インテリアデザイン10万年史

洞窟の炉からスマートホームまで人類とインテリアの10万年の物語

第10章|光が踊る壁

アルハンブラ宮殿とイスラームの室内美学


前章のヨーロッパ中世の城は、石の壁に囲まれた薄暗い空間だった。人々はタペストリーという布の力で、その冷たさと暗さに対抗した。

ここからは、まったく別の世界に入る。

スペイン南部、グラナダの丘の上に建つアルハンブラ宮殿。アラビア語で「赤い城塞(アル=カラト・アル=ハムラー)」を意味するこの宮殿は、外から見るとただの赤茶けた城壁にすぎない。

しかし、一歩中に足を踏み入れた瞬間、世界が一変する。

漆喰の透かし彫りが光を複雑に屈折させ、壁面を埋め尽くすタイルの幾何学模様が無限に増殖し、中庭の噴水が水音と光の反射を室内に引き込む。「外は質素に、中は豪華に」──イスラーム建築の基本原則が、ここでは極限まで研ぎ澄まされている。

西欧中世が「布で壁を覆った」のに対し、イスラーム世界は「壁そのものを光の装置に変えた」。


ナスル朝──イベリア半島最後のムスリム王朝

アルハンブラ宮殿の歴史は、追い詰められた王朝の歴史でもある。

1236年にコルドバ、1248年にセビリアがキリスト教勢力に征服され、イベリア半島のイスラーム勢力は急速に縮小していった。そのなかでムハンマド1世イブン・アル=アフマルが1238年にグラナダを首都と定め、ナスル朝を開いた。イベリア半島最後のムスリム王朝だ。この王朝は1492年まで──コロンブスが「新大陸」に到達した年まで──約250年間存続した。

宮殿の建設は段階的に進んだ。ムハンマド1世と2世が城壁と水利施設を整え、シエラネバダ山脈からの用水路(スルタンの水路)を引いた。14世紀前半にはイスマーイール1世、ユースフ1世のもとで本格的な宮殿建築が始まり、**ムハンマド5世の治世(1362~1391年)**で頂点に達した。アルハンブラ宮殿の最も華麗な部分は、この最盛期に完成したものだ。

宮殿全体は、西端の軍事要塞アルカサバ、半公開の行政区メスアール、公式謁見のためのコマレス宮、私的空間としてのライオンの宮、そして浴場・造幣所・工房を含む城塞都市として構成されていた。


大使の間──「天国の天井」をもつ玉座の間

アルハンブラ宮殿のなかで最も荘厳な空間は、コマレスの塔のなかにある**「大使の間(サロン・デ・ロス・エンバハドーレス)」**だ。

コマレスの塔はアルハンブラで最も高い塔(高さ45メートル)で、その内部にある正方形の部屋は一辺11.3メートル、天井高18.2メートル。ユースフ1世が建設し、ムハンマド5世が装飾を完成させた。スルタンが外国の使節を迎える謁見の間として使われた。

この部屋の最大の驚異は、天井にある。

8,017個のヒマラヤスギの木片が組み合わさって構成された木造のドームだ。これらの木片は7つの同心円と中央のムカルナス(鍾乳石飾り)で構成され、イスラームの天国──「7つの天」──を象徴している。最上部の8番目の天は「神の玉座」を意味する。4本の対角線上に「生命の樹」が描かれ、宇宙論的なプログラムを完成させている。

壁は厚さ2.5メートル。三方にアーチ型のアルコーブがあり、それぞれ双子のバルコニーを備えている。壁面はすべてタイル張りの腰壁、漆喰の植物文様(アタウリケ)、そしてカリグラフィーで覆い尽くされている。9つの小窓からだけ光が差し込む。

──この部屋で、1492年にコロンブスが航海の支援を受けた。同じ部屋で、同じ年の3月31日にユダヤ人追放令が署名された。


ライオンの中庭──12頭のライオンが守る楽園

アルハンブラ宮殿でもうひとつ、忘れられない空間がある。**「ライオンの中庭(パティオ・デ・ロス・レオネス)」**だ。

ムハンマド5世の治世に建設されたこの中庭は、およそ35メートル×20メートルの長方形。マカエル産の白大理石による124本の細い円柱が、複雑に彫刻された馬蹄形アーチとムカルナスのヴォールトを支えている。

中庭の中心に**「ライオンの噴水」**がある。12頭の大理石のライオンが、正十二角形のアラバスター製の水盤を支えている。ライオンはもともと多色に彩色されており、各ライオンが1時間ごとに水を噴き出す仕掛けだったと伝えられる。

水盤の縁には、「アルハンブラの詩人」と呼ばれる**イブン・ザムラク(1333~1393年)**の詩が刻まれている。「宝石のあいだを流れる溶けた銀」「流れる水が固い物質であるかのような錯覚を生む」──水の美しさと水利工学の巧みさを同時にたたえる詩だ。

噴水から4本の水路が十字に伸びる。これは**チャハル・バーグ(四分庭園)の伝統──ペルシアのキュロス大王のパサルガダエの庭園(紀元前6世紀)に遡る──に基づいており、コーランに描かれた「楽園の4つの川」**を象徴している。


「二人姉妹の間」──5,000個の鍾乳石飾りのドーム

ライオンの中庭に面した**「二人姉妹の間(サラ・デ・ラス・ドス・エルマナス)」**は、アルハンブラ宮殿のムカルナス技術の頂点を示す空間だ。

部屋の名前は、中央の噴水を挟んで対称に置かれた2枚の巨大な白大理石の板に由来する。1362年から1365年にかけて、ムハンマド5世の復位を祝って完成された。

圧巻はドーム天井だ。直径8メートルのムカルナス・ドームは、5,000個以上の漆喰の角柱状セルで構成されている。しかもそのひとつひとつが異なる形をしている。中央の八芒星から下方に向かって16の小ドームが展開し、八角形の架構に16の窓(8組の対窓)が穿たれ、計算された光を室内に導く。

鍾乳洞、蜂の巣、あるいは溶ける蝋燭──さまざまなものに喩えられるこのドームは、建築の質量が光のなかに溶解していくような視覚効果を生む。壁面にはナスル朝のモットー**「勝利者は神のみ(ワ・ラー・ガーリブ・イッラー・アッラー)」が繰り返され、その回数はアルハンブラ宮殿全体でおよそ9,000回**に及ぶ。


ムカルナス──「天を映す」数学

二人姉妹の間のドーム天井を理解するには、ムカルナスというイスラーム建築の独自技法を知る必要がある。

ムカルナスは10世紀半ばに、イラン北東部と北アフリカでほぼ同時に発生した。もともとは正方形の壁から円形のドームへの移行部(スキンチ)として構造的な役割を担っていたが、やがて精緻な装飾へと発展した。

ムカルナスの数学的原理は、二次元のタイリング(平面充填)を三次元に拡張したものだ。個々の角柱状セルは厳密な幾何学的規則に従いながらも、その組み合わせは無限の複雑さを生む──フラクタルの性質に近い。

ムカルナスの数学的な構成法を最初に体系化した書物は、1427年のギヤース・アッディーン・アル=カーシーによる**『算術の鍵(ミフターフ・アル=ヒサーブ)』**だ。

ムカルナスの解釈は大きく二つに分かれる。歴史家ヤッサル・タッバアは、イスラーム哲学者アル=バーキッラーニー(没1013年)が唱えた原子論──「宇宙は神の不断の意志によってのみ結びつけられた原子の集合体である」──との関連を指摘する。美術史家オレグ・グラバールは、大規模なムカルナス・ドームを「回転する天球の表象」と解釈する。

どちらの解釈にせよ、視覚的な効果は共通している。本来支えられているはずの構造が、支えなしに浮いているように見える。 固体が流動し、物質が光に溶解する。──それを可能にしているのは、神の意志だ、というのがイスラーム美学の核心にある思想だ。


幾何学文様──西洋に500年先んじた数学

アルハンブラ宮殿の壁面を埋め尽くすもうひとつの要素が、幾何学文様だ。

ペルシア語で「結び目」を意味する**「ギリフ」──角度をつけた直線で構成される絡み合いの文様──が、壁面を覆っている。イスラームの職人たちは1200年ごろに画期的な発見をした。5種類の標準化されたタイル(正十角形、正五角形、細長い六角形、菱形、蝶ネクタイ型)を使えば、これらの文様をタイリング(平面充填)として再構成できることを見出したのだ。すべてのタイルは辺の長さが等しく、角度はすべて36度の倍数**だった。

2007年、ハーバード大学の物理学者ピーター・ルーとプリンストン大学の数学者ポール・スタインハートは、イスファハンの**ダルブ・イ・イマーム廟(1453年)**の文様が、ペンローズ・タイリング──決して正確には繰り返さないが完全な秩序を保つ準結晶構造──とほぼ同一であることを証明した。中世イスラームの職人たちは、西洋の数学に500年先んじてこの構造を達成していたことになる。

壁の下部を飾るタイル装飾ゼリージュ(ゼッリージュ)は、釉薬をかけて焼いたテラコッタを手作業で小さな幾何学片に割り、裏返しに並べてから石膏で固定する。主要な制作地はモロッコのフェズ。コバルトブルー、エメラルドグリーン、オーカーイエロー、白、黒(赤は17世紀に追加)の鮮やかな色彩が、アルハンブラ宮殿の壁面を高さ1.5メートルまで覆っている。


カリグラフィーと水──偶像なき空間の構成原理

アルハンブラ宮殿には、人物も動物も(ライオンの噴水を除けば)ほとんど描かれていない。

イスラーム美術における**偶像忌避(アニコニズム)**は、コーランの明確な禁止というよりも、ハディース(預言者ムハンマドの言行録)の伝統と、「生きものの形を創るのは神のみの特権である」という信念に基づいている。この制約が、芸術的エネルギーを幾何学、カリグラフィー(書道)、植物文様(アラベスク)に集中させた。

結果として、アルハンブラ宮殿では文字そのものが装飾になった

角張ったクーフィー体は格式の高い碑文に、流麗なナスフ体スルス体は装飾目的に使い分けられ、壁面の隅々にまでコーランの一節やイブン・ザムラクの詩が刻まれている。あまりにも精緻に彫られた文字は、近づいて見ないと文字であることすらわからない。文字が装飾に、装飾が文字に溶け込んでいる。

そしてもうひとつの構成要素が、だ。

ミルトルの中庭には、長さ43メートルの細長い水盤があり、コマレスの塔が水面に映る。塔の高さが倍に見える仕掛けだ。水路は各部屋にまで引き込まれ、室内と室外の境界を曖昧にする。水の流れる音は空間に涼しさと静謐さをもたらし、蒸発は実際に周囲の温度を下げる。

コーランには「われわれはあらゆる生きものを水から創った」(21章30節)とある。水は実用(冷却)と象徴(楽園、浄化、神の属性としての静謐と清浄)の両方を担っていた。


「持ち運べる庭園」──イスラームの絨毯

アルハンブラ宮殿の空間を語るうえで、もうひとつ触れておきたいものがある。絨毯だ。

イスラームの絨毯は、しばしば**「持ち運べる庭園」**と呼ばれる。四分庭園(チャハル・バーグ)の構図──水路が十字に交差し、その間に花や樹木が配される──が、そのまま絨毯の文様になったからだ。

この「庭園を布に写しとる」発想の最も有名な例は、ササン朝ペルシアのホスロー1世(在位531~579年)のために織られたとされる**「ホスローの春」**だ。金、銀、絹、色石を使い、およそ84平方フィート(約7.8平方メートル)に庭園の風景が描かれていたという。637年にアラブ軍がクテシフォンを攻略した際、この絨毯は切り分けられて兵士たちに分配された。現物は残っていない。

乾燥した砂漠気候の中東では、実際の庭園を維持するには莫大な水が必要だ。絨毯に庭園を織り込むことで、気候に関係なく、どこにいても「楽園」を足元に広げることができた。

前章のタペストリーが「持ち運べる宮殿」だったとすれば、イスラームの絨毯は**「持ち運べる楽園」**だった。

序章の7つのレイヤーで見れば、タペストリーは「壁」のレイヤーに属し、絨毯は「床」のレイヤーに属する。しかしどちらも、織物という技術を使って空間に「意味」を与えるという点では共通している。それぞれの文化が、布に何を織り込むかが違うだけだ。


「装飾が空間をつくる」ということ

アルハンブラ宮殿がインテリアの歴史において決定的に重要なのは、**「装飾が空間を構成する」**という原理を示したことだ。

西洋のモダニズム建築──第Ⅴ部で詳しく取り上げる──は、「装飾は犯罪である」とまで言い切った(アドルフ・ロース)。構造を純粋に露出させ、装飾を剥ぎ取ることが「正しいデザイン」だと考えた。

アルハンブラ宮殿は、その正反対の思想で建てられている。

構造は漆喰とタイルの下に完全に隠されている。来訪者の目に映るのは、幾何学文様、カリグラフィー、ムカルナス、そして水と光の反射だけだ。壁の構造材が何であるかは、まったく問題にならない。装飾こそが空間を定義し、装飾こそが意味を伝え、装飾こそが美を生む。

しかもこの装飾は「見た目を美しくする」ための付加物ではない。幾何学文様は宇宙の秩序を映し、カリグラフィーは神の言葉を刻み、ムカルナスは天を表象し、水は楽園を象徴する。装飾のすべてが、宇宙論的・神学的な意味を持っている。

この「装飾=意味=空間」という等式は、20世紀後半にポストモダンの建築家たちが再発見することになる(第32章)。「人間は意味のない空間では生きられない」──その洞察を、アルハンブラ宮殿は14世紀にすでに建築で証明していた。


アルハンブラが遺したもの

アルハンブラ宮殿は、ナスル朝の滅亡後も奇跡的に破壊を免れた。

1492年にグラナダがキリスト教勢力に明け渡された後、カルロス5世が宮殿の一部にルネサンス様式の宮殿を増築したが、ナスル朝の宮殿群は概ね保存された。19世紀にはワシントン・アーヴィングの『アルハンブラ物語』(1832年)によって世界的な注目を浴び、修復が進められた。

アルハンブラ宮殿がインテリアの歴史に残した遺産は、ひとことで言えばこうだ。

偶像を描かなくても、人物を彫らなくても、幾何学と光と水と文字だけで、世界で最も美しい室内空間をつくることができる。

この事実は、「美しい室内」とは何かという問いに対する、西洋とはまったく異なる答えだ。そしてその答えは、500年後にペンローズ・タイリングとして「再発見」されるような数学的な深さに支えられていた。

次の章では、さらに東へ旅する。

日本列島。そこでは石でもレンガでも漆喰でもなく、紙と木と草で室内がつくられていた。壁は動き、床は柔らかく、空間は「空(から)」であることによって完成する。西洋ともイスラーム世界とも根本的に異なる、もうひとつの室内哲学を見に行こう。