620 チェア・プログラムは、ドイツの工業デザイナー、ディーター・ラムスが1962年にヴィツゥ社のためにデザインしたモジュラー式シーティングシステムである。「古典的なアームチェアの快適さを保ちながら、視覚的に軽やかであること」を目指し、単体の椅子を連結してソファへと拡張できる構成を採った。背もたれの高さや脚部の仕様を組み替えられ、生活の変化に合わせて長く使い続けられる家具として設計されている。
1960年に発表された606 ユニバーサル・シェルビング・システムと同じく、規格化された部品を組み合わせて構成する設計思想を持つ。発売から60年以上を経た現在もヴィツゥ社が生産を続けている。
特徴・コンセプト
モジュラー設計思想
620 チェア・プログラムの特徴は、その徹底したモジュラー設計にある。単体の椅子として使えるだけでなく、肘掛けを外して複数の椅子を連結すれば、2人掛け、3人掛け、あるいはそれ以上の長さのソファへと拡張できる。背もたれはローバックとハイバックを選べ、脚部は固定脚、キャスター脚、回転ベースから用途に応じて選択する。引越しや模様替え、家族構成の変化といった局面に対応し、長期にわたって使い続けられる。
数十年前に製造されたパーツと現行製品が互換性を保つ点も特筆される。壊れた部分だけを交換して使い続けられる設計は、ラムスが掲げた「より少なく、しかしより良く」という考え方を形にしたものである。
構造と素材
620 チェア・プログラムの座り心地は、外からは見えない構造に支えられている。ベースにはCNC加工したバーチプライウッドを用い、その内側に伝統的なコイルスプリング構造を収めている。コイルスプリングの上には、ココナッツ繊維(コイア)と天然ゴムを混ぜた耐久性の高いパッドを重ね、経年で劣化しやすい発泡ウレタンを避けている。
肘掛けと背もたれのシェルには、ファイバーグラスに似ているがより強度の高いシートモールディングコンパウンドを用い、温間プレス成形で仕上げる。張地には最上級のフルグレイン・アニリンレザーのほか、近年はリネンも選べる。カバーは取り外して交換でき、四半世紀の使用後も張り替えに対応する。
ミニマリズムの美学
ラムスは本作でも「より少なく、しかしより良く」という自身の姿勢を貫いた。無駄を削いだ簡潔なフォルムでありながら、座る人を包み込む快適性を備える。視覚的な軽さと構造的な堅牢さを両立させた点が、長く支持される理由となっている。
エピソード
620 チェア・プログラムには、デザイン保護をめぐるエピソードがある。発売から数年後に模倣品が市場へ現れたことを受け、ヴィツゥ社の共同創業者ニールス・ヴィツゥは長期にわたる法廷闘争を続けた。その結果、1973年に620チェアは家具としては稀な著作権保護を獲得した。ドイツの裁判所は、このチェアのデザインを高い美的価値を持つ独創的な創作と認定しており、工業製品におけるデザインの独自性を法的に認めた事例として知られる。
2013年、ヴィツゥ社は発売50周年に合わせて全面的な再設計を実施した。ラムス自身も加わり、専用のステンレスボルト一本に至るまで見直し、伝統的な張り技術を用いながら品質を高めて再発売した。
評価
620 チェア・プログラムは、20世紀を代表する家具デザインの一つとして国際的に評価されている。デザイン史家ハンス・ヴィッヒマンは1971年に、本作をブロイヤー、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエ、アアルト、サーリネンらの仕事に並ぶ20世紀の主要な家具デザインの一つに数えた。ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館の永久コレクションにも収蔵されている。
本作は美しい家具であるだけでなく、世代を超えて使い続けられる製品として、持続可能なデザインの早い実践例にも位置づけられる。使い捨ての消費とは異なる方向を示した設計思想は、環境意識が高まる現在、改めて注目されている。
受賞歴
- 1969年 ウィーン国際家具展覧会 金賞
基本情報
| デザイナー | ディーター・ラムス |
|---|---|
| ブランド | Vitsœ(ヴィツゥ) |
| デザイン年 | 1962年 |
| 分類 | ラウンジチェア/モジュラーシーティングシステム |
| サイズ | シングルチェア 幅860×奥行760×高さ720mm(ローバック)/高さ920mm(ハイバック) |
| 主な素材 | バーチプライウッド、シートモールディングコンパウンド、フルグレインレザー/リネン、コイルスプリング、ココナッツ繊維、天然ゴム |
| バリエーション | ローバック/ハイバック、固定脚/キャスター脚/回転ベース、フットスツール、レザー/リネン仕上げ |
| 収蔵美術館 | ヴィクトリア&アルバート美術館(ロンドン) |