Blessing(ブレッシング)
Blessingは、1940年にドイツ南西部の黒い森地方ヴァルトキルヒで創業した時計メーカーである。時計技術者Rudolf Blessing(1889年〜1969年)が独立して設立し、第二次世界大戦後に目覚まし時計の生産で規模を広げた。ほぼ全ての製品が機械式で、時刻とアラームに独立したぜんまいを備える構造を持つ。1960年代後半から1970年代にかけては、従来の目覚まし時計の輪郭から外れた造形の製品を手がけた。1975年に破産手続に入り、1977年に操業を終えている。
事業と製造の実体
Blessingの製品を規定していたのは、機械式のムーブメントである。電池式が普及しつつあった時期にも、同社は手巻きの機構を主とした。時刻の駆動とアラームの駆動にそれぞれ独立したぜんまいを備える構造が採られ、一方を巻いても他方に影響しない。
この構造は筐体の設計を制約する。ぜんまい二つと歯車列を収める必要があるため、機構の占める体積が電池式より大きい。同社が1960年代後半以降に手がけた球形や台座付きの筐体は、この体積を前提として外形を決めたものにあたる。
素材は樹脂とクロムめっきの金属が中心となる。樹脂の射出成形により、金属の板金では作れない曲面の筐体が可能になった。色は橙、黄、赤、緑といった彩度の高いものが用いられている。
製品は目覚まし時計を主力とし、暖炉の上に置く時計、掛け時計、旅行用の時計、卓上時計に及んだ。旅行用の時計には7石のムーブメントが用いられている。
沿革
創業
Rudolf Blessingは黒い森地方の時計メーカーMathias BäuerleおよびFichter & Hackenjosで技術を学び、後者では共同経営者となった。1940年、独立してヴァルトキルヒのLange Strasse 4番地にBlessingwerke Waldkirchを設立している。従業員約100名で目覚まし時計の製造を始めた。
戦後の拡大
第二次世界大戦の終結後、工場は連合国によって解体された。まもなく操業を再開し、数年のうちに規模を回復している。1950年代には本社をFreiburger Strasse 6番地へ移した。創業者の息子Léo Blessing(1914年〜1993年)が商務を、Waldemar Blessing(1921年〜)が技術と販売を担う体制が採られている。
1970年時点で従業員は約1,600名、年間の生産数は約500万個に達した。生産の6割以上が米国を中心とする国外へ輸出されている。
操業の終了
水晶式時計の普及と価格競争により経営は悪化し、1975年に破産手続が開始された。1977年に操業を終えている。
ドイツ・フルトヴァンゲンのドイツ時計博物館は、ドイツの時計産業の歴史を体系的に収集・記録している。
デザイナーとの協働
Blessingの製品開発は、社内の技術部門と意匠の担当者によって進められた。機械式のムーブメントが占める体積が筐体の寸法を規定するため、機構と外形が分離しにくい構成にあたる。
1960年代後半以降の製品では、樹脂の成形技術によって扱える形の範囲が広がり、球形や台座付きの筐体が加えられた。
主な製品群
ブレッシング フリップクロックは、数字を印刷した板を機械的に送って時刻を示す時計である。発光や液晶を用いず、板が落ちる動作で表示が切り替わる。
このほか、機械式の目覚まし時計、暖炉の上に置く時計、掛け時計、旅行用の時計を扱った。
基本情報
| ブランド名 | Blessing(ブレッシング) |
|---|---|
| 正式社名 | Blessing Werke KG |
| 設立 | 1940年 |
| 創業者 | Rudolf Blessing(1889年〜1969年) |
| 所在地 | ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州ヴァルトキルヒ |
| 操業の終了 | 1977年(1975年に破産手続開始) |
| 事業内容 | 目覚まし時計・置時計・掛け時計の製造および販売 |
Reference
- Deutsches Uhrenmuseum(ドイツ時計博物館)
- https://www.deutsches-uhrenmuseum.de/