概要
ジャン・プルーヴェ(1901-1984)は、フランスの金属加工職人・設計者である。正規の建築教育を受けず、鍛冶の修業から出発して自身の工房を持ち、薄い鋼板を折り曲げて中空の断面をつくる構法を家具から建築まで一貫して用いた。荷重の大きい部位に断面を集め、小さい部位は細い部材で済ませるという考え方は、スタンダードチェアやEMテーブルにそのまま現れている。工場を持ち、設計と製造を同一の手のうちに置いたことが、その仕事の前提になっている。
バイオグラフィー
1901年4月8日、パリに生まれた。父ヴィクトール・プルーヴェは画家・彫刻家で、アール・ヌーヴォーの工芸家集団「エコール・ド・ナンシー」の設立に加わった一人である。一家はまもなくナンシーへ移り、ジャンはこの街で育った。
ナンシーの美術学校を経て、パリ近郊アンギアンの鍛冶職人エミール・ロベール、次いでパリのアダルベール・サボーの工房で修業した。1924年、ナンシーのジェネラル・キュスティーヌ通りに「ジャン・プルーヴェ 鍛冶工芸」として最初の工房を開き、門扉、手すり、シャンデリアなどを手がけている。同年、マドレーヌ・ショットと結婚した。
1925年のパリ装飾美術博覧会でモダニズムの動向に触れ、以後は装飾的な錬鉄から離れて、板金、ステンレス、電気溶接へ関心を移す。1927年にはロベール・マレ=ステヴァンス設計の住宅の門扉を、1928年には折り曲げ板金によるエレベーターかごを製作した。1930年にはモダン・アーティスト連盟(UAM)の設立に加わり、翌1931年に「アトリエ・ジャン・プルーヴェ」を設立している。
1930年代には建築家ウジェーヌ・ボードゥアン、マルセル・ロッズと組み、クリシーのメゾン・デュ・プープルなどを手がけた。第二次世界大戦中はレジスタンスに加わり、ナンシー解放後は市長を務めている。1947年、ナンシー郊外マクセヴィルに約25,000平方メートルの工場を設け、従業員200名の体制で家具・プレハブ住宅・学校の生産にあたった。
1949年にアルミニウム・フランセーズがアトリエ・ジャン・プルーヴェに資本参加し、1953年6月、経営方針の相違から社長を辞任する。1956年1月まで役員として残ったのち、自身の名を冠した会社を離れた。1954年にはナンシーに自邸を建てている。
その後はパリのCIMT社で建築部門を率い、1957年から1970年までコンセルヴァトワール国立工芸院(CNAM)で教壇に立った。1971年にはポンピドゥー・センターの設計競技の審査委員長を務め、レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースの案が選ばれる過程で中心的な役割を果たしている。1984年3月23日、ナンシーで没した。
デザインの思想と方法
プルーヴェの設計は、荷重がどこに集まるかという一点から出発する。部材の断面を場所ごとに変え、力のかかる部分だけを太くし、それ以外は細くする。この配分をそのまま外形に出すため、彼の家具や建築は形を見れば力の流れが読み取れる。装飾を排したのは美学上の主張というより、断面の決定に不要な要素を持ち込まないための帰結である。
折り曲げによる中空断面
中心にあるのが薄い鋼板を折り曲げる技法である。板を曲げて閉じた断面をつくると、同じ重量の中実材より曲げに強くなる。プルーヴェはこの原理を自動車産業の板金加工から取り入れ、脚部、梁、扉、壁パネルに適用した。無垢材や鋳物では成立しない軽さと強度の両立が、この構法によって可能になっている。折り曲げの稜線がそのまま輪郭として現れるため、加工の痕跡が意匠を兼ねる。
工場を持って設計する
彼は自身の工房と工場を持ち、試作から量産までを手元で行った。図面上で成立しても加工できない形は採らないという判断が、設計の初期から働いている。マクセヴィル工場では、家具・建具・住宅の部材を同じ設備で生産しており、家具の断面の考え方をそのまま建築の部材へ拡大することができた。設計と製造を分けなかったことが、規模をまたいだ一貫性を生んでいる。
解体と移動を前提にする
プルーヴェの建築は、工場で部材をつくり現場で組み立てる方式をとる。接合は溶接ではなくボルトを主とし、分解して運び、別の場所で組み直せる。戦後の住宅不足に対する仮設住宅や、熱帯地域向けの住居はこの前提から出ている。家具でも、脚部と天板を分離してボルトで留める構成が多く、輸送と保管の条件が構造の決め方に影響している。
材料の制約を設計条件にする
戦時中の鋼材不足に際しては木材による家具を製作し、戦後は軽量化のためにアルミニウムへ移った。素材の選択は好みではなく、その時点で入手でき加工できるものという条件から決まっている。木と鋼を組み合わせる構成が多いのも、それぞれの材料が得意な役割を分担させた結果である。
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代表作にみる方法
シテ チェア(1930年)
ナンシーの大学都市の学生居室のために設計された椅子である。折り曲げ鋼板の脚部が座面から背まで一続きに立ち上がり、肘掛けは革帯を渡すだけで済ませている。構造を担う部分に板金を集中させ、身体が触れる部分は柔らかい材料に任せるという役割分担が、この時点ですでに現れている。→シテ チェア
スタンダードチェア(1934年)
椅子に座ったとき、荷重の大部分は後脚に集まる。プルーヴェはこの事実を出発点に、後脚を折り曲げ鋼板の太い中空断面とし、荷重の小さい前脚は細い鋼管で済ませた。前後で断面が大きく異なる外形は、装飾ではなく力の配分をそのまま表したものである。座と背は木を用い、身体に触れる部分と構造を担う部分を材料の側で分けている。→スタンダードチェア
メゾン・トロピカル(1949-1951年)
フランスの旧植民地の熱帯地域に向けて設計された住居で、部材はすべて平らな形状でフランスから空輸し、現地で組み立てる方式をとった。屋根を二重にして間に空気層を設け、庇と可動の日除けで直射日光を遮る。断熱材に頼らず、部材の配置と隙間の設け方で室内環境を調整する構成である。試作3棟にとどまり量産には至っていない。
アントニーチェア(1950年)
パリ近郊アントニーの学生寮のために設計された椅子で、成形合板の座と背を、折り曲げ板金のブラケットで金属フレームに留めている。合板の曲面に沿ってブラケットの輪郭を変えることで、接合部の面積を確保しつつ余分な材料を削っている。座面と背もたれの角度が変わる部分でブレースの幅を広げ、両端に向けて細くする処理も同じ考え方による。→アントニーチェア
ポタンス(1950年)
壁の縦材から一本の腕を水平に伸ばし、その先端に光源を置く照明である。床置きの台座を持たないため設置面積を取らず、腕を横に振ることで照らす範囲を変えられる。部材は鋼管と木のノブだけで、支持に必要な要素以外を持たない。構造の最小限の構成という彼の主題が、最も単純な形で現れた作品にあたる。→ポタンス
評価と影響
プルーヴェは一般に、設計と製造を分けずに扱った20世紀の数少ない作り手として評価されている。ル・コルビュジエが彼を「コンストリュクトゥール(構築者)」と呼んだことはよく知られており、建築家でも工業デザイナーでもない立場から仕事を組み立てた点が特徴として挙げられる。
構造や設備を隠さず外に見せる建築の手法は、1970年代以降のハイテック建築に引き継がれた。1971年のポンピドゥー・センター設計競技で審査委員長を務め、構造と設備を外部に露出させた案を選んだことは、その系譜を示す出来事として言及される。
家具については、1950年代の学生寮や学校向けの製品が長く実用品として扱われ、後年になって設計としての評価が高まった。1990年代以降はヴィトラが複数のモデルを復刻し、当時の図面と現存個体の調査に基づいて生産している。
収蔵
以下の収蔵が確認できる(MoMA=ニューヨーク近代美術館、V&A=ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、Met=メトロポリタン美術館、AIC=シカゴ美術館)。
- MoMA 折りたたみ椅子(1930年、ピエール・ミセーとの共同名義) 収蔵番号 466.1997
- MoMA 学童机(1946年) 収蔵番号 502.2005
- MoMA ポタンス 壁付け照明(1947年頃) 収蔵番号 843.2005
- MoMA 「ディレクシオン」オフィスアームチェア no.352(1951年) 収蔵番号 212.1998
- MoMA スタンダードチェア no.305(1952年) 収蔵番号 455.2008
- MoMA スタンダード 組立式カフェテリアチェア no.300(1952年) 収蔵番号 454.2008
- MoMA アントニーチェア no.356(1954年) 収蔵番号 358.2004
- V&A チェア No.300(1948年) 収蔵番号 W.3-1991
- Met アントニーチェア(1954年) 収蔵番号 2016.645.2
- AIC ヴィジトゥール アームチェア 収蔵番号 2017.526a-c
作品一覧
| 発表年 | 区分 | 作品名 | ブランド / 場所 |
|---|---|---|---|
| 1930年 | 椅子 | シテ チェア | Vitra(復刻) |
| 1930年 | 椅子 | フォトゥイユ・ド・サロン | Vitra(復刻) |
| 1934年 | 椅子 | スタンダードチェア | Vitra(復刻) |
| 1937-1939年 | 建築 | メゾン・デュ・プープル | クリシー、フランス |
| 1944年 | 建築 | 組立式仮設住宅(戦災者向け) | ロレーヌ地方、フランス |
| 1946年 | デスク | ビューロー・スタンダード | Vitra(復刻) |
| 1949-1951年 | 建築 | メゾン・トロピカル | ニアメ/ブラザヴィル |
| 1950年 | 椅子 | アントニーチェア | Vitra(復刻) |
| 1950年 | 照明 | ポタンス | Vitra(復刻) |
| 1950年 | 照明 | ランプ・ド・ビューロー | Vitra(復刻) |
| 1950年 | テーブル | ゲリドン | Vitra(復刻) |
| 1950年 | テーブル | EMテーブル | Vitra(復刻) |
| 1951年 | デスク | ビューロー・プレジダンス | Vitra(復刻) |
| 1952年 | 収納 | バユ | Vitra(復刻) |
| 1953年 | テーブル | コンパス テーブル | Vitra(復刻) |
| 1954年 | 建築 | 自邸 | ナンシー、フランス |
| 1956-1958年 | 建築 | ナンテール展示ホール | ナンテール、フランス |
| 1958年 | 建築 | ブリュッセル万国博覧会 フランス館(外装) | ブリュッセル、ベルギー |
| 1958年 | 建築 | メゾン・デュ・サハラ(シャルロット・ペリアンと共同) | パリ、フランス |
| 1963-1969年 | 建築 | ベルリン自由大学(外装) | ベルリン、ドイツ |
| 1967年 | 建築 | グルノーブル会議場 | グルノーブル、フランス |
| 1980-1984年 | 椅子 | グラン・ルポ | Vitra(復刻) |
プロフィール
| 生没年 | 1901年4月8日〜1984年3月23日 |
|---|---|
| 出身地 | フランス・パリ(ナンシーで育つ) |
| 国籍 | フランス |
| 活動拠点 | ナンシー、マクセヴィル、パリ |
| 分野 | 家具、建築、建材、照明 |
| 主な協働ブランド | Ateliers Jean Prouvé、Vitra |
Reference
- Entire biography | Jean Prouvé(公式)
- https://www.jeanprouve.com/en/biography/entire-biography
- Timeline | Jean Prouvé(公式)
- https://www.jeanprouve.com/en/biography/timeline
- Inventory and biography of Jean Prouvé | Galerie Patrick Seguin
- https://www.patrickseguin.com/en/cv-jean-prouve/
- Jean Prouvé | Ville de Nancy
- https://www.nancy.fr/culture/patrimoine/jean-prouve
- Standard Chair | Vitra
- https://www.vitra.com/en-us/product/details/standard
- Jean Prouvé | Britannica
- https://www.britannica.com/biography/Jean-Prouve
- The Museum of Modern Art Collection
- https://www.moma.org/collection/works/2325