PK9チェアは、デンマークを代表する家具デザイナー、ポール・ケアホルム(Poul Kjærholm)が1960年に発表した椅子である。その優美な曲線を描くフォルムから「チューリップチェア」の愛称でも親しまれ、20世紀デンマークモダンデザインの精華として世界中のデザイン愛好家から敬愛され続けている。
三本の脚が花弁のように広がる優雅なシルエットは、構造的な堅牢さと視覚的な軽やかさを両立させた傑作である。ケアホルムが生涯を通じて追求した「工業素材による詩的表現」という美学の結晶として、本作品は現代においてもなお、その輝きを失うことはない。
特徴・コンセプト
構造とフォルム
PK9の最も顕著な特徴は、三本のステンレススチール製脚部が描く流麗な曲線にある。各脚は座面から地面へと優雅に弧を描きながら広がり、まるでチューリップの花弁が開くかのような姿態を形成する。この有機的なフォルムは、冷徹な工業素材であるスチールに柔らかな生命感を付与することに成功している。
座面は上質なレザーで覆われ、人体工学的な配慮のもとに緩やかな曲面を描く。フレームの硬質さと座面の柔軟さが絶妙なコントラストを生み出し、視覚的な美しさと実用的な座り心地を同時に実現している。
素材へのこだわり
ケアホルムは、同時代の多くのデンマーク人デザイナーが木材を主素材としたのに対し、スチールを主要な表現媒体として選択した稀有な存在であった。彼にとってスチールとは、単なる工業素材ではなく、精密さと永続性を象徴する崇高なマテリアルであった。
PK9においても、サテン仕上げのステンレススチールが放つ抑制された光沢は、空間に静謐な気品をもたらす。レザーには厳選された最高級の皮革が用いられ、経年変化とともに深みを増す風合いは、この椅子と長く寄り添う歓びを約束する。
デザイン哲学
ケアホルムの設計思想の根幹には、「最小限の要素で最大限の表現を達成する」という禁欲的な美学が貫かれている。PK9において、装飾的要素は一切排除され、構造そのものが造形となっている。三本脚という構成は、安定性を確保しうる最小限の支持構造であり、この合理性こそがPK9の端正な美しさの源泉となっている。
また、ケアホルムは「家具は建築の延長である」と考え、空間との調和を常に意識した。PK9の透明感あふれる佇まいは、いかなる室内環境にも自然に溶け込みながら、静かな存在感を放つ。
エピソード
開発の背景
1960年、ケアホルムは既にPK22やPK61などの傑作を世に送り出し、デンマーク家具デザイン界において確固たる地位を築いていた。しかし彼は現状に満足することなく、さらなる造形的探求を続けていた。PK9は、ダイニングチェアとしての機能性を保ちながら、彫刻的な美しさを追求するという野心的な試みの成果であった。
開発にあたり、ケアホルムは三本脚の構造が生み出す視覚的効果と構造的安定性のバランスに細心の注意を払った。幾度もの試作を経て、現在のプロポーションが決定されたという。
製造の変遷
PK9は当初、ケアホルムの良き理解者であった家具製造業者エイヴィン・コル・クリステンセン(E. Kold Christensen)によって製造された。クリステンセンはケアホルムのビジョンを忠実に具現化できる卓越した技術力を有しており、両者の協働は多くの名作を生み出した。
1982年、デンマークを代表する家具ブランドであるフリッツ・ハンセンがケアホルム作品の製造権を取得した。以来、PK9はフリッツ・ハンセンの厳格な品質管理のもとで製造され、世界中のインテリア愛好家に届けられている。
評価
PK9は、発表以来60年以上にわたり、デザイン史において不朽の名作として評価され続けている。その評価の核心は、工業素材を用いながらも詩的な情緒を湛えた造形美と、時代を超越した普遍性にある。
美術史家やデザイン評論家からは、「ミニマリズムの極致」「スチール彫刻と家具の融合」として絶賛を受けてきた。また、現代のインテリアデザイナーやアーキテクトたちからも、空間を格調高く演出する逸品として高い信頼を寄せられている。
世界有数の美術館においても、PK9はデザインコレクションの重要な一角を占めている。ニューヨーク近代美術館(MoMA)、デンマーク・デザイン・ミュージアムをはじめとする名だたる機関が、本作品を永久コレクションとして収蔵している。
受賞歴・栄誉
ポール・ケアホルムは、PK9を含む一連の作品群により、数々の栄誉ある賞を受けている。
- 1957年:ミラノ・トリエンナーレ グランプリ受賞(家具デザイン部門)
- 1958年:ルニング賞受賞(北欧デザイン界の最高栄誉の一つ)
- 1960年:デンマーク家具賞受賞
これらの受賞は、ケアホルムの革新的なデザインアプローチと、その作品群の芸術的価値が国際的に認められた証左である。PK9は、こうした評価を支える代表的作品の一つとして、デザイン史に確固たる位置を占めている。
基本情報
| 製品名 | PK9 / PK9チェア(チューリップチェア) |
|---|---|
| デザイナー | ポール・ケアホルム(Poul Kjærholm, 1929-1980) |
| デザイン年 | 1960年 |
| 製造元 | フリッツ・ハンセン(Fritz Hansen) |
| 原産国 | デンマーク |
| 素材 | フレーム:サテン仕上げステンレススチール / 座面:レザー張り |
| 寸法 | 幅 約59cm × 奥行 約54cm × 高さ 約76cm(座面高 約45cm) |
| カラー | レザー各色(ブラック、コニャック、ウォールナットなど) |
| 用途 | ダイニングチェア、アクセントチェア |