ドラゴンズ・アームチェアは、アイルランド出身のデザイナー、アイリーン・グレイが1917年から1919年にかけて制作した木製の漆塗りアームチェアである。両側の肘掛けが絡み合う二匹の龍として彫り出され、その表面には東アジアの技法にならった漆が施されている。パリの帽子商ジュリエット・マチュー=レヴィの邸宅のためにつくられた一点物で、2009年のオークションで2,190万5,000ユーロという20世紀装飾美術としての最高額で落札され、グレイという名を広く知らしめる契機となった。

特徴とコンセプト

龍が輪郭をつくる造形

座面は低く、背もたれと肘掛けが座を包み込むように立ち上がる。この輪郭を形づくっているのが、身をよじらせる二匹の龍である。龍の胴が背もたれの縁を巡り、頭部が左右の肘先に収まる構成で、装飾が構造から独立せず、椅子の骨格そのものと一体になっている。クリスティーズのカタログは、開きかけた花弁を思わせる形態と説明したうえで、龍の目が白地に黒漆で描かれ、胴には雲文が浅い浮彫りで刻まれていることを記録している。龍と雲という組み合わせは中国の伝統的な図像に連なるものだが、グレイはそれを様式の再現としてではなく、彫刻的な家具の造形言語として扱った。

手仕事による漆

フレームの漆は赤みを帯びた茶と銀を基調とし、艶を抑えた深い色調に仕上げられている。グレイは塗りと研ぎを自らの手で行った。漆の塗膜は硬化に高い湿度を必要とするため、湿気のこもる自室の浴室を乾燥室として用い、塗り重ねたのちに幾日もかけて研磨したと伝えられる。制作に2年前後を要したのは、この工程の反復による。座面と背もたれには詰め物を施した革を張る。オークション時の張地は茶革だが、当初は淡いサーモンピンクの張地であったとする記述もあり、後年に張り替えられたと考えられている。

制作の背景

リュ・ド・ロタ邸の依頼

1919年、パリの帽子商「J.スザンヌ・タルボ」を率いたジュリエット・レヴィ(マダム・マチュー=レヴィ)は、パリ16区リュ・ド・ロタの自邸の内装をグレイに委ねた。壁面から家具、絨毯、照明までを一貫して手がける最初の機会であり、ドラゴンズ・アームチェアもこの住居のために用意された家具のひとつである。同じ邸宅のためには、丸木舟を思わせるピローグ・デイベッドや、漆塗りの部材を連ねた衝立も制作された。壁面はチョコレート色の漆で覆われ、金銀の箔による幾何学的な線が走る室内で、この椅子は色調をそろえた家具群の一部として置かれていた。完成した内装は1920年代に欧米の雑誌で紹介され、依頼主の店名から「スザンヌ・タルボのアパルトマン」として知られることになる。

漆芸の技法との接点

グレイは1900年代後半からパリに在住していた日本の漆芸家・菅原精造に師事し、漆の技法を習得した。第一次世界大戦中はロンドンに戻って菅原とともに工房を構え、戦後にパリで制作を再開している。ドラゴンズ・アームチェアはその再開期にあたる仕事であり、漆という素材を屏風や衝立といった平面ではなく、三次元の彫刻的な家具に適用した例として位置づけられる。

来歴

完成後、この椅子は依頼主マチュー=レヴィの手元にとどまった。1971年にパリの画商シェスカ・ヴァロワが入手し、1973年にファッションデザイナーのイヴ・サンローランへ譲渡している。サンローランはこの椅子をパリの自邸に置き、2008年に没するまで手放さなかった。

2009年2月、パリのグラン・パレにおいて、サンローランとピエール・ベルジェが半世紀にわたって集めた美術品と家具がクリスティーズとピエール・ベルジェ商会の共催で競売にかけられた。20世紀装飾美術の部に出品されたドラゴンズ・アームチェアの事前推定価格は200万〜300万ユーロだったが、落札額は2,190万5,000ユーロに達し、20世紀の装飾美術品として当時の最高額を記録した。落札者は、かつてこの椅子を扱ったシェスカ・ヴァロワ本人であり、第三者の代理としての応札と報じられている。

評価と位置づけ

グレイの仕事の流れのなかで、この椅子は建築へ向かう以前、漆と木彫を主軸に据えていた時期に属する。1920年代半ば以降のグレイは、E1027 アジャスタブルテーブルやビベンダム・チェアに見られるように、金属管とガラスによる簡潔な造形へと関心を移していった。ドラゴンズ・アームチェアはその転回より前の、装飾性の強い作風を示す例である。アイルランド国立博物館でグレイの常設展示を担当した学芸員ジェニファー・ゴフは、この椅子を作り手その人をよく表す、きわめて個性的な一脚と評している。

2009年の落札額は、グレイの作品市場だけでなく、20世紀装飾美術の評価そのものに影響を与えた。同じ競売ではグレイの家具や照明が相次いで高値を記録し、その後、生前は建築界で正当に扱われなかったこのデザイナーへの再評価が進んだ。2013年にはパリのポンピドゥー・センターで、フランスにおける初のグレイ回顧展が開催されている。

基本情報

名称 ドラゴンズ・アームチェア(Dragons Armchair/仏: Fauteuil aux Dragons)
デザイナー アイリーン・グレイ(Eileen Gray)
制作年 1917年〜1919年頃
制作地 フランス・パリ
分類 アームチェア
素材 木(彫刻・漆塗装)、革
仕上げ 赤みを帯びた茶と銀の漆/龍の目は白地に黒漆/胴に雲文の浅浮彫り
サイズ 高さ約61cm(オークションカタログ記載)
製作 量産品ではない一点物。正規の復刻版は製造されていない
旧蔵 ジュリエット・マチュー=レヴィ → シェスカ・ヴァロワ → イヴ・サンローラン
オークション記録 2009年2月/クリスティーズ・パリ(グラン・パレ)/落札額 2,190万5,000ユーロ