ドラゴンズ・アームチェアは、アイルランド出身のデザイナー、アイリーン・グレイが1917年から1919年にかけて制作した木製の漆塗りアームチェアである。両側の肘掛けが絡み合う二匹の龍として彫り出され、その表面には東アジアの技法にならった漆が施されている。パリの帽子商ジュリエット・マチュー=レヴィの邸宅のためにつくられた一点物にあたる。
特徴とコンセプト
龍が輪郭をつくる造形
座面は低く、背もたれと肘掛けが座を包み込むように立ち上がる。この輪郭を形づくっているのが、身をよじらせる二匹の龍である。龍の胴が背もたれの縁を巡り、頭部が左右の肘先に収まる構成で、装飾が構造から独立せず、椅子の骨格そのものと一体になっている。龍の目は白地に黒漆で描かれ、胴には雲文が浅い浮彫りで刻まれる。龍と雲という組み合わせは中国の伝統的な図像に連なるが、グレイはそれを様式の再現としてではなく、家具の輪郭を決める手段として扱っている。
手仕事による漆
フレームの漆は赤みを帯びた茶と銀を基調とし、艶を抑えた深い色調に仕上げられている。グレイは塗りと研ぎを自らの手で行った。漆の塗膜は硬化に高い湿度を必要とするため、湿気のこもる自室の浴室を乾燥室として用い、塗り重ねたのちに幾日もかけて研磨したと伝えられる。制作に2年前後を要したのは、この工程の反復による。座面と背もたれには詰め物を施した革を張る。現在の張地は茶革だが、当初は淡いサーモンピンクだったとする記述もあり、後年に張り替えられたと考えられている。
制作の背景
リュ・ド・ロタ邸の依頼
1919年、パリの帽子商「J.スザンヌ・タルボ」を率いたジュリエット・レヴィ(マダム・マチュー=レヴィ)は、パリ16区リュ・ド・ロタの自邸の内装をグレイに委ねた。壁面から家具、絨毯、照明までを一貫して手がける最初の機会であり、ドラゴンズ・アームチェアもこの住居のために用意された家具のひとつである。同じ邸宅のためには、丸木舟を思わせるピローグ・デイベッドや、漆塗りの部材を連ねた衝立も制作された。壁面はチョコレート色の漆で覆われ、金銀の箔による幾何学的な線が走る室内で、この椅子は色調をそろえた家具群の一部として置かれていた。完成した内装は1920年代に欧米の雑誌で紹介され、依頼主の店名から「スザンヌ・タルボのアパルトマン」として知られることになる。
漆芸の技法との接点
グレイは1900年代後半からパリに在住していた日本の漆芸家・菅原精造に師事し、漆の技法を習得した。第一次世界大戦中はロンドンに戻って菅原とともに工房を構え、戦後にパリで制作を再開している。ドラゴンズ・アームチェアはその再開期にあたる仕事であり、漆という素材を屏風や衝立といった平面ではなく、三次元の彫刻的な家具に適用した例として位置づけられる。
来歴
完成後、この椅子は依頼主マチュー=レヴィの手元にとどまった。1971年にパリの画商シェスカ・ヴァロワが入手し、1973年にファッションデザイナーのイヴ・サンローランへ譲渡している。サンローランはこの椅子をパリの自邸に置き、2008年に没するまで手放さなかった。
2009年、サンローランとピエール・ベルジェの旧蔵品が競売にかけられた際、この椅子も出品されている。
評価と位置づけ
グレイの仕事の流れのなかで、この椅子は建築へ向かう以前、漆と木彫を主軸に据えていた時期に属する。1920年代半ば以降のグレイは、E1027 アジャスタブルテーブルに見られるように、金属管とガラスによる簡潔な造形へと関心を移していった。ドラゴンズ・アームチェアはその転回より前の、彫りと漆による作風を示す例である。
2013年にはパリのポンピドゥー・センターで、フランスにおける初のグレイ回顧展が開催されている。
アイリーン・グレイの設計思想や経歴について詳しくはアイリーン・グレイプロフィールページをご覧ください。
基本情報
| 名称 | ドラゴンズ・アームチェア(Dragons Armchair/仏: Fauteuil aux Dragons) |
|---|---|
| デザイナー | アイリーン・グレイ(Eileen Gray) |
| 制作年 | 1917年〜1919年頃 |
| 制作地 | フランス・パリ |
| 分類 | アームチェア |
| 素材 | 木(彫刻・漆塗装)、革 |
| 仕上げ | 赤みを帯びた茶と銀の漆/龍の目は白地に黒漆/胴に雲文の浅浮彫り |
| サイズ | 高さ約61cm(オークションカタログ記載) |
| 製作 | 量産品ではない一点物。正規の復刻版は製造されていない |
| 旧蔵 | ジュリエット・マチュー=レヴィ → シェスカ・ヴァロワ → イヴ・サンローラン |