チューリップチェアは、1955年から1956年にかけてエーロ・サーリネンがデザインし、1957年にKnoll社から発表された革新的な椅子である。その名称は、チューリップの花を思わせる優美な曲線と、茎のような一本の脚部から着想を得たものである。当初は「ペデスタルグループ」という名称で計画されていたが、より有機的な印象を与えるため、チューリップチェアという名称が採用された。
サーリネンは当時のアメリカのインテリア空間において、椅子やテーブルの脚が視覚的な混乱を生み出していることに着目した。彼はこの状態を「脚のスラム(slum of legs)」と表現し、「醜く、混乱し、落ち着きのない世界」と批判した。チューリップチェアは、この問題を解決し、椅子を再び統一された一体的な存在として再構築することを目指して生まれた作品である。
特徴・コンセプト
チューリップチェアの最大の特徴は、家具史上初めて実現された一本脚のデザインである。従来の四本脚の椅子が床面に作り出していた視覚的な雑然とした印象を排除し、空間に優雅さと秩序をもたらすことに成功した。一本の支柱が床から立ち上がり、花が咲くように座面と背もたれのシェルへと広がる造形は、まさに彫刻的な美しさを備えている。
座面と背もたれはガラス繊維強化プラスチック(FRP)で一体成型されており、人体の曲線に沿った有機的なフォルムを実現している。脚部はアルミニウムのダイキャスト製で、リルサン塗装が施されている。サーリネンは当初、椅子全体を単一の素材で成型することを理想としていたが、当時の技術では脚部に必要な強度を樹脂素材だけで確保することができなかった。そのため、構造的な要求を満たすためにアルミニウムを採用せざるを得なかったのである。
デザインの思想において、サーリネンは「椅子を再び一つのものにしたい」という明確なビジョンを持っていた。彼の視点は単なる機能主義を超え、椅子が室内空間の中でどのように見えるかという総合的な美的調和を追求するものであった。この考え方は、初期モダニズムの幾何学的な厳格さに対する批判でもあり、より彫刻的で表現力豊かな造形の可能性を示すものであった。
エピソード
開発過程における執念
チューリップチェアの開発は、サーリネンの徹底した研究姿勢を物語るものである。彼はまず数百枚もの図面を描き、次に4分の1スケールの模型を制作した。椅子が室内空間でどのように見えるかを検証するため、これらの模型をドールハウスサイズの空間に配置して評価を行った。
彫刻家としての初期訓練を活かし、サーリネンは実物大の模型を用いて造形を練り上げた。彼は粘土を使って形状を絶え間なく修正し、最適な曲線を追求した。Knoll社のデザイン開発グループに所属していたドン・ペティットが協力し、模型制作のための独創的な技法を導入した。最終的に、実物大の模型は家具として製作され、サーリネン家のダイニングルームやリビングルームで家族や友人が「実験台」となって、実際の使用感が検証された。
MoMAコンペティションとの関連
チューリップチェアの原点は、1941年にニューヨーク近代美術館(MoMA)が開催した「住宅家具のオーガニックデザイン」コンペティションにまで遡ることができる。このコンペティションで、サーリネンはチャールズ・イームズと共同で「オーガニックチェア」を発表し、受賞を果たした。この経験が、後のペデスタルコレクション開発の礎となったのである。
建築プロジェクトでの採用
サーリネン自身が設計した建築プロジェクトにおいても、チューリップチェアは重要な役割を果たした。インディアナ州コロンバスのミラー邸では、建築と家具が一体となった空間デザインが実現された。特に印象的なのは、ニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港にあるTWAターミナルでの使用である。建築史家のジェイン・マーケルは、「TWAターミナルは、サーリネンのペデスタルチェアを建築に変えたものだ」と評した。実際、ターミナルの有機的な曲線と流れるような空間構成は、チューリップチェアの造形言語を大規模に展開したものと見ることができる。
特許取得と製造開始
サーリネンがチューリップチェアのデザインを完成させたのは1956年で、製造は翌1957年に開始された。しかし、特許図面の提出は1960年6月まで遅れ、正式な特許取得は1960年となった。1958年には、Knoll社からペデスタルコレクションの発表を告知するプレスリリースが発行され、デザイン界に大きな衝撃を与えた。
評価
チューリップチェアは発表当時から、その革新性と造形美によって高い評価を受けた。家具デザインの歴史において、一本脚で自立する椅子という概念は前例のないものであり、構造と美の融合という点で画期的な達成であった。サーリネンが5年以上にわたる研究を経て生み出したこのデザインは、それまでの椅子の概念を根底から覆すものであった。
デザイン史家たちは、チューリップチェアを20世紀インダストリアルデザインの古典として位置づけている。ミニマリズムの先駆けとも言える洗練された造形は、半世紀以上を経た現在でもまったく古びることなく、むしろその未来的な美しさは時代を超越している。スペースエイジデザインの代表作として、人工素材の可能性を最大限に引き出した作品としても評価されている。
建築家であり工業デザイナーでもあったサーリネンの統合的なアプローチは、この椅子に明確に表れている。彼は自らを「形態の創造者(form giver)」と呼び、建築から家具に至るまで、すべての作品に強い彫刻性を与えた。チューリップチェアは、この理念を最も純粋な形で体現した作品の一つである。
受賞歴
チューリップチェアは、サーリネンの死後にその功績が公式に認められることとなった。1969年には、ニューヨーク近代美術館(MoMA)からデザイン賞を授与された。同年、ドイツ連邦産業デザイン賞(Federal Award for Industrial Design)も受賞している。さらに1962年には、ドイツのシュトゥットガルトでデザインキャリア賞(Design Career Stuttgart Award)を受賞した。
これらの賞は、サーリネンが急逝した1961年以降に授与されたものであり、彼の生前の業績に対する追悼の意味も込められている。受賞は単にチューリップチェア単体への評価ではなく、サーリネンがデザイン史に果たした役割全体への認識を示すものである。
後世への影響
チューリップチェアは発表以来、世界中のデザイナーに影響を与え続けている。一本脚という構造的な挑戦は、その後の家具デザインにおける新たな可能性を切り開いた。また、有機的な曲線と人工素材を組み合わせた造形言語は、1960年代のスペースエイジデザインの潮流を形成する上で重要な役割を果たした。
現在でもKnoll社によって製造が続けられており、モダンデザインの永遠の定番として、世界中の住宅、オフィス、公共空間で使用されている。Vitra Design Museumがミニチュアコレクションに加えていることからも、その歴史的重要性が認識されていることが分かる。オリジナルの製品には、ベース裏面にKnollのロゴとエーロ・サーリネンのサインが刻印されており、真正性の証となっている。
基本情報
| デザイナー | エーロ・サーリネン(Eero Saarinen) |
|---|---|
| ブランド | Knoll(ノール) |
| デザイン年 | 1955-1956年 |
| 製造開始 | 1957年 |
| 特許取得 | 1960年 |
| 材質(シェル) | ガラス繊維強化プラスチック(FRP) |
| 材質(ベース) | アルミニウムダイキャスト(リルサン塗装) |
| バリエーション | アームチェア、アームレスチェア(回転式/固定式) |
| カラー | ホワイト、ブラック |
| サイズ(アームチェア) | W680×D590×H810mm(座面高460mm) |
| サイズ(アームレスチェア) | W490×D530×H810mm(座面高490mm) |