マイトチェア(Myto Chair)は、2008年にドイツの工業デザイナー、コンスタンティン・グルチッチによって設計された革新的なカンティレバーチェアである。世界最大の化学メーカーBASF、イタリアの家具メーカーPlank、そして卓越したデザイナーという三者による前例のない協業から誕生した本作は、Verner Pantonが1960年代に発表したPanton Chair以来、初めて全身がプラスチック製のカンティレバーチェアとして完成した歴史的意義を持つ。BASFが新たに開発した高機能エンジニアリングプラスチック「Ultradur® High Speed」の可能性を最大限に引き出すべく企画されたこのプロジェクトは、わずか1年余りという驚異的な開発期間で製品化に至り、素材とデザインの革新的な融合を世に示すこととなった。
特徴・コンセプト
マイトチェアの最大の特徴は、その独自の素材特性を活かした構造設計にある。BASFの「Ultradur® High Speed」は、ポリブチレンテレフタレート(PBT)を基盤とするエンジニアリングプラスチックであり、従来は自動車エンジンや電子回路基板など工業用途に限定されていた高機能素材である。この素材は卓越した流動性と強度を兼ね備え、厚みのある部分から薄い部分へと滑らかに移行する成形を可能にした。グルチッチはこの特性に着目し、樹木の幹が根元から枝先へと自然に細くなる構造を範として、支持フレームから網目状の座面・背もたれへと有機的に融合する造形を実現した。
射出成形によるモノブロック構造で製造される本チェアは、単一の金型から一体成形されるため、接合部のない流麗なフォルムを呈する。座面と背もたれに施された網目状の穿孔パターンは、軽やかな視覚的印象を与えるとともに、カンティレバー構造に固有のしなやかな弾力性を実現している。この穿孔デザインは単なる装飾ではなく、素材の物理特性を最適化するための構造的解決策でもある。
実用面においても、マイトチェアは優れた性能を発揮する。紫外線耐性を備え、摂氏マイナス90度から150度までの極端な温度変化に耐える。化学薬品への耐性も高く、100%リサイクル可能な環境配慮型製品でもある。最大8脚までのスタッキングが可能で、軽量でありながら堅牢な構造は、屋内外を問わず住宅から商業施設まで幅広い環境での使用に適している。
デザインの系譜
カンティレバーチェア(片持ち椅子、独: Freischwinger)は、近代家具デザイン史において特別な位置を占める。1926年、オランダの建築家マルト・スタムがガス管を用いて後脚のない革新的な椅子を考案し、翌年のシュトゥットガルト・ヴァイセンホーフ展で発表した。同時期にルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエやマルセル・ブロイヤーも独自のカンティレバーチェアを開発し、バウハウスの理念を体現する近代家具の象徴となった。
その後、1960年代にヴァーナー・パントンが単一素材によるカンティレバーチェアの実現に挑み、世界初の一体成形プラスチック椅子「Panton Chair」を完成させた。しかしその後約40年間、全身プラスチック製のカンティレバーチェアは登場しなかった。マイトチェアはこの歴史的系譜を継承しつつ、21世紀の素材技術によって新たな地平を切り開いた第三世代のカンティレバーチェアとして位置づけられる。
エピソード
命名の由来
「Myto(マイト)」という名称は、1980年代後半にイタリアのオートバイメーカーCagivaが製造したスポーツバイク「Mito」に由来する。グルチッチはこのオートバイの精悍で効率的なデザインに敬意を表し、自身の椅子に同名を冠した。産業生産における効率性の美学を追求するグルチッチの設計哲学が、この命名にも反映されている。
開発の経緯
2006年夏、BASFは自社のエンジニアリングプラスチック「Ultradur High Speed」の新たな用途開発のため、コンスタンティン・グルチッチを含む4名の著名工業デザイナーをルートヴィヒスハーフェンの本社に招聘した。グルチッチはこの素材の高流動性と構造強度という相補的特性に着目し、カンティレバーチェアの開発を提案した。
プロジェクト開始当初から、製造を担うイタリアの家具メーカーPlankが参画し、デザイナー、素材メーカー、家具製造者の三者による緊密な協業体制が構築された。2006年12月のクリスマス前後、グルチッチとアシスタントのアレクサンダー・レールは段ボールと発泡スチロールによる初期モデルを制作。フレーム構造の中に網目状のシートを吊り下げるという基本コンセプトが固まった。
2007年2月、グルチッチはBASF、Plank、そして金型製作者を交えたプレゼンテーションを行った。通常、金型製作者との協議では設計変更を余儀なくされることが多いが、Ultradur High Speedの特性により、当初のデザインをほぼそのまま実現できることが確認された。むしろ素材がデザインに適応するよう調整されるという、従来とは逆のアプローチが取られたのである。
発表と反響
マイトチェアは2007年10月、デュッセルドルフで開催された世界最大のプラスチック産業見本市「K 2007」において、BASFブースで初公開された。正式な市場投入は翌2008年4月、ミラノサローネ国際家具見本市に合わせて行われ、ミラノ・トリエンナーレ・デザインミュージアムでの特別展示も開催された。発表と同時に大きな反響を呼び、同年5月にはニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久コレクションに収蔵されるという栄誉に輝いた。
評価
マイトチェアは、素材革新とデザイン革新の見事な融合として、国際的なデザイン界から高い評価を受けている。化学メーカー、家具製造者、デザイナーという異業種間の協業モデルは、製品開発の新たな可能性を示すものとして注目された。従来1年以上を要することが一般的であった椅子の開発プロセスをわずか1年余りで完遂した効率性も、業界に衝撃を与えた。
デザイン評論家からは、カンティレバーチェアという近代デザインの象徴的類型を、21世紀の素材技術によって再解釈した点が高く評価されている。ブリュッセル・デザインミュージアムは、マルセル・ブロイヤーやミース・ファン・デル・ローエによる初期カンティレバーチェアが優雅さを、パントンチェアが未来主義的流麗さを体現したのに対し、マイトチェアは頑健で明確に工業的な性格を特徴とする第三世代として位置づけている。
2022年には、Plankがより軽量で柔軟性に富む新素材を用いた改良版を発表し、より鮮やかな色彩展開を可能にした。発表から15年以上を経た現在も継続的に生産・販売されていることは、本作が一時的な流行を超えた普遍的価値を持つデザインであることの証左といえる。
受賞歴
- 2008年 ICFF Editors Awards(Multiple Production部門)
- 2009年 iF Product Design Award
- 2009年 Interior Innovation Award(imm cologne)- Best of the Best、Best Item、Materials Innovation部門
- 2009年 Brit Insurance Design Award - 家具部門最優秀賞
- 2009年 Australian International Design Award - 家具デザイン最優秀賞
- 2011年 ADI Compasso d'Oro(第22回)
収蔵美術館
マイトチェアは世界各地の主要デザインミュージアムに収蔵されており、その文化的・歴史的価値が広く認められている。
- ニューヨーク近代美術館(MoMA)、アメリカ
- シカゴ美術館(Art Institute of Chicago)、アメリカ
- インディアナポリス美術館、アメリカ
- ヴィトラ・デザイン・ミュージアム、ドイツ
- ノイエ・ザムルンク(ピナコテーク・デア・モデルネ)、ミュンヘン、ドイツ
- ドイツ博物館、ミュンヘン、ドイツ
- クンストシュトッフムゼウム、デュッセルドルフ、ドイツ
- ブレーハン・デザイン・ファウンデーション、ベルリン、ドイツ
- バーディッシェス州立博物館、カールスルーエ、ドイツ
- ヴッパータール大学デザインコレクション、ドイツ
- ザ・デザイン・ミュージアム、ロンドン、イギリス
- デザインミュージアム・ヘルシンキ、フィンランド
- エルサレム・デザインミュージアム、イスラエル
- デザインミュージアム・ブリュッセル(プラスティカリウム)、ベルギー
基本情報
| 製品名 | Myto Chair / マイトチェア |
|---|---|
| デザイナー | Konstantin Grcic(コンスタンティン・グルチッチ) |
| デザイン年 | 2007年 |
| 発表年 | 2008年 |
| メーカー | Plank(イタリア) |
| 素材開発 | BASF(ドイツ) |
| 素材 | Ultradur® High Speed(PBT系エンジニアリングプラスチック) |
| 製法 | 射出成形(モノブロック一体成形) |
| 寸法 | 高さ82cm × 幅51cm × 奥行55cm / 座面高46cm |
| カラー展開 | ブラック、ホワイト、トラフィックレッド、ピュアオレンジ、イエローグリーン、ライトブルー 他 |
| 特性 | UV耐性、耐熱性(-90℃〜+150℃)、耐薬品性、100%リサイクル可能 |
| スタッキング | 最大8脚 |
| 使用環境 | 屋内・屋外兼用 |
| 型番 | 1207-20 |