概要
エルベルト・カルボーニ(1899-1984)は、イタリアの建築家・グラフィックデザイナーである。建築の訓練を平面の構成に持ち込み、広告と展示設計の双方を手がけた。1948年からRAIの視覚設計を担当している。家具では1954年のデルフィーノが唯一の作にあたる。
バイオグラフィー
1899年11月22日、イタリア北部のパルマ生まれ。1921年、パルマのパオロ・トスキ美術学校で建築の免状を取得する。卒業直後は地元の風刺雑誌『La puntura』に「リンチェ(山猫)」の筆名で似顔絵を寄せることから活動を始め、まもなく広告グラフィックと挿絵へ移った。『Lidel』『Novella』『Il Dramma』『Emporium』『Le grandi firme』といった雑誌に挿絵を提供している。
1932年にミラノへ移り、アントニオ・ボッジェリが主宰するスタジオ・ボッジェリに外部の協力者として加わる。同スタジオはブルーノ・ムナーリやマックス・フーバーの出発点でもあり、当時のイタリアにおけるグラフィックの中心的な場だった。カルボーニはここから、見本市や文化展示の会場構成を手がける設計者として頭角を現す。
1930年代半ばから広告の仕事が本格化し、オリヴェッティ(1935年)、シェル(1937年)、モッタ(1939年)へと続く。戦後は1948年からイタリア放送協会(RAI)との協働が始まり、以後は生涯にわたって同局の視覚表現を担った。1952年から1960年にはバリラ、1952年からベルトッリ、1958年から1970年にはパヴェージの広告を手がけている。
晩年は設計の仕事を減らし、彫刻と絵画に取り組んだ。1972年のヴェネツィア・ビエンナーレでは高さ6メートルの鋼の彫刻『Totem 36』を出品している。1982年、パルマ市が回顧展を開催。1984年11月5日、ミラノで死去した。
デザインの思想とアプローチ
カルボーニの仕事を貫くのは、建築の訓練をグラフィックに持ち込んだ点にある。平面の構成と空間の構成を同じ問題として扱ったことで、当時のイタリアには存在しなかった職能、すなわち展示設計者(exhibit designer)という立場が成立した。
装飾から内容へ
1940年代までの展示会場は、外観の演出を先に決める作り方が主流だった。カルボーニはこれを、展示する対象の性質と目的から構成を導く方向へ切り替えていった。1949年のRAI館では美術館の陳列方法を踏襲していたが、1953年から1954年にかけてのRAI館では、旧型テレビの画面を思わせる巨大な輪郭を連ねた前室を通して主室へ導くという構成をとる。来場者の移動そのものを設計の対象とした例にあたる。
様式の変化と手法の一貫
扱う商品ごとに図像の調子は大きく変わる。厳格な広告から軽妙な広告まで幅があるが、フォトモンタージュの使用、実物から取った要素の挿入、活字の大胆な使用、遠近法と建築的な連続の操作といった手法は変わらない。批評家のジッロ・ドルフレスは、この点を図像の折衷性と手法の一貫という組み合わせとして整理している。
一貫した視覚体系
クライアントに対しては、パッケージからポスターまでを含む視覚体系の全体を提示した。個別の広告ではなく体系を納品するという方法は、コーポレート・アイデンティティという概念が定着する以前のイタリアにおいて先行的なものだった。
作品の特徴
グラフィック、展示設計、家具という三つの領域にまたがるが、いずれも建築の教育を受けた者の空間把握が土台にある。
- フォトモンタージュの早期採用
- 1920年代から写真と写真合成を用いた。当時のイタリアの広告では新しい技法だった
- 覚えやすいコピーとの結合
- バリラの「Con pasta Barilla è sempre domenica」やパヴェージの「È sempre l'ora dei Pavesini」など、図像と言葉を一体で設計した
- 来場者を巻き込む展示
- 1951年のRAI館では、アキッレとピエル・ジャコモのカスティリオーニ兄弟と協働し、来場者の脚だけが外から見える構成をとった。観客そのものを展示の主題に変えている
- 放送局の視覚体系
- RAIのマーク、番組のタイトル映像、テストパターンまでを一貫して設計。テレビという新しい媒体の視覚言語をゼロから組み立てた
- 有機的な家具
- 1954年のデルフィーノでは、座面から肘掛けまでを段差のない一続きの面として構成した
主な代表作とその特徴
家具
アルフレックスのために設計されたアームチェア。名称はイタリア語で「イルカ」を指す。座面から背もたれ、背もたれから肘掛けへと面が段差なく連なり、肘掛けは先端へ向かって薄くなりながら外側へ跳ね上がる。この輪郭が魚類のヒレを想起させることが名称の由来にあたる。カルボーニが家具設計に関わった数少ない例であり、同時に彼の作品のなかで現在も生産が続く数少ないものでもある。
RAIの視覚設計
ロゴマークとテレビ用ロゴ
1948年にRAIとの協働を開始し、翌1949年に最初のマークを設計した。角ばった書体に「i」の点を残した形である。1953年にはテレビ放送用のロゴを追加し、黒地に灰色の「T」と白い「V」を重ねた形をとった。
タイトル映像とモノスコープ
1954年1月3日、RAIの定時放送開始の日に放送された2代目のテレビニュースのタイトル映像を手がけた。放送開始のタイトル映像はロッシーニの『ウィリアム・テル』を音楽に用い、1954年から1986年まで放送された。終了時のタイトル映像はロベルト・ルーピの楽曲を伴い、同じく1986年まで使われている。両者は一見同じだが、電磁波を表す線が開始では上から下へ、終了では下から上へ流れる点が異なる。放送休止時に映される検査用画面(モノスコープ)も彼の設計で、1954年から1977年まで使用された。1979年にはRAI3の放送開始タイトルも手がけている。
展示設計
1930年代の会場構成
1934年のミラノ・トリエンナーレにおけるイタリア航空展、1936年のミラノ国際自動車ショーのAgipスタンド、同年のローマにおけるカトリック出版国際展、1937年のミラノ見本市でのモッタ館とイタリア海運館、1939年のモンテカティーニ館などを手がけた。
RAI館(1949年〜)
1949年のミラノ見本市でのRAI館を皮切りに、1950年代を通じて同局の展示会場を継続して担当した。1951年の展示ではカスティリオーニ兄弟が協働している。1953年から1954年の館では、来場者の移動と視線を順序立てて制御する構成が完成した。
イタリア61(1961年)
イタリア統一100年を記念してトリノで開催された博覧会で、イタリア館の会場構成を担当した。
著作
『Pubblicità per la radiotelevisione』(1959年、序文はジオ・ポンティ)、『Esposizioni e mostre』(1959年、序文はハーバート・バイヤー)、『25 campagne pubblicitarie』(1961年)、『La Grecia in sogno』(1962年、序文はジャン・コクトー)などがある。いずれも自身の仕事を体系的に整理したもので、当時のイタリアにおける広告と展示の実務を知る資料となっている。
功績・業績
- 1921年 パルマのパオロ・トスキ美術学校で建築の免状を取得
- 1932年 ミラノへ移りスタジオ・ボッジェリに参加
- 1948年 RAIとの協働を開始(生涯継続)
- 1949年 RAIの最初のマークを設計
- 1950年 広告グラフィック国内賞を受賞
- 1952年 バリラの広告キャンペーンで広告のパルマ・ドーロを受賞
- 1954年 デルフィーノをアルフレックスのために設計/RAIのテレビニュースのタイトル映像とモノスコープを設計
- 1957年 ミラノ・トリエンナーレ グランプリを受賞
- 1960年 展示会場構成の国内賞を受賞
- 1961年 トリノのイタリア61でイタリア館の会場構成を担当
- 1972年 ヴェネツィア・ビエンナーレに彫刻『Totem 36』を出品
- 1982年 パルマ市による回顧展
評価・後世に与えた影響
カルボーニの位置づけを決めているのは、イタリアの広告と展示の実務が職業として確立していく時期に、その両方の型をつくった点にある。広告代理店という組織が現在のような形で存在しなかった時代に、企業ごとの視覚体系を単独で設計し、パッケージからポスター、展示会場までを一つの方針で統一した。
RAIの仕事は、放送という媒体の視覚表現をゼロから組み立てた例として扱われる。1954年から1986年まで、32年にわたって同じタイトル映像が使われ続けたという事実自体が、その設計の耐用年数を示している。モノスコープに至っては、番組が映らない時間の画面までを設計対象に含めた仕事だった。
展示設計の分野では、会場の見た目を整えることから、内容を伝えるための順序と体験を組み立てることへと方法を移した点が評価されている。来場者を主題に変えるという1951年のRAI館の手法は、その後カスティリオーニ兄弟らによって展開され、1967年の移動展示館などに引き継がれた。
家具設計者としては例外的な一作であるデルフィーノが、アルフレックスで現在も生産されている。グラフィックの仕事が印刷物と放送という消えやすい媒体に残されたのに対し、この椅子は現物として流通し続けており、日本におけるカルボーニの認知はこの一点を経由することが多い。
収蔵
4館のAPI(MoMA、V&A、Met、AIC)で照合したが、該当する収蔵は確認できなかった。イタリア国内の館については照合手段がない。
作品一覧
| 年 | 区分 | 作品名 | ブランド |
|---|---|---|---|
| 1934年 | 展示 | イタリア航空展(ミラノ・トリエンナーレ) | - |
| 1935年 | 広告 | オリヴェッティの広告 | Olivetti |
| 1936年 | 展示 | Agipスタンド(ミラノ国際自動車ショー) | - |
| 1937年 | 展示 | モッタ館・イタリア海運館(ミラノ見本市) | - |
| 1937年 | 広告 | シェルの広告 | Shell |
| 1939年 | 展示 | モンテカティーニ館(ミラノ見本市) | - |
| 1942年 | 展示 | イタリア農業館(ザグレブ) | - |
| 1949年 | グラフィック | RAIの最初のロゴマーク | RAI |
| 1949年 | 展示 | RAI館(ミラノ見本市) | - |
| 1951年 | 展示 | RAI館(カスティリオーニ兄弟と共同) | - |
| 1952年〜 | 広告 | バリラの広告キャンペーン | Barilla |
| 1953年 | グラフィック | RAIのテレビ用ロゴ | RAI |
| 1954年 | 椅子 | デルフィーノ | arflex |
| 1954年 | 映像 | RAIのテレビニュース タイトル映像/放送開始・終了のタイトル映像/モノスコープ | RAI |
| 1958年〜 | 広告 | パヴェージの広告キャンペーン | Pavesi |
| 1959年 | 著作 | Pubblicità per la radiotelevisione/Esposizioni e mostre | - |
| 1961年 | 展示 | イタリア館(イタリア61、トリノ) | - |
| 1961年 | 著作 | 25 campagne pubblicitarie | - |
| 1962年 | 著作 | La Grecia in sogno | - |
| 1972年 | 彫刻 | Totem 36(ヴェネツィア・ビエンナーレ) | - |
| 1979年 | 映像 | RAI3 放送開始タイトル映像 | RAI |
プロフィール
| 生没年 | 1899年11月22日〜1984年 |
|---|---|
| 出身地 | イタリア・パルマ |
| 国籍 | イタリア |
| 活動拠点 | ミラノ |
| 分野 | グラフィック、展示設計、家具 |
| 主な協働ブランド | Arflex、RAI |
Reference
- Erberto Carboni - Wikipedia(italiano)
- https://it.wikipedia.org/wiki/Erberto_Carboni
- Erberto Carboni - Wikidata
- https://www.wikidata.org/wiki/Q3731156
- ERBERTO CARBONI - Graphic Designer, Architect - Archivio Storico Barilla
- https://www.archiviostoricobarilla.com/en/explore/focus/biographic-references-of-authors/erberto-carboni-graphic-designer-architect/
- Erberto Carboni - Alliance Graphique Internationale
- https://a-g-i.org/user/erbertocarboni/
- Erberto Carboni - Arflex
- https://www.arflex.it/us/it/erberto-carboni
- Erberto Carboni - Archivio Grafica Italiana
- https://www.archiviograficaitaliana.com/designers/3/erbertocarboni