ピエール・シャロー
ピエール・シャロー(Pierre Chareau、1883年8月4日 - 1950年8月24日)は、フランスの建築家・デザイナーである。1920年代から30年代のフランスにおいて、装飾美術(アール・デコ)の工芸的な伝統とモダニズムの機能主義を橋渡しした人物として知られる。鉄やガラスといった工業的な素材に、マホガニーやローズウッドなどの銘木を組み合わせた家具・照明・インテリアで、モダンな暮らしを求める富裕層の支持を集めた。ガラスブロックの外壁をもつ住宅「メゾン・ド・ヴェール(1928-1932年)」の設計者としても名高い。
バイオグラフィー
1883年、フランス南西部のボルドーに生まれる。幼い頃から絵画や音楽に親しみ、いくつかの進路の間で迷ったのち建築を志すが、エコール・デ・ボザールの入学試験には合格できず、以後は独学と実務を通じて設計を身につけていった。1900年代初頭、パリに支社を置くイギリスの高級家具メーカー、ウォーリング&ジロー(Waring & Gillow)に製図工として入り、客船やホテル、百貨店向けの家具を手がけながら主任デザイナーへと昇進する。第一次世界大戦の勃発により1914年に同社を離れ、砲兵として従軍した。
1904年には、イギリス出身の英語教師ルイーズ・ダイト(愛称ドリー)と結婚。ドリーは後年、シャローの活動を支える助手ともなった。1919年、35歳のときにパリのノレ通り54番地に自身の家具制作の工房を構える。最初の仕事は、のちに親友となる医師ジャン・ダルザスとその妻アニー・ベルネームの住まいの内装で、同年のサロン・ドートンヌに出品して注目を集めた。1923年には装飾美術家協会(Société des Artistes Décorateurs)に加わり、1924年にはパリに店舗「ラ・ブティック」を開いている。
デザインの思想とアプローチ
シャローの仕事の核にあるのは、素材の対比と、可動する機構への関心である。ローズウッドやマカッサル・エボニー、シカモアといった希少な木材に、鍛鉄やガラス、アラバスター(雪花石膏)を組み合わせ、装飾を抑えた明快な輪郭のなかで素材そのものの質感を際立たせた。金属加工では1924年から鉄工職人ルイ・ダルベ(Louis Dalbet)と協働して繊細なディテールを実現し、家具の張り地では画家ジャン・リュルサ(Jean Lurçat)とも組んでいる。
また、扇のように開閉する天板やテーブル、回転する書棚、引き出し式の机、可動間仕切りなど、限られた空間で柔軟に使える機構を数多く考案した。1927年以降は、動く仕切りや可変の壁面を備えた「構造的家具(mobilier structural)」を室内に組み込み、空間そのものに可変性をもたらす方向へと進んでいった。
作品の特徴
照明はシャローの独創がとりわけ発揮された分野である。三角形に切り出したアラバスターの薄板を金具で留め、内側の光源が乳白色の石を透かして柔らかな光を放つ照明群は、金工の細工物のように精緻に組み上げられた。後述する「ラ・レリジューズ」のほか、アラバスター板を用いた各種のテーブルランプや壁付け照明を手がけている。家具では、機構を持たせつつも輪郭は簡潔で、ホテルの什器のように堅牢に作られた点も特徴とされる。
ラ・レリジューズ
「ラ・レリジューズ(La Religieuse=修道女)」は、1923年頃に発表された照明である。アラバスターの三角形の板を金具に取り付け、円錐状に組み上げたシェードが、修道女のかぶる白いコルネット(頭巾)を思わせることからこの名がある。フロア・テーブル・読書用など複数のサイズがあり、支柱には木や鍛鉄が用いられた。ダルザス家をはじめ複数の内装に繰り返し用いられ、代表作の一つに数えられる。フロアランプ(SN31)の一点はパリのポンピドゥー・センター(国立近代美術館)に収蔵されている。現在はガルリー・MCDE(Galerie MCDE)が当時のデザインを再現している。
メゾン・ド・ヴェール
シャローが建築家として本格的に取り組んだのは1920年代後半で、オランダ人建築家ベルナルト・ベイフット(Bernard Bijvoet)と協働し、ボーヴァロンのゴルフホテルのクラブハウス(鉄筋コンクリート造)などを手がけた。その到達点が、1928年から1932年にかけてパリ7区のサン=ギヨーム通り31番地に建てられたメゾン・ド・ヴェール(ガラスの家)である。依頼主は旧知のダルザス夫妻で、1階を夫ジャンの婦人科診療所、上階を住居とする構成をとった。ベイフットおよび鉄工職人ルイ・ダルベと協働し、ガラスブロックを敷き詰めた半透明のファサード、露出した鉄骨、可動式の階段や間仕切りなどを備えた住宅として実現している。フランスで初めて鉄とガラスで建てられた住宅とされ、20世紀建築史における重要作の一つに数えられる。シャローは1928年、スイスのラ・サラで開かれた近代建築国際会議(CIAM)の第1回会合にも参加している。
晩年
1930年代に入ると世界恐慌の影響で依頼は減り、1940年のドイツ軍によるパリ占領は決定的な転機となった。ユダヤ系であったシャローは、モロッコを経て1940年にニューヨークへ渡る。渡米後の制作は限られ、妻ドリーとともに収集していた近代美術のコレクション(ピカソやモンドリアン、モディリアーニらの作品を含む)を売却しながら生計を立てた。1947年には、ニューヨーク州ロング・アイランドのイースト・ハンプトンに、画家ロバート・マザウェルのためのアトリエ兼住宅を、第二次大戦の余剰資材であるカマボコ兵舎(クオンセット・ハット)を転用して設計している。1950年8月24日、ニューヨークで没した。
評価と影響
シャローは生前、限られた顧客のための特注の仕事を中心としたため、専門家からの評価が高い一方で、一般には広く知られない存在にとどまった。現存する作品も多くは失われ、メゾン・ド・ヴェールと各地に分散した家具が残るのみである。しかし没後、その仕事は再評価が進んだ。1993年から94年にかけてパリのポンピドゥー・センターで回顧展が開かれ、2016年から17年にはニューヨークのユダヤ博物館で、米国初の本格的な回顧展「Pierre Chareau: Modern Architecture and Design」(企画:エスター・ダ・コスタ・マイヤー)が開催されている。メゾン・ド・ヴェールは今日でも多くの建築家に参照され続けており、ニューヨーク・タイムズの建築評論では「パリで最も優れた住宅」と評されたこともある。また1978年にアンドレ・プットマンが設立したエカール・インターナショナル(Ecart International)は、コルベイユ・ソファやスツールなどの復刻を手がけ、その仕事を現代に伝えている。
| 年 | 区分 | 作品名 | ブランド |
|---|---|---|---|
| 1922-23年頃 | ライト | マスク(Masque)テーブルランプ | — |
| 1923年頃 | ライト | ラ・レリジューズ(La Religieuse/SN31) | Galerie MCDE(復刻) |
| 1923年 | ソファ | コルベイユ(Corbeille/MP169) | Ecart International(復刻) |
| 1923年頃 | スツール | クリュール(Curule/MT1015) | Ecart International(復刻) |
| 1924年頃 | テーブル | テレフォン・テーブル(MB152/扇形テーブル) | — |
| 1925年 | インテリア | フランス大使館の書斎・図書室(装飾美術博覧会) | パリ装飾美術美術館蔵 |
| 1927年頃 | デスク | デスク&スツール(MB405/SN3) | — |
| 1927年頃 | スツール | Tスツール(SN3/T 1927) | Ecart International(復刻) |
| 1920年代後半 | 建築 | ボーヴァロン ゴルフホテル・クラブハウス | — |
| 1928-1932年 | 建築 | メゾン・ド・ヴェール(ガラスの家) | — |
| 1929年頃 | ミラー | 壁掛けミラー(MG311) | Ecart International(復刻) |
| 1947年 | 建築 | ロバート・マザウェル邸(イースト・ハンプトン) | — |
Reference
- The Jewish Museum – Pierre Chareau: Modern Architecture and Design
- https://thejewishmuseum.org/
- Ecart International – Pierre Chareau
- https://ecart.paris/en/collections/pierre-chareau
- Sotheby’s – Out of Obscurity: The Life and Work of Pierre Chareau
- https://www.sothebys.com/
- Wikipedia – Pierre Chareau
- https://en.wikipedia.org/wiki/Pierre_Chareau