S Chairは、1987年にトム・ディクソンによってデザインされたラウンジチェアである。その名称は、S字型の優美な曲線を描くシルエットに由来している。ロンドンのワークショップで誕生したこの椅子は、スクラップメタルを用いた溶接という手法から生まれ、当初は手作業で約60脚が製作された。1991年にイタリアの家具メーカーであるカッペリーニが量産化を開始し、現代デザインを代表する一脚となった。ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、ミラノ・トリエンナーレなど、世界の主要な美術館の永久コレクションに収蔵されている。

特徴とコンセプト

彫刻的なフォルムと人体性

S Chairの最大の特徴は、その彫刻的で流麗なフォルムにある。ディクソン自身が鶏の落書きからインスピレーションを得たと語るこのデザインは、見る者によって様々な解釈を許容する多義性を持つ。人体を思わせる有機的な曲線は、ウエスト、膝、そして人間らしい姿勢を彷彿とさせる。この擬人的(アンソロポモーフィック)な性質により、異なる素材で覆われるたびに新鮮な印象を与え、30年以上にわたって再解釈され続けている。

素材と製造技術の進化

オリジナル版は溶接されたスチールフレームに、イギリスの籠職人が編み込んだラッシュ(marsh straw)で覆われていた。ラッシュの編み込みは手作業で行われ、熟練の職人技を要した。カッペリーニによる量産化以降、ラッシュ、籐、レザー、ファブリックなど多様な素材が採用され、それぞれのバージョンが独自の表情を生み出してきた。2016年のリデザイン版では、最新の製造技術を活用し、硬質・軟質フォームと純粋なウールカバーを採用。ステアリングホイールからインスピレーションを得た鋳鉄製ベースが、より快適で人間工学的な座り心地を実現している。

再生と実験の精神

ディクソンは図面を用いず、スタジオでの製作過程で形状を変化させながらデザインを完成させた。この実験的なアプローチは、S Chairの生涯を通じて継続されている。2020年には、ニットウェアデザイナーのペジュ・オバサとのコラボレーションにより、海洋および埋立地の廃棄物から再生されたナイロン「エコニール」を用いたクロシェ編み版が制作された。インドでヘンプを用いた試みなど、うまくいかなかった例もあるが、こうした試みの積み重ねが、S Chairを新しい素材や手法を試す場とし続けている。

エピソード

クリエイティブ・サルベージとリサイクルの美学

S Chairが誕生した1980年代、ディクソンはデザイナーのニック・ジョーンズ、マーク・ブレイジャー=ジョーンズとともに「クリエイティブ・サルベージ」を結成していた。スクラップメタルから家具や装飾品を生み出すこのグループの活動は、一世代のデザイナー・メーカーに多大な影響を与えた。S Chairもこの活動から生まれた一脚である。当初はリサイクルされたタイヤのゴムをスチールフレームに巻き付ける構想があったが、柔らかな形状を持つフレームにゴムを巻くことの難しさから、最終的にラッシュへと素材が変更された。

大量生産を意図しないデザインの逆説

ディクソンは後に、S Chairを「意図的に大量生産を目的としない座家具として構想した」と語っている。皮肉にも、この椅子は彼の商業的ブレークスルーとなった。カッペリーニが量産化を実現する際、手編みのラッシュ版では1脚あたり6時間以上の職人技が必要とされた。工業製品でありながら手仕事の温もりを失わないという、稀有なバランスを達成したのである。

評価と影響

S Chairは、1980年代のロンドンにおけるデザイナー・メーカー運動を代表する一作として評価されている。リサイクル素材を起点とする創造性と、手仕事と工業生産の両立という点で、後続の世代に影響を与えた。30年以上にわたり多様な素材やコラボレーションを通じて再解釈され続けている点も、このデザインの息の長さを示している。

基本情報

デザイナー トム・ディクソン
デザイン年 1987年
製造 カッペリーニ(Cappellini)、トム・ディクソン(Tom Dixon)
分類 ラウンジチェア
素材 オリジナル:スチールフレーム、ラッシュ(marsh straw)
カッペリーニ版:スチールフレーム、ラッシュ/籐/レザー/ファブリック
リデザイン版(2016年):鋳鉄ベース、硬質・軟質フォーム、ウールカバー
サイズ 幅 50cm × 奥行 63cm × 高さ 96.7cm(座面高 47cm)
※リデザイン版の寸法
所蔵 ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)、ミラノ・トリエンナーレ