1953年に西ドイツのウルムに開かれた造形教育機関。バウハウスの理念を継ぎ、1968年の閉校まで戦後の工業デザインに影響を残した。
ウルム造形大学
ウルム造形大学とは、1953年に西ドイツのウルム市で開校し、1968年に閉じられた私立の造形教育機関のこと。ドイツ語の名称 Hochschule für Gestaltung Ulm を略してHfGとも呼ばれる。
解説
設立にあたったのは、インゲ・アイヒャー=ショル、その夫でグラフィックデザイナーのオトル・アイヒャー、そしてスイス出身のマックス・ビルの三名である。インゲは、白バラ抵抗運動の一員として1943年にナチスに処刑されたハンスとゾフィーのショル兄妹の姉であり、その名を冠して1951年に設立したゲシュヴィスター・ショル財団が学校の運営母体となった。ファシズムののちの社会を担う人間を育てるという構想が先にあり、ビルが加わったことで重心が造形へ移っていった経緯がある。
1953年8月3日、市民大学の教室を借りて21名の学生とともに授業が始まった。同年9月にクーベルクの丘で校舎の定礎が行われ、ビルの設計による建物が完成した1955年に新しい敷地へ移っている。基礎課程を担当したのはヨーゼフ・アルバース、ヨハネス・イッテン、ヴァルター・ペーターハンス、ヘレーネ・ノンネ=シュミットら、バウハウスで教えた経験をもつ人々であった。学校自身もバウハウスの後継を任じている。専門課程は製品デザイン、視覚伝達、建築、情報(1964年まで)、映画(1962年から)に分かれていた。
ただし、この学校はバウハウスの再現にとどまらなかった。学長のビルが1956年に職を退き、翌年に学校を去ったのち、運営は教員による学長団へ移る。トマス・マルドナードらが加わった時期に、教育の重心は造形芸術から、記号論、人間工学、システム理論、生産技術といった科学的な方法論へ移っていった。デザインを個人の造形感覚ではなく検証可能な手続きとして扱おうとする姿勢は、ここで形づくられた。
成果は産業との協働のかたちで社会に出ている。1963年に整えられたルフトハンザ航空のコーポレート・アイデンティティや、1959年にハンス・ローリヒトが学生時代の課題として設計し現在も生産が続く積み重ね式の食器TC 100などが知られる。学校自体は財政難が続き、1968年11月にバーデン=ヴュルテンベルク州議会が補助金の打ち切りを決めたことで、財団は閉校を選ばざるを得なくなった。活動期間は15年ほどにとどまったが、その方法論は戦後の工業デザインとデザイン教育に長く影響を残した。
基本情報
| ドイツ語表記 | Hochschule für Gestaltung Ulm(略称 HfG Ulm) |
|---|---|
| 所在地 | 西ドイツ・ウルム(バーデン=ヴュルテンベルク州) |
| 開校・閉校 | 1953年8月に授業開始/1968年に閉校 |
| 設立者 | インゲ・アイヒャー=ショル、オトル・アイヒャー、マックス・ビル |
| 運営母体 | ゲシュヴィスター・ショル財団(1951年設立) |
| 初代学長 | マックス・ビル(1953年-1956年) |
Reference
- 歴史(HfG-Archiv Ulm)
- https://hfg-archiv.museumulm.de/geschichte-hfg/geschichte/
- Geschichte(hfg-ulm.de)
- https://www.hfg-ulm.de/de/hfg-ulm/geschichte/
- Die Hochschule für Gestaltung HfG(ウルム市)
- https://www.ulm.de/tourismus/stadtgeschichte/markenzeichen/die-hochschule-f%C3%BCr-gestaltung-hfg
- 現代デザインの水脈:ウルム造形大学展(京都国立近代美術館)
- https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/1989/205.html