ブルーノ・マットソン:人間工学とスカンディナビアンデザインの先駆者

ブルーノ・マットソン(Bruno Mathsson, 1907-1988)は、20世紀スウェーデンを代表する家具デザイナー兼建築家である。代々続く家具職人の家系に生まれ、機能主義とスウェーデンの伝統工芸を結びつけたデザインで国際的な評価を得た。人体に沿う有機的な曲線と曲げ木技術の習熟により、エヴァチェアやペルニラチェアをはじめとする名作を残し、その多くが今日も生産・愛用され続けている。

バイオグラフィー

生い立ちと修業時代(1907-1930年)

1907年1月13日、スウェーデン南部スモーランド地方のヴェルナモに生まれる。父カール・マットソンはマスター家具職人で、家業を継ぐことは自然な流れであった。ブルーノは短い学校教育を終えると父の工房に入り、徒弟として木工技術の基礎を学んで、木材の性質に関する深い理解を身につけた。

伝統技術の習得にとどまらず、彼は独学でデザインと建築を学んだ。1929年頃からはイェーテボリのロースカ工芸デザイン博物館の学芸員グスタフ・ムンテと交流し、書籍や雑誌を借り受けてヨーロッパの最新のデザイン動向を吸収していった。1930年にはヴェルナモ工芸産業協会の奨学金を得てストックホルム博覧会を訪れる。この博覧会はスウェーデンにおける機能主義の出発点とされ、当時は伝統的な様式の椅子を手がけていたブルーノに、新しい潮流への手がかりを与えた。

革新への第一歩:グラスホッパーチェア(1931年)

1931年、ヴェルナモ病院から依頼を受けたブルーノは、理論を実践に移す機会を得る。完成した椅子は、麻のウェビング(編み込み)を張った座面フレームと、堅牢なバーチ材の脚・アームを組み合わせた、従来のスプリングやクッションに頼らない構造であった。しかし病院ではこの斬新さが受け入れられず、「グラスホッパー(バッタ)」と呼ばれて屋根裏に片づけられてしまう。一脚のみがヴェルナモのショールームに現存している。

この初期の挫折は、むしろ彼の探求心をかき立てた。以後ブルーノは「座ることのメカニクス」の研究に没頭し、曲げ木技術によって作業用・休息用・ラウンジ用の椅子を生み出していく。

国際的評価の確立(1936-1940年代)

1936年、29歳のブルーノはイェーテボリのロースカ博物館で初の個展を開き、曲げ木による一連の椅子と折り畳みテーブルを発表した。展覧会は好評を博し、彼をスウェーデンを代表するデザイナーとして印象づけた。続く1937年のパリ万国博覧会では、スウェーデン館に出品した曲げ木家具が国際的な注目を集め、「パリ」と名付けたベッドのデザインでグランプリを獲得する。

この成功は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のエドガー・カウフマン・ジュニアの目に留まった。彼の推薦により、当時「ワークチェア」と呼ばれていたエヴァチェアが新館の公共スペース用に採用される。1939年にはニューヨーク万国博覧会のスウェーデン館にも出品され、マットソンの名はアメリカ市場に広く知られていった。1940年代にはアルテック・パスコ社が流通を担い、彼の家具はアメリカ各地の住宅や公共建築で用いられる商業的成功を収めた。

アメリカ旅行と建築への展開(1948-1950年代)

1949年、ブルーノは妻カリンとともにアメリカを旅し、チャールズ&レイ・イームズ、ウォルター・グロピウス、ハンス・ノルといった建築・デザインの先駆者たちと交流した。完成直後のイームズ邸を訪れた経験は、彼の建築観に影響を与えたとされる。

1950年代、マットソンの関心は建築へと広がる。彼はコンクリート床に床暖房を組み込み、三層構造の断熱ガラスユニット「ブルーノ・ペイン」を独自に開発した全面ガラス張りの住宅を手がけた。これは木造仕上げが主流であったスウェーデンの伝統的な住宅設計に対する挑戦であった。1950年にヴェルナモに完成した自身のショールームがその最初の実例となり、注目を集めた。1960年代半ばにはヴェルナモ近郊に自邸を完成させ、後年はポルトガルでも冬を過ごすようになった。

家具への回帰と新素材への挑戦(1960-1970年代)

1960年代、ブルーノは家具デザインに回帰し、木材で示した手腕をステンレススチールやメッシュ素材へと応用した。1966年発表の「ジェットソン」チェアは、スチールパイプのフレームに座面を吊り下げた回転式ラウンジチェアである。同時期、デンマークの数学者ピエト・ヘインとの協働から「スーパーエリプス」テーブルが生まれた。

1968年にはスウェーデンの家具メーカー、ドゥクス社のために「カリン」チェアをデザインし、これが長期にわたる協業の始まりとなった。ドゥクス社は後に1940-50年代の古典的家具の生産も引き継いでいる。新作の開発は、1964年に設立された自身の会社ブルーノ・マットソン・インターナショナルが担った。

日本との交流と晩年(1970-1980年代)

1974年、カリンとブルーノは初めて日本を訪れ、東京のスウェーデンセンタービルで展覧会が開かれた。反響は大きく、1976年には日本市場向けに調整した家具コレクションが開発され、ライセンス生産が始まった。現在もスウェーデン製と日本製の双方が日本市場で流通している。

東京でのパネルディスカッションでは、床に敷いた大きな紙の上に聴衆の一人を横たわらせ、肩から足までの背中の輪郭をペンで描いて見せたという逸話が残る。床に座る文化と椅子に座る文化の姿勢の違いを示すこの演出は、聴衆に深い印象を与えた。晩年も研究心は衰えず、1983年にはブルーノ・カリン・マットソン基金が設立されている。ブルーノ・マットソンは1988年8月17日、81歳で逝去した。

デザインの哲学

「座ることのメカニクス」と人間工学

マットソンのデザインの核には、「座ることのメカニクス」への徹底した探求があった。1933年から34年にかけて、彼は座位の角度を体系的に調整し、作業時と休息時の双方で快適な姿勢を探った。理想的な座面のカーブを求めて雪の吹き溜まりに身体を押し当て、その跡を型として観察したという逸話は、彼の実践的な手法を象徴している。

その視点は単なる快適性の追求にとどまらない。彼は伝統的な椅子やテーブルの高さの常識を退け、座面と作業面をともに低くした家具を構想した。すべての椅子は63センチメートルのテーブル高に合わせて設計すべきだと唱え、リクライニング気味の姿勢でも快適に作業できるオフィス家具もデザインしている。適切な姿勢が思考や生産性に影響するという確信は、現代のエルゴノミクスを先取りするものであった。

曲げ木(積層成形)技術

マットソンの技術的な特徴は、積層曲げ木への習熟にある。1920年代から30年代にかけて、彼は薄板を積層して成形し、麻ウェビングを組み合わせる製法を確立した。アルヴァ・アアルトが1932年にアームチェア41・42で蒸気曲げと積層を用いたのと近い時期に、マットソンはより複雑な曲線を実現していた。

その熟練はエヴァチェアの形状に表れている。複数の曲げ材が異なる方向へ分岐し、脚部は繊細にテーパーする。ブナ材の積層フレームが描く流れるような形は、20世紀の家具のなかでも識別しやすいフォルムの一つとなった。

機能主義と工芸の融合、そして「女性名」の家具

マットソンのデザインは、機能主義の理念と、家業で培った木材への理解・伝統技術を結びつけたものである。1930年のストックホルム博覧会で機能主義に触れながらも、彼は父の工房で身につけた手仕事を手放さず、新しい美学と技術の文脈に置き直した。彼は家具を単体ではなく、部屋と自然との関係のなかで捉えており、大きなガラス面を通じて室内と風景が対話する空間を理想とした。

もう一つの特徴は、多くの家具に女性の名前を与えたことである。エヴァ、ペルニラ、ミナ、ミランダといった名は、母や妻、知人にちなむものもあり、各デザインに固有の個性を添えた。型番だけでは生まれにくい、家具と使い手の親密な関係を意図した命名であった。

作品の特徴

有機的な曲線と構造的な軽やかさ

マットソンの椅子を特徴づけるのは、人体の輪郭に呼応する流麗な曲線である。硬直した幾何学的形態を避け、座る人を包み込む有機的なフォルムを追求した。ペルニラチェアの片持ち式フレームが描くアーチや、エヴァチェアの背から脚へと連続するラインは、人間の脊椎の自然な湾曲に着想を得ている。

この有機的な形は、構造的な合理性と結びついている。複数の曲げ材が分岐する接合部は視覚的な美しさと強度を両立し、脚部の繊細なテーパーは全体に軽やかさを与えながら必要な剛性を確保する。美しさと工学的な合理性が両立している点が、彼の作品の評価を支えている。

ウェビングによる通気性と透明感

もう一つの特徴は、麻や革のウェビングを座面・背もたれに用いたことである。スプリングや厚い詰め物に代わるこの手法は、通気性に優れ長時間の使用でも快適で、視覚的にも軽やかで、空間を圧迫しない。ウェビングの柔軟性が身体の動きに追従する点でも、人間工学的に理にかなっていた。スカンディナビアの編み込み工芸を現代的に再解釈したこの技法は、天然素材の温かみによってモダニズムの硬さを和らげている。

素材への探求心

マットソンのキャリアは素材への探求に貫かれている。初期の曲げ木とウェビングから、1960年代にはステンレススチール、メッシュ、ラミネートへと挑戦の幅を広げた。ジェットソンチェアのスチールパイプ、スーパーエリプステーブルの管状スチール脚による浮遊感は、木材で示した手腕を異なる素材で実証したものである。1980年代にはコンピューターテーブルなどオフィス家具にも取り組み、電子化時代の働き方にまで関心を広げた。

主要代表作品

グラスホッパーチェア(1931年)

マットソン最初の機能主義的な実験作であり、彼のキャリアの起点となった作品である。スプリングやクッションを排し、麻のウェビングを張った座面フレームをバーチ材の脚で支える構造は、当時としては前衛的であった。ヴェルナモ病院では受け入れられず屋根裏に追いやられたが、パリ万博での成功後に再評価され、再び使われるようになった。真に新しいデザインがしばしば最初は理解されないことを示す一例である。

エヴァチェア(1933年)

当初「ワークチェア」と呼ばれ、後に「エヴァ」と名付けられたこの椅子は、マットソンの曲げ木技術を世界に示した代表作である。1933年に作業用として設計され、その後改良が重ねられた。グラスホッパーよりはるかに複雑で有機的な形状を持ち、積層ブナ材のフレームが流れるような曲線を描く。

1939年に新館の公共スペース用としてMoMAに採用されたことは、国際的な評価を決定づけた。エドガー・カウフマン・ジュニアがこの椅子をアルヴァ・アアルトの作品と並べて高く評価したことは、その技術的・美的な水準を物語る。エヴァシリーズはアームチェア、ラウンジチェア、高背版(エヴァ・ホーグ)など複数の派生を持ち、現在も生産が続けられている。

ペルニラチェア(1934-1944年)

ペルニラチェアは、マットソンの人間工学的探求の到達点として広く知られる。1934年の最初のバージョンから改良が重ねられ、1944年に現在の形に至った。人体の脊椎に着想を得た片持ち式の曲線フレームは、座る人の重心を低く保ちながら快適性を実現する。フットスツールと組み合わせれば、ゆったりとしたリクライニング姿勢をとることができる。

イージーチェア版は「ペルニラ」または「ペルニラ2」、シェーズロング版は「ペルニラ3」として知られる。1969年にはドゥクス社が「ペルニラ69」として再発売し、現在も生産が続く。ニューヨークのメトロポリタン美術館のコレクションにも収蔵されている。

パリベッド(1937年)

1937年のパリ万国博覧会でグランプリを獲得したベッドで、マットソンの国際的評価を決定づけた作品である。「パリ」と名付けられたこのデザインは、彼の人間工学的な原則をベッドに応用し、デイベッドとしても使える多機能性を備えていた。受賞を機に世界中から注文が集まり、彼の家具は国際市場で求められる存在となった。

マリアテーブル(1950年代)

マリアテーブルは、実用性と美しさを両立させた折り畳み式のダイニングテーブルである。ゲートレッグ式の機構と蝶番付きの天板を備え、完全に展開すると全長約2.7メートル(9フィート)を超える大きさになるが、折り畳むとわずか23センチメートルほどの厚さに収まる。小さな住空間でも大人数の食事を可能にする解決策であった。

チーク材やウォールナット材の天板とブナ材の脚の組み合わせは、展開時も折り畳み時も整った佇まいを見せる。真鍮製のロック機構は機能と装飾を兼ね、細部への配慮がうかがえる。ヴィンテージ市場でも安定した人気を保っている。

ジェットソンチェア(1966年)

1960年代に家具へ回帰したマットソンが手がけた代表作の一つである。スチールパイプのフレームに座面を吊り下げた構造は、木材で示した手腕を異なる素材で実証するものであった。回転機能を備えたこのラウンジチェアは、スペースエイジの美学を反映している。座面はステンレスメッシュやレザーで覆われ、フレームに対して浮かぶような視覚効果と、独特の揺動感をもたらす。ドゥクス社によって生産された。

スーパーエリプステーブル(1968年)

デンマークの数学者ピエト・ヘインとの協働から生まれたテーブルである。スーパーエリプス形状は、ヘインがストックホルムのセルゲル広場の交通問題を解決するために考案した、楕円と矩形の中間的な性質を持つ数学的な曲線であった。始点も終点もないこの形は、サイズを問わず調和的に見え、どの席に座っても同じ形状の縁が前にくることから「民主的なテーブル」とも評される。

基部のデザインにはブルーノ・マットソンとアルネ・ヤコブセンが関与した。四本の管状スチール脚が一本の基部から広がる「スパンレッグ」は、ラミネート天板が空中に浮かぶような視覚効果を生む。1968年にデンマークのフリッツ・ハンセンが生産を開始し、スウェーデンのブルーノ・マットソン・インターナショナルとともに、円形版(スーパーサーキュラー)などのバリエーションを含めて現在も生産が続けられている。

ベルリンデイベッド、ミナ、ミランダ

ベルリンデイベッドは、デイベッドとソファを兼ねる多機能家具で、限られた空間を生かす実用性と有機的な造形を両立させている。曲げ木のフレームとウェビングという確立した手法を、より長い休息に適した形へと展開した作品である。

ミランダはペルニラの前身として1940年代初頭にデザインされ、エヴァからペルニラへと至る改良の過程を示す重要な実験作であった。ミナは1980年代の作品で、ブナ材のフレームに現代的な感覚を取り入れている。いずれも女性名を冠し、人体への配慮と有機的な美しさという一貫した哲学で結ばれている。

功績と業績

主要な受賞と国際的評価

マットソンのキャリアは数多くの栄誉に彩られている。1937年のパリ万博でのグランプリ受賞が国際的なキャリアの幕開けとなり、1939年にはMoMAが作品を収蔵してアメリカでの地位を確立した。スウェーデン国内では、1955年に工芸デザイン協会のグレゴール・パウルソン賞を受けている。

1965年には、「卓越した芸術的達成」に対してスウェーデン国王が授与するプリンス・ユージン・メダルを受章。1967年には王立ヴァーサ勲章の騎士に叙せられた。1974年には北欧工芸デザイン賞とデンマークのL.F.フォート財団賞を受け、1981年にはスウェーデン政府から教授の称号を授与されている。彼の名を冠したブルーノ・マットソン賞は、1984年以降、家具・関連デザイン分野に貢献したデザイナーや組織に毎年授与されており、北欧を代表するデザイン賞の一つとされている。

建築家としての活動

マットソンの業績は家具にとどまらない。1940年代から1950年代にかけて、彼は数多くの建築プロジェクトを手がけた。なかでも、断熱性の高い三層ガラスの壁面と床暖房を組み合わせた住宅は、厳しい北欧の気候のもとでガラス建築を成立させる先駆的な試みであった。

1950年にヴェルナモに完成した自身のショールームはその最初の実例で、現在も保存され公開されている。連棟住宅や学校、ガラス工場の展示建築など、住宅から公共建築まで多様なスケールの設計を残した。大きなガラス面を通じて室内と自然をつなぐという理念は、彼自身の住まいにも一貫して表れている。

生産の継続と産業との協働

マットソンの作品の多くは今日も生産が続いており、そのことが商業的・文化的な価値を裏づけている。初期は父の会社フィルマ・カール・マットソンが主な製造パートナーであった。1960年代後半にはドゥクス社との協働が始まり、同社は後にペルニラやエヴァ、ジェットソンといった古典的家具の生産も引き継いだ。

1964年設立のブルーノ・マットソン・インターナショナルは新作の開発とスーパーエリプステーブルなどの製造を担い、デンマークのフリッツ・ハンセンもテーブルシリーズの製造を通じて国際的な流通を支えた。1970年代以降は日本でもライセンス生産が行われ、彼のデザインは地域を超えて広がっていった。

美術館コレクションと展覧会

マットソンの作品は世界の主要なデザイン美術館に収蔵されている。MoMAは1939年以来その作品を収集・展示し、1978年の回顧展はニューヨーク・タイムズ紙でも取り上げられた。メトロポリタン美術館はフィルマ・カール・マットソン製のペルニライージーチェアを所蔵し、複数の主要展に出品してきた。

スウェーデン国内では、ストックホルムの国立美術館やイェーテボリのロースカ工芸デザイン博物館などが作品を所蔵する。2021年にはヴァンダロルム美術館で「ブルーノ・マットソン賞40年」展が開かれ、歴代受賞者の作品とともに彼の遺産が北欧デザインに与えた影響が検証された。

評価と後世への影響

スカンディナビアンモダンの象徴

マットソンは、スカンディナビアンモダンの精髄を体現した一人として評価されている。機能主義、有機的な形態、自然素材への敬意、卓越した工芸技術といった要素を、彼は自身の作品に統合した。MoMAのエドガー・カウフマン・ジュニアが彼の重要性をアルヴァ・アアルトと並べて評価したことは、その地位を端的に示している。ブリタニカ百科事典でも、アアルト、マットソン、イームズのデザインが現代家具の重要な展開として並べて挙げられている。

その魅力は地域的な文脈にとどまらない。ニューヨーク、東京、ロンドンなど各地で彼の家具が用いられてきた事実は、人体という普遍的な対象に最適化されたデザインが、文化や地域を超えて受け入れられることを示している。

人間工学の先駆と持続可能性

マットソンの重要な遺産の一つは、人間工学を家具デザインの中心に据えたことである。快適性を主観ではなく観察と調整によって最適化しようとした姿勢は、1930年代としては時代を先取りしていた。座面と作業面を低く保つという主張や、姿勢が生産性に関わるという考えは、後のオフィス家具やエルゴノミックチェアの発想の系譜につながっている。彼の影響は、ブルーノ・マットソン賞の受賞者をはじめとする現代の北欧デザイナーの仕事にも見いだせる。

長く使い、修復・再生産が可能な質の高い家具を作るという姿勢は、今日の持続可能性への関心とも重なる。木材や麻、革といった天然素材への敬意、ガラス建築における床暖房や断熱ガラスの採用は、エネルギー効率への早い関心の表れでもあった。ペルニラチェアがデザインから90年近くを経てなお現役の家具として選ばれていることは、人間の普遍的なニーズに焦点を当てたデザインの持続性を示している。

Reference

Bruno Mathsson - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Bruno_Mathsson
Bruno Mathsson - Designer - Swedish-Design.com
https://swedish-design.com/designer/bruno-mathsson/
The biography of Bruno Mathsson | Design Articles
https://www.mobeldesignmuseum.se/news-design/the-biography-of-bruno-mathsson
Bruno Mathsson | Britannica
https://www.britannica.com/biography/Bruno-Mathsson
Bruno Mathsson - Bard Graduate Center
https://www.bgc.bard.edu/gallery/exhibitions/32/bruno-mathsson
MCM Furniture Design History: The Evolution of the Pernilla Chair - Core77
https://www.core77.com/posts/63979/MCM-Furniture-Design-History-The-Evolution-of-the-Pernilla-Chair
Bruno Mathsson - "Pernilla" Easy Chair - The Metropolitan Museum of Art
https://www.metmuseum.org/art/collection/search/482546
Super-Elliptical Table – Danish Design Store
https://www.danishdesignstore.com/products/fritz-hansen-super-elliptical-table-design-piet-hein-arne-jacobsen-bruno-mathsson
Bruno Mathsson Official Website
https://mathsson.se/eng/bruno-mathsson/
The Bruno Mathsson Prize 40 Years – Vandalorum
https://www.vandalorum.se/en/utstallningar/bruno-mathsson
年月 区分 作品名 ブランド
1931年 椅子 グラスホッパー(Gräshoppan) Värnamo Hospital / Firma Karl Mathsson
1933年〜 椅子 エヴァチェア(Eva / 旧称 Work Chair) Firma Karl Mathsson / Dux
1934-1944年 椅子 ペルニラ(Pernilla) Firma Karl Mathsson / Dux
1935年 テーブル 折り畳みテーブル Firma Karl Mathsson
1936年 シェーズロング シェーズロング モデル36 Firma Karl Mathsson
1937年 ベッド パリベッド(Paris) Firma Karl Mathsson
1940年代 椅子 ミランダチェア(Miranda) Firma Karl Mathsson
1940年代 椅子 エヴァ・ホーグ(Eva Hög)高背版 Firma Karl Mathsson
1944年 椅子 ペルニラ2(Pernilla 2)イージーチェア Firma Karl Mathsson / Dux
1944年 シェーズロング ペルニラ3(Pernilla 3) Firma Karl Mathsson / Dux
1950年代 テーブル マリアテーブル(Maria)折り畳み式ダイニングテーブル Firma Karl Mathsson
1966年 椅子 ジェットソンチェア(Jetson Chair) Dux
1968年 椅子 カリンチェア(Karin Chair) Dux
1968年 テーブル スーパーエリプステーブル(Super-Ellipse Table) Fritz Hansen / Bruno Mathsson International
1969年 椅子 ペルニラ69(Pernilla 69) Dux
1976年 家具コレクション 日本市場向け家具コレクション ライセンス生産(日本)
1980年代 椅子 ミナチェア(Mina) Dux / Bruno Mathsson International
1980年代 オフィス家具 コンピューターテーブル・ワークステーション Bruno Mathsson International
年代不詳 デイベッド ベルリンデイベッド(Berlin Daybed) Firma Karl Mathsson