バイオグラフィー
フアン・クルチャン(Juan Kurchan、1913年-1972年)は、アルゼンチン・ブエノスアイレス出身の建築家、家具デザイナーである。アントニオ・ボネット、ホルヘ・フェラーリ=ハードイとともに「BKFチェア」を設計した人物として知られる。
1913年、ブエノスアイレスに生まれたクルチャンは、ブエノスアイレス大学建築学部にて建築を学んだ。在学中に出会ったホルヘ・フェラーリ=ハードイとは、のちに長く協働することになる。1930年代、二人はパリのル・コルビュジエのアトリエで働き、そこでカタルーニャ出身の建築家アントニオ・ボネットと知り合った。三人はブエノスアイレスに戻って前衛的な建築・デザイン集団「グルーポ・アウストラル(Grupo Austral)」を1938年に結成し、ル・コルビュジエの思想を南米の風土に合わせて展開することを目指した。
デザイン思想
クルチャンのデザイン思想の根幹には、モダニズムの合理性と南米特有の開放的な生活様式との融合がある。彼は、機能主義に偏重した硬直的なモダニズムに疑問を呈し、人間の身体と精神の双方に寄り添う「生きた建築」を追求した。グルーポ・アウストラルの宣言文においても、建築は社会変革の道具であると同時に、人々の日常生活を豊かにする器でなければならないという信念が示されている。
とりわけクルチャンは、産業化と手仕事の調和に関心を寄せた。BKFチェアに見られるように、量産可能な金属フレームと、職人の手による革の張り加工を組み合わせることで、工業製品でありながら温もりを感じさせる家具を実現した。
作品の特徴
クルチャンの作品群に通底するのは、構造の明快さと有機的なフォルムの両立である。特にBKFチェアにおいては、連続する曲線を描くスチールパイプのフレームが、座る人の体重を均等に分散させる合理的な構造を形成しながらも、まるで蝶が羽を広げたかのような優雅な姿を呈している。
また、彼の建築作品においては、アルゼンチンの気候風土を考慮した深い軒や、内外を緩やかにつなぐテラス空間が多用された。コンクリートや鉄といった近代的素材を用いながらも、地域の文脈を重視する姿勢は、一貫して彼の創作活動の核心であった。
代表作 BKFチェア
1938年、クルチャン、ボネット、フェラーリ=ハードイの三人によって設計されたBKFチェアは、20世紀家具デザイン史における最も重要な作品の一つである。「BKF」の名は、三人の設計者の頭文字(Bonet、Kurchan、Ferrari Hardoy)に由来する。「バタフライチェア」「ハードイチェア」「スリングチェア」など多くの愛称でも親しまれている。
その着想の源泉は、19世紀イギリスで軍用に開発された折りたたみ椅子「トリポリナチェア」であった。クルチャンらはこの原型を大胆に再解釈し、連続する一本のスチールパイプで構成されたフレームと、一枚革のシートという簡潔な構成にまとめ上げた。フレームは四点で床に接地し、革のシートがハンモックのように使用者の体を包み込む。この構造により、別途クッションを必要とせず、革そのものの柔軟性が快適な座り心地を実現している。
1940年代にはアメリカに紹介され、アルテック=パスコやノール社が生産を手がけたことで広く普及した。1950年代のミッドセンチュリー・モダンを象徴する椅子として、数多くの建築家やデザイナーに愛用された。1943年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が本作を収蔵品に加えている(所蔵番号715.1943)。
建築作品
クルチャンは家具デザインのみならず、建築家としても数々の作品を残している。グルーポ・アウストラルとしての共同設計作品に加え、個人住宅や集合住宅の設計を手がけた。1939年に完成したブエノスアイレスのアトリエ付き集合住宅は、ル・コルビュジエの「ユニテ・ダビタシオン」の理念を先取りするかのような実験的な作品であり、各住戸にダブルハイトの居室とメゾネット形式を採用している。
また、アルゼンチン各地のリゾート建築においては、地域の自然環境と調和しながらもモダンな生活様式を提案し、南米における近代建築の可能性を切り拓いた。
功績と評価
クルチャンとグルーポ・アウストラルの功績は、ヨーロッパ発祥のモダニズムを単に模倣するのではなく、ラテンアメリカの風土と文化に根差した独自の表現へと発展させた点にある。彼らの活動は、戦後のブラジリア建設に代表されるラテンアメリカ・モダニズムの隆盛への道を開いた。
BKFチェアは、意匠権をめぐる複雑な経緯から多くの模倣品が市場に出回ることとなったが、そのことがかえってこのデザインの普遍性と影響力を証明することとなった。発表から85年以上を経た現在も、クエロ(Cuero)をはじめとする複数のメーカーによって製造が続けられ、世界各地のインテリアで用いられている。
1972年、クルチャンはブエノスアイレスで逝去した。BKFチェアをはじめとする仕事は、現在も20世紀の家具・建築デザイン史のなかで参照され続けている。
作品一覧
| 年 | 区分 | 作品名 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1938年 | 椅子 | BKFチェア(Butterfly Chair / Hardoy Chair) | Antonio Bonet、Jorge Ferrari Hardoyとの共同設計。MoMA永久収蔵品。Knoll、Cueroほか |
| 1938年 | 建築 | グルーポ・アウストラル結成 | 前衛建築集団の設立 |
| 1939年 | 建築 | アトリエ付き集合住宅(ブエノスアイレス) | Grupo Australとしての共同設計 |
| 1939年 | 建築 | ビリャール・ハウス(Casa Villar) | ブエノスアイレス、Ferrari Hardoyとの共同設計 |
| 1940年代 | 建築 | マル・デル・プラタ リゾート建築群 | アルゼンチン海岸リゾート地の住宅・施設設計 |
| 1942年 | 都市計画 | ブエノスアイレス都市再開発計画 | Ferrari Hardoyとの共同提案 |
| 1940-50年代 | 建築 | 個人住宅設計(複数) | ブエノスアイレス近郊 |
Reference
- BKF Chair - Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/BKF_Chair
- Butterfly Chair | MoMA
- https://www.moma.org/collection/works/4393
- Grupo Austral - Modern Architecture
- https://www.arquitectura.com/historia/grupoaustral/
- The Hardoy Chair: An Argentine Icon
- https://www.1stdibs.com/introspective-magazine/hardoy-chair/
- Knoll - BKF Chair History
- https://www.knoll.com/product/bkf-chair
- Cuero Design - Butterfly Chair
- https://www.cuerodesign.com/butterfly-chair/