S 33 チェアは、オランダの建築家マルト・スタムが1926年に生み出したカンチレバー(片持ち)チェアである。後脚を持たず、前脚から座面を経て背もたれへと一本の管が続く構造をとり、家具の歴史において最初のカンチレバーチェアにあたる。肘掛けを備えた S 34 とともに、トーネット社が現在まで生産を続けている。
特徴とコンセプト
後脚を持たない構造
四本脚の椅子では、座面の荷重は四点で床へ流れる。S 33 では前方の二点だけが床に接し、座面から後方へ伸びた部分は宙に持ち出される。荷重は前脚と底部の水平材を経由して床へ伝わり、後脚にあたる部材は存在しない。
この構成により、椅子は側面から見ると角の連なった一本の線として読める。スタムが求めたのは、近代建築と釣り合う明快な形と、部材の少なさによる経済性であった。
直線的な造形
フレームは直線と直角に近い曲がりで構成され、側面の輪郭がほぼ矩形に収まる。同じカンチレバー構造でも、後年のモデルが緩やかな曲率でしなりを生むのに対し、S 33 は角を立てた構成をとる。この立方体的な性格が、後述する法廷での判断において「造形上の作品」と認められる根拠のひとつとなった。
座面と背もたれには革を張る仕様が知られるほか、生産年代によって素材や仕上げの選択肢が異なる。フレームはクロムメッキ仕上げのスチールパイプを用いる。
成立の経緯
ガス管による実験
スタムは1925年頃から、配管用のガス管と継手を組み合わせて椅子を組み立てる実験を始めた。初期の試作は管をフランジで接続した硬い構造で、のちにこの形式が持つことになる弾力性は意図されていない。関心は座り心地ではなく、後脚を省いても椅子が成立するかという構造上の問いにあった。
ヴァイセンホーフ・ジードルングでの公開
1927年、シュトゥットガルトで開かれたドイツ工作連盟展「住居」において、スタムはこの椅子を初めて公の場に出した。展覧会はルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが総指揮を執り、実験的な住宅地ヴァイセンホーフ・ジードルングを会場とした。スタム自身も三戸から成る連続住宅を設計し、うち二戸の内装を手がけている。残る一戸はマルセル・ブロイヤーが担当した。
ミース・ファン・デル・ローエは展覧会の準備段階でスタムの椅子の構想を知り、それをブロイヤーに伝えたとされる。以後、ミース・ファン・デル・ローエとブロイヤーの双方がスチールパイプによるカンチレバーチェアを手がけ、この形式は一つの分野として広がっていった。
造形上の著作権をめぐる裁判
1920年代末から、カンチレバーチェアの権利をめぐってベルリンの法廷で争いが起きた。争点は、後脚を持たない椅子が技術上の考案なのか、それとも造形上の作品なのかという点にあった。技術上の考案であれば著作権による保護は及ばない。
1930年4月、ベルリンの裁判所は権利者側の主張を認め、翌1931年4月には控訴が退けられた。最終的に1932年6月1日、ライプツィヒのライヒ最高裁判所が同じ判断を示している。装飾を削ぎ落とした形そのものが近代の思想を担う造形であるとして、作品性が認められた。この判断により、スタムがこの椅子の造形上の著作権者と位置づけられた。権利は現在トーネット社が保有している。
評価
後脚を省くという発想は、以後のスチールパイプ家具の前提となった。ミース・ファン・デル・ローエの MR シリーズ、マルセル・ブロイヤーの S 32・S 64 など、1920年代後半から30年代にかけて現れたカンチレバーチェアはいずれもこの構造の上に立っている。
一方で、裁判の経緯が広く知られた結果、ブロイヤーによる設計がスタムのものとして紹介される例も生じた。S 33 と、ブロイヤーが籐編みを用いて展開した [interior slug="cesca-chair-b32-marcel-breuer"] は、同じ構造原理を共有する別の設計である。
基本情報
| 名称 | S 33 チェア(S 33 Chair) |
|---|---|
| デザイナー | マルト・スタム |
| デザイン年 | 1926年(公開は1927年) |
| ブランド | トーネット |
| デザイン発祥地 | ドイツ |
| 素材 | クロムメッキ仕上げのスチールパイプ、革 |
| 構造 | 後脚を持たないカンチレバー |
| 関連モデル | S 34(肘掛け付き) |