620 チェア・プログラムは、ドイツの巨匠デザイナー、ディーター・ラムスが1962年にヴィツゥ社のために手がけたモジュラー式シーティングシステムである。ラムスは「古典的なアームチェアの快適さを達成しながら、視覚的に軽やかであること」という理念のもと、機能性と美的純粋性を高度に融合させた傑作を生み出した。個別の椅子が自在に連結してソファへと拡張でき、背もたれの高さや脚部の仕様を自由に組み替えられるこのシステムは、変化する生活様式に柔軟に対応する「一生もの」の家具として設計されている。
本作は、ラムスが同年にデザインした606 ユニバーサル・シェルビング・システムの兄弟作品として位置づけられ、モジュール性と持続可能性という共通の設計思想を体現している。ニューヨーク近代美術館やヴィクトリア&アルバート美術館など世界の主要美術館に収蔵され、20世紀を代表する家具デザインの一つとして高い評価を確立している。
特徴・コンセプト
モジュラー設計思想
620 チェア・プログラムの最大の特徴は、その徹底したモジュラー設計にある。単体の椅子として使用できるだけでなく、肘掛けを取り外して複数の椅子を連結することで、2人掛け、3人掛け、あるいはそれ以上の長さのソファへと自在に拡張できる。背もたれはローバックとハイバックを選択でき、脚部は固定脚、キャスター脚、回転ベースから用途に応じて選択可能である。この柔軟性により、引越しや模様替え、家族構成の変化といった生活の様々な局面に対応し、長期にわたって使用し続けることができる。
さらに特筆すべきは、数十年前に製造されたパーツと現行製品が完全に互換性を持つという事実である。これは製品の寿命を超えた持続可能性の実践であり、ラムスの「より良いものを、少しだけ、長く」という哲学を体現している。
構造と素材へのこだわり
620 チェア・プログラムの優れた座り心地は、外観からは見えない精緻な構造によって支えられている。ベースには精密加工されたバーチプライウッドを使用し、その中に伝統的なコイルスプリング構造を配している。このコイルスプリングの上には、ココナッツ繊維と天然ゴムを混合した耐久性の高いパッドが重ねられており、経年劣化しやすい発泡ウレタンを使用せず、長期使用に耐える設計となっている。
肘掛けと背もたれには、ファイバーグラスよりも強度の高いシートモールディングコンパウンドという素材を採用し、温間プレス成形によって製造されている。張地には最上級のフルグレインアニリン染めレザーを用い、使い込むほどに美しい経年変化を楽しめる。全てのカバーは取り外して交換が可能であり、メンテナンス性にも優れている。
ミニマリズムの美学
ラムスは本作において「Less, but better(より少なく、しかしより良く)」という自身のデザイン哲学を体現している。無駄を削ぎ落とした簡潔なフォルムでありながら、座る者を優しく包み込む快適性を実現した。視覚的な軽やかさと構造的な堅牢性、機能性と美的純粋性という相反する要素を高次元で統合したデザインは、時代を超えて普遍的な価値を持つ。
エピソード
620 チェア・プログラムの歴史には、デザイン保護をめぐる重要なエピソードが存在する。1968年、本作の模倣品が市場に登場したことを受け、ヴィツゥ社の共同創業者ニールス・ヴィツゥは長期にわたる法廷闘争を繰り広げた。その結果、1973年に620 チェアは家具としては極めて稀な著作権保護を獲得することとなった。この判決は、工業製品におけるデザインの創造性と独自性を法的に認めた先駆的事例として、デザイン史において重要な意義を持つ。
2013年、ヴィツゥ社は本作の誕生51年目を記念し、全面的な再設計を実施した。ラムス自身も製作に参加し、最後のステンレスボルトに至るまで全てのパーツを見直し、伝統的な張り技術を復活させながら、品質をさらに向上させた。この再発売により、半世紀の時を経てもなお進化を続けるデザインの力が証明された。
評価
620 チェア・プログラムは、20世紀家具デザインの金字塔として国際的に高い評価を確立している。ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ヴィクトリア&アルバート美術館、パリのポンピドゥーセンター、アムステルダムのステデライク美術館など、世界の主要美術館の永久コレクションに収蔵されている。
本作は単なる美しい家具にとどまらず、持続可能なデザインの先駆的実践として認識されている。使い捨て文化へのアンチテーゼとして、数世代にわたって使用され得る製品を生み出したラムスの先見性は、現代の環境意識の高まりとともに、ますますその価値を増している。アップル社のジョナサン・アイブをはじめとする現代のデザイナーたちにも多大な影響を与え続けており、ミニマリズムとモジュラー設計の規範として今なお参照され続けている。
受賞歴
- 1966年 ローゼンタールスタジオ賞
- 1969年 ウィーン国際家具展覧会 金賞
- 1973年 著作権保護獲得(家具としては極めて稀な事例)
基本情報
| デザイナー | ディーター・ラムス |
|---|---|
| ブランド | Vitsœ(ヴィツゥ) |
| デザイン年 | 1962年 |
| 分類 | ラウンジチェア、モジュラーシーティングシステム |
| 主な素材 | バーチプライウッド、シートモールディングコンパウンド、フルグレインレザー、コイルスプリング、ココナッツ繊維、天然ゴム |
| バリエーション | ローバック/ハイバック、固定脚/キャスター脚/回転ベース、フットスツール |
| 収蔵美術館 | ニューヨーク近代美術館、ヴィクトリア&アルバート美術館、ポンピドゥーセンター、ステデライク美術館、ヴェルクブント・アルヒーフ、サンフランシスコ近代美術館ほか |