ヒン・ブレーデンディーク

ヒン・ブレーデンディーク(Hin Bredendieck、1904年 - 1995年)は、ドイツ北部・東フリースラントのアウリッヒに生まれたインダストリアルデザイナー、デザイン教育者である。バウハウス・デッサウで学び、マリアンネ・ブラントのもとで照明器具や家具の設計に携わった。1937年にアメリカへ渡ってからは、シカゴのニュー・バウハウスとインスティテュート・オブ・デザインで教え、のちにジョージア工科大学(ジョージア・インスティテュート・オブ・テクノロジー)の工業デザイン課程を率いた。ドイツで培われたバウハウスの理念と教育方法をアメリカのインダストリアルデザイン教育へと橋渡しした人物として位置づけられている。

バイオグラフィー

1904年、ドイツ北部・東フリースラント(オストフリースラント)のアウリッヒに、商人の家庭の七人兄弟の末子として生まれた。本名はヒンリヒ・ヘルマン・フォッコ・ブレーデンディーク。アウリッヒで指物師(家具職人)の修業を積み、レーアの家具工場で働いたのち、1924年にシュトゥットガルトの工芸学校(クンストゲヴェルベシューレ)、1925年にはハンブルクの工芸学校で学んだ。

1927年、デッサウのバウハウスに入学し、1930年に修了した。当初はヨゼフ・アルバースの基礎課程(予備課程)に学び、その後金属工房に加わっている。在学中はパウル・クレー、ラースロー・モホイ=ナジ、マリアンネ・ブラント、ヴァルター・グロピウスといった教師や指導者のもとで研鑽を積んだ。金属工房ではブラントの指導下で、ヘルマン・ガウテルとともにライプツィヒの照明メーカー、ケルティング&マティーゼン社(カンデム)向けの照明を1928年以降に手がけた。ハンネス・マイヤー校長期には、規格量産を意図した「標準製品」として、作業スツール me 1002 や板バネ椅子 me 1004 などの家具をガウテルと共同で設計している。

1930年から1931年にかけては、ベルリンでモホイ=ナジとヘルベルト・バイヤーのアトリエに関わった。1932年頃にはスイスに渡り、建築史家ジークフリート・ギーディオンとともにトゥルギの照明メーカーB.A.G.の量産体制づくりに携わり、チューリッヒのコルソ劇場などの照明も手がけた。その後ドイツに戻り、オルデンブルクでヘルマン・ガウテルと家具製造に取り組んでいる。この時期に、同じくバウハウスで学んだヴァージニア・ヴァイスハウスと結婚した。

1937年、モホイ=ナジの招きによりアメリカへ移り、シカゴのニュー・バウハウスで基礎デザイン工房と木工・金属工房の運営を担い、予備課程の指導にあたった。ネイサン・ラーナーとともにサウスサイド・コミュニティ・アート・センターの内装改修にも関わっている。ニュー・バウハウスの後身であるインスティテュート・オブ・デザインではプロダクトデザインを教えた。1949年から1954年にかけては、ラーナーと共同で「ラーナー=ブレーデンディーク・デザイン」を営み、購入者が自分で組み立てる低価格のDIY家具を手がけた。これらの設計図は雑誌『ポピュラー・ホーム』に「ハンディマン・プランズ」として掲載された。

1952年、ジョージア工科大学(アトランタ)に置かれた工業デザインの課程を率いる初代のディレクターに就任し、1971年に退職するまでその発展を導いた。カリキュラムには、恩師グロピウスが説いた「デザインの科学」という考え方が取り入れられた。1994年には、生涯にわたるデザイン教育への貢献に対してアメリカインダストリアルデザイナー協会(IDSA)から教育賞を受けている。ブレーデンディークは、IDSAの会員となった唯一のバウハウス出身者であった。1995年9月1日、アメリカ・ジョージア州ロズウェルで没した。

デザインの思想とアプローチ

ブレーデンディークの仕事は、手仕事による造形と工業的な量産とを結びつけようとするバウハウスの姿勢に貫かれている。カンデム向けの照明は、少数の手工芸品ではなく、規格化と広い流通を通じて手頃な価格で提供される工業製品として構想された。この考え方は、渡米後に手がけた組み立て式の低価格家具へと連続してゆく。狭い住空間にも適し、購入者自身が組み立てられる家具は、機能と生産性、そして生活者の使い勝手を同時に満たそうとする発想の延長線上にあった。

教育者としては、素材と製作の理解を出発点に置き、ユーザーを中心に据えた調査を責任ある製品開発の前提とする姿勢を重んじた。こうした方法論は、アメリカ南部の大学に新しいデザイン教育をもたらした流れの一翼として評価されている。

代表作 ― カンデムのテーブルランプ

バウハウス時代の代表作として知られるのが、マリアンネ・ブラントとともに1928年に設計したカンデムのテーブルランプである。ケルティング&マティーゼン社(カンデム)によって製造されたこのランプは、内側を鏡面とした可動式の反射傘、曲げられるアーム、安定した台座、扱いやすいスイッチを備え、実用性と生産性を両立させた設計として位置づけられている。

カンデムのランプは、バウハウスの製品設計のなかで実際に量産へ至った数少ない例の一つであり、標準化と広い流通によって手頃な価格の製品を届けるというグロピウスの構想に沿うものだった。この設計はバウハウス閉校後も長く生産が続けられている。ニューヨーク近代美術館(MoMA)は1928年制作の「カンデム・ベッドサイド・テーブルランプ」(ラッカー塗装スチール製、収蔵番号191.1958)を建築・デザイン部門に収蔵しており、ベルリンのバウハウス・アーカイヴにも同作が収められている。

功績と後世への影響

ブレーデンディークは、1933年以降に世界各地へ散ったバウハウス出身の亡命者の一人として、その理念と教育方法をアメリカへ伝えた。とりわけジョージア工科大学では、体系的なインダストリアルデザイン教育を築き、この分野を専門課程として定着させた。彼が指導的立場にあった1952年から1971年までの時期は、同校で「ヒン・ブレーデンディーク時代」とも呼ばれている。退職後も設計論に関する著述を続け、その講義資料と論考は没後の2009年に『Beyond Bauhaus: The Evolving Man-Made Environment』として、ジョージア工科大学建築学部からまとめて刊行された。

その遺品・資料は、ベルリンのバウハウス・アーカイヴ、アトランタのジョージア工科大学図書館、オルデンブルクの州立美術・文化史博物館の三か所に分かれて所蔵されている。2020年には、グロリア・ケプニックの編集による評伝『Hin Bredendieck. Von Aurich nach Atlanta(アウリッヒからアトランタへ)』がヒルマー社から刊行され、ドイツとアメリカにまたがるその足跡があらためて紹介された。

区分作品名ブランド
1928年ライトKandem Bedside Table Lamp(マリアンネ・ブラントと共同)Kandem(Körting & Mathiesen)
1929–30年スツール作業スツール me 1002(ヘルマン・ガウテルと共同)Bauhaus
1929–30年チェア板バネ椅子 me 1004(ヘルマン・ガウテルと共同)Bauhaus
1949年頃チェアPopular Home ChairLerner-Bredendieck Design
1950年テーブル折りたたみ式壁掛けテーブルLerner-Bredendieck Design
1952年テーブル・チェア子供用テーブルと椅子Lerner-Bredendieck Design

Reference

Marianne Brandt, Hin Bredendieck. Kandem Bedside Table Lamp. 1928 | MoMA
https://www.moma.org/collection/works/2463
History – School of Industrial Design | Georgia Tech
https://id.gatech.edu/history
Hin Bredendieck | Industrial Designers Society of America (IDSA)
https://www.idsa.org/profile/hin-bredendieck/
Marianne Brandt and Hin Bredendieck, Kandem table lamp, 1928 | Bauhaus-Archiv
https://www.bauhaus.de/en/sammlung/highlights/206_metall/319
Hin Bredendieck – Wikipedia (de)
https://de.wikipedia.org/wiki/Hin_Bredendieck