概要
オリベッティ(Olivetti)は、1908年にカミッロ・オリベッティがイタリア北西部ピエモンテ州の町イヴレーアで設立した事務機器メーカーである。イタリアで初めてタイプライターを量産し、のちに計算機、テレプリンター、工作機械、電子計算機へと事業を広げた。オフィス家具も約70年にわたって手がけ、トスカーナ州マッサの工場で製造したスチール製の書類棚や机は「オリベッティ・シンテシス(Olivetti Synthesis)」の名で流通した。
製品の設計にとどまらず、広告、工場や社宅の建築、ショールームの内装までを一貫した方針で外部の建築家・デザイナーに委ねた企業として知られ、この姿勢は「スティレ・オリベッティ(オリベッティ様式)」と呼ばれた。1999年のテレコム・イタリア買収を経て法人としては通信会社に統合され、現在の Olivetti S.p.A. はTIMグループの一社としてイヴレーアに本社を置く。
事業と製造の実体
オリベッティは設計から製造までを自社で行う製造業者であり、事務機器とオフィス家具では生産の性格が大きく異なった。前者は精密機械の組立、後者はスチール板の加工である。この違いが、イヴレーアとマッサという二つの製造拠点を生んだ。
イヴレーアの工場群と精密機械の生産
創業時の工房は約500平方メートルで、20人の職工が働いていた。1911年に最初のタイプライター M1 がトリノ万国博覧会で発表され、1910年代半ばには週23台を出荷している。1919年に第一工場が拡張され、1934年から1936年にかけて建築家ルイジ・フィジーニとジーノ・ポッリーニが最初の増築を設計した。同じ二人による増築は戦後も続き、1950年にはガラスのファサードをもつ工場棟が完成した。工場群は創業者の名にちなんで ICO(Ing. C. Olivetti)と呼ばれ、この一帯は2018年に「20世紀の産業都市イヴレーア」としてユネスコの世界遺産に登録されている。
1950年、製品の組立にコンベアを用いた連続ライン方式が導入された。当時の主力製品は精密機械であり、1956年の計算機ディヴィズンマ24は約2,000点の機械部品で構成されていたと社史に記されている。一方、1948年のタイプライター、レキシコン80では、カバーと本体をダイカストで成形し、外装を一体の殻として設計する方法が採られた。鋳造については、当初は別法人だったフォンデリエ・オリベッティ(オリベッティ鋳造所)を社内の部門として抱えていた。工作機械については、1926年にイヴレーア近郊サン・ベルナルドに設立された OMO(Officine Meccaniche Olivetti)が自社の生産設備を製造し、のちに数値制御の工作機械を外販する事業へ育った。
生産拠点は1950年代から国内外に広がった。1955年にはカナヴェーゼ地方のアリエと、ナポリ近郊ポッツオーリの工場が稼働し、ポッツオーリ工場は建築家ルイジ・コゼンツァの設計である。1960年代後半には、エドゥアルド・ヴィットリアとマルコ・ザヌーゾの設計によるクレマ(1968年)、スカルマーニョ(1969年)、マルチャニーゼ(1970年)の各工場が加わった。海外では1929年にバルセロナで最初の製造子会社イスパノ・オリベッティが設立され、1951年にアルゼンチン、1970年には買収したアンダーウッド社の拠点である米国ハリスバーグに工場が開かれた。社史によれば1970年の時点で国内に11、海外に10の工場(うち7か所が生産拠点)を有していた。グラスゴーのタイプライター工場は1977年に米国スミス・コロナ社へ売却されている。
電子計算機の開発は1952年に米国コネティカット州ニューカナンで始まり、1955年にはピサに技術者マリオ・チョウを責任者とする研究グループが置かれた。ここで開発が進められた Elea 9003(1959年)は、イタリアで最初に製造された電子計算機とされる。1973年には組立ラインの編成が改められ、各グループが工程の一区切りに責任をもつ「統合組立単位(UMI)」が導入された。
マッサのオフィス家具工場
家具事業は社内の必要から生まれた。米国視察から戻ったアドリアーノ・オリベッティが書類の整理に使える棚を求め、技師アルド・マニェッリが1930年に横型の書類整理棚を設計した。翌1931年からイヴレーアで量産され、社史には月600台に達したとある。この棚に付けられた「シンテシス」の名が、のちの家具事業の名称になった。
1939年、家具の生産は別会社オリベッティ・シンテシスに移された。精密機械とは異なり、家具は大きな鋼板を加工する工程であるためで、拠点にはトスカーナ州マッサの臨海工業地帯が選ばれた。建築家ピエロ・ボットーニとマリオ・プッチの設計による工場は1942年に完成したが、戦時の金属使用制限と空襲によって本格稼働は戦後に持ち越され、1949年にイヴレーアに残っていた生産ラインを移して操業を再開した。この時点でオリベッティ・シンテシスは本体に吸収され、家具はグループ内の一事業部門となった。工場は1952〜54年(ボットーニ設計)、1964年、1971年に拡張され、敷地内まで鉄道の引き込み線が入り、鋼板コイルの搬入と完成家具の出荷に用いられた。
1974年の社内報に記された工程は次のとおりである。鋼板倉庫に隣接して打抜きと曲げのプレスが並び、部材はマッサで自社設計・製作した多点自動溶接機(工場内で「ムカデ」と呼ばれた)で接合される。工場中央には電着塗装の設備があり、家具は天井搬送機で運ばれて塗料と水の溶液に浸漬される。電着塗装が届かない内側は、作業者が一度動きを教えると同じ動作を繰り返す塗装ロボットが担った。出荷前の耐久試験も具体的で、机の天板に70kgの砂袋を10cmの高さから100回落とす、70kgの荷重をかけた椅子を二本脚で5万回傾ける、35kgを入れた書類棚の引き出しを5万回開閉する、といった手順が社史に残る。
1970年代以降は木材とプラスチックの比重が増し、1979年には再び別法人オリベッティ・シンテシス S.p.A. として独立した。1990年代に本体の事業がパソコンと通信へ移るなかで家具事業は戦略の中心から外れ、1997年に同業のシッマ社を筆頭株主とする企業グループへ売却された。新会社は社名を「シンテシス」に改め、「オリベッティ・シンテシス」の商標は2002年末まで使用が認められた。
沿革
創業とタイプライター専業の時代(1908〜1932年)
1908年10月29日、技師カミッロ・オリベッティは、イヴレーアに合資会社 Ing. C. Olivetti & C. を設立した。資本金は35万リラ、目的はタイプライターの設計と製造である。1911年に発表した M1 は500リラで販売され、1912年から14年にかけて国内に最初の支店が開かれた。1920年の M20 は欧州と南米の市場を開いた。1930年に M40、1932年には最初のポータブル機 MP1 が発売され、同年に会社は株式会社へ移行、年末に長男アドリアーノが総支配人に就いた。
アドリアーノ・オリベッティの時代(1932〜1960年)
アドリアーノは1925年の米国視察で得た知見をもとに生産組織を改め、1930年代に事業を多角化した。1934年に加算機の研究が始まり、1937年にテレプリンター、1940年に自社設計の計算機 MC4S Summa が発売された。1935年の Studio 42 は、技術者と建築家が設計の初期段階から協働した最初の製品とされる。同じ時期にミラノに広告部門が置かれ、建築家、画家、詩人が製品開発と広告に関わる体制が整えられた。
創業者カミッロは1943年12月に没し、アドリアーノは1944年2月にスイスへ亡命を余儀なくされたが、終戦後に経営に復帰した。1948年のレキシコン80とディヴィズンマ14、1950年のレッテラ22は戦後の主力製品となり、1952年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)が「Olivetti: Design in Industry」展を開催した。1954年にニューヨーク五番街にショールームが開き、1958年にはヴェネツィアのサン・マルコ広場に建築家カルロ・スカルパの設計によるショールームが開かれた。1958年には輸出が生産の約6割を占めるまでになっていた。1959年に Elea 9003 を発表し、同年10月には米国の老舗タイプライターメーカー、アンダーウッド社の株式30%を取得する契約を結んだ。持株比率は1960年に70%、1963年には91%に高められた。
経営危機と電子事業の分離(1960〜1977年)
1960年2月27日、アドリアーノ・オリベッティが急逝した。経営はジュゼッペ・ペーロ、次いで息子のロベルト・オリベッティに引き継がれたが、アンダーウッド買収と電子事業への投資が財務を圧迫した。1964年、フィアット、ピレッリ、メディオバンカ、IMI、ラ・チェントラーレからなる「介入グループ」が資本参加し、ブルーノ・ヴィゼンティーニが会長に就任した。同年、電子事業部門はゼネラル・エレクトリック(GE)が75%を出資する新会社オリベッティ・ゼネラル・エレクトリックに移管され、1968年には残る25%も GE に譲渡された。社内に残った少数の技術者が開発した卓上プログラム計算機 Programma 101 は1965年にニューヨークで発表され、のちにパーソナルコンピュータの先駆と評価されている。1974年から76年にかけて電子製品への移行が加速し、1977年にはグラスゴーのタイプライター工場が売却された。
デ・ベネデッティ体制と通信事業への転換(1978〜2003年)
1978年4月、カルロ・デ・ベネデッティが最高経営責任者に就任し、1962年以来据え置かれていた資本金が増額された。同年、世界初の電子式タイプライターとされる ET 101 が発表され、1982年には最初のパーソナルコンピュータ M20、1984年には M24 が発売された。1984年に米国 AT&T が資本参加し、1986年にはフォルクスワーゲンから事務機器メーカー、トリウンフ・アドラーを取得した。
1990年代に入ると情報機器の収益性が低下し、会社は移動体通信のオムニテル(1990年)と固定通信のインフォストラーダ(1995年)を設立して通信事業へ軸足を移した。1996年にデ・ベネデッティが退任し、1997年にはパソコン事業とオフィス家具事業が売却された。1999年、子会社テクノストを通じた公開買付けによりテレコム・イタリアの株式52.12%を取得し、その資金の一部はオムニテルとインフォストラーダの売却で賄われた。2003年8月、テレコム・イタリアを吸収合併したオリベッティは事業目的と社名をテレコム・イタリアに改め、事務機器事業は100%子会社オリベッティ・テクノストに引き継がれた。
テレコム・イタリア傘下(2003年〜)
オリベッティ・テクノストは2005年4月に社名を Olivetti に戻し、インクジェット製品を軸に事業を再構築した。2008年にはイヴレーアで創業100年の記念展「Olivetti 1908-2008. Il progetto industriale」が開かれた。2011年、ヴェネツィアのスカルパ設計のショールームはイタリア環境基金(FAI)との協力で展示施設として再開している。2018年にはイヴレーアの工場と社宅群が世界遺産に登録された。
デザイナーとの協働
オリベッティのデザイナー起用は、社内に専門部門を置きつつ、設計の中核を外部の建築家・デザイナーに委ねる方式で一貫していた。1930年代、アドリアーノはミラノの広告部門にバウハウス出身のクサンティ・シャヴィンスキーら画家や建築家を集め、1938年に詩人で技師のレオナルド・シニスガッリを責任者に据えた。同じ1938年に建築家マルチェッロ・ニッツォーリとの協働が始まり、ニッツォーリは1950年代まで主要なタイプライターと計算機の造形を担当した。グラフィックは1938年から1968年までジョヴァンニ・ピントーリが統括し、そのポスターはニューヨーク近代美術館に複数収蔵されている(収蔵番号 336.1953 ほか)。
1958年、電子計算機 Elea の設計のためにエットレ・ソットサスが招かれた。1964年にロベルト・オリベッティが社内デザイン部門の統括を依頼した際、ソットサスは入社を断り、代わりに二つの組織を提案した。社員とソットサスの協力者からなる社内グループと、オリベッティの技術者が出向するミラノのソットサス事務所である。両者は文化・工業デザイン・広告を所管する部門(1965年からレンツォ・ゾルツィが統括)の下に置かれ、前者は生産と販売の要請に近い仕事を、後者は企業像全体に関わる仕事を担った。デザイナーを社内に抱えず、独立した事務所との契約で設計を進めるこの方式は、その後のイタリアの企業とデザイナーの関係にも影響したと評されている。ソットサスは約20年にわたり50点を超える製品を手がけ、Valentine(1969年)はペリー・A・キングとの共同設計である。
マリオ・ベリーニは1963年からデザイン顧問を務め、Programma 101(1965年)、計算機 Divisumma 18 と Logos 68(1973年)、電子タイプライター ET 101(1978年)などを設計した。ハンス・フォン・クリアーは1960年代からソットサスの協力者として計算機や家具を手がけ、ペリー・A・キングとアントニオ・マッキ・カッシアは1983年のノートパソコン M10 を設計した。1980年代からはミケーレ・デ・ルッキが加わり、1990年代にはノートパソコン、プリンター、複合機の造形を主導した。
建築でも同じ方針が採られた。工場はフィジーニとポッリーニ、ルイジ・コゼンツァ、エドゥアルド・ヴィットリア、マルコ・ザヌーゾが、ショールームは BBPR(ニューヨーク、1954年)、カルロ・スカルパ(ヴェネツィア、1958年)、ガエ・アウレンティ(パリの改装、1967年、ブエノスアイレス、1968年)が設計した。オフィス家具でも BBPR、ソットサス、フォン・クリアー、デ・ルッキが起用されている。
エットレ・ソットサスの設計思想や経歴について詳しくはエットレ・ソットサス プロフィールページをご覧ください。
マリオ・ベリーニの設計思想や経歴について詳しくはマリオ・ベリーニ プロフィールページをご覧ください。
主な製品群
製品は、タイプライター(1911年〜)、書類整理棚と収納家具(1931年〜)、テレプリンター(1937年〜)、計算機(1940年〜)、電子計算機(1959年〜)、パーソナルコンピュータ(1982年〜)、インクジェットプリンターと複合機(1990年〜)の順に展開された。
タイプライターは事務用の M シリーズ(M1、M20、M40)から始まり、1932年の MP1 でポータブル機が加わった。戦後はニッツォーリ設計のレキシコン80(1948年)とレッテラ22(1950年)、その後継のレッテラ32(1963年)が主力となり、ソットサス設計の電動機 Praxis 48(1963年)を経て、ヴァレンタイン が1969年に発売された。ヴァレンタインはレッテラ32の機構を用い、射出成形した赤い樹脂の外装をもつ点で、それまでの事務機器とは異なる市場を想定した製品だった。
オフィス家具は、単品の書類棚から出発し、1960年の BBPR 設計「スパツィオ」で机、書棚、収納、椅子を組み合わせるシステム家具へ転じた。以後アルコ(1962年)、クアドルム(1967年)、ソットサス設計のシンテシス45(1973年)、フォン・クリアー設計のリネア・ディレツィオナーレ(1980年)、ソットサスとデ・ルッキによるイカルス(1982年)などが続いた。
計算機は電動機械式のディヴィズンマ14(1948年)とディヴィズンマ24(1956年)から、電子式の Programma 101(1965年)、Divisumma 18(1973年)へ移り、電子計算機では Elea 9003 に始まる大型機のあと、パソコンの M20(1982年)と M24(1984年)へ至った。
受賞と美術館コレクション
コンパッソ・ドーロの受賞は、アドリアーノ・オリベッティへの国家大賞(1955年)と企業への功労賞(1994年)を含めて16件に及ぶ。製品への授与のうち主なものは次のとおりである。
- 1954年(第1回): レッテラ22(マルチェッロ・ニッツォーリ)
- 1959年: Elea 電子計算機(エットレ・ソットサス)
- 1962年: オフィス家具シリーズ「スパツィオ」(BBPR)
- 1970年: 加算機 Summa 19(ソットサス、ハンス・フォン・クリアー)、卓上計算機 Logos 270(マリオ・ベリーニ、サンドロ・パスクイ)
- 1981年: 電子ポータブルタイプライター Praxis 35(ベリーニ)
- 2001年: プリンター ArtJet 10(ミケーレ・デ・ルッキ、マサヒコ・クボ)
ニューヨーク近代美術館(MoMA)の収蔵品には、レキシコン80(収蔵番号 226.1950)、レッテラ22(240.1953)、ディヴィズンマ14(492.1953)、ディヴィズンマ24(399.1994)、Valentine(1116.1969)、Programma 101(441.1987)、Divisumma 18(450.1974.1-2)、スパツィオの机(17.2008.a-b)がある。
現在の展開
現在の Olivetti S.p.A. はTIMグループの法人向け部門 TIM Enterprise の一員で、公式サイトでは IoT、AI、ビッグデータを扱う企業として自らを位置づけている。スマートシティや産業向けの計測・遠隔監視といった事業と並び、電卓、プリンター、複合機などの事務機器も継続して扱う。本社は創業地イヴレーアにあり、2026年6月には B Corp 認証の取得を公表した。
歴史資料は、社史と製品資料を収集するアッソチアツィオーネ・アルキーヴィオ・ストーリコ・オリベッティ(オリベッティ歴史資料館協会)がイヴレーアで保管・公開しており、同協会の資料は1998年にピエモンテ州の文書監督局から歴史的に重要な資料として指定を受けている。
基本情報
| 設立 | 1908年10月29日 |
|---|---|
| 創業者 | カミッロ・オリベッティ |
| 本社所在地 | イタリア・イヴレーア(ピエモンテ州) |
| 現在の親会社 | TIM S.p.A.(旧テレコム・イタリア) |
| 事業内容 | 事務機器、IoT・デジタルソリューション(過去にはタイプライター、計算機、電子計算機、工作機械、オフィス家具を製造) |
| 公式サイト | https://www.olivetti.com/ |
Reference
- Olivetti S.p.A. — Chi siamo(公式サイト)
- https://www.olivetti.com/it/corporate/chi-siamo
- Storiaolivetti — Cronologia Olivetti 1908-1977(Associazione Archivio Storico Olivetti)
- https://www.storiaolivetti.it/articolo/68-cronologia-olivetti-1908-1977/
- Storiaolivetti — Cronologia Olivetti 1978-2009
- https://www.storiaolivetti.it/articolo/69-cronologia-olivetti-1978-2009/
- Storiaolivetti — Olivetti Synthesis: come arredare un ufficio
- https://www.storiaolivetti.it/articolo/104-olivetti-synthesis-come-arredare-un-ufficio/
- Storiaolivetti — Il design dei prodotti Olivetti
- https://www.storiaolivetti.it/articolo/89-il-design-dei-prodotti-olivetti/
- Storiaolivetti — Ettore Sottsass jr.
- https://www.storiaolivetti.it/articolo/123-ettore-sottsass-jr/
- Archivi Olivetti — I 16 Compassi d'Oro Olivetti
- https://www.archiviostoricolivetti.it/percorso-compassi-oro/
- SIUSA — Olivetti spa, Ivrea (Torino), 1908 -(イタリア文化省)
- https://siusa-archivi.cultura.gov.it/cgi-bin/pagina.pl?Chiave=51607&TipoPag=prodente
- The Museum of Modern Art — Collection (Artworks.csv)
- https://github.com/MuseumofModernArt/collection