ユトレヒトアームチェアは、オランダのデザイナー兼建築家であるヘリット・トーマス・リートフェルトが1935年に創作した、デ・スティル運動を象徴する名作ラウンジチェアである。アムステルダムの高級百貨店メッツ社の依頼により、量産を前提とした市場向け製品として開発された本作品は、リートフェルトが追求してきた構造の本質への還元という理念と、実用的な快適性とを見事に融合させた、モダニズムデザインの到達点として高く評価されている。
リートフェルトの生誕地であるユトレヒトの名を冠したこのアームチェアは、座面、背もたれ、そして二つのアームレストという四つの独立した要素で構成されており、現地での組み立てを可能とする革新的な設計思想を体現している。その幾何学的で厳格なフォルムは、新造形主義(ネオプラスティシズム)の純粋な美学を家具デザインへと昇華させたものであり、ピエト・モンドリアンらが展開した芸術運動との強い親和性を示している。
1936年にメッツ社から初めて販売されたユトレヒトアームチェアは、ダークブラウンのキャンバス地を纏い、特徴的な白いフェストゥーンステッチで仕上げられていた。戦後には同社によりフェルト素材での製造が再開され、その後1988年、リートフェルト生誕100周年を記念してイタリアの名門家具メーカーであるカッシーナが製造権を獲得し、現代に至るまで世界中で愛され続けている。
特徴・コンセプト
デ・スティル運動の具現化
ユトレヒトアームチェアの最大の特徴は、デ・スティル運動の美学原理を家具という実用品において完璧に具現化している点にある。直角を基調とした幾何学的構造、各要素の明確な分節化、そして装飾性を排した純粋な形態は、同運動が掲げた「普遍的調和」という理念を体現している。背もたれと座面が床面で交わる角度、アームレストが支持構造へと変容する造形は、リートフェルトの構造主義的アプローチの結晶といえる。
量産を前提とした設計革新
メッツ社からの依頼は「量産可能な椅子」の創造であったが、リートフェルトはこの要請を単なる制約とせず、むしろ設計思想の革新へと昇華させた。四つのパーツに分割可能な構造は、輸送効率を劇的に向上させるとともに、現地での組み立てを可能とした。これは当時の家具製造において画期的な発想であり、工業生産時代における家具デザインの新たな方向性を示すものであった。
快適性への配慮
リートフェルトの作品群の中でも、ユトレヒトアームチェアは数少ない張り地を施された椅子の一つである。スチールフレームに弾性バンドを組み合わせた支持構造の上に、高密度ポリウレタンフォームとポリエステルパッディングを配することで、幾何学的な厳格さを保ちながらも、長時間の使用に耐える快適性を実現している。この「形態と機能の両立」こそ、本作品が今日なお高い評価を受け続ける理由である。
ブランケットステッチの美学
ユトレヒトアームチェアを象徴する要素の一つが、コントラストを成す色彩のブランケットステッチである。張り地の輪郭を縁取るこの手仕事的な仕上げは、各パーツの独立性を視覚的に強調すると同時に、工芸的な温かみを幾何学的なフォルムに付与している。カッシーナによる現代の製造においても、このステッチはナチュラル、ブラック、ライトブルー、イエロー、レッドの五色から選択可能であり、またジグザグステッチという代替仕様も用意されている。
エピソード
メッツ百貨店との協働
1935年、アムステルダムの高級百貨店メッツ社は、リートフェルトに対して量産可能な椅子のデザインを依頼した。同社は当時、進歩的なデザインを支援する姿勢で知られており、リートフェルトのジグザグチェアをはじめとする革新的な家具を取り扱っていた。ユトレヒトアームチェアはこの協働関係から生まれ、1936年の発売以来、メッツ社の象徴的商品として1975年まで製造販売された。
木工職人との協力体制
初期のユトレヘトアームチェアの製造においては、リートフェルトと長年協働してきた木工職人ヘラルト・ファン・デン・フルーネカンが木製フレームの制作を、そして張り地職人のスタフォースト氏が布張り作業を担当した。この職人たちとの緊密な協力関係は、リートフェルトのデザインが単なる図面ではなく、熟練した技術によって初めて完成する作品であったことを示している。
カッシーナによる復刻
1988年、リートフェルト生誕100周年を記念して、イタリアの名門家具メーカー、カッシーナがユトレヒトアームチェアの製造権を獲得した。カッシーナは同年より本作品の製造を開始し、リートフェルトの遺産を現代に継承する重要な役割を果たしている。さらに2015年には、現代人の体格変化に対応した寸法調整を施した新版が「ミュタツィオーニ・コレクション」の一環としてリリースされ、また足部を持たないオリジナル仕様も選択可能となった。
限定コラボレーション
カッシーナ創立90周年を記念して、ユトレヒトアームチェアは二つの特別なコラボレーションエディションが制作された。一つはファッションデザイナーのポール・スミスとマハラムのクンドラットによる「ポイント」と題された作品、もう一つはアーティストのベルトヤン・ポットがオランダの創造性を祝して制作した、ボックスブロックスのファブリックを用いた作品である。これらの限定版は、ユトレヒトアームチェアの普遍的な美学が現代の創造者たちにも刺激を与え続けていることの証左である。
評価
デザイン史における位置づけ
ユトレヒトアームチェアは、20世紀モダニズム家具デザインにおける最重要作品の一つとして広く認識されている。リートフェルトのレッド・アンド・ブルーチェアやジグザグチェアと並び、デ・スティル運動の理念を家具という実用品において完璧に具現化した傑作として、世界中の美術館やデザインコレクションに収蔵されている。オランダのセントラルミュージアムをはじめとする複数の美術館が、その常設コレクションとして本作品を展示している。
市場における評価
ヴィンテージのユトレヒトアームチェア、特にメッツ社製造のオリジナル品は、デザインコレクター市場において極めて高い評価を受けている。オークションハウスや専門ディーラーでの取引価格は、保存状態の良い個体で7,500ドルから15,000ドルに達することもあり、デザイン史的価値の高さを物語っている。カッシーナによる現代製造品もまた、その品質の高さと忠実な再現性により、現代のインテリアにおける投資価値の高いアイテムとして認識されている。
影響と後世への遺産
ユトレヒトアームチェアが示した「構造の本質への還元」と「快適性の両立」という設計思想は、その後の家具デザインに多大な影響を与えた。幾何学的な形態を保ちながら人間工学的な快適さを追求するアプローチ、また量産を前提とした分解可能な設計思想は、現代の家具産業における標準的手法の先駆けとなった。本作品は単なる過去の名作ではなく、今日においても新たな創造へのインスピレーション源となり続けている。
受賞歴
具体的な受賞記録については明確な文献が確認できないが、ユトレヒトアームチェアは多数の国際的なデザイン展覧会において常設展示される栄誉を受けている。また1988年のカッシーナによる復刻は、イタリアの「イ・マエストリ(巨匠たち)」コレクションに選定されており、これは芸術的および建築的重要性が認められた家具のみに与えられる称号である。
基本情報
| デザイナー | ヘリット・トーマス・リートフェルト(Gerrit Thomas Rietveld) |
|---|---|
| デザイン年 | 1935年 |
| 製造 | Cassina(1988年〜)、Metz & Co.(1935-1975年) |
| 分類 | ラウンジチェア |
| サイズ(スタンダード版) | 幅64cm × 奥行85cm × 高さ70cm(座面高37cm) |
| 構造 | スチールロッドフレーム、弾性バンド、ポプラ無垢材アームレスト |
| パディング | ポリウレタンフォーム、ポリエステルパッディング |
| 張地 | ファブリックまたはレザー(取り外し不可) |
| ステッチ | ブランケットステッチまたはジグザグステッチ(5色展開) |
| バリエーション | スタンダード、XL、ベビーユトレヒト、ソファ版 |
| 所蔵美術館 | セントラルミュージアム(オランダ・ユトレヒト)ほか |