MRチェアは、20世紀を代表する建築家ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエが1927年に発表した、カンチレバー(片持ち)構造の椅子である。同年ドイツ・シュトゥットガルトで開催されたドイツ工作連盟(Deutscher Werkbund)主催の住宅展「ヴァイセンホーフ・ジードルング」において初めて公開され、近代家具デザイン史における金字塔として今日まで高く評価されている。後脚を持たない革新的な構造と、クロムメッキを施したスチールチューブが描く優美な曲線は、バウハウスの理念を体現する傑作として、世界各地の美術館に永久収蔵されている。
特徴・コンセプト
MRチェアの最大の特徴は、カンチレバー構造による「浮遊感」にある。直径約25mmの継ぎ目のないスチールチューブが、床面から座面へと一筆書きのように流麗な曲線を描き、着座者の体重を支える。この構造により、椅子は適度な弾性を持ち、体の動きに合わせてしなやかに揺れる。従来のアームチェアやソファでしか得られなかった快適性を、繊細で軽やかなフォルムの中に実現した点は画期的であった。
座面と背もたれには、当初より籐(ラタン)編みが採用された。この仕様は、ミースの公私にわたるパートナーであり、テキスタイルとインテリアデザインの専門家であったリリー・ライヒとの協働によって生まれたものである。冷たい工業素材であるクロムスチールと、温かみのある天然素材の籐という対照的な要素の組み合わせは、機能主義に詩情を与える試みであった。現在では、籐編みに加え、牛革を用いたバリエーションも製造されている。
Less is More(より少ないことは、より豊かである)
ミース・ファン・デル・ローエの設計哲学を端的に表す言葉「Less is more」は、MRチェアにおいても見事に具現化されている。装飾を一切排し、構造そのものが美となる。建築と同様、家具もまた空間を補完するものであり、競合するものであってはならないというバウハウスの理念に忠実な設計思想が貫かれている。
エピソード
カンチレバーチェアの起源をめぐっては、複数のデザイナーの名が挙げられる。1926年のドイツ工作連盟の会合において、オランダ人建築家マルト・スタムが「後脚のない椅子」の概念を披露したとされる。この会合には、マルセル・ブロイヤーとミース・ファン・デル・ローエも出席していた。スタムは細いガス管を直角に曲げた実験的なプロトタイプを制作したが、ミースはその美観に満足しなかった。
ミースの事務所に勤務していたセルギウス・リューゲンベルクは、後年その瞬間を回想している。「ミースは1926年11月にシュトゥットガルトから戻り、マルト・スタムと彼の椅子の構想について話してくれました。壁に掛けた製図板に、スタムの椅子をスケッチしました。直角で構成された、上から始まる形でした」。ミースはスタムの椅子について「醜い、本当に醜い。あの継ぎ手では。せめてもう少し丸みを帯びていれば良かったのに」と評し、自らスケッチに優雅な弧を描き加えたという。その一筆が、MRチェアの誕生の瞬間であった。
座面のデザインには、インテリアデザイナーのリリー・ライヒが重要な役割を果たした。彼女は籠職人の親方と協力し、スチールフレームに調和する籐編みの技法を開発した。冷たいスチールと温かな籐の接点には、籐編みが終わりスチールが始まる箇所に小さな膨らみが設けられており、この繊細な処理こそがライヒの美意識の表れとされている。
評価
MRチェアは、発表から約1世紀を経た現在も生産が続けられており、20世紀デザイン史における最も重要な作品のひとつとして揺るぎない地位を確立している。ニューヨーク近代美術館(MoMA)、メトロポリタン美術館、ヴィクトリア&アルバート博物館、セントルイス美術館など、世界の主要な美術館がそのコレクションに加えている。
カンチレバー構造がもたらす快適性は、それまでクッション材を用いた椅子でしか実現できなかったものであり、構造的革新と造形美の融合という点で、MRチェアはインターナショナル・スタイルの精神を体現する傑作と評されている。明快さと簡潔さを追求しながらも、高い実用性を備えたこのデザインは、戦間期に建設された近代建築の内装に最適であり、今日においても時代を超えた普遍的な魅力を放っている。
受賞歴・認定
- 1977年
- ニューヨーク近代美術館(MoMA)賞
- 1978年
- デザインセンター・シュトゥットガルト賞
- 現在
- GREENGUARD室内空気品質認証取得(Knoll製品)
基本情報
| 正式名称 | MR Chair / MRチェア(MR10:アームレス / MR20:アーム付き) |
|---|---|
| 別称 | ヴァイセンホーフチェア(Weissenhof Chair) |
| デザイナー | ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Mies van der Rohe) |
| 協働 | リリー・ライヒ(Lilly Reich)※座面デザイン |
| デザイン年 | 1927年 |
| 発表 | 1927年 ヴァイセンホーフ・ジードルング展(シュトゥットガルト) |
| 製造 | Knoll(1948年よりライセンス生産) |
| 素材 | フレーム:直径約25mm(1インチ)継ぎ目なしスチールチューブ、ポリッシュドクローム仕上げ 座面・背もたれ:天然籐編み(ラッカー仕上げ)または牛革 |
| 寸法(アームレス) | 幅49cm × 奥行69cm × 高さ79cm(座面高46cm) |
| カラー(革仕様) | ブラック、ライトブラウン、ホワイトベージュ |
| 所蔵美術館 | ニューヨーク近代美術館(MoMA)、メトロポリタン美術館、ヴィクトリア&アルバート博物館、セントルイス美術館 他 |