ミングレン・テーブルは、二十世紀アメリカを代表する家具デザイナー、ジョージ・ナカシマが1960年代に開発した、建築的構造美と自然の有機性を融合させたダイニングテーブルである。このシリーズは、ナカシマがペンシルバニア州ニューホープの自邸敷地内に「ミングレン・ミュージアム」(Arts Building)を建設していた時期に誕生した。双曲放物面の屋根を持つこの革新的な建築物と同様に、ミングレン・テーブルもまた、構造的大胆さと精神性を兼ね備えた作品として構想されたのである。

「ミングレン」という名称は、日本の彫刻家・長れ正之が創設した「民芸人協会」(People's Tool Guild)に由来する。ナカシマは日本での展覧会開催を通じてこの職人集団と深い信頼関係を築き、彼らとの協働を記念してこのシリーズを命名した。日本の伝統的な木工技術とアメリカのモダニズムを融合させたナカシマの設計思想が、最も純粋な形で結実した作品群と言えよう。

特徴・コンセプト

一枚板の構造美

ミングレン・テーブルの最大の特徴は、天板とベースの両方に一枚板を使用する大胆な構造にある。多くのバージョンでは、巨大な一枚板をテーブル天板として用い、同様に重厚な一枚板をベース(脚部)として配置する。この構成により、木材の持つ力強さと存在感が最大限に引き出される。特にミングレン IIでは、6フィート(約1.8メートル)以上の長さを持つ天板に対応する汎用性の高いベース設計が採用され、ミングレン Iは5フィート(約1.5メートル)以下の、より親密な円卓的空間を創出する設計となっている。

フリーエッジと自然な表情

ナカシマが「フリーエッジ」(後に「ライブエッジ」として広く知られるようになった概念)と名付けた、木の自然な縁を残す手法がミングレン・テーブルでも採用されている。樹皮直下の辺材部分、樹脂の溜まり、節、割れなど、従来の家具製作では欠点とされた要素を、むしろ木の個性として積極的に取り入れる。この思想は、ナカシマが師事した精神指導者スリ・オーロビンドの教えや、日本の侘び寂びの美学に深く影響を受けたものである。

バタフライジョイントの機能美

ミングレン・テーブルには、ナカシマのトレードマークとも言えるバタフライジョイント(蝶つぎ)が効果的に配されている。この技法自体は古くからヨーロッパや日本で用いられてきたものだが、ナカシマはこれを隠すのではなく、デザインの重要な視覚的要素として露出させた。多くの場合、ウォールナットの天板にローズウッドのバタフライジョイントを嵌め込むことで、木目と色彩の美しいコントラストが生まれる。これは単なる装飾ではなく、木材の割れを防ぎ、複数の板を接合する構造的必然性を、芸術的表現へと昇華させた技である。

建築的アプローチ

MITで建築学修士号を取得したナカシマにとって、家具デザインは常に建築的視点を伴うものであった。ミングレン・シリーズは、同時期に建設されたミングレン・ミュージアムの革新的な構造設計—双曲放物面屋根の大胆なカンチレバー構造—から直接的な影響を受けている。テーブルのベース設計には、片持ち梁的な力学的美しさと、空間を占有しながらも軽やかさを保つバランス感覚が表現されている。これは1950年代後半のコノイド・スタジオ建設時に開発されたコノイド・シリーズに続く、ナカシマの建築的家具デザインの発展形と位置付けられる。

エピソード

日本との深い絆

ミングレン・シリーズ誕生の背景には、ナカシマと日本の職人たちとの感動的な交流がある。彫刻家の長れ正之は当初、アメリカやヨーロッパのデザイナーに自身の職人集団「民芸人協会」での製作を許可することに躊躇していた。しかし、ペンシルバニア州ニューホープのナカシマ工房を訪問した際、長れとその仲間たち—鮮やかな青いブレザーを着た石工たち—は、ナカシマ自らが用意したステーキディナーでもてなされ、その誠実な人柄と仕事への姿勢に深く感銘を受けた。この出会いが、ナカシマと日本の職人集団との生涯にわたる協力関係の始まりとなり、東京での10回にわたる個展開催と、世界で唯一ナカシマデザインの製造ライセンスを持つ桜製作所との提携へと結実していった。

木との対話

ナカシマは、各テーブルに使用する木材を選ぶ際、顧客を自身の木材保管庫へ案内し、共に一枚の板を選ぶという独特の方法を取った。板を選定すると、ナカシマは工房に戻り、わずか5分から10分の間に、その板の辺材、節穴、割れ、バタフライジョイントの配置、脚の位置に至るまで、すべてを精密に描き出した。1970年の『ライフ』誌のインタビューで、彼は「私は常に瞑想と神秘主義に興味を持ってきた。私はそのような探求者だったと思う。しかし同時に、十分に日本人的であり、十分に実践的でもあるので、その精神に物理的な表現を与えたいのだ」と語っている。ミングレン・テーブルの一つひとつは、この木との瞑想的対話から生まれた、唯一無二の作品なのである。

収容所での学び

ミングレン・テーブルに見られる伝統的な日本の木工技術は、第二次世界大戦中の苦難の経験から生まれたものである。1942年、真珠湾攻撃後、ナカシマと家族は他の日系アメリカ人とともにアイダホ州のミニドカ収容所に送られた。この暗黒の時期に、ナカシマは伝統的な日本の大工技術を修得した職人、彦川源太郎と出会う。限られた資材—廃材や砂漠の植物—を用いながら、彦川はナカシマに木材の選定方法、手工具の扱い、そしてバタフライジョイントを含む伝統的な接合技術を教えた。この師弟関係が、ナカシマの設計手法に規律と忍耐という日本的な価値観をもたらし、後のミングレン・シリーズにも深く影響を与えることとなった。

評価

ミングレン・テーブルは、ナカシマの成熟期における最も重要な作品群の一つとして、デザイン史において高い評価を受けている。1960年代は、1970年の娘ミラの工房参加、1973年のネルソン・ロックフェラー邸200点を超える大規模コミッション、そして1980年の国際製紙会社からの依頼など、ナカシマのキャリアにおいて最も充実した時期であり、この時期に開発されたミングレン・シリーズは、彼の設計思想の到達点を示すものである。

オークション市場においても、ミングレン・テーブルは高い評価を得ている。特に稀少な木材や大型の作例は、数万ドルから十数万ドルの価格で取引される。2016年のライト・オークションでは、レッドウッドの一枚板を用いたミングレン・コーヒーテーブルが161,000ドルで落札され、2023年には1978年製のアメリカン・ブラックウォールナット根株瘤材を使用したミングレン Iコーヒーテーブルが60,480ドルで落札されるなど、その芸術的価値と希少性が市場で認められている。

博物館や美術館においても、ミングレン・テーブルは重要なコレクションとして収蔵されている。2004年には全米日系人博物館で「ジョージ・ナカシマ:自然、形態、精神」展が開催され、1965年製のイングリッシュ・オーク瘤材を使用した大型のミングレン Iテーブルが展示された。またジェームズ・A・ミッチェナー美術館には、ナカシマの包括的なコレクションの一部としてミングレン・シリーズが常設展示されている。これらの機関での展示は、ミングレン・テーブルがアメリカのスタジオクラフト運動における記念碑的作品として位置づけられていることを示している。

現代のデザイン界においても、ミングレン・テーブルの影響は色褪せることがない。「ライブエッジ」スタイルの家具は今日では広く普及しているが、その源流はナカシマの「フリーエッジ」概念にある。一枚板テーブルの人気、自然素材への回帰、職人的製作への再評価といった現代のトレンドは、すべてナカシマが半世紀以上前にミングレン・テーブルで示した価値観の延長線上にある。彼の娘ミラ・ナカシマが継承するジョージ・ナカシマ・ウッドワーカーズは、今なお父のオリジナルデザインを製作し続けており、ミングレン・テーブルは注文製作可能な定番シリーズとして、新たな世代の顧客に木の美しさと精神性を伝え続けている。

基本情報

デザイナー ジョージ・ナカシマ(George Nakashima, 1905-1990)
デザイン年 1960年代
分類 ダイニングテーブル
製造元 ジョージ・ナカシマ・ウッドワーカーズ(George Nakashima Woodworkers)、桜製作所(日本)
主な材料 アメリカン・ブラックウォールナット、イースト・インディアン・ローズウッド、ブビンガ、イングリッシュ・オーク、チェリーなど各種無垢材
バリエーション ミングレン I(5フィート以下)、ミングレン II(6フィート以上)、ミングレン III
特徴的な技法 一枚板使用、フリーエッジ(ライブエッジ)、バタフライジョイント、オイル仕上げ
製作地 ニューホープ、ペンシルバニア州、アメリカ合衆国
所蔵機関 全米日系人博物館、ジェームズ・A・ミッチェナー美術館、各種私人コレクション