アントチェア (3100):デンマークモダンの原点となったシェルチェア
1952年、アルネ・ヤコブセンは、製薬会社ノボ社(ノボ・テラピュティスク・ラボラトリウム、現ノボ・ノルディスク)の社員食堂のために一脚の椅子をデザインした。背座一体の成形合板シェルと細いスチール脚のみで構成されたこの椅子は、工業的な量産技術と有機的な造形を結びつけたもので、やがてデンマーク家具デザインを象徴する一脚として知られるようになる。それがアントチェア(モデル3100)である。
頭をもたげた蟻の姿を思わせるシルエットから「Ant(蟻)」の愛称を持つこの椅子は、発表から70年以上を経た現在もフリッツ・ハンセン社によって製造が続けられている。ニューヨーク近代美術館(MoMA)のコレクションに収蔵されるなど、20世紀を代表するプロダクトデザインのひとつに数えられている。
特徴・コンセプト
アントチェアの中心にある工夫は、座面と背もたれを一枚の成形合板で一体成型した点にある。それ以前にも合板による椅子はチャールズ&レイ・イームズ夫妻やアルヴァ・アアルトらによって手がけられていたが、背と座を単一の三次元曲面で成立させた点にこの椅子の新しさがあった。
ヤコブセンは、粘土を用いて彫刻家のように三次元で形を探ったと語っている。背もたれの特徴的なくびれは、成形合板で曲率が最も大きくなる部分を最も細くする必要があるという構造上の要請から生まれたもので、それが結果として蟻の頭部を思わせるシルエットにつながった。機能と形が分かちがたく結びついている点に、この椅子の性格がよく表れている。
シェルは9層の成形合板の間に2層の綿布を挟んだ積層構造で、圧着技術によって曲面の美しさと強度、そして身体の動きに追従するしなやかさを両立させている。脚部は直径14mmのスチールパイプ製で、オリジナルは前1本・後ろ2本の3本脚仕様である。この構成により、丸テーブルの周囲に多くの椅子を配置でき、着座者の脚にも干渉しにくい。
最小限の構成
アントチェアは、椅子の構成要素を切り詰めた設計になっている。合板シェルとスチール脚という二つの部材だけで成立する構造は、最小限の素材で機能と形を求める北欧モダニズムの考え方に沿ったものである。スタッキングにも対応し、食堂や公共施設での使用にも適している。
エピソード
ノボ社の食堂から世界へ
1950年代初頭、デンマークの製薬企業ノボ社は、コペンハーゲン近郊フレゼリクスベアにある社員食堂の椅子を必要としていた。同社の建築を手がけていたヤコブセンがこの依頼を受け、設計したのがアントチェアである。1952年10月に発表され、最初に用いられたのがこの食堂であった。
製造を巡る経緯
フリッツ・ハンセン社は当初、この斬新なフォルムの椅子が商業的に受け入れられるか確信を持てず、製造に慎重であったと伝えられている。ヤコブセンはノボ社の食堂の内装を手がける中で本作をノボ社の経営者に示し、まとまった数の発注を得たことで生産が動き出した。以後アントチェアは長く生産が続くフリッツ・ハンセン社の代表的な製品のひとつとなった。
3本脚と4本脚
ヤコブセンのオリジナルは3本脚であった。丸テーブルとの相性を考慮し、前方に1本、後方に2本という配置が選ばれている。ヤコブセンは生涯にわたり3本脚が機能・造形の両面で理にかなうと考えていた。のちに安定性への配慮から4本脚バージョン(モデル3101)が加わり、現在では3本脚・4本脚の両仕様が生産されている。
シェルチェアの系譜の起点
アントチェアの後、ヤコブセンは1955年にセブンチェア(モデル3107)を発表した。アントチェアのくびれをより滑らかにした流線形のシルエットを持つセブンチェアは、フリッツ・ハンセン社を代表する椅子となった。アントチェアは、この一連のシェルチェアの出発点に位置している。
評価
アントチェアは、近代家具デザインの古典として国際的に高く評価されている。背座一体の成形合板シェルという新しい椅子の類型を示した点は、デザイン史のなかで重要な位置を占める。
ニューヨーク近代美術館(MoMA)のコレクションに収蔵されているほか、サンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)やヴィトラ・デザインミュージアムなど、国内外の美術館が所蔵している。発表以来70年以上にわたって生産が続いていることも、このデザインが長く支持されてきたことを示している。
デザイン史のうえでは、アントチェアはイームズ夫妻の成形合板シリーズと並ぶ戦後の家具デザインの展開として位置づけられる。また、ヤコブセンにとって初期の国際的な成功作であり、後のセブンチェア、エッグチェア、スワンチェアへと続く仕事の起点となった作品でもある。
基本情報
| 正式名称 | アントチェア(アリンコチェア)3100 / Ant™ Chair (Model 3100) |
|---|---|
| デザイナー | Arne Jacobsen(アルネ・ヤコブセン)/ デンマーク / 1902–1971 |
| デザイン年 | 1952年 |
| ブランド | Fritz Hansen(フリッツ・ハンセン)/ デンマーク |
| サイズ | W510 × D510 × H770 mm(座面高:440mm) |
| 素材(シェル) | 成形合板(9層の突板の間に2層の綿布を積層/天然木突板またはラッカー仕上げ) |
| 素材(脚部) | 直径14mmスチールパイプ(クロームメッキまたはパウダーコート仕上げ) |
| 脚部 | 3本脚(モデル3100)/ 4本脚はモデル3101 |
| スタッキング | 可能 |
| 仕上げバリエーション | 天然木突板(ビーチ、メープル、ダークステインドオークなど)、カラードアッシュ、ラッカー仕上げ(多色展開) |
| パディング | フロントパディング仕様あり(ファブリック・レザー選択可) |
| 参考価格 | 約5万円〜(税込目安・仕上げにより異なる) |
| 製造国 | デンマーク |