ブルーノ・マットソン:人間工学とスカンディナビアンデザインの先駆者
ブルーノ・マットソン(Bruno Mathsson, 1907-1988)は、20世紀を代表するスウェーデンの家具デザイナー兼建築家である。五代続く家具職人の家系に生まれ、機能主義とスウェーデンの伝統工芸を融合させた革新的なデザインで国際的な名声を獲得した。人間工学に基づく有機的な曲線美と、曲げ木技術の卓越した技巧により、エヴァチェア、ペルニラチェアといった数多くの名作を生み出し、現代においてもなお世界中のデザイン愛好家に愛され続けている。
バイオグラフィー
生い立ちと修業時代(1907-1930年)
1907年1月13日、スウェーデン南部スモーランド地方のヴェルナモに生まれる。父カール・マットソンは四代目(一説には五代目)のマスター家具職人であり、息子が家業を継ぐことは自然な流れであった。若きブルーノは16歳で学業を離れ、父の工房で徒弟として木工技術の基礎から学び、木材の性質と工芸技術に関する深い理解を獲得した。
しかし、伝統的な技術の習得だけでは満足できなかったブルーノは、独学でデザインと建築を学ぶ道を選んだ。1929年、転機となる出会いが訪れる。イェーテボリのロースカ工芸デザイン博物館から書籍や雑誌を借り受ける機会を得たのである。同館の学芸員グスタフ・ムンテとの知遇を得たブルーノは、その後数年間、毎月のようにヴェルナモとイェーテボリの間を列車で往復し、大量の書籍が詰まった箱を通じて、ヨーロッパの最新デザイン動向を吸収していった。
1930年、ヴェルナモ工芸産業協会から奨学金を得て、ストックホルム国際博覧会を訪問する機会を得た。この博覧会はスウェーデンにおける機能主義の誕生を告げるものであり、ブルーノに決定的な影響を与えた。伝統的なバロック様式の椅子を出品していた彼は、そこで新しいデザインの潮流を目の当たりにし、批判的な視点を持ちながらも、何か新しいものが生まれつつあるという重要な洞察を得たのである。
革新への第一歩:グラスホッパーチェア(1931年)
1930年、ヴェルナモ病院から新しい椅子のデザインを依頼されたブルーノは、理論を実践に移す絶好の機会を得た。従来のスプリング式クッションを用いない快適な椅子を設計するという彼の構想は、当時としては極めて異例なものであった。完成した椅子は、麻のウェビング(編み込み)で覆われた座面フレームと、堅牢なバーチ材の脚とアームを特徴としていた。
しかし、病院スタッフはこの斬新なデザインを受け入れることができず、「グラスホッパー(バッタ)」という蔑称を付けて屋根裏部屋に追いやってしまった。この初期の挫折は、しかし、ブルーノの情熱を削ぐことはなかった。彼は「座ることのメカニクス」の研究に没頭し、完璧な座位カーブを見出すため、雪の吹き溜まりに身体を押し付けて型を取るといった独創的な方法さえ試みた。この徹底的な人間工学的アプローチこそが、後の彼のデザイン哲学の核心となるのである。
国際的評価の確立(1936-1940年代)
1936年、29歳のブルーノはイェーテボリのロースカ工芸博物館で初の個展を開催し、父の会社フィルマ・カール・マットソンで製作された曲げ木の椅子とラウンジチェアを発表した。そして翌1937年、パリ万国博覧会への参加が彼の運命を決定づけることとなる。ブルーノの家具は国際的な観衆から熱狂的な賞賛を受け、「パリ」と名付けられたベッドのデザインでグランプリを獲得。世界中からの注文が殺到した。
この成功は、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のインダストリアルデザイン部門ディレクター、エドガー・カウフマン・ジュニアの目に留まることとなった。カウフマンはマットソンの椅子を収集し、1940年代を通じて複数の展覧会に出品した。カウフマンはマットソンの家具デザインにおける重要性を、フィンランドの巨匠アルヴァ・アアルトと同等と評価した。1939年、MoMAが新館のカフェエリアのためにマットソンの椅子を購入し、同年のニューヨーク万国博覧会とサンフランシスコのゴールデンゲート博覧会にも出品されたことで、彼の国際的地位は確固たるものとなった。
1941年5月11日、スウェーデン文化界の権威ゴットハルド・ヨハンソンがMoMAでマットソンの作品を見た後、スウェーデンの主要新聞『スヴェンスカ・ダーグブラーデット』に熱のこもった記事を寄稿した。「生涯で初めて、ヴェルナモからわずか20キロメートル離れた場所で生まれたことに密かな誇りを感じた」という言葉は、独学のデザイナーであったブルーノに大きな自信と励ましを与えた。
アメリカ旅行と建築への転身(1948-1950年代)
1948年から1949年にかけて、ブルーノは妻カリンとともに長期のアメリカ旅行に出た。エドガー・カウフマン・ジュニアの紹介により、チャールズ&レイ・イームズ、ウォルター・グロピウス、ハンス・ノル、フランク・ロイド・ライトといった建築とデザインの先駆者たちと交流する機会を得た。1949年3月、完成直後のイームズ邸を訪れた経験は、彼の建築観に深い影響を与えた。また、ジョージ・フレッド・ケックのソーラーハウスからも強い刺激を受けた。
この旅行は、マットソンの有名なガラスハウス設計の誕生につながった。コンクリート床に電気式床暖房を組み込み、三層構造の断熱ガラスユニット「ブルーノ・ペイン」を独自開発した全面ガラス張りの住宅は、木造クラッド仕上げが主流であったスウェーデンの伝統的住宅設計に真っ向から挑戦するものであった。1950年、ヴェルナモに完成した自身の家具ショールームがその最初の実例となり、大きな注目を集めた。
1950年代を通じて、マットソンは約100棟の建築プロジェクトを手がけた。しかし、その先駆的なデザインはしばしば地方自治体の官僚的な抵抗に遭い、建築許可を得るのに苦労した。1960年、こうした障害に疲弊したブルーノは、自身と妻カリンのための住宅を除き、建築プロジェクトから手を引くことを決断した。同年、スウェーデン西海岸のフロサクルに最初の夏の別荘を建設。1964-65年には、ヴェルナモ南部のヴィーデステルン湖畔に本宅を完成させた。1973年にはポルトガルのヴィラモウラにも住宅を建て、冬季をそこで過ごすようになった。
家具への回帰と新素材への挑戦(1960-1970年代)
1960年代、ブルーノは家具デザインに回帰し、全く新しい素材群に取り組み始めた。木材の曲げ加工で示した卓越性を、今度はステンレススチールとメッシュ素材に応用したのである。1966年に発表された「ジェットソン」チェアは、スチールパイプフレームに自由に吊り下げられた座面を持つ、スペースエイジを象徴する回転式ラウンジチェアであった。
同時期、デンマークの数学者兼詩人ピエト・ヘインとの協働により、「スーパーエリプス」テーブルシリーズが誕生した。この楕円と矩形を融合させた数学的に完璧な形状は、もともとヘインがストックホルムのセルゲル広場の交通問題を解決するために考案したものであった。ラミネート天板と、花の茎のように一本の基部から四方に広がる管状スチール脚を特徴とするこのテーブルは、天板が空中に浮遊しているかのような視覚効果を生み出した。デザインにはアルネ・ヤコブセンも基部のデザインで貢献している。スーパーエリプステーブルは、スウェーデンのブルーノ・マットソン・インターナショナルとデンマークのフリッツ・ハンセンの両社で生産され、大きな商業的成功を収めた。
1968年、ブルーノはスウェーデンの家具メーカー、ドゥクス社との協働を開始し、「カリン」チェアをデザインした。これが長期にわたる実り多い関係の始まりとなり、ドゥクス社は後に1940-50年代の彼の古典的家具の生産も引き継ぐこととなった。1964年に設立された自身の会社ブルーノ・マットソン・インターナショナルは、新しいデザインの開発を担当した。
日本との交流と晩年(1970-1980年代)
1969年、マットソンの家具が日本で初めて展示された。1974年9月、カリンとブルーノは初めて日本を訪れ、東京のスウェーデンセンタービルで展覧会が開催された。日本での反響は大きく、1976年には日本市場向けに特別に調整された家具コレクションを開発。ライセンス生産が開始され、現在でもスウェーデン製と日本製の両方が日本市場で成功を収めている。
日本でのある印象的なエピソードが残されている。東京で数百人のインテリア建築家を前にデザインについてのパネルディスカッションに参加した際、ブルーノは床に大きな紙を敷き、聴衆の一人に横向きに寝転んでもらい、ペンで肩から足までの背中の優雅な輪郭線を描いた。この教育的な演出は、伝統的に床に座る東洋と椅子に座る西洋の座位姿勢の劇的な違いを示すものであり、控えめながらも日本の聴衆に深い印象を与えた。
1978年、ブルーノはニューヨーク近代美術館で展覧会を開催し、ニューヨーク・タイムズ紙は「ブルーノが帰ってきた」という見出しで報じた。彼のキャリアを通じて、グレゴール・パウルソン賞(1955)、プリンス・ユージン・メダル(1965)、ヴァーサ王立勲章騎士爵位(1967)、ロンドン王立芸術協会会員(1978)、スウェーデン政府からの教授称号(1981)など、数多くの栄誉を受けた。
1983年、ブルーノとカリン・マットソン基金が設立され、研究、教育、開発の促進を目的とした活動を開始。1984年以来、北欧最大のデザイン賞であるブルーノ・マットソン賞が毎年授与されている。ブルーノ・マットソンは1988年8月17日、長い闘病の末、81歳で逝去した。
デザインの哲学とアプローチ
人間工学への先駆的取り組み
ブルーノ・マットソンのデザイン哲学の核心は、「座ることのメカニクス」への徹底的な探求にあった。1933年から34年にかけて、彼は座位の角度を調整し、作業時と休息時の両方で最大の快適性を実現するための体系的な研究を行った。その手法は独創的かつ実践的であり、雪の吹き溜まりに身体を押し付けて人体の自然な曲線の型を取るという、伝説的なエピソードが残されている。
この人間工学的アプローチは、単なる快適性の追求を超えたものであった。彼は、椅子のデザインが人間の思考と生産性に直接影響を与えると確信していた。1940年代、彼はすべての椅子を63センチメートルのテーブル高に合わせて設計すべきだと主張し、多様な姿勢に対応できる設計を提唱した。また、オフィス環境で働く人々がリクライニング姿勢でより快適に、より効率的に思考できるというコンセプトに基づいて、オフィス家具もデザインした。
曲げ木技術の革新
マットソンの最も顕著な技術的貢献は、積層曲げ木技術の卓越した習熟にあった。1920年代から30年代にかけて開発した麻ウェビングを用いた曲げ木椅子の製造技術は、当時としては革新的なものであった。アルヴァ・アアルトが1932年にアームチェア41と42で蒸気曲げと積層技術を用いた曲木を採用したのと同時期に、マットソンはより複雑な曲線を実現する技術を確立していた。
彼の技術的熟練は、エヴァチェアの有機的な形状に如実に表れている。複数の曲げられた部材が異なる方向に分岐し、脚部の繊細なテーパーを持つこの椅子の建築的構造は、アアルトの同時期の作品と比較しても、より高度な技術的達成を示している。ブナ材の積層フレームは劇的に流れるような形状を持ち、20世紀デザインの中でも最も即座に認識できる作品の一つとなった。
機能主義と伝統工芸の融合
マットソンのデザインは、機能主義運動の理念と、五代にわたる家具職人の伝統を見事に融合させたものであった。1930年のストックホルム博覧会で機能主義の洗礼を受けながらも、彼は父の工房で培った木材への深い理解と伝統技術を決して放棄しなかった。むしろ、それらを新しい美学と技術の文脈に再解釈したのである。
彼のアプローチは、形態が機能に従うという単純な教条を超えていた。家具デザインを常により広い文脈、すなわち部屋と自然の相互作用として捉えていた。彼の理想的な室内空間は大きなガラス面を持ち、周囲の風景が室内と対話する設計となっていた。この自然との有機的な結びつきこそが、彼のデザインに独特の生命力を与えている。細身で有機的な家具の形状は、この表現を完成させるものであった。
女性名によるアイデンティティの付与
マットソンのユニークな慣習の一つは、ほぼすべての家具デザインに女性の名前を付けたことである。エヴァ、ミナ、ミランダ、ペルニラなど、これらの名前は各デザインに独自のアイデンティティと個性を与えた。この擬人化のアプローチは、単なる番号や型式番号では決して達成できない、デザインと使用者の間の親密な関係性を創出することを意図していた。
この命名法は、彼のデザインに対する人間中心的な視点を反映している。家具は単なる機能的な物体ではなく、人生の伴侶であり、日常生活に温かみと個性をもたらす存在であるべきだという信念の表れであった。各椅子は固有の性格を持ち、使用者との特別な関係を築くことができる存在として構想されていたのである。
作品の特徴
有機的な曲線美と構造的エレガンス
マットソンの家具デザインを特徴づける最も顕著な要素は、人体の輪郭に呼応する流麗な曲線である。彼の椅子は、硬直した幾何学的形態を拒否し、座る人を優しく包み込むような有機的なフォルムを追求した。ペルニラチェアの片持ち式フレームが描く優雅なアーチ、エヴァチェアの背もたれから脚部へと連続する流動的なライン、これらはすべて人間の脊椎の自然な湾曲からインスピレーションを得ている。
この有機的形態は、構造的な合理性と完璧に統合されている。複数の曲げられた部材が分岐し、異なる方向に展開する複雑な接合部は、視覚的な美しさと構造的な強度を同時に実現している。脚部の繊細なテーパー処理は、椅子全体に視覚的な軽やかさを与えながら、必要な強度を確保している。この構造的エレガンスこそが、マットソンのデザインをただ美しいだけでなく、真に優れた工学的達成として際立たせている要因である。
ウェビング技術による透明性
マットソンの椅子デザインにおけるもう一つの革新は、麻や革のウェビング(編み込み)を座面と背もたれに採用したことである。従来のスプリング式クッションや詰め物に代わるこの手法は、複数の利点をもたらした。第一に、通気性に優れ、長時間の使用でも快適性を維持できる。第二に、視覚的な透明性と軽やかさを実現し、椅子が空間を圧迫することなく溶け込むことができる。第三に、ウェビングの柔軟性が身体の動きに追従し、優れた人間工学的性能を発揮する。
このウェビング技術は、スカンディナビアの伝統的な編み込み工芸を現代的なコンテクストに再解釈したものであり、マットソンの機能主義と伝統工芸の融合というテーマを象徴的に体現している。天然素材の温かみと触感は、モダニズムの冷たさを和らげ、より人間的で親しみやすいデザインを実現している。
素材の多様性と実験精神
マットソンのキャリアは、素材への飽くなき探求心によって特徴づけられる。初期の曲げ木とウェビングの作品から始まり、1960年代にはステンレススチール、メッシュ素材、ラミネートといった全く新しい素材群に挑戦した。ジェットソンチェアに見られるスチールパイプフレームの革新的使用、スーパーエリプステーブルの管状スチール脚による浮遊効果、これらは彼が木材で示したのと同じ卓越性を、全く異なる素材で実証したものである。
彼の素材選択は常に機能性と美学の完璧なバランスを目指していた。マリアテーブルの折り畳み式デザインは、真鍮製のロック機構と蝶番により、全長約3メートルの大きなダイニングテーブルからわずか23センチメートルの厚さにまで折り畳むことができる実用性を実現している。この実用的な配慮と美的洗練の統合こそが、マットソンデザインの本質である。
タイムレスな普遍性
マットソンの家具が半世紀以上にわたって愛され続けている理由は、そのタイムレスな普遍性にある。彼のデザインは、1930年代から40年代に創作されたにもかかわらず、現代においても古めかしさを感じさせず、永遠に若々しい魅力を放っている。これは単なる懐古趣味や骨董品としての価値ではなく、若い世代が現代的で機能的な家具として積極的に選択し、愛用している事実が証明している。
このタイムレスさは、一時的な流行や様式的な装飾を排し、人間の普遍的なニーズ──快適に座り、リラックスし、効率的に働くこと──に焦点を当てた結果である。形態は人体という不変の対象に最適化されているため、時代が変わっても色褪せることがない。マットソンのデザインは、真に優れたデザインとは時代を超越するものであるという理念の生きた証明となっている。
主要代表作品
グラスホッパーチェア(1931年)
マットソンの最初の機能主義的実験作であるグラスホッパーは、彼のキャリアの出発点として歴史的意義を持つ。1930年のストックホルム博覧会訪問で受けた刺激と、ヴェルナモ病院からの依頼という実践の機会が結実した作品である。従来のスプリング式クッションを排し、麻の編み込みウェビングで覆われた座面フレームを堅牢なバーチ材の脚とアームで支える革新的な構造は、当時としては極めて前衛的であった。
病院スタッフから「醜い」と酷評され、「グラスホッパー(バッタ)」という揶揄的な愛称で呼ばれて屋根裏に追いやられたこの椅子は、皮肉にも1937年のパリ万博での成功後に再評価され、再び使用されることとなった。現在、ヴェルナモのブルーノ・マットソン・ショールームに唯一現存する個体が保存されている。この初期の挫折と復活の物語は、真に革新的なデザインが最初は理解されないことがあるという教訓を雄弁に物語っている。
エヴァチェア(1933-1935年)
当初「ワークチェア」と呼ばれていたエヴァチェアは、マットソンの曲げ木技術の卓越性を世界に示した記念碑的作品である。1933年に作業用椅子としてデザインされ、1935年に発表されたこの椅子は、グラスホッパーよりも遥かに複雑で有機的な形態を実現している。積層ブナ材のフレームは劇的に流れるような曲線を描き、複雑なカーブが驚くべき技術的熟練を要求する。
1939年、ニューヨーク近代美術館が新館のカフェエリア用にエヴァチェアを購入したことは、国際的な承認の決定的瞬間であった。エドガー・カウフマン・ジュニアがこの椅子をアルヴァ・アアルトの作品と同等に評価したことは、マットソンのデザインが達成した技術的・美的水準の高さを示している。軽量でありながら堅牢、美しくありながら機能的というエヴァチェアの特質は、北欧モダンデザインの理想を完璧に体現している。
エヴァシリーズは複数のバリエーションを含み、アームチェア、ラウンジチェア、高背版(エヴァ・ホーグ)、オットマン付きなど、多様なニーズに対応している。現在もフィルマ・カール・マットソンおよび他のメーカーによって生産が続けられ、コレクターと現代の使用者双方から高い評価を受けている。
ペルニラチェア(1934-1944年)
ペルニラチェアは、マットソンの人間工学的探求の集大成として、また彼の最も象徴的なデザインの一つとして広く認識されている。このデザインの進化は、彼の絶え間ない改良への意志を示す興味深い物語である。1934年に最初のバージョンがデザインされ、その後ミランダを経て、1944年に現在知られる形態のペルニラが完成した。人間の脊椎の形状からインスピレーションを得た片持ち式の曲線フレームは、座る人の重心を低く保ちながら、優れた快適性を実現している。
ペルニラの建築的構造は、以前のどのデザインよりも著しく複雑である。複数の曲げられた部材が異なる方向に分岐する接合部、脚部の繊細なテーパーは、技術的達成の極致を示している。ミランダで採用されていた滝型の前端処理を廃し、スロープ状の終端とすることで、より洗練された外観を獲得した。付属のフットスツールとの組み合わせにより、完璧なリクライニング体験を提供する。
1969年、ドゥクス社がマットソンとの協働でペルニラを再発行し、「ペルニラ69」として市場に投入した。このバージョンは大きな商業的成功を収め、現在も生産が続けられている。イージーチェア版は「ペルニラ」または「ペルニラ2」、シェーズロング版は「ペルニラ3」として知られ、それぞれが独自の用途と魅力を持つ。ニューヨークのメトロポリタン美術館のコレクションにも収蔵されており、デザイン史における重要性が認められている。
パリベッド(1937年)
1937年のパリ万国博覧会でグランプリを獲得したパリベッドは、マットソンの国際的評価を決定づけた歴史的作品である。このベッドのデザインは、彼の人間工学的原則をベッドという形態に応用したものであり、デイベッドとしても使用できる多機能性を備えていた。パリ万博での熱狂的な反応は、マットソンの名を一夜にして世界中のデザイン愛好家に知らしめることとなった。
このグランプリ受賞は単なる名誉以上の意味を持った。世界中からの注文が殺到し、マットソンの家具は国際市場で求められる商品となった。また、この成功は、ヴェルナモ病院で「醜い」と酷評されたグラスホッパーチェアの再評価にもつながり、彼のデザイン理念が正しかったことを証明した。パリベッドは、優れたデザインが国境を越えて理解され、評価されることを示す象徴的存在となった。
マリアテーブル(1930年代-1950年代)
マリアテーブルは、マットソンの実用性への配慮と美的洗練の完璧な統合を示す傑作である。ゲートレッグ式の折り畳み機構と蝶番付きリーフを特徴とするこのテーブルは、完全に展開すると約3.3メートル以上の長さとなるが、折り畳むとわずか23センチメートルの厚さにまで縮小する。この驚異的な変形能力は、小さな住空間でも大人数での食事を可能にする実用的解決策として、当時としては画期的であった。
マリアテーブルの美しさは、その機能性が決して美学を損なっていない点にある。チーク材またはウォールナット材の天板とブナ材の脚の組み合わせは、温かみのある洗練された外観を呈し、展開時も折り畳み時も優雅である。真鍮製のロック機構は機能的であると同時に装飾的要素としても機能し、マットソンの細部へのこだわりを示している。1950年代の作品として、現在も高い人気を誇り、ヴィンテージ市場では高値で取引されている。
ジェットソンチェア(1966年)
1960年代、家具デザインに回帰したマットソンが最初に発表した重要作品の一つがジェットソンチェアである。このチェアは、彼のキャリアにおける材料的転換を象徴している。スチールパイプフレームに自由に吊り下げられた座面という構造は、彼が木材で示した卓越性を全く異なる素材で実証するものであった。回転機能を持つこのラウンジチェアは、スペースエイジのデザイン美学を体現し、1960年代の前衛的精神を反映している。
ジェットソンの座面は、ステンレススチールのメッシュまたはレザーの張地で覆われ、フレームに対して浮遊しているかのような視覚効果を生み出す。この「吊り下げ」構造は、座る人に独特の揺動感覚を与え、従来の椅子とは全く異なる座り心地を提供する。ドゥクス社によって生産されたジェットソンチェアは、マットソンが新しい素材と技術に適応する能力の高さを証明し、彼のデザイン言語が時代とともに進化し続けることを示した。
スーパーエリプステーブル(1967-1968年)
デンマークの数学者兼詩人ピエト・ヘインとの協働から生まれたスーパーエリプステーブルは、数学的完璧性と家具デザインの融合という稀有な達成である。スーパーエリプス形状は、もともとヘインがストックホルムのセルゲル広場の交通問題を解決するために考案した数学的に定義された曲線であり、楕円と矩形の中間的特性を持つ。この形状は、サイズに関わらず驚くほど調和的に見え、始点も終点も持たないため、テーブルに座る全員が平等な位置を占めることができる「民主的なテーブル」として評価された。
マットソンとアルネ・ヤコブセンは、このテーブルシリーズの基部デザインに貢献した。特にマットソンが開発した「スパンレッグ」は、四本の管状スチール脚が花の茎のように一本の基部から優雅に広がり、ラミネート天板が空中に浮遊しているかのような視覚効果を生み出す。このデザインは、構造的合理性と視覚的軽やかさの完璧なバランスを実現している。
スーパーエリプステーブルは、スウェーデンのブルーノ・マットソン・インターナショナルとデンマークのフリッツ・ハンセンの両社で生産され、大きな商業的成功を収めた。円形版(スーパーサーキュラー)、矩形版など複数のバリエーションが開発され、現在も両社で生産が続けられている。このテーブルは、国際的協働とスカンディナビアンデザインの普遍的魅力を象徴する作品として、デザイン史に名を刻んでいる。
ベルリンデイベッド
ベルリンデイベッドは、マットソンの多機能家具への関心を示す代表作の一つである。デイベッドとして、また時にはソファとしても機能するこのデザインは、限られた空間を効率的に活用するという実用的ニーズに応えながら、美的洗練を損なわない解決策を提供した。フィルマ・カール・マットソンによって生産されたこの作品は、マットソンの有機的な曲線美と人間工学的配慮が完璧に統合された例である。
曲げ木のフレームとウェビングの座面という彼の確立された技法を踏襲しながら、より長い休息のための最適化された形状を実現している。ベルリンデイベッドは、日中の読書やリラックスから夜間の睡眠まで、多様な用途に対応できる柔軟性を持つ。現在、ヴィンテージ市場では稀少な作品として高く評価され、コレクターの間で人気を博している。
ミナチェア、ミランダチェア
マットソンが各デザインに女性の名前を付けるという慣習に従い、ミナとミランダは彼の椅子デザインの進化における重要な位置を占めている。ミランダチェアは、ペルニラの前身として1940年代初頭にデザインされ、滝型の前端処理と優雅な曲線フレームを特徴としていた。この椅子は、エヴァからペルニラへの進化の過程における重要な実験作であり、マットソンが最適な人間工学的形態を追求する過程を示している。
ミナチェアは、1980年代にデザインされた作品で、ブナ材のフレームとマットソンの確立されたデザイン言語を踏襲しながら、より現代的な感覚を取り入れている。これらの「女性名」シリーズは、各々が独自の個性と用途を持ちながら、統一されたデザイン哲学によって結ばれている。それは、人体への配慮、有機的な美しさ、そしてタイムレスな品質への不変のコミットメントである。
功績と業績
国際的認知と主要な賞
ブルーノ・マットソンのキャリアは、数多くの栄誉と国際的認知によって彩られている。1937年のパリ万国博覧会でのグランプリ受賞は、彼の国際的キャリアの幕開けを告げるものであった。1939年、ニューヨーク近代美術館による作品収蔵は、アメリカ市場における彼の地位を確立した。同年、ニューヨーク万国博覧会とサンフランシスコのゴールデンゲート博覧会への出品により、彼の名声は北米全域に広がった。
スウェーデン国内では、1955年にグレゴール・パウルソン賞を、1965年にはスウェーデン王室芸術アカデミーのプリンス・ユージン・メダル(金メダル)を授与された。プリンス・ユージン・メダルは、「卓越した芸術的達成」に対してスウェーデン国王から授与される名誉ある賞であり、マットソンのデザインが単なる商業的成功を超えて、芸術的価値を認められたことを意味する。1967年には王立スウェーデン・ヴァーサ勲章の騎士に叙せられ、国家からの最高レベルの承認を受けた。
1974年、北欧工芸デザイン賞を受賞し、北欧デザイン界における彼の指導的地位が確認された。同年、デンマークのL.F.フォート財団賞も受賞している。1978年には、ロンドン王立芸術協会の名誉会員に選出され、国際的な評価が頂点に達した。そして1981年、スウェーデン政府から教授の称号を授与され、彼の学術的・教育的貢献が公式に認められた。
1983年、彼と妻カリンの名を冠したブルーノ・カリン・マットソン基金が設立され、デザイン分野における研究、教育、開発の促進を目的とした活動を開始した。1984年以来、ブルーノ・マットソン賞が毎年、家具デザインおよび関連デザイン分野に強く貢献したデザイナーや組織に授与されている。この賞は現在、北欧最大のデザイン賞として、フロント、モニカ・フォースター、セシリー・マンツ、TAFなど、著名なデザイナーたちに授与されている。
建築家としての貢献
マットソンの業績は家具デザインに留まらない。1940年代から1950年代にかけて、彼は約100棟の建築プロジェクトを完成させた。その中でも特筆すべきは、スウェーデンで初めて全面ガラス張りの構造と床暖房を組み合わせた住宅を設計したことである。三層構造の断熱ガラスユニット「ブルーノ・ペイン」を独自開発し、厳しいスカンディナビアの気候条件下でもガラスハウスを実現可能にした。
1950年にヴェルナモに完成した自身の家具ショールームは、この建築コンセプトの最初の実例であり、現在も良好に保存されて一般公開されている。このガラスハウスは、当時のスウェーデンの伝統的な木造クラッド住宅設計に対する革命的な挑戦であり、大きな注目を集めた。その後の10年間で、マットソンの設計原則に基づく多数の住宅が建設された。
主要な建築プロジェクトには、1948-49年のヴェルナモの21戸の連棟住宅、1951年のマロのアダクグルヴァン鉱山の学校、1952年のマルメのローゼンホルムス学校、1953年のコスタのガラス展示建築、1954年のコスタの5戸の連棟住宅、1956年のサルトショーバーデンにある歌手アリス・バブスとニルス・イヴァー・ショブロムのヴィラなどが含まれる。これらのプロジェクトは、彼の建築的視野の広さと、住宅から公共建築まで多様なスケールでの設計能力を示している。
1960年、妻カリンとともにスウェーデン西海岸のフロサクルに最初の夏の別荘を建設し、その後1964-65年にヴェルナモ南部のヴィーデステルン湖畔に本宅を完成させた。1973年にはポルトガルのヴィラモウラにも自邸を建設し、冬季をそこで過ごした。これらの自邸は、彼の建築理念──大きなガラス面を通じて自然と室内を融合させ、空間と風景の相互作用を最大化する──の完璧な具現化であった。
産業との協働と生産の継続
マットソンのデザインの多くは、今日も継続的に生産されており、その作品のタイムレスな魅力と商業的価値を証明している。初期のキャリアでは、父の会社フィルマ・カール・マットソンが主要な製造パートナーであった。1960年代後半、スウェーデンの大手家具メーカー、ドゥクス社がマットソンに接近し、彼の曲げ木家具の量産と流通を提案した。長年、ノルのような大規模流通業者からの大量生産の申し出を拒否してきたマットソンであったが、ドゥクス社との協働には同意した。
1968年、ドゥクス社のために「カリン」チェアをデザインしたことが、長期的で実り多い関係の始まりとなった。ドゥクス社は後に、1940-50年代の彼の古典的家具の生産も引き継ぎ、ペルニラ、エヴァ、ジェットソンなどの名作を新世代の顧客に届けることとなった。1964年に設立されたブルーノ・マットソン・インターナショナルは、新しいデザインの開発と、スーパーエリプステーブルなどの重要作品の製造を担当した。
デンマークのフリッツ・ハンセン社も、ピエト・ヘインおよびアルネ・ヤコブセンとの協働によるスーパーエリプステーブルシリーズの製造を担当し、国際市場での流通を拡大した。これらの産業パートナーシップにより、マットソンのデザインは世界中の家庭、オフィス、公共空間で使用されることとなり、彼のデザイン哲学は広く普及した。
1970年代以降、日本市場でもライセンス生産が開始され、現在もスウェーデン製と日本製の両方が成功裏に販売されている。この国際的な生産と流通のネットワークは、マットソンのデザインが単に北欧地域の現象ではなく、真にグローバルな魅力を持つことを示している。
美術館コレクションと展覧会
マットソンの作品は、世界の主要なデザイン美術館のコレクションに収蔵されている。ニューヨーク近代美術館(MoMA)は1939年以来、彼の作品を積極的に収集・展示してきた。1978年にMoMAで開催された回顧展は、ニューヨーク・タイムズ紙に「ブルーノが帰ってきた」という見出しで報じられ、大きな注目を集めた。
メトロポリタン美術館のコレクションには、フィルマ・カール・マットソン製のペルニライージーチェアが収蔵されており、「デザイン 1925-1945」展(1989-91年)、「現代家具コレクション」展(1994年)、「デザインの世紀 パート2: 1925-1950」展(2000年)など、複数の主要展覧会で展示されてきた。
スウェーデン国内では、ストックホルムの国立美術館、イェーテボリのロースカ工芸デザイン博物館、ヴェルナモのブルーノ・マットソン・センターなどが彼の作品を恒久的に展示している。2021年には、ヴァンダロルム美術館で「ブルーノ・マットソン賞40年」展が開催され、1984年以来の受賞者たちの作品とともに、マットソンの遺産が北欧デザインに与えた影響が検証された。
プラハ、コペンハーゲンの工芸博物館など、国際的な美術館もマットソンの作品を所蔵しており、彼のデザインが国際的なデザイン史において重要な位置を占めることを示している。これらのコレクションと展覧会を通じて、マットソンの業績は後世に継承され、新しい世代のデザイナーや研究者にインスピレーションを与え続けている。
評価と後世に与えた影響
同時代の評価:アアルトと並ぶ地位
マットソンの同時代における評価は極めて高かった。ニューヨーク近代美術館のエドガー・カウフマン・ジュニアは、マットソンの家具デザインにおける重要性をアルヴァ・アアルトと同等と評価した。これは、スカンディナビアンデザインの文脈において最高の賛辞であった。カウフマン自身とその家族は、フランク・ロイド・ライト設計の名建築フォーリングウォーターにマットソンの椅子を配置し、モダニズム建築の傑作に相応しい家具として認識していた。
1941年、スウェーデン文化界の権威ゴットハルド・ヨハンソンは、ニューヨーク近代美術館でマットソンの作品を見た後、「現代スウェーデンの家具芸術家の中で、一人の男が例外的な地位を占めている。彼の名はまもなく国際的に知られるようになるだろう──ヴェルナモ出身のブルーノ・マットソンである」と評した。この予言は的中し、マットソンは生涯を通じて国際的な評価を獲得し続けた。
ブリタニカ百科事典の家具の項目では、アアルト、マットソン、チャールズ&レイ・イームズのデザインが、現代家具における重要な発展として並記されている。これは、マットソンが20世紀家具デザインの歴史において、疑いなく中核的な位置を占めることを示している。彼の人間工学への先駆的アプローチと、新しい材料・技術への適応能力は、モダン家具デザインの進化における重要な貢献として認識されている。
スカンディナビアンモダンの象徴
マットソンは、スカンディナビアンモダンデザインの最も純粋な体現者の一人として評価されている。機能主義、有機的形態、自然素材への敬意、そして卓越した工芸技術──これらスカンディナビアンデザインの本質的特徴を、彼は自身の作品に完璧に統合した。アアルトがフィンランドを、ヴェグナーがデンマークを代表するように、マットソンはスウェーデンデザインの精髄を世界に示した。
しかし、マットソンの功績は単なる国民的アイコンに留まらない。彼のデザインは、スカンディナビアという地域的文脈を超えて、普遍的な魅力と適用可能性を持つ。ニューヨーク、サンフランシスコ、東京、ロンドンなど世界中の都市で彼の家具が愛用されている事実は、優れたデザインが文化や地域を超越することを証明している。人間の身体という普遍的な対象に最適化された彼のデザインは、どこで使用されても快適で美しいのである。
人間工学デザインの先駆者
マットソンの最も重要な遺産の一つは、人間工学を家具デザインの中心に据えたことである。雪の吹き溜まりに身体を押し付けて座位カーブを研究するという彼の方法論は、今日では伝説となっているが、それは単なる逸話以上の意味を持つ。彼は、快適性が主観的な感覚ではなく、科学的に測定・最適化できる客観的な要素であることを実証した。
「座ることのメカニクス」への徹底的な探求は、現代のエルゴノミクス研究の先駆けであった。すべての椅子を63センチメートルのテーブル高に最適化し、多様な姿勢に対応できるよう設計するという彼の主張は、オフィス家具設計における標準化の先駆的試みであった。彼は、適切な座位姿勢が生産性と創造性に直接影響を与えると確信し、この信念に基づいてオフィス家具もデザインした。
今日、人間工学は家具デザインにおける基本的要件とされているが、1930年代にこれを主張したマットソンは、真に時代を先取りしていた。彼の人間工学的アプローチは、ハーマンミラーのアーロンチェアをはじめとする現代のエルゴノミックチェアの思想的基盤の一つとなっている。
現代デザイナーへの影響
マットソンの影響は、現代のスカンディナビアンデザイナーたちにも明確に認められる。有機的な形態、素材への敬意、機能と美の統合という彼の原則は、セシリー・マンツ、モニカ・フォースター、TAFなど、ブルーノ・マットソン賞の受賞者たちの作品に受け継がれている。これらのデザイナーたちは、マットソンの遺産を単に継承するだけでなく、現代の文脈に再解釈し、発展させている。
また、マットソンの多様な素材への適応能力──木材からスチール、ファイバーグラスまで──は、現代デザイナーが新しい材料と技術を恐れずに実験する姿勢の模範となっている。彼が1960年代にスチールへの転換を成功させたように、現代のデザイナーたちは3Dプリンティング、カーボンファイバー、リサイクル材料など新しい技術と材料に挑戦している。
教育の面でも、マットソンの影響は計り知れない。ブルーノ・カリン・マットソン基金が1983年に設立されて以来、研究、教育、開発の促進を通じて、新世代のデザイナーの育成に貢献してきた。1984年以来授与されているブルーノ・マットソン賞は、北欧最大のデザイン賞として、若手デザイナーのキャリアに決定的な影響を与えている。
タイムレスなデザインの証明
マットソンの作品が半世紀以上にわたって継続的に生産され、使用され、愛され続けているという事実こそが、彼のデザインの真の価値を証明している。ペルニラチェアは1934年にデザインされてから90年近くが経過しているが、今日の若い世代も骨董品としてではなく、現代的で機能的な家具として積極的に選択している。これは、真にタイムレスなデザインとは何かを示す生きた証拠である。
マットソンのデザインがタイムレスである理由は、一時的な流行や様式的な装飾を避け、人間の普遍的なニーズに焦点を当てたことにある。人体の形状は変わらず、快適に座りたいという欲求は時代を超えて変わらない。したがって、人体に最適化されたデザインは、決して時代遅れになることがないのである。
ヴィンテージ市場におけるマットソン家具の高い評価と価格も、その永続的価値を示している。オリジナルのフィルマ・カール・マットソン製のペルニラチェアやエヴァチェアは、コレクターの間で高値で取引され、状態の良い個体は数千ドルから一万ドル以上の価格で売買されている。しかし同時に、新品として生産されているドゥクス製やマットソン・インターナショナル製の作品も高い人気を誇り、現代の消費者に実用的な選択肢を提供している。
持続可能性とモダニティの調和
21世紀の持続可能性への関心が高まる中、マットソンのデザイン哲学は新たな意義を獲得している。彼の家具が半世紀以上にわたって使用可能であり、修復・再生産が容易であるという事実は、持続可能なデザインの理想的モデルである。使い捨ての消費文化に対するアンチテーゼとして、長く使用できる質の高い家具を創造するというマットソンの姿勢は、現代の環境意識と完全に一致している。
また、自然素材への敬意と卓越した工芸技術の重視も、現代のサステナビリティ運動と共鳴する。木材、麻、革といった天然素材の使用は、プラスチックや合成素材の環境負荷が問題視される今日、改めて評価されている。マットソンのガラスハウスにおける床暖房と三層ガラスの採用は、エネルギー効率の高い建築の先駆けでもあった。
マットソンの遺産は、優れたデザインは時代を超越し、経済的にも環境的にも持続可能であることを示している。彼のデザインは、モダニティと持続可能性が対立するものではなく、むしろ相互に補完し合うものであることを証明している。真に革新的なデザインは、一時的な流行を追うのではなく、普遍的な価値を追求することで、時代を超えて愛され続けるのである。
Reference
- Bruno Mathsson - Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Bruno_Mathsson
- Bruno Mathsson - Designer - Swedish-Design.com
- https://swedish-design.com/designer/bruno-mathsson/
- The biography of Bruno Mathsson | Design Articles
- https://www.mobeldesignmuseum.se/news-design/the-biography-of-bruno-mathsson
- Bruno Mathsson | Swedish designer | Britannica
- https://www.britannica.com/biography/Bruno-Mathsson
- Bruno Mathsson (1907 - 1988) Swedish Designer & Architect - Encyclopedia of Design
- https://encyclopedia.design/2023/04/26/bruno-mathsson-swedish-designer-architect/
- MCM Furniture Design History: The Evolution of the Pernilla Chair - Core77
- https://www.core77.com/posts/63979/MCM-Furniture-Design-History-The-Evolution-of-the-Pernilla-Chair
- Bruno Mathsson - "Pernilla" Easy Chair - The Metropolitan Museum of Art
- https://www.metmuseum.org/art/collection/search/482546
- Super-Elliptical Table – Danish Design Store
- https://www.danishdesignstore.com/products/fritz-hansen-super-elliptical-table-design-piet-hein-arne-jacobsen-bruno-mathsson
- Bruno Mathsson Official Website
- https://mathsson.se/eng/bruno-mathsson/
- Bruno Mathsson Furniture - WorthPoint Dictionary
- https://www.worthpoint.com/dictionary/p/furniture-furnishings/-scandinavia-/bruno-mathsson-furniture
- The Bruno Mathsson Prize 40 Years – Vandalorum
- https://www.vandalorum.se/en/utstallningar/bruno-mathsson
| 年月 | 区分 | 作品名 | ブランド |
|---|---|---|---|
| 1931年 | 椅子 | グラスホッパー(Gräshoppan) | Värnamo Hospital / Firma Karl Mathsson |
| 1932年 | 椅子 | ミマット(Mimat) | Firma Karl Mathsson |
| 1933-1935年 | 椅子 | エヴァチェア(Eva / Work Chair) | Firma Karl Mathsson / Dux |
| 1934-1944年 | 椅子 | ペルニラ(Pernilla) | Firma Karl Mathsson / Dux |
| 1935年 | テーブル | 折り畳みテーブル | Firma Karl Mathsson |
| 1936年 | スツール | スツール | Firma Karl Mathsson |
| 1937年 | ベッド | パリデイベッド(Paris Daybed) | Firma Karl Mathsson |
| 1939-1940年 | 椅子 | 回転椅子(Swivel Chair) | Firma Karl Mathsson |
| 1939年 | シェーズロング | No.36 シェーズロング | Firma Karl Mathsson |
| 1940年代 | 椅子 | ミランダチェア(Miranda) | Firma Karl Mathsson |
| 1940年代 | 椅子 | エヴァ・ホーグ(Eva Hög)高背版 | Firma Karl Mathsson |
| 1944年 | シェーズロング | ペルニラ3(Pernilla 3) | Firma Karl Mathsson / Dux |
| 1944年 | 椅子 | ペルニラ2(Pernilla 2)リクライニングチェア | Firma Karl Mathsson / Dux |
| 1950年代 | テーブル | マリアテーブル(Maria Flap Table)折り畳み式ダイニングテーブル | Firma Karl Mathsson |
| 1950年代 | テーブル | アニカ(Annika)コーヒーテーブル | Bruno Mathsson International |
| 1954年 | 建築 | コスタガラス工場展示ホールと労働者住宅 | - |
| 1960年代 | テーブル | ベリット(Berit)サイドテーブル / 折り畳みテーブル | Bruno Mathsson International |
| 1960年代後半 | テーブル | スーパーエリプステーブル(Super-Ellipse Table) | Fritz Hansen / Bruno Mathsson International |
| 1966年 | 椅子 | ジェットソンチェア(Jetson Chair) | Dux |
| 1967-1968年 | テーブル | スーパーサーキュラーテーブル(Super-Circular Table) | Fritz Hansen / Bruno Mathsson International |
| 1968年 | 椅子 | カリンチェア(Karin Chair) | Dux |
| 1969年 | 椅子 | ペルニラ69(Pernilla 69) | Dux |
| 1976年 | 家具コレクション | 日本市場向け家具コレクション | ライセンス生産(日本) |
| 1980年代 | 椅子 | ミナチェア(Mina) | Dux / Bruno Mathsson International |
| 1980年代 | オフィス家具 | コンピューターテーブル・ワークステーション | Bruno Mathsson International |
| 年代不詳 | デイベッド | ベルリンデイベッド(Berlin Daybed) | Firma Karl Mathsson |
| 年代不詳 | テーブル | カリンテーブル(Karin Table) | Dux / Bruno Mathsson International |
| 年代不詳 | ソファ | エヴァソファ | Firma Karl Mathsson / Dux |