Bruno Mathsson International(ブルーノ・マットソン・インターナショナル)
Bruno Mathsson International ABは、スウェーデンが生んだ20世紀を代表する家具デザイナー、ブルーノ・マットソンの遺産を継承し、 その卓越したデザインを現代に伝え続けるスウェーデンの家具ブランドです。 1907年にスウェーデン南部スモーランド地方のヴェルナモに生まれたブルーノ・マットソンは、 5代続く家具職人の家系に育ち、父カール・マットソンの工房で幼少期から木工技術を学びました。 機能主義とモダニズムの理念を体現しながらも、スウェーデンの伝統的な職人技を継承した彼の作品は、 人間工学に基づく快適性と有機的な美しさを見事に融合させ、今なお世界中のデザイン愛好家を魅了し続けています。
同社は、ブルーノ・マットソンのすべての知的財産権を所有・管理し、彼の遺した貴重な文化遺産を守り続けています。 製品の生産は地元の職人や工場との緊密な協力関係のもとで行われ、マットソンが追求した品質基準を今日も維持しています。 本社はヴェルナモのマットソン家の実家に位置し、かつて父カールが家具工房を構えていたその場所は、 現在Bruno Mathsson Centerとしてオフィスと展示施設を兼ねています。
ブランドの特徴・コンセプト
Bruno Mathsson Internationalの製品は、「座る機構(mechanics of sitting)」の追求という ブルーノ・マットソン自身の設計哲学を忠実に継承しています。 マットソンは、快適な座り心地を実現するため、雪の中に座って自身の体の跡を研究するなど、 人間工学的アプローチの先駆者でした。 彼の言葉「家具は、座ることに何の技術も必要としないほどの巧みさで作られなければならない」は、 ブランドの製品開発における根本的な指針となっています。
全製品はスウェーデン国内で製造され、伝統的な職人技と厳選された素材によって生み出されます。 積層曲げ木の技術は、1930年代にマットソンが独自に開発したもので、 強度と優雅さを兼ね備えた最小限のディテールを実現しています。 座面に使用されるリネンウェビングは、スウェーデン国内で同社のために専用に織られたもので、 亜麻(Linum usitatissimum)は7000年以上の歴史を持つ人類最古の作物の一つです。 こうした厳格な素材選定と製造工程により、同社の家具は世代を超えて受け継がれる耐久性を備え、 廃棄されるのではなく修復されて使い続けられることが多いのです。
ブランドヒストリー
家具職人の血統と革新的デザインの萌芽
1907年1月13日、スウェーデン・スモーランド地方ヴェルナモに生まれたブルーノ・マットソンは、 5代続く家具職人の家系に生を受けました。 父カール・マットソンの工房で幼少期から木の特性を学び、確かな技術的知識を身につけた彼は、 やがて機能的な家具設計と高い技術品質の融合という独自の道を歩み始めます。 1929年、イェーテボリのレースカ工芸博物館から書籍や雑誌を借り受け、 独学で先進的なデザイン理論を学んだマットソンは、1930年のストックホルム博覧会で スウェーデン機能主義運動の洗礼を受け、伝統的な父の工房の思考から解放されて独自のデザイン言語を確立しました。
国際的評価の確立
1936年3月14日、レースカ工芸博物館での個展は、マットソンをスウェーデンを代表するデザイナーとして 認知させる転機となりました。 翌1937年には、パリ万博スウェーデン館に出展し、ベッド「パリ」でグランプリを受賞。 この成功により国際的な注目を集め、ニューヨーク近代美術館(MoMA)のデザイン部門責任者 エドガー・カウフマン・ジュニアの目に留まりました。 カウフマンは1939年にMoMAの新館のためにマットソンの椅子を発注し、 同年、ニューヨーク万博とサンフランシスコのゴールデンゲート博覧会にも彼の家具が出展されました。 スウェーデン工芸協会の文化評論家ゴットハルト・ヨハンソンは1940年、 スウェーデン・ダーグブラーデット紙で「スウェーデンの現代家具芸術家の中で、 ただ一人卓越した地位を占めている」と絶賛しました。
アメリカ訪問と建築への展開
1948年から1949年にかけて、マットソンは妻カリンとともにアメリカを訪問し、 チャールズ&レイ・イームズ夫妻、ハンス&フローレンス・ノル夫妻、マルセル・ブロイヤー、 フランク・ロイド・ライトら、当代最高の建築家やデザイナーとの交流を深めました。 特に1949年3月、完成間近のイームズ邸を訪問した経験は、彼の建築観に大きな影響を与えました。 この交流に触発され、マットソンは1950年、ヴェルナモに自身初の「ガラスハウス」である 家具ショールームを完成させました。 床暖房を備えた基礎の上に、三重ガラスの窓壁を持つこの建物は、 自然との一体感と光への渇望を体現したものでした。
新素材への挑戦と晩年
1960年代、マットソンは家具制作に復帰し、木材に加えてスチールという新素材に挑戦しました。 1965年には宇宙時代に触発された「Jetson」チェアをデザインし、翌年マルメの展覧会で初めて公開。 また、デンマークの詩人・数学者ピート・ハインとの協働により、 ストックホルムのセルゲル広場の交通問題解決から着想された「スーパー楕円」形状を テーブルデザインに応用した「Superellipse」テーブルを発表しました。 1969年には日本で初めて彼の家具が紹介され、1976年には日本市場向けの家具コレクションを開発。 1981年、74歳にしてコンピュータ使用者向けのワークステーションを設計するなど、 生涯を通じて革新への情熱を失うことはありませんでした。 1988年8月17日、マットソンはヴェルナモで逝去しましたが、 その文化遺産はBruno Mathsson International ABによって今日まで継承されています。
主なインテリアとその特徴
Pernilla(ペルニッラ)シリーズ
1944年に発表されたPernillaは、マットソンの代表作として世界的に知られるラウンジチェアです。 ジャーナリストのペルニッラ・トゥンベルガーにちなんで名付けられたこの椅子は、 1930年代初頭から続くマットソンの人間工学研究の集大成といえます。 積層曲げ木による一体型フレームは、複数の曲線が異なる方向に分岐する複雑な構造を持ち、 人体の脊椎の曲線を模した座面形状が優れた快適性を実現しています。 座面には伝統的なリネンウェビングが編み込まれ、従来のスプリング張りを用いることなく 体を柔らかく支えます。 Pernilla 1(ワーキングチェア)、Pernilla 2(イージーチェア)、Pernilla 3(シェーズロング)の 3つのバリエーションがあり、それぞれにオットマンが用意されています。
Eva(エヴァ)チェア
1933年に設計され、マットソンの母の名を冠したEvaチェアは、 ワーキングチェアとして開発された彼の初期の傑作です。 前年にアルヴァ・アアルトが設計したアームチェア41・42と同様に、 蒸気曲げと積層の技術を用いていますが、マットソンの技術的習熟度はより複雑な曲線を可能にしました。 有機的で流れるような曲線を描くビーチ材のフレームと、 麻のサドルギルト(鐙帯)による座面の組み合わせは、 20世紀デザインの中で最も即座に認識できる作品の一つとなっています。 ニューヨーク近代美術館をはじめ、世界中の主要美術館に収蔵されています。
Jetson 66(ジェットソン66)
1960年代初頭、マットソンは家具素材としてのスチールの可能性に注目し、 軽量かつ快適な新しい弾力性のある家具の創造を目指しました。 1965年に設計され翌年発表されたJetsonチェアは、 米国の宇宙時代とアニメーション「宇宙家族ジェットソン」に触発された未来的なデザインです。 クロームメッキのスチールフレームにキャンバス張りの椅子型シートを吊り下げた構造は、 浮遊感を演出し、宇宙開発競争時代の精神を見事に体現しています。 スイベル機構を備え、レザーのヘッドピローが添えられたこのチェアは、 曲げ木家具とは異なるマットソンのデザインの柔軟性を示す作品です。 2005年にBruno Mathsson Internationalによってオリジナル仕様で復刻されました。
Superellipse(スーパー楕円)テーブル
1960年代半ば、デンマークの数学者・詩人ピート・ハインとの協働により生まれた Superellipseテーブルは、数学的概念を家具デザインに昇華させた革新的作品です。 ピート・ハインは、ストックホルムのセルゲル広場の交通流を最適化するために 「スーパー楕円」という形状を考案しました。 楕円の柔らかさと長方形の機能性を統合したこの形状は、 どの席に座っても同じ形の縁が前にあるという「民主的」な特性を持ちます。 マットソンとハインは1954年から脚部のデザイン「Spanleg」の開発を始め、 1964年にストックホルムのリリエヴァルクス美術館で初めて発表されました。 この4本の脚が一つの基部から花の茎のように伸びるデザインは、 テーブルに軽やかで浮遊感のある印象を与えています。
Grasshopper(グラスホッパー)チェア
1930年、ヴェルナモ病院からの依頼で設計されたGrasshopperは、 マットソンが手がけた最初の家具であり、その後の全作品の原点となりました。 従来のスプリング張りを使わず、曲げ接着したビーチ材のフレームに 編み込んだサドルギルトを張った人間工学的形状の椅子は、 当時の病院スタッフには理解されず、「バッタ(グラスホッパー)」と揶揄されて 倉庫に仕舞い込まれてしまいました。 しかし、この「醜い」椅子こそが、マットソンの革新的なデザイン思想の出発点となり、 今日ではデザインクラシックとして高く評価されています。
主なデザイナー
Bruno Mathsson(ブルーノ・マットソン)1907-1988
スウェーデン・スモーランド地方ヴェルナモ出身の家具デザイナー・建築家。 正規の教育を受けることなく、父の工房での実践と独学によってデザインを学びました。 1930年代に積層曲げ木技術を独自に発展させ、麻のウェビングを組み合わせた 有機的な椅子のシリーズを生み出しました。 MoMAのエドガー・カウフマン・ジュニアは、マットソンの家具デザインにおける重要性を アルヴァ・アアルトと同等と評価しています。 1940年代半ばから1950年代にかけては建築に傾注し、 三重ガラスの窓壁と床暖房を備えた「ガラスハウス」を多数設計。 1960年代に家具制作に復帰し、スチールを用いた新しいデザインを発表しました。 グレゴール・パウルソン小像(1955年)、プリンス・オイゲン金メダル(1965年)、 ヴァーサ王立騎士団勲章(1967年)、ロンドン王立芸術協会名誉会員(1978年)、 スウェーデン政府より教授号授与(1981年)など、数多くの栄誉を受けました。
Piet Hein(ピート・ハイン)1905-1996
デンマークの数学者、発明家、詩人。 Bruno Mathssonとの協働により、Superellipseテーブルシリーズを開発しました。 ストックホルムのセルゲル広場の都市計画において考案した「スーパー楕円」の数学的概念を 家具デザインに応用し、機能性と美的調和を両立させた革新的なテーブルを生み出しました。 この協働は1954年に始まり、1964年に初めて製品として発表されました。
基本情報
| 正式名称 | Bruno Mathsson International AB |
|---|---|
| 創業者 | Bruno Mathsson(ブルーノ・マットソン) |
| 所在地 | Värnamo, Sweden(スウェーデン・ヴェルナモ) |
| 設立 | 1936年(ブルーノ・マットソンのデザイナーとしてのブレイクスルー年) |
| 事業内容 | ブルーノ・マットソンデザインの家具製造・販売、知的財産権管理、マットソン・アーカイブ運営 |
| 公式サイト | https://mathsson.se/eng/ |