柳宗理:戦後日本のインダストリアルデザインを確立した巨匠
柳宗理(やなぎそうり、1915-2011)は、戦後日本のインダストリアルデザインの確立と発展における最大の功労者として知られる。民藝運動の創始者・柳宗悦を父に持ち、父が唱えた「用の美」の思想を工業製品に昇華させることで、日本の工業デザインに新たな地平を切り開いた。バタフライスツール、エレファントスツール、ステンレスカトラリーといった数々の名作は、半世紀以上を経た現在も生産され続け、世界中の人々に愛用されている。彼のデザインは、ニューヨーク近代美術館やルーヴル美術館など世界の美術館に永久所蔵され、日本のデザイナーとして初めて国際的な評価を獲得した存在である。
生涯:民藝の家に生まれ、工業デザインの道を拓く
生い立ちと芸術への目覚め
1915年6月29日、柳宗理は東京市原宿に、民藝運動の創始者である柳宗悦と声楽家の柳兼子の長男として生まれた。本名は宗理(むねみち)。父・宗悦は文芸雑誌『白樺』の創刊に参加した思想家であり、無名の職人による民衆の工芸に美を見出し、「民藝」という新語を生み出した人物である。弟には美術史家の柳宗玄、園芸研究家の柳宗民がおり、まさに芸術と文化に満ちた一族であった。
幼少期から父が蒐集した民藝品に囲まれて育った宗理であったが、若き日には父の思想に反発し、独自の道を模索した。1935年、東京美術学校(現東京藝術大学)洋画科に入学し、当初は絵画の道を志した。しかし、バウハウスで学んだ水谷武彦の講義を聞き、またル・コルビュジエの思想に触れることで、デザインと建築の世界に強く惹かれていった。この転換は、彼の人生を決定づける重要な岐路となった。
シャルロット・ペリアンとの邂逅
1940年、宗理の運命を変える出会いが訪れる。東京美術学校卒業後、日本輸出工芸連合会の嘱託となった彼は、商工省貿易局の招聘により来日したフランス人デザイナー、シャルロット・ペリアンの通訳兼ガイドとして、一年以上にわたり日本各地の地場産業を視察する機会を得た。ル・コルビュジエの下で働いた経験を持つペリアンは、日本の伝統工芸に深い関心を寄せ、図面だけに頼らず、技術者や職人と意見を交わしながら試作を繰り返す実践的なモノづくりの姿勢を示した。
この体験は宗理に二つの重要な教訓を与えた。第一に、民藝品の奥深さを再認識し、父・宗悦の思想を理解する契機となったこと。第二に、手を動かして考えるデザインアプローチの重要性を学んだことである。ペリアンから学んだこの「手で考える」という姿勢は、後に彼のデザイン哲学の根幹となり、金沢美術工芸大学での教育方針としても約50年にわたり受け継がれることとなる。
工業デザイナーとしての確立
1942年から1945年まで坂倉準三建築研究所の研究員として勤務し、1943年には陸軍報道部宣伝班員としてフィリピンに渡る。1946年に帰国後、本格的に工業デザインの道を歩み始める。1948年、松村硬質陶器のために手がけたテーブルウェア「硬質陶器シリーズ」が工業デザイナーとしてのデビュー作となった。
1950年、柳インダストリアルデザイン研究所を設立。1952年には第1回新日本工業デザインコンクールで「レコードプレーヤー」が第一席を獲得し、同年、日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)の設立に参加した。1953年4月には財団法人柳工業デザイン研究会を設立し、以後一貫して「使いよさ」を追求する姿勢を貫いた。当時、デザインという言葉すら一般に知られていなかった日本において、柳宗理は工業デザイナーとして登場した日本で最初の人物となった。
国際的評価と教育者としての活動
1954年にデザインしたエレファントスツール、1956年のバタフライスツールは、日本のデザインが世界的な評価を受ける契機となった。特にバタフライスツールは、1957年のミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞し、1958年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)のパーマネントコレクションに選定された。これは日本のデザイナーが世界的な評価を受けた最初の事例として、デザイン史に刻まれることとなった。
1956年には金沢美術工芸大学の嘱託教授に就任し、以後約50年にわたり教鞭をとり続けた。多くの学生に「手で考える」デザインの重要性を説き、実践的な教育を通じて日本のデザイン界に多大な影響を与えた。1961年には西ドイツのカッセル・デザイン専門学校教授として招聘され、1962年まで滞在するなど、国際的な教育活動にも従事した。
1977年に日本民藝館館長に就任し、翌1978年には日本民藝協会会長に就任。デザイン活動の傍ら、約30年にわたり父が創設した民藝運動の継承と発展に尽力した。自身は「父の最大の理解者」であると語り、民藝の思想を工業製品という新しい領域で実践することで、父の理念を現代に昇華させた。
晩年の評価と逝去
1980年、イタリア在住のデザイナーでさえも推挙がなければ困難とされる「ミラノ市近代美術館」でデザイナー初の個展を開催。1981年に紫綬褒章、1987年に旭日小綬章を受章し、2002年には文化功労者として顕彰された。2003年には初の著作選集『柳宗理エッセイ』を88歳で刊行し、自身のデザイン思想を後世に残した。
2011年12月25日、肺炎のため東京都内の病院で死去。96歳であった。墓所は小平霊園。彼の死後、2014年には金沢美術工芸大学により「柳宗理記念デザイン研究所」が開設され、約7000点のデザイン関係資料が寄託された。彼の遺産は今も研究され、多くの人々にインスピレーションを与え続けている。
デザインの思想とアプローチ:「用の美」と「手で考える」デザイン
民藝思想の継承と昇華
柳宗理のデザイン思想の根底には、父・柳宗悦が唱えた「用の美」の理念がある。宗悦は「名もなき職人の手仕事によって作り出された道具にこそ美しさがある」と説き、実用性の中に美しさを見出した。しかし、若き日の宗理は父の思想に反発を示していた。その背景には、民藝論が職人の手造りを基本としていたのに対し、宗理は早い段階から「機械」での生産の必要性を確信していたからである。手造りのものは少数しか造り得ず、機能的にも不便さを感じることがある。広く一般的に使われるためには、工業生産が不可欠であると考えたのである。
父・宗悦は息子の工業デザインの仕事には無関心であったが、バタフライスツールには少しだけ関心を示したという。宗理は1978年に父が初代会長を務めた日本民藝協会の3代目会長を引き受け、「自分こそが父の最大の理解者だ」と語った。彼は父の「用の美」の思想を否定したのではなく、それを工業製品という新しい領域に拡張したのである。機械生産によって多くの人々が質の高い日用品を手にできるようにすることこそが、民藝思想の真の実践であると考えた。
「手で考える」デザインアプローチ
柳宗理のデザイン手法の最大の特徴は、「手で考える」という実践的なアプローチにある。彼は頭の中だけでデザインを完結させるのではなく、実際に手を動かして模型やサンプルを作ることでデザインを深めていった。紙、石膏、木材など様々な素材で試作を繰り返し、手に持ち、目で見て、使ってみることで、真に使いやすいデザインを追求した。
バタフライスツールは、この手法の典型例である。このデザインは紙を切る、折る、曲げるといった手遊びから生まれた。様々な形を考えるうちに「これは椅子になるのではないか」と着想し、当時日本ではほとんど知られていなかった成形合板技術に着目。合板に曲げを加えることで強度が増すという点に気づき、座面と脚が一体化した2枚の合板を金具で繋ぐという形を思いついたのである。
柳は1983年の作品集『デザイン 柳宗理の作品と考え』において、「デザイン考」を執筆し、自身のデザインに対する考え方を明確に示した。彼はそこで「マーケット・リサーチは、デザインの創作には役立たない。なぜならマーケット・リサーチは、過去のデータの分析だからである。それに反してデザインの本来の使命は、過去に未だかつてない優れたものを生み出すことにあるからである」と述べ、流行や市場調査に左右されない独自のデザインの重要性を説いた。
真の美は「生まれるもの」
柳宗理は「本当の美は生まれるもので、つくり出すものではない」と語った。これは彼のデザイン哲学の核心を表す言葉である。彼は質の高いデザインとは、素材の特性を理解し、製造技術と密接に協働し、使う人の立場に立って何度も試作を重ねる中から自然に「生まれてくる」ものだと考えた。
また、柳は「すぐに変えなきゃいけないデザインなんてのは、デザインじゃないよ」と語り、企業が新商品を売るために毎年少しずつデザインを変える経済システムにデザイナーが加担することを嘆いた。彼が目指したのは流行に左右されない、本質的な美しさと機能性を備えた、時を超えて愛される製品であった。実際、彼のデザインした多くの製品は、発表から半世紀以上を経た現在も変わらぬ形で生産され続けており、その思想の正しさを証明している。
技術者との協働の重要性
柳は「デザインは単に形だけのことではなく機能や技術などにおいても他にはない特徴あるモノを追求する、創意工夫することが大事だ」と語っていた。特に技術面の創意工夫を重視し、技術の進歩や最新の材料はデザインを進化させると考えた。エレファントスツールとバタフライスツールは、それぞれFRP(ガラス繊維強化プラスチック)、成形合板という最新の材料・技術を活用したデザインであり、それは椅子の特徴にもつながるデザインの創造そのものであった。
柳は「よいデザインを生みだすには優秀な技術者の協力が欠かせない」と述べ、自身の作品の多くが卓越した技術者や職人たちによって支えられていることを認めていた。バタフライスツールでは、仙台の産業工芸試験所で成形合板を研究していた技術者・乾三郎との出会いが決定的であった。柳のデザインは決して彼一人で完成したのではなく、技術者や職人との密接な協働の中から生まれたものであった。
作品の特徴:有機的フォルムと機能美の融合
自然から着想を得た有機的な造形
柳宗理の作品を特徴づけるのは、自然が作る形状からインスピレーションを得た有機的で柔らかな曲線美である。バタフライスツールの蝶が羽を広げたような優美なフォルム、エレファントスツールの象の脚のようなユニークな三本脚、ステンレスカトラリーの手になじむ緩やかなカーブなど、彼のデザインには直線的で硬直した印象はほとんど見られない。これは自然界の形態が持つ合理性と美しさへの深い理解に基づいている。
柳のデザインには、西洋のモダンデザインとは異なる、どこか日本的な情緒や温かみが感じられる。これは彼が幼少期から民藝品に囲まれて育ち、シャルロット・ペリアンとともに日本各地の伝統工芸を見て回った経験が、無意識のうちに作品に反映されているためであろう。洋の空間にも和の空間にも自然に馴染むその普遍性は、東西の美意識を融合させた稀有な達成である。
徹底的な使いやすさの追求
柳宗理のデザインの真価は、実際に使ってみることで初めて理解される。ステンレスカトラリーがその典型である。一見すると独特なフォルムは、使う人の目線に立って考え抜かれた結果である。スプーンは少し横長にすることでお皿の隅に残った料理もすくいやすく、フォークは刺すだけでなくすくうこともできるよう切れ込みが浅く設計されている。ナイフは幅広にすることで切るだけでなく塗ったり乗せたりもしやすい。
さらに手に持ったとき、スプーンやフォークの柄の部分が緩やかにカーブを描き、それぞれ異なる角度で手にしっくりと馴染む。こうした細部へのこだわりは、何度も試作を重ね、実際に使ってみることで初めて到達できる境地である。1974年に発売されたこのカトラリーシリーズは、同年にグッドデザイン賞を受賞し、現在も国内外で広く愛用され続けている。
構造の美しさと最小限の要素
柳宗理のデザインには、構造そのものが美しさを生み出すという特徴がある。バタフライスツールは、同じ形をした2枚の成形合板を2本のボルトと1本の真鍮の金具でジョイントしたのみのシンプルな構造である。最小限のパーツで美しい佇まいを実現しており、2枚の成形合板が互いに支え合う姿は、彫刻のような美しさを持つ。この構造の明快さと美しさから、結婚祝いの品として選ばれることも多い。
エレファントスツールも、FRP素材による一体成型というシンプルな構造でありながら、三本脚で高い安定性を実現している。軽量でコンパクト、スタッキングできるという実用性と、象の脚のような愛らしいフォルムを兼ね備えている。柳のデザインは、装飾を排して本質を追求することで、機能と美が一体となった造形を実現している。
素材と製造技術への深い理解
柳宗理は常に最新の素材と製造技術に関心を持ち、それらをデザインに活かすことに長けていた。エレファントスツールはFRP、バタフライスツールは成形合板、ステンレスカトラリーはステンレススチールと、それぞれの時代の先端技術を積極的に取り入れた。しかし彼は技術をただ使うのではなく、その素材の特性を深く理解し、最も効果的な形を追求した。
例えばバタフライスツールでは、合板に曲げを加えることで強度が増すという特性を活かし、薄くても強い構造を実現した。エレファントスツールでは、FRPの自由な造形性を活かして、三本脚という独創的なデザインを可能にした。このように柳は、素材と技術を単なる手段としてではなく、デザインの可能性を広げる重要な要素として捉えていた。
主な代表作品:時代を超えて愛される名作
バタフライスツール(1956年)
柳宗理の最も有名な代表作であり、日本のデザインが世界的な評価を受けた記念碑的作品である。蝶が羽を広げて飛んでいるかのような美しいフォルムが名の由来となっている。このデザインは紙を切る、折る、曲げるといった手遊びから生まれ、成形合板技術という当時の最新技術と出会うことで実現した。
厚さわずか7ミリの合板を3次元に成形することで、薄くても強度を保ちながら、無垢材では出せないフォルムを可能にした。2枚の成形合板を2本のボルトと1本の真鍮ステーで留めるだけのシンプルな構造は、最小限のパーツで最大の美を実現している。1957年のミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞し、1958年にはニューヨーク近代美術館のパーマネントコレクションに選定された。ルーヴル美術館など世界の美術館にもコレクションされており、デザイン史の傑作として今も高く評価されている。
現在も天童木工とVitra社によって製造され、メープル材、ローズウッド、ブラックなど複数の仕上げで提供されている。座るだけでなく、サイドテーブルや植物を置くベース、玄関先の荷物置きなど、様々なシーンで活躍する多用途性も魅力である。
エレファントスツール(1954年)
自身のアトリエで使うための丈夫で安定性のある工作用椅子として1954年にデザインされた。優しく丸みを帯びたユニークな形状から「象脚スツール」とも呼ばれる。狭いアトリエでも使いやすいように、軽量でコンパクト、スタッキングできるようデザインされている。
チャールズ&レイ・イームズの「シェルチェア」にも使われたFRP(ガラス繊維で補強したプラスチック)を使用することで、三本脚で安定感のある柔らかな曲線のデザインを可能にした。当初は「スタッキングスツール」という名称であったが、その愛らしい形状から「エレファントスツール」の愛称で親しまれるようになった。
1956年に第1回柳工業デザイン研究会展に出品され、コトブキ社が製品化。その後サイズを3センチ高くした大型版がデザインされ、2004年にはVitra社より環境負荷の低いポリプロピレン樹脂で復刻された。世界初の完全一体成型のプラスチックスツールとして、デザイン界に大きな影響を与えた作品である。
ステンレスカトラリー #1250(1974年)
1974年に発売され、同年にグッドデザイン賞を受賞したステンレスカトラリーシリーズは、柳宗理デザインの真髄を体現する作品である。「日本人のためのカトラリー」という佐藤商事の依頼から生まれ、日本人の手に馴染む形状を追求した。
スプーンは縦長ではなく少し横長にすることで、お皿の隅に残った料理もすくいやすくした。フォークは刺すだけでなく、料理をのせたりすくったりもできるよう、切れ込みを浅くデザイン。ナイフは幅広にして、切るだけでなく塗ったり乗せたりもしやすくした。手に持ったとき、柄の部分が緩やかにカーブし、手にしっくりと馴染む設計も特徴である。
スプーン6種類、フォーク5種類、ナイフ3種類の全14種類をラインナップし、用途に応じて最適なカトラリーを選べる。刃物の町として有名な新潟県燕市の日本洋食器株式会社が製造を担当し、艶消し加工を施した繋ぎ目のない上品な仕上がりで、発表から50年以上を経た現在も国内外で広く愛用されている。
ステンレスケトル(1994年)
柳宗理のキッチンツールの代表作である。独特の注ぎ口の形状が最大の特徴で、この形状により左右どちらからでも注ぐことができ、液だれしにくい設計となっている。把手部分も手に馴染む形状で、重いお湯を注ぐ際も安定して持つことができる。
蓋と本体の接合部分は精密に作られており、密閉性が高く保温性に優れる。ステンレス製のため耐久性が高く、長年使い込むことで味わい深い表情を見せる。シンプルながら計算し尽くされた機能美は、使うたびにその良さを実感できる逸品である。
東京オリンピックデザイン(1964年)
1964年の東京オリンピックでは、聖火トーチホルダー、聖火台、水泳競技場の座席など、多岐にわたるデザインを担当した。特に聖火トーチは、日本の伝統美を現代的にアレンジしたデザインで、オリンピックの象徴として多くの人々の記憶に残っている。
これらのデザインは、単に機能を満たすだけでなく、日本の美意識を世界に示すという重要な役割を果たした。公共空間における大規模なデザインでも、柳の「用の美」の思想は一貫して貫かれている。
札幌オリンピックデザイン(1972年)
1972年の札幌冬季オリンピックでは聖火台とトーチホルダーをデザインした。雪と氷の祭典にふさわしい、清廉で力強いデザインは、冬季オリンピックの新たなシンボルとなった。小さな日用品から巨大な構造物まで、スケールを超えて一貫した美意識を貫く柳の力量が示された作品である。
その他の代表的作品
柳宗理のデザインは家具や食器にとどまらず、極めて広範囲に及んでいる。ステンレスボール(1960年)、南部鉄器シリーズ(2002年)、鉄フライパン(1999年)などのキッチンツール、柳チェアシリーズ(1972年)、シェルチェアシリーズ(1998年)などの家具、そして関越自動車道の関越トンネル坑口(1985年)、東名高速道路の足柄橋(1991年)、歩道橋など公共空間のデザインまで、その活動は生活のあらゆる領域に及んだ。
また、セロファンテープホルダー(1971年)やロータリーテープディスペンサー(1962年)といったステーショナリー、白磁器シリーズ(1956年)、出西窯ディレクションシリーズ(2004年)といった陶磁器、日本民藝館の企画展ポスターや月刊誌『民藝』の表紙デザインなど、グラフィックデザインの分野でも優れた作品を残している。
功績と業績:日本デザイン界における不滅の足跡
主要な受賞歴
- 1952年
- 第1回新日本工業デザインコンクール第一席(レコードプレーヤー)
- 1957年
- 第11回ミラノ・トリエンナーレ金賞(バタフライスツール、白磁土瓶ほか)
- 1974年
- グッドデザイン賞(ステンレスカトラリー #1250)
- 1981年
- 紫綬褒章受章
- 1987年
- 旭日小綬章受章
- 2002年
- 文化功労者顕彰
世界の美術館コレクション
柳宗理の作品は、世界の主要な美術館に永久所蔵されている。ニューヨーク近代美術館(MoMA)、ルーヴル美術館、ミラノ市近代美術館など、日本人デザイナーとして初めて国際的な評価を獲得した存在である。バタフライスツールは1958年にMoMAのパーマネントコレクションに選定され、日本のデザインが世界に認められる象徴となった。
デザイン界への貢献
1952年、日本インダストリアルデザイナー協会(JIDA)の設立に参加し、日本の工業デザインの基礎を築いた。1953年には国際デザインコミッティー(現在の日本デザインコミッティー)の発足に参加し、「グッドデザインコーナー」の併設ギャラリーで多彩な企画展を開催するなど、デザインの啓蒙活動にも尽力した。
1960年の世界デザイン会議(東京)では実行委員を務め、1966年には世界デザイン会議(フィンランド)に日本代表として参加するなど、国際的なデザイン交流の推進にも貢献した。1980年のミラノ市近代美術館での個展は、デザイナーとして初めての快挙であり、日本のデザインの地位を大きく高めた。
教育者としての功績
1956年から約50年にわたり金沢美術工芸大学で教鞭をとり、「手で考える」デザインアプローチを多くの学生に伝えた。この教育方針は今も同大学の伝統として受け継がれている。1953年から1967年まで女子美術大学講師も務めるなど、日本のデザイン教育の発展に多大な貢献を果たした。
2014年には金沢美術工芸大学により「柳宗理記念デザイン研究所」が開設され、約7000点のデザイン関係資料が寄託された。ここでは約200点の作品が一般公開され、柳のデザイン思想を学ぶ場として機能している。展示室では、先入観を与えないよう、作品にキャプションも説明文も付けず、直に作品に触れることでデザインを感じ取ってもらうという方針がとられている。これは柳の「手で考える」思想を体現した展示方法である。
民藝運動の継承
1977年に日本民藝館館長、1978年に日本民藝協会会長に就任し、約30年にわたり父・柳宗悦が創始した民藝運動の継承と発展に尽力した。日本民藝館の企画展では空間デザインを手がけ、月刊誌『民藝』の表紙デザインを担当するなど、民藝の啓蒙活動にも積極的に取り組んだ。
彼は父の思想を単に継承するのではなく、工業デザインという新しい領域でその理念を実践することで、「用の美」を現代に昇華させた。手仕事と機械生産という一見相反する二つの世界を、「美しく使いやすいものを多くの人に届ける」という目的で統合した功績は大きい。
評価と後世への影響:日本デザインの礎を築いた巨匠
戦後日本デザイン界のパイオニア
柳宗理は戦後日本のインダストリアルデザインの確立と発展における最大の功労者と評価されている。デザインという言葉すら一般に知られていなかった時代に、工業デザイナーとして登場した日本で最初の人物として、その後の日本デザイン界の方向性を決定づけた。
彼のデザインは、西洋のモダニズムを単に模倣するのではなく、日本の伝統美や民藝の思想と融合させることで、独自の美意識を確立した。バタフライスツールがミラノ・トリエンナーレで金賞を受賞し、MoMAのコレクションに選定されたことは、日本のデザインが初めて世界に認められた歴史的な出来事であった。これにより、日本のデザイナーたちに大きな自信と誇りを与え、その後の日本デザイン界の発展の礎を築いた。
時代を超えて愛される普遍的デザイン
柳宗理のデザインの真価は、半世紀以上を経た現在も、その多くが変わらぬ形で生産され続けていることに示されている。バタフライスツール、エレファントスツール、ステンレスカトラリー、ステンレスボールなど、彼の代表作は今も世界中の人々に愛用されている。これは彼が追求した「流行に左右されない、本質的な美しさと機能性」が真に達成されたことの証明である。
現代の消費社会において、製品のライフサイクルは短くなる一方である。しかし柳のデザインは、時を超えて愛され、使い込まれるほどに味わいを増す。彼が嘆いた「すぐに変えなきゃいけないデザイン」に対するアンチテーゼとして、彼の作品は今も静かに、しかし確かに、真のデザインのあり方を示し続けている。
「手で考える」デザインの継承
柳宗理が実践し、教育した「手で考える」デザインアプローチは、金沢美術工芸大学をはじめ、日本のデザイン教育に深く根付いている。コンピュータによるデザインが主流となった現代においても、実際に手を動かし、試作を繰り返すことの重要性は変わらない。むしろデジタル化が進むからこそ、物理的な感覚を大切にする柳の思想は新鮮な価値を持つ。
2014年に開設された柳宗理記念デザイン研究所では、彼の膨大な試作品やスケッチが保管されており、若い世代のデザイナーたちが学ぶ場となっている。紙や石膏で作られた無数のミニチュアモデル、試作品、図面などは、柳がいかに「手で考える」ことを実践していたかを雄弁に物語っている。
現代への示唆:持続可能なデザインへの先見性
柳宗理は1983年の「デザイン考」において、地球資源の枯渇や浪費型社会に対し「今やデザインとは何なのかとの根元の問題に還るべき時期に来ている」と警鐘を鳴らした。40年以上前のこの言葉は、現代の持続可能性(サステナビリティ)の議論を先取りするものであった。
長く使えるものを作る、流行に左右されない普遍的な美しさを追求する、素材の特性を理解し無駄のない構造を考える――柳のデザイン哲学は、大量生産・大量消費社会への批判であると同時に、持続可能なデザインのあり方を示している。環境問題が深刻化する現代において、彼の思想は新たな意味を持って再評価されている。
日本のモノづくり文化の体現者
柳宗理のデザインには、日本のモノづくり文化の精髄が凝縮されている。細部へのこだわり、素材への深い理解、職人や技術者との密接な協働、そして何よりも使う人の立場に立った思いやり。これらは日本の伝統工芸が大切にしてきた価値観でもある。
父・宗悦が民藝運動で見出そうとした「無名の職人による日用品の美」を、柳宗理は工業製品という新しい領域で実現した。手仕事と機械生産、伝統と革新、東洋と西洋――様々な二項対立を超えて、人間にとって本当に良いものを作るという一点において統合した彼の仕事は、日本のデザイン界における最も重要な達成の一つである。
作品一覧
| 年月 | 区分 | 作品名 | ブランド |
|---|---|---|---|
| 1948年 | 食器 | ボーンチャイナシリーズ | 松村硬質陶器 ほか |
| 1950年 | その他 | 柳インダストリアルデザイン研究所のシンボルマーク | - |
| 1952年 | 工業製品 | レコードプレイヤー | 日本コロムビア |
| 1953年 | キッチンウェア | スピードケトル(早く沸くヤカン) | 東京ガス |
| 1954年 | 椅子 | エレファントスツール(スタッキングスツール) | コトブキ / Vitra Design Museum |
| 1955年 | 工業製品 | ミシン | - |
| 1956年 | 椅子 | バタフライスツール | 天童木工 / Vitra |
| 1956年 | 工業製品 | オート三輪 | 三井精機工業 |
| 1956年 | 食器 | 白磁土瓶・醤油入れ | 多治見陶磁器試験所 |
| 1956年 | テキスタイル | ファブリック コノハ柄 | - |
| 1956年 | テキスタイル | ファブリック エダ柄 | - |
| 1958年 | 食器 | 黒土瓶 | - |
| 1958年 | キッチンウェア | ステンレスピッチャー | - |
| 1959年 | 食器 | 中井窯ディレクションシリーズ | 因州中井窯 |
| 1960年 | キッチンウェア | ステンレスボール | 佐藤商事 |
| 1960年 | キッチンウェア | ステンレスプレート | - |
| 1960年 | キッチンウェア | アルミ両手鍋・片手鍋 | - |
| 1960年 | キッチンウェア | キャセロール | 出西窯 |
| 1962年 | ステーショナリー | ロータリーテープディスペンサー | コクヨ |
| 1964年 | 公共 | 東京オリンピックデザイン(聖火トーチ、聖火台、競技場座席等) | - |
| 1964年 | その他 | 鳴子高亀シリーズ | - |
| 1966年 | 食器 | Yグラスシリーズ | - |
| 1967年 | 食器 | 角付きピッチャー・タンブラー | - |
| 1968年 | 公共 | 歩道橋計画案 | - |
| 1970年 | キッチンウェア | コフの缶切り | - |
| 1970年 | 公共 | 横浜野毛山公園の歩道橋と案内板 | - |
| 1971年 | ステーショナリー | セロファンテープホルダー | - |
| 1972年 | 公共 | 札幌オリンピックデザイン(聖火台、トーチホルダー等) | - |
| 1972年 | 椅子 | 柳チェアシリーズ | 飛騨産業 |
| 1972年 | 公共 | 横浜市営地下鉄の設備群 | - |
| 1972年 | 公共 | 大阪くずはニュータウンの歩道橋 | - |
| 1974年 | カトラリー | ステンレスカトラリー #1250 | 佐藤商事 |
| 1975年 | 食器 | 染付和食器シリーズ | - |
| 1975年 | 家具 | 曲木鏡 | - |
| 1975年 | 公共 | バスストップシェルター | - |
| 1976年 | 食器 | 清酒グラス | - |
| 1979年 | 食器 | ワイングラスとビアグラス | - |
| 1980年 | 公共 | 東名高速道路:東京料金所防音壁 | - |
| 1982年 | 食器 | 白黒角形ディナーセット | - |
| 1982年 | カトラリー | 黒柄カトラリー #2250 | 佐藤商事 |
| 1985年 | 公共 | 関越自動車道:関越トンネル坑口 | - |
| 1991年 | 公共 | 東名高速道路:足柄橋(斜張橋) | - |
| 1994年 | キッチンウェア | ステンレスケトル | 佐藤商事 |
| 1997年 | キッチンウェア | ステンレス片手鍋 | 佐藤商事 |
| 1997年 | 椅子 | 柳三角スツールシリーズ | - |
| 1997年 | 公共 | 東京湾アクアライン 木更津金田本線料金所 | - |
| 1998年 | 椅子 | シェルチェアシリーズ | 天童木工 |
| 1998年 | 椅子 | スタッキングチェアシリーズ | 天童木工 |
| 1999年 | キッチンウェア | 鉄フライパン | 佐藤商事 |
| 1999年 | キッチンウェア | ステンレス両手鍋 | 佐藤商事 |
| 2002年 | キッチンウェア | 南部鉄器シリーズ | - |
| 2003年 | キッチンウェア | キッチンナイフ | 佐藤商事 |
| 2004年 | 食器 | 出西窯ディレクションシリーズ | 出西窯 |
Reference
- 柳宗理 - Wikipedia
- https://ja.wikipedia.org/wiki/柳宗理
- 柳宗理について – 柳宗理 /YANAGI DESIGN :柳工業デザイン研究会
- https://yanagi-design.or.jp/ydo_sori/
- 作品紹介 – 柳宗理 /YANAGI DESIGN :柳工業デザイン研究会
- https://yanagi-design.or.jp/works/
- なぜ柳宗理のプロダクトには温かみがあるのか? 展覧会で見るその美意識 - 美術手帖
- https://bijutsutecho.com/magazine/insight/21401
- 柳宗理とはどんなデザイナー?経歴や家具の代表作品をわかりやすく画像で解説|インテリアのナンたるか
- https://interior-no-nantalca.com/sori-yanagi-and-isamu-kenmochi/
- 今さら聞けない柳宗理。代表作はニューヨーク美術館の永久コレクション | WELL
- https://we-ll.com/blogs/knowledge/designer-yanagi-sori
- 【徹底解説】柳 宗理の人生と作品に迫る | Euphoric
- https://euphoric-arts.com/art-2/yanagi-sori/
- 柳宗理記念デザイン研究所|金沢美術工芸大学
- https://www.kanazawa-bidai.ac.jp/yanagi/
- 柳 宗理 :: 東文研アーカイブデータベース
- https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/204378.html
- 作品紹介「バタフライスツール」 – 柳宗理 /YANAGI DESIGN
- https://yanagi-design.or.jp/works_groups/5713/
- 作品紹介「エレファントスツール」 – 柳宗理 /YANAGI DESIGN
- https://yanagi-design.or.jp/works_groups/5764/
- Vol.38 バタフライスツール|Pen Online
- https://www.pen-online.jp/article/002849.html
- 金沢美大で柳宗理のデザイン展 椅子を「手で考える」プロセス展示 - Yahoo!ニュース
- https://news.yahoo.co.jp/articles/4596de3274298ddc1dc84325ae56cb8ae2265e40