーの好みまで記憶する。
結果、The Edgeは英国BRE(建築研究所)のBREEAM評価で98.36%という、オフィスビルとして世界最高のサステナビリティスコアを獲得した。使用電力は同規模の一般的なオフィスビルの30%以下。しかも太陽光パネルで消費量以上の電力を自家発電し、エネルギー収支はプラスだ。
2500人の従業員が約1000台のデスクを共有するホットデスキング方式で、座り仕事用デスク、スタンディングデスク、作業ブース、集中個室、バルコニーデスクを、その日の仕事内容に合わせて選ぶ。「自分のデスク」はない。その代わり、ビル全体が「自分に最適化された空間」になる。
これが、デジタル技術が実現した21世紀のインテリアの姿だ。
BIM──建てる前に「住む」
The Edgeのような建物が可能になった背景には、設計技術の根本的な変革がある。
**BIM(ビルディング・インフォメーション・モデリング)**だ。
従来の建築設計は、2次元の図面の上で行われていた。平面図、断面図、立面図を描き、それを職人が読み解いて建設する。しかし図面は「情報の断片」だ。平面図には高さがわからないし、断面図には隣の部屋との関係がわからない。図面から完成形を正確に想像するには、高度な訓練が必要だった。
BIMはこの限界を打ち破った。建物を丸ごと3Dモデルとしてコンピュータ上に構築し、そのモデルに素材の種類、コスト、エネルギー性能、施工手順などの情報をすべて統合する。設計段階で室内の光環境をシミュレーションし、空調の効率を計算し、家具を配置して動線を検証できる。文字どおり「建てる前に住む」体験が可能になったのだ。
BIMの原理を最初に記述したのは、カーネギーメロン大学のチャールズ・イーストマンで、1975年のことだった。しかし実用的なソフトウェアとして最初に世に出たのは、ハンガリーのグラフィソフト社が1987年にリリースしたArchiCADだ。「バーチャル・ビルディング」という概念を掲げたこのソフトは、BIMの最初の実装と見なされている。
一方、オートデスク社が2002年にRevit Technology Corporationを1億3300万ドルで買収して手に入れたRevitは、米国市場を中心にBIMの代名詞となった。Revitのバージョン1.0が発売されたのは2000年4月5日のことだ。
2024年時点でBIMの世界市場は約80〜100億ドル。米国では建設業者の74%、建築家の70%、エンジニアの**67%**がBIMを使用している。大手建築事務所の採用率は100%に達し、小規模事務所でも52%まで普及した(2019年の37%から大幅に上昇)。
英国は2012年に公共プロジェクトでのBIM使用を義務化し、世界に先駆けた。フィンランドは2002年からの先駆的導入で建築事務所の93%に普及。スウェーデンは2015年に義務化し、採用率は75%を超える。
IoT──部屋が「息をする」
BIMが「設計」を変えたとすれば、**IoT(Internet of Things)**は「運用」を変えた。
建物のなかに埋め込まれたセンサーが温度、湿度、CO₂濃度、照度、人の在不在をリアルタイムで計測し、そのデータをネットワーク経由でビル管理システム(BMS)に送る。BMSはAIでデータを解析し、空調や照明を自動調整する。
会議室に人がいなくなれば、照明は消え、空調は弱まる。窓から日差しが強くなれば、ブラインドが閉じる。CO₂濃度が上がれば、換気量が増える。──こうした調整が、人の手を介さずに行われる。
前の章で見たWELL認証が「部屋の健康度を測る」制度だとすれば、IoTは「部屋の健康度をリアルタイムで維持する」装置だ。
スマートビルの世界市場は2024年時点で約1000〜1400億ドルに達し、2032年までに5000〜8000億ドルに成長すると予測されている。北米が世界市場の35〜40%を占めるが、アジアとヨーロッパでも急速に拡大中だ。
The Edgeのようなハイテクビルだけの話ではない。家庭用のスマートスピーカー、学習型サーモスタット、人感センサー付き照明──これらもすべてIoTの一部だ。室内空間のデジタル化は、オフィスから住宅へ、大規模ビルから個人の部屋へと、確実に裾野を広げている。
デジタルツイン──仮想空間に部屋を「複製」する
BIMは設計段階で建物をモデル化する。しかし建物は竣工した瞬間から変わりはじめる。壁が汚れ、設備が劣化し、人の使い方が変わる。設計時のBIMモデルと現実の建物は、日に日にずれていく。
このギャップを埋めるのが、デジタルツインだ。
デジタルツインとは、現実の建物をIoTセンサーのリアルタイムデータで常時更新し続ける、建物の「生きたコピー」のことだ。BIMモデルが「設計図書の3D版」であるのに対し、デジタルツインは「今この瞬間の建物の状態を映す鏡」だ。
温度が上がればデジタルツイン上でも温度が上がる。人が移動すればデジタルツイン上でも人が移動する。設備に異常の兆候が現れれば、故障する前にアラートが出る。
デジタルツインの世界市場は2026年までに約482億ドルに達すると予測されている。導入効果はすでに数字で示されつつある。エネルギー使用量の最大20%削減、メンテナンスコストの25〜30%削減、不動産価値の7〜20%向上。パイロットプログラムではエネルギーコスト40%削減、施設管理コスト15%削減、運用コスト30%削減という報告もある。
オランダのアファンス・ホーゲスクール(大学)では、プリヴァ社のデジタルツインを導入してガス使用量を40%削減した。しかも室内環境の質は向上している。エネルギーを減らしながら快適さを増す──デジタルツインは、この一見矛盾する要求を両立させる技術だ。
3Dプリンターが「一点もの」を量産する
デジタル技術がインテリアに持ち込んだもうひとつの革命が、3Dプリンティングだ。
第Ⅴ部で見てきた20世紀のデザイン史は、「大量生産」と「一品制作」の対立の歴史でもあった。トーネットのNo.14は大量生産の勝利であり、モリスの手仕事は大量生産への反乱だった。イームズのシェルチェアは「安くて美しい」を大量生産で実現し、メンフィスは「安い素材を高級家具として」一品制作した。
3Dプリンターは、この対立をまったく新しい方法で解消する。デジタルデータを入力すれば、1点だけでもコストの大きな追加なく製造できる。100個つくっても、100個すべてが異なる形でもいい。「一点もの」を量産するという、これまで不可能だった生産方法が現実になった。
素材はPLA樹脂(100%リサイクル品も含む)、砂、コンクリート、セラミック、木質コンポジット、さらにはコーヒー粕や米と粘土の混合物まで多岐にわたる。家具、照明器具、装飾品、洗面台、壁パネル、ファサード部材、階段──プリントできるものの範囲は急速に広がっている。
スペインのナガミ社は、ザハ・ハディド・アーキテクツと共同でミラノ家具見本市に3Dプリントの椅子コレクション「Brave New World」を出品した。ドイツのザントヘルデン社は24時間で150個の洗面台をプリントする能力を持つ。デザイナーのヤンネ・キタネンは重量わずか2.5kgで100kgの荷重に耐えるソファを設計した。
東京・銀座のロフト旗艦店は、店内のインテリアを全面的に3Dプリント家具で構成した事例として注目を集めた。
3Dプリンティングは「量産品の均一さ」と「一品制作の個別性」の二者択一を過去のものにする。すべてのデスクが微妙に異なる曲線を持ち、すべての照明器具がその部屋の天井高に合わせた形をしている──そんなオフィスが、理論的にはもう実現可能なのだ。
AIが空間を「提案」する
そしてデジタル化の最前線に立つのが、**AI(人工知能)**だ。
生成AIプラットフォームは、部屋の写真やフラットプランから数秒で室内のビジュアライゼーションを生成する。Interior AIは30秒で50以上のスタイルに部屋を変換する。Spacely AIは間取り図から60秒以内にフォトリアリスティックな3Dレイアウトをレンダリングし、Revit、SketchUp、AutoCADと連携する。
しかしAIのインテリアへの影響は、見た目のシミュレーションだけにとどまらない。
**コンピュテーショナルデザイン(計算的設計)**と呼ばれる手法では、設計者が「窓の面積」「動線の効率」「家具の配置制約」といったパラメータ(条件)を入力し、コンピュータが数千から数百万の設計案を自動生成して、最適解を提示する。人間が考えつかなかった配置が、アルゴリズムから生まれる。
ザハ・ハディド・アーキテクツのパートナーであるパトリック・シューマッハーは、2008年にこうした設計手法を**「パラメトリシズム」**と名づけた。「デザインのすべての要素がパラメトリックに可変であり、互いに適応的である」スタイル。ザハ・ハディド(1950〜2016)──女性初のプリツカー賞受賞者(2004年)──が実現したバクーのヘイダル・アリエフ・センターやソウルの東大門デザインプラザの流れるような曲面は、この手法なしには不可能だった。
「テクノロジーは見えなくなるべきだ」
The Edgeの設計チームは、興味深いことを語っている。
「最高のテクノロジーは、見えなくなるべきだ。」
3万個のセンサーは天井のLEDパネルに溶け込み、アプリは使いたい人だけが使えばいい。テクノロジーの存在を意識しなくても、最適な温度と照明が自動的に提供される。──それが目指す姿だという。
思い返せば、この本で見てきた技術革新はすべてそうだった。
暖炉が煙突を得たとき、煙は消え、暖かさだけが残った。セントラルヒーティングが普及したとき、暖炉は消え、暖かさだけが残った。電球が発明されたとき、炎は消え、光だけが残った。
21世紀のデジタル技術もまた、やがて「消える」だろう。センサーもAIもBIMも、人が意識しなくなったとき、はじめて完成する。
室内空間は10万年かけて、「快適さを生み出す装置」をつねに進化させてきた。焚き火から始まったその装置は、石ランプになり、暖炉になり、電球になり、セントラルヒーティングになり──そして今、センサーとアルゴリズムになりつつある。
装置は変わる。しかし目的は変わらない。
──人が、心地よく、健やかに、過ごせる空間をつくること。