BKFバタフライチェアは、1938年にブエノスアイレスで誕生した20世紀を代表するアイコニックなラウンジチェアである。アルゼンチン人建築家であるアントニオ・ボネット、フアン・クルチャン、ホルヘ・フェラーリ=ハードイの3名によってデザインされ、それぞれの頭文字を冠してBKFチェアと名づけられた。チューブラースチールフレームに吊り下げられたレザーシートという斬新な構造により、蝶が翼を広げたようなシルエットを形成することから、バタフライチェアの愛称で広く親しまれている。

3人の建築家は、いずれもル・コルビュジエの事務所で働いた経験を持ち、パリで出会い意気投合した。帰国後、彼らはブエノスアイレスで建築集団グルーポ・アウストラルを結成し、その設計活動の一環として、自らが手がけたアパートメント建築のためにこの椅子を開発した。BKFチェアは、モダンデザインの厳格性と快適性を両立させた画期的な作品として、発表当初から大きな注目を集めることとなった。

デザインの源流

BKFチェアのデザインは、イギリス人発明家ジョセフ・ベヴァリー・フェンビーが1877年に特許を取得したトリポリーナチェアからインスピレーションを得ている。トリポリーナチェアは、木製フレームと革製シートを組み合わせた折りたたみ式の椅子であり、軍用キャンプ家具として開発された実用性の高いデザインであった。1904年のセントルイス万国博覧会で発表された後、ヨーロッパの製造業者にライセンスされ、イタリアのヴィガーノ社がリビアのトリポリで製造したことから、トリポリーナの名で知られるようになった。

3人の建築家たちは、このトリポリーナチェアの機能性と形態に着目し、木製の4本脚を2本のループする金属フレームに置き換え、より洗練されたモダンな解釈を加えた。こうして生まれたBKFチェアは、軍用家具の実用性とモダニズムの美学を融合させた、まったく新しい座の形式を提示することとなった。

特徴とデザイン哲学

BKFチェアの最大の特徴は、その構造的シンプルさと座り心地の良さの両立にある。連続したチューブラースチールフレームが描く優美な曲線と、そこに吊り下げられたレザーやキャンバスのシートは、最小限の構成要素で最大限の快適性を実現している。シートは身体の重みによって自然に沈み込み、ハンモックのように包み込むような座り心地を提供する。この独特の座り心地は、1930年代の硬質なモダニズム家具に対する新鮮な対案として受け入れられた。

デザインのもう一つの重要な特性は、その軽量性と可搬性である。フレームとシートが分離可能な構造により、コンパクトに収納することが可能で、室内外を問わず様々な場所で使用できる汎用性を備えている。この実用性と彫刻的な美しさの共存こそが、BKFチェアが時代を超えて愛され続ける理由である。

栄光の歴史

初期の評価と収蔵

1940年3月6日、BKFチェアはアメリカの業界紙「リテイリング・デイリー」に掲載され、「シエスタのための新しく発明されたアルゼンチン製イージーチェア」として紹介された。同年、ブエノスアイレスで開催された第3回サロン・デ・アルティスタス・デコラドレス展覧会において、国家文化委員会から第2位の賞を授与され、その革新性が公式に認められた。

この椅子の特異な形状とスリング構造は、ニューヨーク近代美術館の産業デザイン部門ディレクターであったエドガー・カウフマン・ジュニアの目に留まった。彼は3人の建築家が制作した3脚のうち2脚を購入し、1脚はMoMAの永久コレクションに、もう1脚はフランク・ロイド・ライトが設計した彼の両親の別荘「落水荘(フォーリングウォーター)」に収められた。現在も両方の場所でこの椅子を見ることができる。残る1脚の所在は今日まで不明のままである。

1941年、BKFチェアはMoMAから取得賞を授与され、近代デザインの傑作として正式に認められた。1944年には改めてMoMA取得賞を受賞し、翌1945年にはパリのジュ・ド・ポーム・パビリオンで展示された。2014年には、バルセロナのムゼウ・デル・ディセニーの永久コレクションにも加えられ、20世紀デザインの基本的作品としての地位を確立している。

大量生産と世界的普及

1941年、アルヴァ・アアルトの会社であるアーテック=パスコー社がBKFチェアの製造権を取得し、大量生産を開始した。同社は1947年まで製造を続け、デザイナーたちにロイヤリティを支払っていた。1947年、アメリカのノール社がこの椅子の商業的可能性を認識し、製造権を引き継いだ。ノール社は「バタフライ」の名称で販売を開始し、需要は爆発的に増加した。

1950年代から1960年代にかけて、BKFチェアは特に若い世代に支持され、その人気はイームズ夫妻の作品にも匹敵するものであった。1950年代だけで推定500万脚が製造されたとされ、まさに時代を象徴する家具となった。しかし、大量の模造品が市場に出回るようになり、ノール社は1950年に著作権侵害訴訟を起こしたが、裁判所はオリジナル作品自体がトリポリーナチェアのコピーであると判断したため、独占的製造権は認められなかった。ノール社は1951年に生産を中止せざるを得なくなったが、その後も世界中で無数の製造業者によって生産が続けられた。

現代における再評価

2005年、スウェーデンの家具ブランドCUERO(クエロ)社の創業者ラース・キヤスタディウスは、BKFチェアの高品質な再生産を開始した。従来のキャンバス地に代わり、イタリアから調達した最高品質のベジタブルタンニンなめしレザーを採用し、スウェーデン製の強靭なスチールフレームと組み合わせることで、現代の生活に適合した快適性と耐久性を実現した。CUERO社のレザーは世界のわずか0.1%の最上級品のみを使用しており、熟練職人による伝統的な鞣し技術によって加工されている。

2018年、ノール社は創業80周年を記念して、この歴史ある椅子への敬意を表し、サーモフォーム成型フェルトを使用した記念版バタフライチェアを復刻した。これらの取り組みにより、BKFチェアは単なる歴史的遺産ではなく、現代においても新たな価値を生み出し続けるデザインクラシックとしての地位を保っている。

文化的影響と評価

BKFバタフライチェアは、アルゼンチンが世界に誇るデザインプロダクトとして、国際的に最も広く知られた作品である。その明快な構造的統合、機能的自由、そして時代を超越した形態は、アルゼンチンデザインの特性を体現している。20世紀後半のモダニスト産業デザインを代表する作品として、デザイン史とポピュラーカルチャーの両方に深い影響を与えた。

この椅子は、建築空間に依存することなく独立して存在できる彫刻的な家具という新しい概念を提示した。室内外を問わず、他の家具と調和しながらも埋没することのない存在感を持ち、現代彫刻のように空間に軽やかに浮遊する。その普遍的かつ永遠的な性質は、単なる座具を超えた文化的アイコンとしての地位を確立している。

エドガー・カウフマン・ジュニアが「椅子デザインにおける最良の成果の一つ」と評したように、BKFチェアは材料の誠実さ、構造の明快さ、そして人間工学的快適性の完璧なバランスを実現した傑作として、今日もなお多くのデザイナーと愛好家に影響を与え続けている。

基本情報

デザイナー アントニオ・ボネット、フアン・クルチャン、ホルヘ・フェラーリ=ハードイ
デザイン年 1938年
分類 ラウンジチェア
主な製造 アーテック=パスコー(1941-1947年)、ノール(1947-1951年)、CUERO(2005年~)
素材 チューブラースチールフレーム、レザーまたはキャンバス
サイズ(標準) 幅850×奥行900×高さ900mm
主な収蔵 ニューヨーク近代美術館(MoMA)、バルセロナ・ムゼウ・デル・ディセニー、落水荘
受賞歴 第3回サロン・デ・アルティスタス・デコラドレス展第2位(1940年)、MoMA取得賞(1941年、1944年)