1916年、カリフォルニア州チノに生まれる。両親はレバノンからの移民であり、マルーフという姓はアラビア語で「知られている」を意味する。幼少期より手を動かすことを好み、高校卒業後はグラフィックデザイナーとして働きながら、独学で木工技術を習得していった。第二次世界大戦中は軍需産業に従事し、戦後の1948年、妻アルフレダとともにカリフォルニア州アルタ・ロマに居を構え、本格的な家具制作を開始する。以後60年以上にわたり、同じ工房で一貫して手仕事による家具づくりを続けた。2009年、93歳で逝去。その工房と邸宅は現在、サム・アンド・アルフレダ・マルーフ芸術工芸財団として保存・公開されている。
デザイン思想
マルーフの制作哲学の根幹には、「家具は使われてこそ意味がある」という信念があった。美術品として鑑賞されるためではなく、日々の生活の中で人々に寄り添い、身体を預けられる存在であること。その思想は、すべての作品に通底する人間工学への深い配慮となって現れている。
彼は機械生産を否定しなかったが、自らの手で木に触れ、その木目と対話しながら形を導き出すことにこだわった。設計図に忠実に従うのではなく、制作過程で木材の特性を見極め、柔軟に形を調整していく。この即興的かつ有機的なアプローチこそが、マルーフ作品に独特の生命感を与えている。
また、彼は「美しさとは機能の結果である」と語った。装飾のための装飾を排し、構造的必然性から生まれる曲線と接合部の造形美を追求した。その結果、彼の家具は使い込むほどに身体に馴染み、時を経るほどに美しさを増していく。
作品の特徴
素材へのこだわり
マルーフが最も愛用したのはアメリカン・ブラック・ウォールナットである。その深みのある色調と加工のしやすさ、そして経年変化による風合いの深まりを高く評価した。また、フィドルバック・メープルやエボニーなどの銘木も用い、素材の持つ自然な美しさを最大限に引き出すことを心がけた。すべての木材は入念に乾燥・管理され、何年も寝かせてから使用された。
彫刻的な接合部
マルーフ作品の最大の特徴は、脚と座面、あるいは脚とアームが接する部分の独創的な処理にある。通常の家具では隠されるか、単純な接合で済まされる部分を、彼は彫刻的な造形へと昇華させた。木と木が溶け合うかのような流麗な曲線は、構造的強度と視覚的美しさを両立させている。この「マルーフ・ジョイント」と呼ばれる技法は、彼の代名詞となった。
人間工学的設計
すべての寸法と角度は、人体の自然な姿勢を支えるよう綿密に計算されている。特にロッキングチェアにおいては、座る人の体重移動に応じて滑らかに揺れ、立ち上がる際にも自然に前方へ傾く設計がなされている。この快適性こそが、マルーフ作品が単なる工芸品を超え、生活の道具として愛され続ける理由である。
仕上げと手触り
マルーフは独自のオイルフィニッシュを開発し、木肌の自然な質感を活かしながら保護層を形成する技法を確立した。塗料による厚い皮膜ではなく、木に浸透して一体化する仕上げにより、手で触れたときの温もりと滑らかさが実現されている。この触感へのこだわりは、彼が家具を「触れるもの」として捉えていたことの証左である。
代表作
ロッキングチェア(Maloof Rocker)
マルーフの名を世界に知らしめた代表作であり、彼の芸術的・技術的達成の頂点に位置する作品である。1958年に最初のプロトタイプが制作され、以後50年以上にわたり改良が重ねられた。緩やかにカーブした座面、身体を包み込むような背もたれ、そして優美なロッカーの曲線が一体となり、見る者を魅了し、座る者を至福の安らぎへと誘う。
特筆すべきは、この椅子がジミー・カーター大統領とロナルド・レーガン大統領という、党派を超えた二人の大統領に愛用されたことである。カーター大統領はホワイトハウスでマルーフのロッキングチェアを使用し、退任後も愛用を続けた。この事実は、マルーフ作品の普遍的な快適性と品格を象徴している。
ローバックチェア(Low-Back Chair)
ダイニングやデスク用として設計された椅子であり、ロッキングチェアと同様の彫刻的接合部と人間工学的配慮が凝縮されている。背もたれを低く抑えることで視覚的な軽やかさを実現しながら、腰部へのサポートは十分に確保されている。シンプルな構成の中に、マルーフの技術と哲学が凝縮された逸品である。
ダブルロッキングチェア(Settee Rocker / Double Rocker)
二人掛けのロッキングチェアという、極めて挑戦的な作品である。二人が同時に座っても安定した揺れを維持するため、構造とバランスの計算には膨大な試行錯誤が重ねられた。マルーフ夫妻が長年にわたり愛用したこの椅子は、彼らの絆の象徴でもあった。
デスク・書斎家具
椅子に加え、マルーフはデスク、書棚、キャビネットなど多様な家具を手がけた。いずれも椅子と同様の彫刻的ディテールと機能美を備え、使い手の作業を静かに支える存在として設計されている。引き出しの動きの滑らかさ、取手の握り心地に至るまで、細部への配慮が行き届いている。
功績・業績
1985年、マルーフはマッカーサー・フェローシップ(通称「天才賞」)を受賞した。工芸家としてこの栄誉に輝いたのは彼が初めてであり、これにより彼の仕事はファインアート、純粋芸術と同等の評価を獲得したのである。この受賞は、アメリカにおける工芸の地位向上に大きく貢献した。
また、彼はアメリカン・クラフト・カウンシルのフェロー、カリフォルニア・リビング・トレジャー(人間国宝に相当)に認定されるなど、数々の栄誉を受けた。スミソニアン・アメリカン・アート・ミュージアム、ボストン美術館、ロサンゼルス・カウンティ美術館、フィラデルフィア美術館、メトロポリタン美術館など、世界の主要美術館が彼の作品を永久コレクションに収蔵している。
彼の工房には生涯を通じて5,000件を超える注文が寄せられ、90代になっても制作を続けた。一つ一つの作品に付された連番は、彼が生涯で生み出した作品の総数を物語っている。
後世への影響
サム・マルーフは、20世紀後半のアメリカン・スタジオ・ファニチャー・ムーブメントの中心的存在として、後進に多大な影響を与えた。彼の成功は、個人の工房で一貫して手仕事を続けながら、芸術家として、また職人として生計を立てることが可能であることを証明した。
マルーフは惜しみなく知識を共有し、工房を訪れる若い木工家たちを温かく迎え入れた。彼の技法は多くの書籍やドキュメンタリーで紹介され、世界中の木工愛好家に影響を与え続けている。「マルーフ・スタイル」のロッキングチェアを目指す木工家は今も後を絶たない。
彼の邸宅と工房は、サム・アンド・アルフレダ・マルーフ芸術工芸財団として保存され、見学やワークショップを通じて彼の精神を次世代に伝え続けている。高速道路建設のため一度は移転を余儀なくされたこの歴史的建造物群は、現在も彼が最後まで使用した工具や木材とともに、生きた工芸の記念碑として存在している。
サム・マルーフの遺したものは、単なる家具にとどまらない。機械化・大量生産の時代にあって、人間の手と心が生み出すものの価値を体現し続けた一人の職人の生き方そのものが、彼の最大の遺産なのである。
作品一覧
| 年代 | 区分 | 作品名 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1949年 | 椅子 | First Chair | 最初期の椅子作品 |
| 1958年 | 椅子 | Rocking Chair (Prototype) | ロッキングチェアの原型 |
| 1960年代 | 椅子 | Low-Back Side Chair | ダイニング用サイドチェア |
| 1960年代 | 椅子 | Low-Back Armchair | ローバックアームチェア |
| 1970年代 | 椅子 | High-Back Rocking Chair | ハイバック・ロッキングチェア |
| 1970年代 | 椅子 | Low-Back Rocking Chair | 代表作、大統領愛用 |
| 1970年代 | 椅子 | Settee Rocker / Double Rocker | 二人掛けロッキングチェア |
| 1970年代 | 机 | Writing Desk | ライティングデスク |
| 1970年代 | 収納 | Jewelry Cabinet | ジュエリーキャビネット |
| 1980年代 | 椅子 | Horn-Back Chair | ホーンバックチェア |
| 1980年代 | 机 | Console Table | コンソールテーブル |
| 1980年代 | ベンチ | Garden Bench | ガーデンベンチ |
| 1990年代 | 椅子 | Sculpted Rocker | 彫刻的ロッキングチェア |
| 1990年代 | テーブル | Dining Table | ダイニングテーブル |
| 2000年代 | 椅子 | Classic Rocking Chair | 晩年の集大成的作品 |
| 2000年代 | 収納 | Cradle | 揺りかご |
| 2009年 | 椅子 | Final Rocking Chair | 最晩年の作品 |
※マルーフは生涯を通じて各作品に連番を付与しており、総制作数は数千点に及ぶ。上記は代表的な作品カテゴリーを示す。
Reference
- Sam and Alfreda Maloof Foundation for Arts and Crafts(公式サイト)
- https://malooffoundation.org/
- Smithsonian American Art Museum - Sam Maloof
- https://americanart.si.edu/artist/sam-maloof-3095
- Los Angeles County Museum of Art - Sam Maloof Collection
- https://collections.lacma.org/node/239052
- Museum of Fine Arts, Boston - Sam Maloof
- https://www.mfa.org/collections/object/rocking-chair-39655
- Philadelphia Museum of Art - Sam Maloof Works
- https://www.philamuseum.org/collection
- Metropolitan Museum of Art - Sam Maloof
- https://www.metmuseum.org/art/collection/search/485926
- American Craft Council - Sam Maloof Fellow
- https://craftcouncil.org/awards/sam-maloof
- 1stDibs - Sam Maloof Furniture
- https://www.1stdibs.com/creators/sam-maloof/furniture/