リナ・ボ・バルディ:モダニズムと民衆文化を融合させた先駆者
リナ・ボ・バルディ(Lina Bo Bardi、本名アキリーナ・ボ、1914年12月5日 - 1992年3月20日)は、イタリア生まれのブラジル人建築家、家具デザイナー、舞台美術家、ジャーナリスト、そして活動家である。彼女の作品は、モダニズムの感性とヴァナキュラー(民衆的・土着的)なものの保存への深い献身、そして社会的責任に導かれた設計プロセスを組み合わせている。今日、ボ・バルディは最も重要で影響力のあるモダニスト建築家の一人と見なされており、その作品はシンプルさ、モダニズムへの忠実さ、そして建築が一般大衆、ヴァナキュラー、職人的なものを現代文化の本質的な一部としてどのように反映できるかという深い考察によって評価されている。
生涯と創造的遍歴
初期:ローマとミラノ(1914-1946)
アキリーナ・ボは1914年12月5日、イタリアのローマでエンリコとジョヴァンナ・ボの長女として生まれた。幼い頃から芸術と建築に惹かれ、両親は必ずしも彼女の選択を受け入れていなかったが、彼女はローマ建築大学(現ラ・サピエンツァ大学)に入学し、1939年に25歳で建築学位を取得した。卒業制作は「母性・乳幼児ケアセンター」であった。
大学では、マルチェロ・ピアチェンティーニやグスタヴォ・ジョヴァノーニといった建築家のもとで学んだ。卒業後はミラノに移り、建築家カルロ・パガーニとともにスタジオ・ボ・エ・パガーニ(Studio Bo e Pagani)を設立した。1942年、28歳で自身の建築事務所を開設したが、戦時中の仕事不足により、新聞や雑誌のイラストレーション制作に転じた。
この時期、彼女は著名な建築家・デザイナーであるジオ・ポンティと協働し、雑誌『ロ・スティーレ(Lo Stile – nella casa e nell'arredamento)』で共に仕事をした(1943年まで)。1944年には、ポンティが1928年に創刊した『ドムス(Domus)』誌の副編集長に就任し、1945年まで務めた。1945年には、ドムス誌の依頼で写真家フェデリコ・パテラーニと共にイタリア各地を旅し、第二次世界大戦による破壊を記録した。その後、パガーニと美術評論家ブルーノ・ゼーヴィと共に短命な雑誌『A – Attualità, Architettura, Abitazione, Arte』を創刊し、調査結果を発表し、戦後イタリアの再建についての議論を行った。
ブラジルへの移住と新たな始まり(1946-1951)
1946年、リナは美術商・評論家・ジャーナリストのピエトロ・マリア・バルディと結婚した。結婚後すぐに夫婦はブラジルに移住した。移住の理由は確認されていないが、多くの人々は夫の政治的関与が二人に懸念をもたらしたためと推測している。
当初はリオデジャネイロに住み、リナはすぐに新しい建築事務所を設立した。一方、ピエトロ・マリア・バルディはブラジルの有力メディア王であり芸術愛好家のアシス・シャトーブリアンと専門的かつ友好的な関係を築いた。この関係は移民したばかりの夫婦にとって非常に有益であることが証明された。
1946年後半、シャトーブリアンはピエトロ・マリア・バルディにブラジル初の近代美術館であるサンパウロ美術館(MASP)の設立と監督を依頼した。美術館は1947年、シャトーブリアンのメディア事業のオフィスが入っていた建物内で一般公開された。リナ・ボ・バルディは、絵画を壁から離して配置できる革新的なガラスとコンクリートのイーゼルシステムを使用して内装を設計した。
1950年、夫婦は雑誌『ハビタット(Habitat)』を創刊した。この雑誌は、人間の可能性を最大化する生息地としての室内空間というアイデアを中心に据えており、リナ・ボ・バルディは1953年まで編集長を務めた。この雑誌は急速に評判を確立し、当時ブラジルで最も影響力のある建築雑誌となり、リナ・ボ・バルディの知名度と信頼性を高めた。この頃までに、ボ・バルディはブラジルとその文化の中に、イタリアの合理主義を再解釈し、ヴァナキュラーとブラジルの風景を注入した新しい言語を見出すための肥沃な土壌を見つけたことが明らかになった。
1951年、ボ・バルディはブラジル市民権を取得し、MASPの一部である現代美術研究所でブラジル初の工業デザインコースを開始した。同年、サンパウロのモルンビ地区に、自身と夫のためのモダニスト様式の住宅、カサ・デ・ヴィドロ(ガラスの家)を設計した。
バイーア時代:文化的探求(1958-1964)
1958年、リナはサルヴァドールに移り、バイーア近代美術館の館長を務めた。彼女が「人類学的探求」と呼ぶものに約5年を費やし、ブラジル文化に深く浸り、ブラジルのコミュニティとの関係を築いた。この時期は彼女の今後の作品に大きな影響を与え、プロジェクトの中心に人々を置き、文化的に最も代表されていない人々や恵まれない人々を擁護するようになった。
この期間の重要なプロジェクトには、1962年に利用可能になった海岸沿いの小さな植民地時代の邸宅、ソラール・ド・ウニャンの徹底的な改修があった。ボ・バルディは、メインビルの中央木製階段の有名なオリジナルデザインを含む構造物の徹底的な改造を調整した。
サンパウロへの帰還と成熟期(1964-1992)
1964年にサンパウロに戻ったボ・バルディは、アヴェニーダ・パウリスタに一から建設されたサンパウロ美術館(MASP)の設計と建設の監督にほとんどの時間を費やし、1968年に開館した。ここで、過去と現在の絡み合いは、彼女が芸術を展示するために選択した革新的な方法に具現化された。異なるテーマや異なる時代の絵画をガラスイーゼルに並べて配置することで、西洋美術界の正統化された基準に挑戦し、極めて創造的な心で歴史にアプローチする恐れ知らずの原則を明らかにした。
1977年から1986年にかけて、彼女はサンパウロの社会文化レジャーセンター、SESC ポンペイアを設計した。このプロジェクトは、古い金属樽工場を文化・スポーツセンターに転換するという画期的なアダプティブリユースの例となった。1977年、ボ・バルディは事務所をSESCポンペイアの敷地内の輸送コンテナユニットに移し、9年間そこに留まった。
1980年代を通じて、ボ・バルディはサルヴァドールの歴史地区における保存と修復プロジェクトを主導し、1987年にはベニン館とミゼリコルディア丘を含む複数のプロジェクトを手がけた。1984年には実験的なテアトロ・オフィシナも設計した。
1989年、74歳のとき、ボ・バルディはサンパウロ大学で彼女の作品の最初の展覧会で栄誉を受けた。30年前にこの大学は彼女に常勤の教職を拒否していた。リナ・ボ・バルディは1992年3月20日、カサ・デ・ヴィドロで亡くなった。彼女が死去したとき、新しいサンパウロ市庁舎とヴェラクルス文化センターの設計を残していた。
デザインの思想とアプローチ
モダニズムとヴァナキュラーの融合
リナ・ボ・バルディのデザイン哲学の中核には、モダニズムの原則とブラジルのヴァナキュラーデザイン、民衆文化との統合があった。イタリアの急進的な建築家のもとで学んだ彼女は、すぐにブラジルのヴァナキュラーデザインに興味を持ち、それが近代ブラジル建築にどのように影響を与えることができるかを探求した。
彼女は、イタリアの合理主義を再解釈し、それをヴァナキュラーとブラジルの風景に注入した新しい言語を見出した。この融合は、洗練されたモダニストの形態と、地元の素材、伝統的な工芸技術、そしてブラジルの日常生活の現実を組み合わせた作品に現れている。
社会的責任と民主化
ボ・バルディにとって、建築とデザインは社会的および文化的可能性を促進するための手段であった。彼女は、良いデザインが産業化を通じて民主化され、より多くの人々がアクセスできるようになることを信じていた。しかし、1950年代半ば以降、彼女は家具デザインの大量生産に批判的になり、各プロジェクトのために個別に考案され製作された手作りの作品を好むようになった。
彼女の建築プロジェクトは常に、文化的に最も代表されていない人々、つまり一般大衆を念頭に置いていた。MASPの設計は、建物が占める公共空間と同じ量の空間を都市に還元するという明確なビジョンを持っていた。地上レベルの広場は多目的公共広場として意図されており、建物の軽さと透明性と調和していた。
遺産と手仕事への敬意
第二次世界大戦を経験したイタリア人として、リナ・ボ・バルディは遺産と再建についての理解を持っており、それは生涯にわたって彼女の作品に浸透していた。彼女にとって、遺産は古典的なイタリアの教会や何世紀も前のパッラーディオの建物に限定されるものではなかった。彼女はポンペイアの工場をその機能的な美しさのために保存する価値のあるものと見なした。
ボ・バルディの作品は民衆的創造の可能性を証明し、それが起こるための空間と声を与えていた。時には「醜い」または未完成と見なされる空間が、勝利と消耗で構築され再構築されることを招いた。彼女のプロジェクトは、人々の参加から、地元の新しい近代運動の占有、消化、提案であった。
学際的アプローチ
ボ・バルディは単一の分野に制約されることを拒否した。建築家としての仕事に加えて、家具とジュエリーのデザイナー、芸術家、舞台美術と衣装の制作者、多くの展覧会の企画者およびキュレーターとしての彼女の関与は注目と尊敬に値する。彼女の創造能力は、映画、オペラと演劇の舞台美術、執筆とジャーナリズム、絵画、文化活動、家具、ファッション、ジュエリーのデザインなど、他の分野を探求することにつながった。
建築、デザイン、舞台美術、イラストレーション、出版といった多様な側面は、ブラジルの近代化プロセスに積極的に参加したいという彼女の願望において一つにまとまった。
作品の特徴
建築における特徴
リナ・ボ・バルディの建築作品は、いくつかの際立った特徴によって識別される。
- 構造の誠実さ:彼女は建物の構造要素を明らかにすることを強調し、工場を元のコンクリートとレンガまで剥がした。これは、建物自体の構造を明らかにするブレヒト的戦略を採用している。
- 透明性と軽さ:ガラスの使用に対する愛情は、彼女の作品全体で明らかである。MASPを「固定された熱帯温室」と呼び、カサ・デ・ヴィドロは素晴らしい例である。
- 公共空間の創造:MASPの地上レベルの広場のように、建物はしばしばアゴラとして機能する公共空間を組み込んでいる。
- アダプティブリユース:SESCポンペイアは、既存の工業用構造物を文化的および社会的目的のために再利用する彼女の能力を示している。
- 風景との統合:カサ・デ・ヴィドロは丘の中に建てられ、時間とともに風景に完全に統合された。
家具デザインにおける特徴
ボ・バルディの家具デザインへのアプローチは、モダニズムと一般的なヴァナキュラー言語および単純な地元素材の使用に大きく影響されている。
- 地元素材:彼女は合板、ブラジル原産の木材、皮革、レザー、スチールなど、地元で入手可能な素材を使用した。彼女はブラジルの木材をその強度と美しさのために賞賛していた。
- シンプルさと機能性:作品はシンプルさと機能性によって特徴づけられ、地元の手頃な素材を使用している。
- 革新的な構造:露出した層を持つ合板のカットを家具デザインに使用するなど、当時は主に構造用途にのみ一般的だった技術を採用した。
- プロジェクト固有のデザイン:後期には、各建築プロジェクトのために特別に設計されたカスタム家具を作成することを好んだ。
- 民衆的インスピレーション:トリポッド椅子は、サンフランシスコ川沿いの貨物旅客ボートのハンモックに座る仕草からインスピレーションを得ている。
視覚的表現と図面
ボ・バルディは、生涯にわたって作成した多くの建築イラストレーションのユニークなスタイルと、自分自身への痛烈なメモを残す傾向で認識されている。彼女の図面は彼女の教育の一部であり続けた。水彩とガッシュの知識を建築教育と組み合わせて、物語を語る図面を作成した。
彼女は伝統的およびモダニストの表現モードの要素を描いたイメージ、叙情主義と合理主義の間を作成した。しばしばこれらの物語を小さな漫画に組織し、中世のホラー・ヴァキュイ構成に似た、それらの間にほとんど空白スペースのない構成を作った。単点透視図法、軸測投影図法、騎士投影図法、鳥瞰図を使用しながら、図面のテクスチャを制限した。
主な代表作とその特徴
カサ・デ・ヴィドロ(ガラスの家、1951)
カサ・デ・ヴィドロは、リナ・ボ・バルディの最初の建築プロジェクトであり、彼女と夫ピエトロ・マリア・バルディが40年以上住んだ住宅である。サンパウロのモルンビ地区の丘の中腹にある、かつて茶農園だった7,000平方メートルの土地に建設された。
この家は、ミース・ファン・デル・ローエやフィリップ・ジョンソンのガラスの家と同時代のもので、高度に合理主義的なデザインで建てられた。主要構造は2枚の鉄筋コンクリートスラブで構成され、家の半分は固い地面に座り、もう半分は持ち上げられ、繊細に見える高床で支えられている。家の前面は丘の斜面を越えて延びている。
時間の経過とともに、家は風景に完全に統合された。ガラス、自然の外部風景が芸術作品やオブジェクトで満たされた内部と混ざり合う印象的な存在が、家の主要なポイントを明らかにした。建築プロジェクトに加えて、リナは家に存在するほとんどの家具を設計した。
1952年の開館以来、この家は芸術家、建築家、知識人の集会場所となっている。現在、この場所はインスティトゥート・バルディ/カサ・デ・ヴィドロの本部として機能しており、生涯にわたってバルディ夫妻が開発した思想と多くの重要な作品を保存し永続させるための空間として一般に公開されている。
サンパウロ美術館(MASP、1957-1968)
MASPは、リナ・ボ・バルディの最も象徴的な建築作品であり、ブラジルにおけるモダニズム建築の傑作の一つである。1958年に設計が始まり、1968年に完成したこの建物は、サンパウロの主要な金融・文化通りであるアヴェニーダ・パウリスタに位置している。
建物は、74メートル幅の広大なコンクリートとガラスのブルータリスト構造で、建物全体を囲む4本の柱によって地上8メートルの高さに持ち上げられている。建物の開放された中央部分は、広場をアヴェニーダ・パウリスタに開放し、都市の低地部分への眺望を遮らないようにした。これは、ボ・バルディがこのプロジェクトの委託を受けたときに地元の法律によって与えられた条件の一つだった。
内部では、ボ・バルディは伝統的な美術館の階層に挑戦した。絵画は、粗削りのコンクリートブロックにセットされたガラスシート(「クリスタルイーゼル」と呼ばれる)に掛けられ、MASPピナコテカの粗いグリッドで配置された。ボ・バルディは、非時系列的な順序で作品を提示することにより、秩序に対する先入観と提示されるものとの間に不協和を生み出し、美術館内で予期しないほとんど不快な体験を創造することを意図していた。
ガラスイーゼルは1996年に撤去されたが、2015年にMETRO Arquitetosによって復活され、現在は「変容するピクチャーギャラリー」という恒久展示の一部として使用されている。ラベルはイーゼルの裏面に貼付されているため、訪問者は作者、タイトル、日付に関する情報なしに、作品と最初に直接対面することができる。
SESC ポンペイア(1977-1986)
SESC ポンペイアは、リナ・ボ・バルディの最大かつ最も重要なプロジェクトの一つであり、アダプティブリユースの初期の例である。敷地は、サンパウロにある旧金属樽と冷蔵庫工場で、労働者階級のためのレジャーおよびレクリエーションセンターに再開発される予定だった。
ボ・バルディが計画を持って古い金属樽工場を訪れたとき、その空間はすでに地元の人々によって自発的に占拠されており、産業複合体の倉庫の中で週末を過ごしていた。そのため、優先事項は、既存の構造物を解体せずに、この活力ある活動を維持し促進することだった。
ボ・バルディは、フランス人フランソワ・エネビクによって設計された既存の工場建物を保存することを決定した。彼は鉄筋コンクリートの使用における先駆者の一人だった。古い工場を保存するという彼女の決意により、スポーツ施設のために利用可能なスペースは、地下水があるために建設が許可されていない中央通路を持つ敷地の小さな隅に縮小された。
解決策は急進的だった。2つのコンクリート塔が積み重ねられたスポーツスペースと更衣室を収容している。それらの間に、8つのプレストレストコンクリート歩道橋が、建設不可能な地域を最大25メートルの距離にわたって横断している。
既存の構造から、ボ・バルディは粗い窓を工場の壁に開け、内側に取り付けられた明るい赤色のスライド式スクリーンで覆った。建物には現在、劇場、体育館、プール、スナックバー、レジャーエリア、レストラン、ギャラリー、ワークショップを含む多くの活動室が収容されている。
ボ・バルディは、プロジェクトがスポーツと文化センターではなく、レジャーセンターであるべきだと信じていた。彼女は「文化」という用語が強すぎて、人々に文化イベントを開催することを義務付ける可能性があり、「スポーツ」という用語はすでに競争的な性質を持つ文化に有害な傾向を持つ可能性があると考えた。2021年、このプロジェクトはニューヨーク・タイムズによって戦後の最も重要な建築作品25の一つに選ばれた。
ボウルチェア(1951)
ボウルチェアは、リナ・ボ・バルディの最も有名な家具デザインであり、彼女のブラジルでのキャリアの初期段階から生まれた。1951年に設計されたこの椅子は、4本の脚の上に置かれたスチールリング構造に半球状の座面が乗っているものである。
このデザインは多用途性の驚異であり、座面を回転させてあらゆる休息の姿勢に対応でき、取り外して揺りかごベビーベッドとして使用することもできる。1953年、アメリカの雑誌『インテリアーズ』が「ボウル、バスケット、バッグ」というタイトルの記事を掲載し、このデザインをエーロ・サーリネン、イレナ・シャワンスキー、ロベルト・マンゴの椅子と比較して、国際的な注目を集め始めた。
このデザインは1951年に肯定的なレビューを受けたが、当初は生産に入らず、元のデザインのオリジナルプロトタイプは2つしか残っていない。2012年、リナの生誕100周年を記念して、イタリアの家具ブランドArperがインスティトゥート・リナ・ボ・エ・P.M.バルディと綿密な対話を行い、ボウルチェアの限定版500脚を再現した。
トリポッドチェア(1948)
トリポッドチェア(Cadeira tripé de ferro)は、3本脚の金属フレームに調整された牛皮の座面で作られている。このデザインは、アマゾンの旅客船の座席用ハンモック、そしてルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエとマルセル・ブロイヤーからインスピレーションを得ている。
この椅子は、地元の素材と伝統的な技術をモダニストの形態と組み合わせるボ・バルディの能力を示している。シンプルで機能的でありながら、彫刻的な美しさを持っている。
MASP 7デ・アブリル折りたたみ椅子(1947)
この折りたたみ椅子は、MASPの最初の本部の講堂のために設計された。地元のローズウッドであるジャカランダと革で作られた折りたたみ式木製構造で、キャンバスの座面と背もたれを備えている。
このデザインはサーカスの椅子からインスピレーションを得ており、博物館の講堂で使用された。シンプルでありながら優雅なこの椅子は、ボ・バルディの機能性と美学を組み合わせる能力を示している。
SESCスツール(1979-1982)
象徴的なSESCスツールは、1979年から1982年にかけて、特にSESCポンペイアのためにリナ・ボ・バルディによって設計された。このスツールは、ボ・バルディの哲学を体現している。寛大な接合部を持つ堅牢な木材のセットは、MAMBの階段を思い起こさせ、ボ・バルディの木工細工の多くに特徴的で、誠実さと温かさを提供している。
SESCポンペイアのために、ボ・バルディはスツールに加えて、テーブル、ソファ、照明器具、デスク、キャビネットなど、他の家具も設計した。インスティトゥート・バルディのアーカイブには、これらの作品の多くのスケッチがある。
功績と業績
専門的貢献
リナ・ボ・バルディは、その長いキャリアにおいて、建築とデザインの分野に多大な貢献をした。
- ブラジル初の工業デザインコース:1951年、MASPの一部である現代美術研究所でブラジル初の工業デザインコースを設立した。
- 影響力のある出版物:『ハビタット』誌の編集長として(1950-1953)、当時ブラジルで最も影響力のある建築雑誌を作り上げた。
- 展覧会キュレーション:多くの革新的な展覧会を企画・キュレーションした。特に1969年の「ブラジル人の手」展は、民衆芸術とモダンアートの境界を曖昧にした。
- 教育への関与:1955年、サンパウロ大学建築・都市計画学部の講師となった。
国際的認知と展覧会
ボ・バルディの作品は死後、特に2000年代後半以降、国際的な認知を得ている。
- 2010年:ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展の中央パビリオンに専用の部屋が設けられた。
- 2012年:生誕100周年を記念して、ロンドンのブリティッシュ・カウンシルが企画した大規模な巡回回顧展が開催され、ボウルチェアの限定版ラインが発売され、彼女の生涯の作品にわたる学術モノグラフが出版された。
- 2014年:Googleロゴ(Doodle)が彼女の100歳の誕生日を記念した。
- 2018年:ミラノデザインウィークのフオリサローネで、ニルファー・ギャラリーがスペース・キャビアとインスティトゥート・バルディ・カサ・デ・ヴィドロの支援を受けて、リナの家具の最大のコレクションを発表した。
- 2019-2020年:シカゴ現代美術館、サンパウロ美術館、メキシコのムセオ・フメックスが共同で「リナ・ボ・バルディ:ハビタット」展を開催した。
- 2020年:アイザック・ジュリアン監督のドキュメンタリー映画『リナ・ボ・バルディ – 素晴らしき絡み合い』が制作され、ブラジルの伝説的な女優フェルナンダ・モンテネグロとフェルナンダ・トーレス(母娘)がボ・バルディを演じた。
栄誉と賞
リナ・ボ・バルディの最も重要な栄誉は、彼女の死後に授与された。
- 2021年 ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展 ゴールデンライオン生涯功労賞(死後授与)
- これは建築における最も権威ある国際的賞の一つである。キュレーターのハシム・サルキスは推薦の中で次のように述べた:「ビエンナーレ・アルキテットゥーラ2021のテーマを最もふさわしく体現する建築家がいるとすれば、それはリナ・ボ・バルディです。デザイナー、編集者、キュレーター、活動家としての彼女のキャリアは、招集者としての建築家の役割を、そして重要なことに、集合的なビジョンの構築者としての建築家の役割を思い起こさせます。」ボ・バルディは、この賞を建築で受けた最初の女性となった。
遺産の保存
1990年、インスティトゥート・リナ・ボ・エ・P.M.バルディがブラジル文化と建築の研究を促進するために設立された。1980年代半ばに、建築家アンドレ・ヴァイナーとマルセロ・カルヴァーリョ・フェラスと共に、ボ・バルディはガラスの家に追加部分を設計し、インスティトゥート・リナ・ボ・エ・P.M.バルディ(当初はインスティトゥート・クアドランテ)として機能させた。バルディ夫妻のアーカイブを収容するだけでなく、このインスティトゥート・リナ・ボ・エ・P.M.バルディはブラジルの芸術と建築の研究に専念する展示スペースである。
評価と後世への影響
20世紀建築における位置づけ
リナ・ボ・バルディは、やや遅れて認められたものの、20世紀で最も多作な女性建築家の一人として認識されている。彼女の作品は、実現されたプロジェクトの数は控えめ(ブラジル国内のみの約20の実現プロジェクト)かもしれないが、ビジョン、大胆さ、そして配慮に満ちている。
2008年の危機以降の時期に、リナ・ボ・バルディが探求した立場とテーマは、文化、環境、歴史的遺産、建築の物質的生産に関する現代の議論の最前線にもたらされた。デザインの分野への彼女の貢献、彼女の方法、そして彼女の研究の関連性は、今日まで現代の芸術家やデザイナーに影響を与え続けている。
モダニズムの再定義
ボ・バルディは、モダニズムをより包括的で社会的に関与した実践として再定義した。時の試練に耐えなかった様々なモダニスト構造とは異なり、ボ・バルディのアイデアとモチーフは現代の概念と共鳴し続けている。
彼女の建築は市民的コミットメントの建築であり、いかなる思想学派の制約からも自由な集団的サービスとして理解される建築であった。それは同時に近代的で古代的であり、民衆的であり、ヴァナキュラーであり教養があり、職人的であって工業的ではなく、伝統を尊重しながらも革新的であった。
社会的建築の先駆者
ボ・バルディは、建築を真に招集的な社会芸術にした。彼女の建物は、建築、自然、生活、コミュニティを結びつける方法において際立っている。彼女の手において、建築は真に招集的な社会芸術となった。
MASPの設計は、都市全体のための公共空間を創造し、柔軟な内部空間を創造し、ボ・バルディ自身の展覧会のような実験的でより包括的な展覧会に開かれるその能力において模範的である。これらの展覧会のタイトルだけでも、「魂としての家」「建築の尊厳」「ブラジル人の手」が、人々を結びつける建築の力を非常に強く示している。
持続可能性とアダプティブリユースの先駆者
SESCポンペイア(1977-1986)での彼女の介入は、20世紀初頭の古いドラム工場をスポーツと文化センターに回復し変容させることを選択することにより、既存建物のリサイクルを選択した。この行動は、古い工場建物や複合体の骨格となった内部通りなど、保存されていたすべての要素の使用を意味し、複合体の産業的本質を維持した。
このアプローチは、今日の気候変動、都市化、より持続可能なソリューションの必要性がもたらす課題に直面する中で、ますます関連性が高まっている。ボ・バルディの柔軟で革新的なソリューションは、今日の建築家やデザイナーが革新的かつ持続可能に考えるよう、柔軟性、適応性、長期的ソリューションを重要な要素として触発し続けることができる。
女性建築家のパイオニア
生前、地元のブラジル人建築家の間で受け入れられることは困難だった。それは彼女が「外国人」であり、女性でもあったからである。しかし、彼女は粘り強く、男性が支配する業界で働く中で、彼女の情熱を活用し、デザインの世界を変える先頭に立った。
彼女の独創性とモダニストの視点は、当時活動していた伝統主義者からの抵抗にも遭遇した。直面した障害は、ボ・バルディが自分の声を活用し、ビジョンを主張し、20世紀で最も多作な女性建築家の一人としての認識を得る力を与えた。
現代への影響
ボ・バルディの図面、著作、そして精神と呼ぶしかないものは、彼女が養子となった祖国の文化と建築を通じて反響し続けている。彼女の作品への貢献、方法、研究の関連性は、今日まで現代の芸術家とデザイナーに影響を与え続けている。
彼女の人生と作品は過去のものではなく、依然として現在のものである。実際、それらは建築的および人間的遺産の両方のマーカーとして、今まで以上に関連性があるように見える。
作品一覧
| 年月 | 区分 | 作品名 | 製造・依頼元 |
|---|---|---|---|
| 1940年 | 建築プロジェクト | Casa sul mare di Sicilia | 未実現プロジェクト |
| 1947年 | 家具 | MASP 7デ・アブリル折りたたみ椅子 | Museu de Arte de São Paulo |
| 1947-1968年 | 展示デザイン | MASP内装およびガラスイーゼルシステム | Museu de Arte de São Paulo |
| 1948年 | 家具 | トリポッドチェア(Cadeira tripé de ferro) | Studio d'Arte Palma |
| 1948-1951年 | デザインスタジオ | Studio de Arte e Arquitetura Palma | Giancarlo Palantiと共同 |
| 1950年 | 家具 | ジグザグチェア | Studio d'Arte Palma(Giancarlo Palantiと共同) |
| 1950年 | 家具 | ロッキングチェア | Studio d'Arte Palma(Giancarlo Palantiと共同) |
| 1950-1953年 | 出版 | 雑誌『ハビタット(Habitat)』編集長 | Pietro Maria Bardiと共同創刊 |
| 1951年 | 建築 | カサ・デ・ヴィドロ(Casa de Vidro / ガラスの家) | 自邸、サンパウロ、モルンビ |
| 1951年 | 家具 | ボウルチェア(Bowl Chair) | 2012年にArperが再生産 |
| 1951年 | 家具 | ボラ・アームチェア(Bola Chair) | 真鍮玉付きワイヤーフレーム |
| 1951年 | 家具 | スツール | カサ・デ・ヴィドロ用 |
| 1957-1968年 | 建築 | サンパウロ美術館(MASP)新館 | アヴェニーダ・パウリスタ、サンパウロ |
| 1959年 | 展覧会 | バイーア・イン・イビラプエラ展 | 第5回サンパウロ・ビエンナーレ(Martim Gonçalvesと共同) |
| 1962年 | 建築 | ソラール・ド・ウニャン(Solar do Unhão)修復 | サルヴァドール、バイーア |
| 1964年 | 建築 | シャメ・シャメハウス(Chame-Chame House) | サルヴァドール |
| 1969年 | 展覧会 | 「ブラジル人の手」展(A mão do povo brasileiro) | MASP |
| 1977-1982年 | 建築 | SESCポンペイア工場修復(倉庫部分) | Serviço Social do Comércio、サンパウロ |
| 1979-1982年 | 家具 | SESCスツール | SESCポンペイア用 |
| 1977-1986年 | 建築 | SESCポンペイアスポーツ棟(コンクリート塔) | Serviço Social do Comércio、サンパウロ |
| 1980年代 | 家具 | フレイ・エジディオチェア(Frei Egídio Chair) | テアトロ・グレゴリオ・デ・マトス用(Marcelo FerrazとMarcelo Suzukiと共同) |
| 1984年 | 建築 | テアトロ・オフィシナ(Teatro Oficina) | サンパウロ、ビクシガ地区 |
| 1985年 | 建築 | ポリテアマ劇場改修プロジェクト | ジュンディアイ |
| 1986年 | 家具 | ジラファチェア(Girafa Chair) | カサ・ド・ベニン用(Marcelo FerrazとMarcelo Suzukiと共同) |
| 1987年 | 建築 | ベニン館(Casa do Benin) | サルヴァドール |
| 1987年 | 都市計画 | ミゼリコルディア丘(Misericórdia Hill)保存プロジェクト | サルヴァドール歴史地区 |
| 1987年 | 建築 | ラデイラ・ダ・ミゼリコルディア住宅 | サルヴァドール(João Filgueiras Lima / Leléと共同) |
| 1980年代半ば | 建築 | インスティトゥート・リナ・ボ・エ・P.M.バルディ | カサ・デ・ヴィドロへの増築(André VainerとMarcelo Carvalho Ferrazと共同) |
| 1990年 | 建築 | パラシオ・ダス・インドゥストリアス改修プロジェクト | サンパウロ市庁舎用、未完成 |
| 1991年 | 建築 | イグレージャ・エスピリト・サント・ド・セラード | ウベルランディア |
参考文献
- Lina Bo Bardi | Biography, Architecture, Buildings, Furniture, Museum, Glass House, & Facts | Britannica
- https://www.britannica.com/biography/Lina-Bo-Bardi
- Lina Bo Bardi - Wikipedia
- https://en.wikipedia.org/wiki/Lina_Bo_Bardi
- Lina Bo Bardi | Biography & works | Collectible design at Casati Gallery
- https://www.casatigallery.com/designers/lina-bo-bardi/
- Lina Bo Bardi and the Architecture of Everyday Culture | Places Journal
- https://placesjournal.org/article/lina-bo-bardi-and-the-architecture-of-everyday-culture/
- Lina Bo Bardi, the misunderstood modernist, and her influential architecture | Wallpaper
- https://www.wallpaper.com/architecture/lina-bo-bardi-ultimate-guide
- Concrete and Glass: Lina Bo Bardi's Easels and a New, Old Way of Displaying Art | ArchDaily
- https://www.archdaily.com/778964/concrete-and-glass-linas-easels-and-a-new-old-way-of-displaying-art
- Lina Bo Bardi's "radical" glass easels revived for exhibition | Dezeen
- https://www.dezeen.com/2015/10/29/lina-bo-bardi-glass-easel-revived-exhibition-brazilian-art-sao-paulo-museum-of-art/
- SESC Pompéia Factory, São Paulo - Lina Bo Bardi | Arquitectura Viva
- https://arquitecturaviva.com/works/sesc-fabrica-pompeia-9
- SESC Pompeia by Lina Bo Bardi: Transforming an Industrial Factory into a Cultural Landmark | ArchEyes
- https://archeyes.com/sesc-pompeia-factory-lina-bo-bardi-architecture-sao-paulo/
- Lina Bo Bardi, architecture and design | Bossa Furniture
- https://www.bossafurniture.com/blogposts/lina-bo-bardi-architecture-and-design/
- Lina Bo Bardi Wins Special Golden Lion for Lifetime Achievement in Memoriam | ArchDaily
- https://www.archdaily.com/958187/lina-bo-bardi-wins-special-golden-lion-for-lifetime-achievement-in-memoriam
- Biennale Architettura 2021 | Lina Bo Bardi Special Golden Lion for Lifetime Achievement in memoriam
- https://www.labiennale.org/en/news/lina-bo-bardi-special-golden-lion-lifetime-achievement-memoriam
- Retrospective: Lina Bo Bardi - The Architectural Review
- https://www.architectural-review.com/essays/retrospective/retrospective-lina-bo-bardi
- Lina Bo Bardi | Side Gallery
- https://side-gallery.com/designer/lina-bo-bardi/