概要

ET66 Calculatorは、1987年にドイツの電機メーカーBraunから発売された電子計算機である。インダストリアルデザイン界の巨匠ディーター・ラムスと、彼の右腕として活躍したディートリッヒ・ルブスの共同デザインによる作品であり、ラムスが掲げた「より少なく、しかしより良く」(Weniger, aber besser)という設計哲学を体現した傑作として広く認識されている。その影響力は計り知れず、AppleのiOS電卓アプリケーションのデザインにも直接的なインスピレーションを与えたことで知られる。

本製品は、機能性と美学を高次元で融合させた工業デザインの模範として、ニューヨーク近代美術館(MoMA)やロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館の永久コレクションに収蔵されている。その普遍的なデザインは、四半世紀以上を経た現在もなお、多くのデザイナーに影響を与え続けており、2013年より復刻版が製造・販売されるに至っている。

特徴・デザインコンセプト

ET66 Calculatorの最も際立った特徴は、その徹底的にミニマルな外観にある。長方形の黒いボディに配置された凸型の円形ボタンは、視覚的な明快さと操作性の両立を実現している。特に印象的なのは、黄色で強調された等号(=)ボタンであり、これは計算プロセスにおける最も重要な機能を直感的に示すという、ラムスの「理解可能なデザイン」の原則を具現化したものである。

ボタンの配列と間隔は、人間工学的な考慮に基づいて綿密に計算されており、指先の自然な動きに呼応するように設計されている。表示部には8桁のLCDディスプレイを採用し、高いコントラストと視認性を確保している。製品グラフィックには、ディートリッヒ・ルブスが一貫して使用したAkzidenz-Grotesk書体が採用され、全体の統一感を生み出している。

本体サイズは82mm×139mm×16mmという手のひらに収まる寸法に収められ、保護用スライドカバーが付属する。このカバーは単なる保護機能にとどまらず、未使用時の美観を保つとともに、製品の耐久性を高める役割も果たしている。これらすべての要素が、ラムスの「良いデザインの10原則」を忠実に体現している。

デザイン哲学とエピソード

ET66 Calculatorの開発は、ディーター・ラムスが長年にわたって提唱してきた「良いデザインの10原則」を実践する場となった。ラムスとルブスは、単に美しい電卓を作るのではなく、使用者の日常生活に寄り添い、長く愛用される製品を目指した。彼らは、技術的な機能を損なうことなく、可能な限り装飾的要素を排除し、本質的な機能のみを残すことに注力した。

Appleへの影響

ET66 Calculatorが後世に与えた影響の中で最も象徴的なのは、Appleのジョナサン・アイブによるiPhone電卓アプリのデザインである。2007年に初代iPhoneが発表された際、その電卓アプリケーションはET66のレイアウトとグラフィックを明確に参照していた。これは単なる模倣ではなく、優れたデザインへの敬意と、時代を超えた普遍的なデザイン言語への賛辞として理解されている。

アイブ自身、ラムスの作品から多大な影響を受けたことを公言しており、2010年にはラムスに個人的にiPhoneを贈り、感謝の手紙を添えたというエピソードが残されている。ラムスは2009年のドキュメンタリー映画『Objectified』において、Appleを「自身のデザイン原則に従って製品を設計している数少ない企業の一つ」と評価している。

共同制作の背景

ディートリッヒ・ルブスは1962年にBraunに入社し、ラムスのデザインチームの一員となった。造船技師としての経験を持つルブスは、技術的な詳細設計を得意とし、特に時計や電卓などの精密機器のデザインにおいて重要な役割を果たした。ET66の開発においては、ラムスの哲学的アプローチとルブスの技術的専門知識が見事に融合し、機能美を極めた製品が誕生した。

評価と影響

ET66 Calculatorは、発売当初から工業デザイン界において高い評価を受けた。1987年にはBusse Longlife Design Awardを受賞し、その設計の優秀性が認められた。製品の持つ時代を超越した美しさは、多くの美術館や博物館によって認識され、MoMAをはじめとする世界各地の主要な文化施設の永久コレクションに加えられている。

デザイン教育の現場においても、ET66は「良いデザイン」の教科書的存在として扱われている。その明快な機能性、控えめな美学、そして長期的な耐久性は、持続可能なデザインの先駆けとして評価されている。ラムスが1970年代に提唱した「計画的陳腐化はデザインにおける犯罪である」という考え方は、このET66において見事に実践されている。

現代のデザイナーたちにとって、ET66は単なる過去の遺産ではなく、デジタル時代においてもなお有効なデザイン原則を示す生きた教材である。ミニマリズムが再び注目を集める現在、ET66の持つ普遍的な価値は、むしろ高まっているとさえ言えるだろう。

復刻版と現代における位置づけ

2013年、Braunは多くのデザイン愛好家の要望に応え、ET66の復刻版の製造を開始した。この復刻版は、オリジナルのデザインを忠実に再現しながら、現代の製造技術を用いて品質を向上させている。復刻版の登場は、優れたデザインが時代を超えて愛され続けることを証明する出来事となった。

現在、ET66は単なる計算機としての実用品を超え、デザインオブジェクトとしての価値を持つに至っている。世界中のデザイン愛好家やコレクターが、このアイコニックな製品を所有することを望み、デスク上の美しいアクセントピースとして、あるいはデザイン史における重要な一章を物語る文化的アーティファクトとして大切に扱われている。

基本情報

製品名 ET66 Calculator (Type 4776)
デザイナー ディーター・ラムス(Dieter Rams)、ディートリッヒ・ルブス(Dietrich Lubs)
ブランド Braun(ブラウン)
発売年 1987年
サイズ 82mm × 139mm × 16mm
素材 ABSプラスチック
機能 8桁LCD表示、自動電源オフ機能
付属品 保護用スライドカバー、ボタン電池
受賞歴 1987年 Busse Longlife Design Award
収蔵施設 ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ヴィクトリア&アルバート美術館、他
復刻版 2013年より製造・販売(品番:BNE001BK)