チェスカ・チェア(Cesca Chair)は、1928年にハンガリー系アメリカ人デザイナー、マルセル・ブロイヤーによってデザインされた、20世紀モダンデザインを代表する椅子である。正式名称B32として知られるこの椅子は、クロムメッキを施した鋼管フレームと籐編みの座面・背もたれを組み合わせた革新的なデザインで、世界初の量産型カンチレバー構造チェアとして家具デザイン史に不朽の名を刻んでいる。

ブロイヤーの養女フランチェスカ(愛称チェスカ)の名を冠したこの椅子は、バウハウスの合理主義的理念と革新的な素材技術が融合した傑作として、発表から約100年を経た今日においても、その普遍的な美しさと機能性により世界中で愛され続けている。ニューヨーク近代美術館(MoMA)のキュレーター、カーラ・マッカーティは、この椅子を「20世紀の最も重要な椅子10選のひとつ」と評している。

デザインの特徴とコンセプト

チェスカ・チェアの最大の特徴は、後脚を持たないカンチレバー(片持ち梁)構造にある。連続的に曲げられた1インチ径の鋼管が、座面から前脚、そして背もたれへと優美な弧を描きながら一体となって流れ、まるで宙に浮いているかのような軽やかさを演出している。この革新的な構造は、鋼管の弾性を活かした適度な「しなり」を生み出し、座る人に快適な座り心地を提供する。

工業的素材である鋼管と、伝統的な手工芸品である籐編みという異質な素材の組み合わせは、バウハウスが追求した「芸術と産業の統合」を体現している。冷たく硬質な金属の輝きと、温かみのある天然素材のテクスチャーが生み出すコントラストは、モダニズムの厳格さに人間的な温もりを加え、時代を超えて愛される普遍的なデザインを実現している。

ブロイヤーは自身のデザイン哲学について、「張力のあるファブリックで座面を張るというコンセプトは、厚い布張りの代替として既に持っていた。弾力性と柔軟性を備えたフレームを求めており、視覚的にも物理的にも軽量性を実現するために、フォルムの透明性を達成したかった」と述べている。

誕生のエピソード

チェスカ・チェアの誕生には、ブロイヤーが日常的に使用していたアドラー社製自転車が深く関わっている。デッサウの街を自転車で走り回っていたブロイヤーは、ハンドルバーの曲げられた鋼管構造に着想を得て、この軽量で強靭な素材を家具デザインに応用することを思いついた。1925年のワシリー・チェアに続く鋼管家具の第二弾として、より洗練されたデザインを追求した結果がチェスカ・チェアである。

興味深いことに、カンチレバー構造の椅子をめぐっては、オランダ人建築家マルト・スタムとの間で激しい特許紛争が起こった。スタムは1926年にガスパイプを使用した初のカンチレバーチェアを発表しており、1929年から3年間にわたる法廷闘争の結果、1932年にスタムがカンチレバー構造の特許権を獲得した。しかし皮肉なことに、デザインの洗練度と商業的成功においては、ブロイヤーのチェスカ・チェアが圧倒的な評価を得ることとなった。

名前の由来

当初B32という型番で呼ばれていたこの椅子が「チェスカ」と命名されたのは1950年代のことである。イタリアの家具メーカー、ガヴィーナ社の創業者ディーノ・ガヴィーナが製造権を取得した際、無機質な型番では椅子の魅力が伝わらないと考え、ブロイヤーの養女フランチェスカ(愛称チェスカ)の名前を付けることを提案した。ブロイヤーもこの提案を快諾し、以来この椅子は世界中でチェスカ・チェアの名で親しまれている。

評価と影響

チェスカ・チェアは発表直後から国際的なセンセーションを巻き起こした。それまで存在しなかった革新的な構造と、量産を可能にする合理的なデザインは、モダニズム運動における画期的な成果として高く評価された。ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)、ヴィトラ・デザイン・ミュージアムなど、世界の主要なデザイン美術館の永久コレクションに収蔵されている。

商業的にも大きな成功を収め、1968年にノル社が製造権を取得して以来、約25万脚が販売されている。その普遍的なデザインは、オフィス、住宅、レストラン、公共施設など、あらゆる空間に適応し、90年以上経った現在でも「最も複製されたデザイナーズチェアのひとつ」として、世界中で生産され続けている。

近年では、ヴィンテージ家具への関心の高まりとともに再評価が進み、SNS世代からも「インスタグラム映えする」クラシックデザインとして新たな支持を集めている。ペドロ・アルモドバル監督の映画作品をはじめ、多くの映画やテレビドラマにも登場し、洗練された空間を演出する小道具として重要な役割を果たしている。

製造と流通の歴史

チェスカ・チェアの製造は、1928年のトーネット社による初期生産から始まり、その後複数のメーカーの手を経て現在に至っている。初期のトーネット社製は、ウィーンの伝統的な籐編み技術と最新の鋼管加工技術を融合させた高品質な製品として知られた。1950年代にイタリアのガヴィーナ社が製造権を取得し、イタリアンモダンの文脈でこの椅子を再解釈した。そして1968年、アメリカのノル社がガヴィーナ社を買収し、以来ノル社が唯一の正規ライセンス製造者として生産を続けている。

現在のノル社製チェスカ・チェアは、オリジナルデザインを忠実に継承しながら、現代の品質基準に適合する改良が加えられている。フレームには高品質なクロムメッキまたはマットブラック仕上げが施され、座面と背もたれは手編みの籐またはファブリック・レザーの張地から選択可能となっている。アーム付きモデル(B64)も用意され、用途に応じた選択が可能である。

基本情報

デザイナー マルセル・ブロイヤー(Marcel Breuer)
デザイン年 1928年
型番 B32(アームレス)/ B64(アーム付き)
現行製造元 Knoll(ノル)
歴代製造元 Thonet(1928年~)、Gavina(1950年代~1968年)、Knoll(1968年~現在)
素材 クロムメッキ鋼管、ブナ材、籐編み(またはファブリック・レザー張地)
サイズ(アームレス) W465 × D595 × H800mm(座高450mm)
サイズ(アーム付き) W595 × D595 × H800mm(座高450mm、アーム高685mm)
重量 約7.3kg(アームレス)
収蔵美術館 ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ヴィクトリア&アルバート博物館、ヴィトラ・デザイン・ミュージアム 他