ハンス・ベリング ─ 遊び心と愛に満ちたデンマーク・モダンの継承者
ハンス・ベリング(Hans Bølling, 1931年生)は、デンマークの建築家・デザイナーである。木工のフィギュアから家具、建築まで多岐にわたる創作活動を展開し、デンマーク・モダンデザインの黄金期を支えた多才な作家として知られる。その作品は遊び心(playfulness)、ユーモア、機知に富み、機能と詩情を見事に融合させた造形で国際的に高い評価を受けている。
ベリングの名は、ArchitectMade社から製造されるダック&ダックリングやオスカーなどの木製フィギュア、そしてBrdr. Krüger社が生産するベリング・トレイテーブルやTRIIIOテーブルシリーズによって広く知られる。90歳を超えてなお現役で創作を続けるその姿は、デザインの喜びと情熱を体現するものとして、後進のデザイナーや愛好家から深い敬意を集めている。
バイオグラフィー
1931年、デンマーク・ブラブランド(オーフス近郊)に生まれる。当初は工芸学校(Art and Handcraft School)で広告デザインを学ぶが、後に建築の道へ転じ、デンマーク王立芸術アカデミー(The Royal Danish Art Academy)を卒業。建築家としての学位を取得した。
建築への転向のきっかけとなったのは、後の妻ソス(Søs)との出会いである。ソスの父は建築家アクセル・ヴァンシャー(Axel Wanscher)であり、著名な家具デザイナー、オーレ・ヴァンシャー(Ole Wanscher)の兄弟にあたる。アクセルは、当時広告デザイナーを志していたベリングに対し、建築家こそがより堅実で充実した職業であると助言した。この言葉がベリングの人生を大きく変えることとなった。
王立芸術アカデミー在学中、ベリングは旋盤を用いて妻や友人のために小さな木製のフィギュアを制作し始める。ある時、デンマークの著名な陶芸家アクセル・サルトの作と間違えられるほどの評価を受けたパターンデザインでコンペティションに入賞。その賞金で自身の木工旋盤を購入したことが、後に世界的に愛されることとなる木製フィギュアの制作の出発点となった。
卒業後は義父アクセル・ヴァンシャーのもとで建築実務を経験し、1960年には自身のスタジオを設立。邸宅、集合住宅、市庁舎などの建築設計を手がける一方、家具やプロダクトデザインの領域でも精力的に活動を展開した。建築家としての代表的なプロジェクトには、デンマーク・プレストー(Præstø)に建設された東海大学(Tokai University)の寄宿学校がある。
コペンハーゲン北部のシャルロッテンルンド(Charlottenlund)に妻ソスと60年以上にわたり暮らし続け、自ら7度にわたり増改築を重ねた自邸と、隣接するアトリエで今なお創作を続けている。なお、王立芸術アカデミー在学時にはポール・ケアホルム(Poul Kjærholm)が教官の一人であったとされる。
デザインの思想とアプローチ
ベリングのデザイン哲学の根底には、「遊び」と「愛」がある。彼自身が繰り返し語るように、すべての創作の原点は妻ソスへの愛であり、初期の木製フィギュアはすべて彼女への贈り物として生まれたものである。「私のキャリアは愛の上に築かれたと言えるでしょう」と語るベリングの言葉は、その創作の本質を端的に物語っている。
デザインにおいてベリングは、機能性と遊び心の融合を一貫して追求してきた。ベリング・トレイテーブルに象徴されるように、構造そのものが機能を支え、形と機能が部分の総和以上のものとなることを理想とする。デザインプロセスは手描きのスケッチから始まり、しばしば直接的な手仕事へと展開される。トレイテーブルの原型はスケッチを描くことなく、アイデアから直接手でプロトタイプが制作されたという逸話が伝わる。
自然への深い愛着もベリングの作品に通底する要素である。植物園の花や雑草のスケッチから着想を得たフィギュア群、コペンハーゲンの春に道路を横断するアヒルの親子に触発されたダック&ダックリングなど、自然界の有機的なフォルムと動きが作品の随所に息づいている。建築図面の片隅には常にオウムの小さな絵が添えられているという個人的な署名も、彼の遊び心を示す好例として知られる。
また、ベリングは「感情的ミニマリズム」(emotional minimalism)の巧者として評価されており、単純と精緻の絶妙な均衡を追求する姿勢が全作品を貫いている。円環的な形態を好み、それを時代を超えた普遍性と無限の可能性の象徴として捉える感性は、最新のHBコレクションに至るまで一貫している。
作品の特徴
ベリングの作品群は、大きく三つの領域に分類される。木製フィギュア、家具デザイン、そして建築である。いずれの領域においても、有機的なフォルム、木材への深い理解、そしてヒューマンスケールの温もりが共通の特質として認められる。
木製フィギュア
ベリングの木製フィギュアは、デンマークの銀細工師・デザイナーであるカイ・ボイスン(Kay Bojesen)の遊び心あふれる木工作品の系譜を継ぐものとして位置づけられる。チーク、メープル、オーク、パインなどの天然木を用い、旋盤加工と手彫りによって制作されるフィギュアの数々は、抽象的でありながら個性に満ち、見る者に微笑みをもたらす普遍的な魅力を湛えている。オスカー、ダック&ダックリング、マーメイド、ストリット、オプティミスト&ペシミスト、ディスカスバードなど、いずれも可動部を持ち、姿勢や表情を変えることで多様な表現を楽しむことができる。現在はArchitectMade社が製造を手がけている。
家具デザイン
家具においてベリングは、デンマーク・モダンの黄金期の精神を継承しつつ、遊び心のある機能主義を展開している。1963年のベリング・トレイテーブルは、折り畳み可能なH型フレームにキャスターを備え、両面使用可能な円形トレイを2枚配した構成で、機能と造形の一体化を見事に実現した名作である。1958年にスケッチされたTRIIIOテーブルシリーズは、樹木の枝を思わせるねじれた脚部にガラスの天板を載せ、彫刻的な詩情を湛える。2022年に発表されたHBコレクション(ラウンジチェア、スツール、コーヒーテーブル)は、伝統的な仕口による接合で釘やネジを一切使用しない構造を特徴とし、持続可能な広葉樹材の美しさを最大限に引き出す設計となっている。いずれもBrdr. Krüger社がデンマーク国内の自社工房で製造している。
建築
建築家としてのベリングは、個人邸宅、集合住宅、市庁舎など多様な建築プロジェクトを手がけた。なかでもデンマーク・プレストーに建設された東海大学の寄宿学校は、代表的な建築作品として知られる。自邸においても、長年にわたり7度の増改築を重ね、住まいそのものを継続的な設計実験の場として活用している。
主な代表作とエピソード
オスカー(Oscar)─ 1953年
ベリング初期の代表的フィギュアの一つ。垂れ耳の愛らしい犬を題材に、座る、立つ、ねだる、伏せるなど、本物の犬のあらゆる仕草を再現できるよう、関節の角度やカーブが数年をかけて精密に設計された。当初はブラジルナッツの殻から制作されたという。後に同じ造形言語でボビー(Bobby)、ルーファス(Rufus)が生み出された。現在はArchitectMade社から製造されている。
ストリット(Strit)─ 1954年
チークとビーチウッドから手作りされた人物フィギュア。可動式の手足・胴体・頭部により、無数のポーズをとることができる。「人生をあまり深刻に考えすぎないように」というメッセージが込められた作品であり、ベリングのユーモア精神を象徴する存在として親しまれている。
ダック&ダックリング(Duck & Duckling)─ 1950年代後期
ベリングの作品の中で最も広く知られるフィギュアの一つ。1959年の春、コペンハーゲン・フレデリクスベアの繁華な通りで、警察官が交通を止めてアヒルの親子を渡らせたという出来事が新聞に大きく報じられた。この心温まるエピソードに触発され、ベリングはデンマークの春の穏やかな情景を凝縮した木製のアヒル親子を制作した。滑らかな曲線と洗練されたフォルムは、北欧デザインの古典として世界中で愛されている。
マーメイド(Mermaid)─ 1960年
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話『人魚姫』とコペンハーゲンの象徴的な人魚像から着想を得た木製彫刻。メープルとオークを組み合わせ、抽象的でありながら優美な女性像を表現する。頭部、腕、尾びれ、胴体が可動し、多彩な表情を生み出すことができる。おとぎ話を超えた、静謐で洗練された女性性の表現として評価されている。
オプティミスト&ペシミスト(Optimist & Pessimist)─ 1959年
人間の二面性——陰と陽、喜びと悲しみ——を対照的な二体の木製フィギュアで表現した作品。最高級のチーク材から手作りされ、メープルとウェンジの木を象嵌した目、ロープ製の可動する腕を持つ。背中合わせに置くと、姿勢の違いから二人の対照的な性格が一目で読み取れるという巧みな設計が施されている。
ベリング・トレイテーブル(Bølling Tray Table)─ 1963年
ベリングの家具作品の中で最も著名な一作。コペンハーゲンのデザインショップ「Form & Farve」のオーナー、トーベン・ウスコウ(Torben Ørskov)から軽量で持ち運びやすいコーヒーテーブルの制作を依頼され、スケッチを描くことなくわずか一日でプロトタイプを完成させたという逸話は広く知られる。折り畳み式のH型フレームにキャスターを備え、両面使用可能な円形トレイを2枚配した構成は、形と機能が不可分に結びついた設計の手本とされる。1990年よりBrdr. Krüger社がライセンス生産を引き継ぎ、現在もデンマーク・ヴァーレーゼの自社工房で製造されている。デンマークデザインミュージアム(Designmuseum Danmark)の永久コレクションに収蔵されており、同館との限定コラボレーションとしてシグネチャーカラーであるインディゴブルーの限定500台が製作された。
TRIIIOテーブルシリーズ ─ 1958年設計 / 2017年製品化
1958年、27歳のベリングがスケッチしたテーブルのデザインが、約60年の歳月を経てBrdr. Krüger社により初めて製品化された。樹木の枝が伸びるように捻じれたオーク材の脚部に、色付きガラスの天板と真鍮のアクセントを組み合わせ、簡潔と彫刻的造形の詩的な調和を実現している。ダイニング、コーヒー、サイドの三種で展開され、フランスの高級メゾン・エルメスがコペンハーゲン旗艦店のために特注サイズを注文したことでも話題を呼んだ。
HBコレクション ─ 2022年
90歳を超えたベリングが数年をかけて自宅で開発した、ラウンジチェア、スツール、コーヒーテーブルの三点からなるコレクション。Brdr. Krüger社とアメリカ広葉樹輸出協議会(AHEC)との協働で実現し、レッドオーク、チェリー、メープルなどのサステナブルな広葉樹を使用する。伝統的な肩ほぞ接合により、釘やネジを一切使用しない構造が特徴である。トレイテーブルの造形言語を継承しつつ、曲線と角度を用いて円環的なフォルムを再構成し、デンマーク黄金期のデザイン精神を現代に蘇らせた。2022年のコペンハーゲン3daysofdesignにて「The Home of Hans Bølling」展で世界初公開された。
功績・業績
ベリングの功績は、デンマーク・モダンデザインの黄金期における多面的な創造活動にある。アルネ・ヤコブセン、ハンス・ウェグナー、フィン・ユール、ナナ・ディッツェルらの大家がデンマーク・デザインの国際的名声を確立した同時代にあって、ベリングは独自の道を歩んだ。一般に、いわゆる黄金期の中心人物たちよりも若い世代に属し、同時代の巨匠たちの影に隠れがちであったが、その作品の質と独創性は近年ますます再評価されている。
ベリング・トレイテーブルはデンマークデザインミュージアムの永久コレクションに収蔵されている。同ミュージアムの館長アンネ=ルイーズ・ゾンマーは、ベリングを「遊び心があり、ユーモラスで控えめなアプローチを持つデザイナー」であり、トレイテーブルを「シグネチャーピース」と評している。
また、Brdr. Krüger社との三世代にわたるパートナーシップは、デンマーク・デザインにおけるデザイナーとクラフツマンの理想的な協働の好例として語られている。木製フィギュアの領域では、カイ・ボイスンの伝統を継承する現代の作家としてデンマーク・デザイン史に位置づけられている。
評価・後世への影響
デンマークデザインミュージアムの館長は、ベリングの作風を「最良の意味でとてもデンマーク的」と表現している。ベリングの功績は、機能主義の厳格さとおとぎ話的な想像力を同居させ得ることを証明した点にある。家具とフィギュアという一見異なる二つの領域を横断する創作活動は、デザインが生活に喜びと温もりをもたらしうることの生きた実例である。
近年、デザインの世界では過去の未発表作品を現代に蘇らせるリイシュー(復刻)のトレンドが顕著であるが、ベリングはその潮流の中心的な存在の一人となっている。TRIIIOテーブルシリーズ(2017年)やHBコレクション(2022年)のように、半世紀以上前のスケッチが現代の技術とクラフツマンシップにより初めて製品化される事例は、ベリングのデザインの先見性と普遍性を如実に物語っている。
ArchitectMade社を通じて世界中の家庭に届けられるダック&ダックリングをはじめとする木製フィギュアの数々は、北欧デザインの温かみと職人技の精髄を広く伝える使者としての役割を果たしている。サステナビリティと世代を超えた持続性を重視する現代のデザイン潮流の中で、天然木の美しさを最大限に活かし、世代を超えて愛される作品を生み出してきたベリングの姿勢は、ますます大きな意義を持つものとなっている。
| 年月 | 区分 | 作品名 | ブランド |
|---|---|---|---|
| 1953年 | フィギュア | Oscar(オスカー) | ArchitectMade |
| 1953年 | フィギュア | Bobby(ボビー) | ArchitectMade |
| 1953年 | フィギュア | Rufus(ルーファス) | ArchitectMade |
| 1954年 | フィギュア | Strit(ストリット) | ArchitectMade |
| 1950年代後期 | フィギュア | Duck & Duckling(ダック&ダックリング) | ArchitectMade |
| 1958年(2017年製品化) | テーブル | TRIIIO Side Table(トリオ サイドテーブル) | Brdr. Krüger |
| 1958年(2017年製品化) | テーブル | TRIIIO Coffee Table(トリオ コーヒーテーブル) | Brdr. Krüger |
| 1958年(2017年製品化) | テーブル | TRIIIO Dining Table(トリオ ダイニングテーブル) | Brdr. Krüger |
| 1959年 | フィギュア | Optimist & Pessimist(オプティミスト&ペシミスト) | ArchitectMade |
| 1960年 | フィギュア | Mermaid(マーメイド) | ArchitectMade |
| 1961年 | フィギュア | Discus Birds(ディスカスバード) | ArchitectMade |
| 1963年 | テーブル | Bølling Tray Table(ベリング・トレイテーブル) | Brdr. Krüger(旧 Torben Ørskov & Co.) |
| 1976年 | キャンドルホルダー | Quartet(カルテット) | ArchitectMade |
| 年代不詳 | 建築 | 東海大学寄宿学校(Tokai University Boarding School, Præstø) | ─ |
| 年代不詳 | 建築 | 個人邸宅・集合住宅・市庁舎(複数) | ─ |
| 2022年 | ラウンジチェア | HB Lounge Chair(HBラウンジチェア) | Brdr. Krüger |
| 2022年 | スツール | HB Stool(HBスツール) | Brdr. Krüger |
| 2022年 | テーブル | HB Coffee Table(HBコーヒーテーブル) | Brdr. Krüger |
| 2022年 | テーブル(限定) | Bølling Tray Table Designmuseum Danmark Limited Edition | Brdr. Krüger / Designmuseum Danmark |
Reference
- Hans Bølling discusses his playful, enduring designs | Wallpaper*
- https://www.wallpaper.com/design/hans-bolling-interview
- Designers: Hans Bølling | Brdr. Krüger
- https://www.brdr-kruger.com/designers-hans-bolling/
- Hans Bølling – ARCHITECTMADE
- https://architectmade.com/en-us/collections/hans-bolling
- Bølling Tray Table | Brdr. Krüger
- https://www.brdr-kruger.com/product/bolling-tray-table/
- TRIIIO Dining Table | Brdr. Krüger
- https://www.brdr-kruger.com/product/triiio-dining-table/
- HB Lounge Chair | Brdr. Krüger
- https://www.brdr-kruger.com/product/hb-lounge-chair/
- Hans Bølling: Danish Craftsman and Gentleman | Decoist
- https://www.decoist.com/hans-bolling-danish-design/
- Danish design legend Hans Bølling launches new furniture | Wallpaper*
- https://www.wallpaper.com/design/hans-bolling-furniture-brdr-kruger
- Hans Bølling – modernlink
- https://modernlink.com/blogs/designers-and-makers/hans-bolling
- The Creator of Whimsy — Alpine Modern
- https://www.alpinemodern.com/inspirations/hans-bollingthe-creator-of-whimsy
- Designers | Orskov Copenhagen
- https://orskov.com/about-us/designers/
- Bølling Tray Table Designmuseum Danmark Limited Edition | Brdr. Krüger
- https://www.brdr-kruger.com/product/tray-table-designmuseum-edition/
- TRIIIO Table by Brdr. Krüger | Archello
- https://archello.com/product/triiio-table
- Mermaid – ARCHITECTMADE
- https://architectmade.com/en-us/products/hans-bolling-mermaid
- Quartet – ARCHITECTMADE
- https://architectmade.com/en-us/products/quartet
- Discus Bird by Architect Hans Bølling | ArchiExpo e-Magazine
- https://emag.archiexpo.com/discus-bird-by-architect-hans-bolling-2/
- Hans Bølling | Finnish Design Shop
- https://www.finnishdesignshop.com/en-us/designer/hans-bolling
- Hans Bølling — FAIR
- https://fair-design.com/artisans/hans-bolling